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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

赤の季節

作者: 明音

満開の彼岸花の花弁を手当たり次第に毟っては、彼女の腹に散らしていた。幼少の頃の秋を思い出すと焼き付いている。暮れ始めた曇天の下、田圃を縁取るように真っ赤な彼岸花の隊列が並んでいる。僕はそれが墓地によくある花だとか、毒があるとか、そんな話を聞いていたはずだが、意に介さなかった。それは、僕たちが手に入るものの中で、一番血を模すのに適切だと思えた。赤い絵の具よりも、折紙よりも、血の色だと思えた。僕たちは切腹ごっこに執心していた。彼女が白いワンピースを着て寝そべり、僕はそこに花弁を重ねていく。


彼女はアヤコという名前だった。僕の名前とほぼ同じだった。

僕たちは名前だけでなく顔立ちも瞳の色も髪の長さもよく似ていた。性別こそ違うが親友であり、二人で一人だと思っていた。恋人などというものより、ずっと半永久的な絆を感じていた。それは病的な依存だったと、今にして思う。彼女はそれでも僕が持たない恐怖を感じていた。それは、彼女がいつか彼女ではなくなってしまう恐怖、妻や母や老婆になってしまうことへの根源的な怯えだった。僕は正直その重さも感覚も共感できなかったが、彼女の辛さは僕の辛さだった。高校に入学して、卒業したら、大学でも受験して、どこか遠くへ行こう。東京でも、大陸でもいい。この閉鎖的な関東の端っこの片田舎の街を脱け出せば、恐怖も紛れるのではないかと思い、誘った。その恐怖はここで生まれてしまった以上、失くならないだろうことはわかっていた。それでも、それは僕たち二人が出会うための必然だったのだから仕方ない。近所の裏山の頂上に座り、二人で田園の先に広がる広大なビル郡を夢想しても、アヤコの目には悲しみが宿っていた。僕はそれをすべて共感できないことがただただ悲しく、彼女の肩を抱いた。


アヤコの真っ白なワンピースは、真っ赤なの紅葉に埋もれ、眠っていた。腹部には、より深く黒い赤が溢れている。まるで秋の風景に埋没するように、赤の中に彼女は溺れていた。騒ぐ周囲の中で、僕は膝から崩れ落ちて、痙攣するように震えていた。アヤコは眠ってなんかいなかった。赤いサイレンのランプが、赤に染まった木の葉を照らし、夕靄の田舎町は俄に緊張していた。彼女の腹の傷は紅葉と一体となっていたが、白いワンピースのスカートを染め上げるほどの出血をもたらし、また彼女は喧騒の中でも目覚めなかった。大人が、慰めるように僕の肩を抱き、目を塞いだ。暗転する瞬間、彼女の苦しみが解けたことを悟った。


アヤコは白いワンピースばかり持っていた。僕はその1着を形見分けで貰うことができた。アヤコを殺した犯人は捕まらなかった。街の端っこの廃屋のようなところに住む老人が、普段から女性に悪戯する事件があり、今回も疑われたが、結局疑いの域を出なかった。誰もが仲の良かった僕を憐れみ、腫れ物のように扱う環境に鬱屈し、僕はアヤコに語った通り、高校を卒業して街を出た。僕は東京へ直通するターミナル駅に辿り着くと、多目的トイレに隠れてアヤコの白いワンピースに袖を通した。それは、僕自身がアヤコに成ることと同義だった。あの地に二度とアヤコを甦らせてはいけないと思っていたから、僕は旅立つその日にアヤコになって、脱出した。彼女は死んだ。そして悲しみを解き放った。それでも、僕は生きて解き放ちたかった。だだっ広い田園に等間隔に立つ鉄塔が、青空の彼方に吸い込まれる車窓を見ながら、僕はワンピースのスカートの皺を伸ばした。


それは方便だった。僕は彼女を喪ってから、ずっと彼女になりたかった。僕は僕を喪ったとしても、彼女を取り戻したかった。そうすることで喪われた僕はまた再生する。ずっと、生きながら乾いていた。僕の方が、彼女よりもずっと二人の関係に依存していたのだろう。

僕は大学では男性として通学しながら、部屋ではアヤコのワンピースを着て過ごした。普通の友人ができ、恋人に近いような女性もできた。それでも、早く僕はアヤコになりたいと思っていた。慣れない生活の中で、世間並の暮らしをしている自分は、あの頃よりずっと汚れているように感じ、ならば一層喪ってしまった方が美しいと思えた。そう、何もかも美しいまま凍結されたアヤコのように。そう思うと、ますます僕はワンピースを着ることに固執し、近所のコンビニに行く時や眠る時も着るようになった。


白んだ朝靄は冷えきっていて、秋がとうに終わることを告げている。僕は真っ赤な紅葉の中に倒れていた。なぜそうしていたかわからない。皮膚を刺すような冷気に震え、初めて自分がワンピースを着ていることに気づいた。身体の下には、真っ赤な落ち葉が敷き詰められ、これが夢だと気づく。昨夜は、大学のゼミの懇親会で酔いが回り、帰宅してソファに座ったまでの記憶しかない。リアルな夢だ、と思う。この白んだ朝の景色、土の混じった匂い感覚は、都会ではなく、故郷のあの裏山のそれだった。朝露に濡れた枯葉を踏みしめる音が聞こえ、間近で立ち止まる。そこには、ナイフを掲げたアヤコだった。


その日、僕はアヤコの部屋から盗んだワンピースを着て、恍惚に耽っていた。ついに、長年の欲望を抑えきれなくなった。そこにやって来たのはアヤコだった。路上に寝転んでいる姿を見て、吃驚した表情をした後、すぐに恐い顔をした。

「見て。アヤコ、お揃い。」

僕は恍惚としながら、アヤコのワンピース

に包まれた、己の身体をまさぐっていた。

「アヤトきもい、馬鹿、死ね。」

アヤコは手近な大きな石を掲げて投げたが、僕は避けた。アリスはポケットから簡易なナイフを取り出して、僕に振りかざしながら向かってきた。僕は急いで起き上がり、彼女の振り上げた手を掴んだ。目が合ったと思う。僕はそれが正しい行いとして、ナイフを奪って彼女の腹に突き刺した。


その後、アヤコの身体を美しく飾り、見開かれた目を閉じた。そのはずの彼女が、目を開いて、ナイフを掲げている。あの頃よりも、ずっと美しく鋭利なナイフだ。なんという夢だろう。あの、完璧な瞬間を繰り返せるのだ。しかも、今度は僕がアヤコとして。羨ましくて、仕方なかったあの場面を。

「気持ち悪い。」

アヤコは微笑むと、僕にナイフを振りかざした。



「ねえ、今日の授業アヤト来てないの?」

「そうなの。先週から連絡も付かなくて。」

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