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その2

「今回のミッションのメンバーについて発表を行う」


 人類初の有人飛行ミッション、“ボストーク計画”の最終メンバーについて決定が成されたのは打ち上げ予定から遡ること二日、四月十日のことであった。

 六人いた候補者であったが、その中でも特に優れた成績を残していたゲルマンが最有力であると思われていた。


 しかし、そこで告げられた名前は六人の誰にとっても意外な人物であった。

「正パイロットはユーリ。サポートをゲルマンとする。以上だ」


 それだけを言って会議室から立ち去ろうとするコマンダーにゲルマンが食ってかかった。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! どうしてこいつ(ユーリ)なんだ! 座学でも実技でも俺の方が圧倒的だ。俺こそが正パイロットにふさわしい!」

 若く、普段から鍛えているゲルマンに対してコマンダーはいかにも官僚といった風情で線も細く、いかにも荒事には向いて居ないように見えた。しかしコマンダーは今にもつかみかからんとしているゲルマンに対して眉ひとつ動かさない。


「そういうところだよ、ゲルマン中尉」

 コマンダーの目がスッと薄くなった。その瞬間、部屋の温度が数度下がったようにも感じた。


「これは人類初の偉業であり国家プロジェクトである。当然、成功の暁にはパイロットは世界的英雄になるだろう」

「だったら、なおさら俺のはずだ! 俺こそが……!」


「英雄が貴様のように粗野な人物であってたまるものか」

「なっ……!」

 それまで食いつくようだったゲルマンはその瞬間、冷や水を浴びせかけられたかのように一歩後ずさった。


「以上である。異論は認めない。解散」


 呆然とするゲルマンを尻目に、コマンダーは再び部屋から出ようとした。その時、何かを思い出したのか部屋の中を振り返った。

「ユーリ中尉、話がある。私の執務室まで出頭せよ」

「はっ!」


 最後まで蚊帳の外であったユーリには直立不動で返事をすることしかできなかった。




「ああは言ったが司令部はゲルマン中尉に対して非常に期待している」

 司令部に出頭したユーリに対し、コマンダーは開口一番、そう言った。


「だが先ほど言ったように、今のままでは彼を英雄にすることはできない」

 コマンダーは立ち上がり、窓の外を見ている。そこには新兵達が軍曹にしごかれて息も絶え絶えに走っている姿が見えた。


「実は今回の計画は完全ではない」

「は。……は?」

 突然話が変わったことにユーリは戸惑っていた。


「宇宙空間と言われる高度百キロまでは到達できるであろう。しかし、その後の帰還に際し、ある程度の危険を冒さねばならない」

「は」


「帰還時に大気の魔法作用により君の身体が高温に晒されることは知っているだろう」

「はい。マニュアルではその際、氷の魔法によって身体全体を包み込むことで冷却することになっています。……それに問題が?」


「そうだ。今のわが国の技術力では十分な冷却を行うことができない」

「…………そうですか」


「帰還できる可能性は高く見積もって三割、といったところだろうか」

 七割――いや、その他のトラブルの可能性も考慮するとそれ以上の可能性で死ぬと言われたに等しかった。


 にもかかわらず、ユーリの心は動かなかった。


「君には命令を拒む権利がある。今日はこのまま帰宅してじっくり考えるといい。明日の朝再び――」


「やります」

 即決であった。


「いいのかね? 君は確か、妻がいたろう?」

「彼女も軍人です。きっとわかってくれます」

 コマンダーがこちらを振り返り、ユーリの顔を見た。その瞳は決意に固まっていた。


「……そうか、わかった」

 コマンダーは再び窓の方を見た。もしかすると、彼自身の顔をユーリに見られたくなかったのかもしれない。


「決行は明後日十二日、一一〇〇(ヒトヒトマルマル)だ。それまで十分休養を取っておくように」

「はっ!」

 力強く敬礼をして、ユーリはその場を辞した。




「おかえりなさい」

 基地を出た後、ユーリはすぐに自宅へと戻った。ミッションに選ばれたことを妻のヴァレンチナに報告すると、彼女は我がことのように喜んでくれた。しかし、その後成功率の話に言及すると彼女の顔色は一変した。


「そんな……今から断ることはできないの?」

 夕食のために用意していたシチューの鍋が滑り落ちた。しかし彼女はそれにすら気づかない。


「断ることは……できない……。おれは……軍人だから……」

 コマンダーは断ることもできると言ったが、ユーリの中に断るという選択肢はなかった。ゲルマンに対する意地もあったが、軍人としての矜恃でもあった。軍人は命令に従うもの。たとえ、それが死ねという命令であったとしても。


「あ、あああ……あああ……」

 力なくくずおれるヴァレンチナを支えてやるユーリ。ヴァレンチナはその胸にすがって声もなく泣いた。そのか細い腕は細かく震えていた。


「わかってくれ。お前も軍人ならばわかってくれるはずだ」

 しかし、ユーリが信じた妻はただ泣き続けるだけであった。

 こぼれたままのシチューが彼女の心を雄弁に物語っていた。


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