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00:プロローグ

 緑の小高い丘の上――。


 青く静かな内海を見下ろす城の中、白薔薇の咲き乱れる庭園からお茶会を楽しむ令嬢たちの軽やかな笑い声が聞こえてくる。

 ガラスのように磨かれた石英の床に立つのは、白銀の鎧をまとう近衛騎士。

 白磁の廊下を行き来する文官たちが、時折すれ違う豪奢な身なりの貴族にうやうやしく頭を下げる。


 そんな、どこもかしこも真っ白で煌びやかな王城の片すみにひっそり佇む、石造りの無骨な建物。

 王宮勤めの騎士達が集う修練場で、夕闇の迫る中グレアム・ヴァーミリオンは独りもくもくと剣を振るっていた。


 ――七百九十八、七百九十九……。


 日課である素振り千回まで、あと二百。そろそろあがるぞ、という同僚騎士の声が聞こえたような気もするが、グレアムはそれに応えることなく剣を振るい続ける。彼の耳に届くのは、鈍色の切っ先が空気を切り裂く音だけだ。


 ――九百三十二、九百三十三……。


 残すところあとわずか。しかしその研ぎ澄まされた集中力は、聞き覚えのある男の声で遮られてしまった。


「グレアム、グレアム、グレアムぅ――――!」


 半べその情けない顔で、抱きつかんばかりに駆け寄ってきたその男の鼻先に、ぴたりと剣先を据えてやる。


「近づくな。訓練中だ」


「見りゃわかるけど、剣くらい下ろしてくれよぉ! 親友が泣きついてるのにその態度はあんまりだろう」


「なにが親友だ。ただの腐れ縁だろう」


 彼の名はジーク。グレアムの士官学校時代の同期であるが、正直関わり合いになりたくない。この男がこうやって擦り寄ってくる時は、必ず禄でもないことが起こると相場が決まっているからだ。


「だいたい、俺が剣を下ろすより、お前が日頃の行いを悔い改めるのが先じゃないのか」


「え、まさかグレアム、まだこの間のこと怒ってんの? あの令嬢の恋人は無事見つかったんだから良かったじゃないか」


「その令嬢が、見つかった恋人を差し置いて、俺に言い寄りさえしなければな」


「人の心ってのは移ろいゆくものさ」


 しれっとそんなことを言うジークの顔には先ほどまでの泣きっ面はどこにもない。何を考えているかわからない人を食ったような表情で、ひょいと肩をすくめている。


 やはり演技だったのか。

 人を誑し込むためならば、己の情けない姿を晒すことさえ厭わない、こいつはそういう奴なのだ。


「そもそもその恋人も、ろくでもない男だったんだ。男も掴まって、令嬢の目も覚めて、めでたし、めでたしってことでさ」


「勝手に話をしめるな! この間だけじゃない。お前ときたら、くだらない揉め事を次から次へと持ち込んで……いくら俺が憲兵だからといって、お前に顎で扱き使われる言われはない」


 グレアムが在籍する憲兵団は、数ある騎士団を取り締まる権限を持った、王国の安全の維持を目的とする検察部隊である。


 先ほどの件も、ジークの追っていた「いなくなった令嬢の恋人」とやらが、たまたま(・・・・)グレアムの追っていた犯罪集団「ルチアーノ一家」の一味であったことから手を貸すことになったのだが、そもそも一介の近衛兵であるジークが、どんな経緯(いきさつ)でそんな話を持ち込んだのか、ジークは詳しく語ろうとしない。

 それが偶然であったことすら怪しいとグレアムは睨んでいるが、真相は謎のままだ。


 そんなトラブルメーカーが、今度は一体何の用なのか。

 全くもって嫌な予感しかしない。


「まぁ、いいじゃないか。王国の規律を守るのが憲兵隊の本分だろう? そんなことより聞いてくれよ」


「そんなことより?」


 眼光鋭く目を眇め、グレアムは目の前の男を睨みつける。


「いや、本当に一大事なんだって!」


 憲兵隊の中でも一、二を争う強面であるグレアムのそんな顔にも一切臆することはなく、ジークはグレアムに向って「耳を貸せ」と手招きする。仕方なく剣を収め、ジークに顔を寄せたグレアムは、囁かれたその言葉に思わず声を上げてしまった。


「……王子がいなくなっただと!?」


「声がでかい!」


 ジークがとっさにグレアムの口を塞ぐ。周囲にはすでにひと気はないが、二人は念のため、その体勢のまま辺りをぐるりと見渡した。誰もいないことを確認すると、グレアムは口を押えるその手をぞんざいに払いのける。


「王子というのは、お前の主の方で間違いないな」


 リザヴェール王国には王子が二人いらっしゃる。亡くなられた前王妃の御子である第一王子のジェラルド殿下と、現王妃の御子である第二王子のフィリップ殿下だ。ジークが仕えているのはこの第二王子の方であるのだが、この王子様は少しばかり……いや、多大なる問題を抱えていた。


 とにかく、なんにもしないのだ。


 学業も剣術も、王子としての責務すらも放棄して、日がな一日ぼんやりと窓の外を眺めてばかりいる。何事に対しても常に受身で、物事の一切に執着を見せることはない。見目ばかりが麗しく、濁った紫瞳(しとう)を持つ彼を、人は皆「無気力王子」と呼んでいた。


「いなくなった状況を話せ」


「……信じてくれるのか?」


「信じる、信じないもない。いなくなったのが本当なら、憲兵隊に属するものとして、捨て置くわけにもいかないだろう」


 グレアムの言葉を聞いたジークは、わざとらしく顔をぐしゃりと歪ませた。


「ありがとう、親友(とも)よ!!」


「腐れ縁だと言ってるだろう」


 握られたその手をすっぽ抜き、グレアムはジークに背を向ける。


「さっさと行くぞ。まずは王子の部屋からだ」


「ああ、そうしよう」


 歩き出すグレアムの隣にジークが並ぶ。

 道化の皮を脱ぎ捨てた彼の表情は硬い。王族がいなくなったとあれば、それはもう一大事だ。特に今はフィリップ王子にとっても、リザヴェールにとっても、とても大事な時期である。事を荒立てる前に内密に済ませたいジークの気持ちはわからないでもない。

 とはいえ、相手はあの無気力王子だ。蟻の入る隙もない王宮からの誘拐よりも、どこかでうっかり昼寝でもしていることを疑うことが先だろう。


「まったく……面倒ごとはこれで終わりにして欲しいもんだ」


「なんか言ったか?」


「いや、別に」


 何を言ったところで、人たらしの権化のようなこの男は、喉もとの熱さなんて無かったように、またすぐに騒ぎを持ち込んで来るに違いない。その度に溜息をつきながら、生真面目な自分はそれに付き合わされるのだ。


 溜まりに溜まったこの貸しをどうして払ってもらおうか。一杯奢られるくらいでは、全く割に合っていない。だがすぐに、そんな悠長なことを言っている暇などなくなることを今のグレアムは知る由も無かった。


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