【愛人と奴隷と心理士と諜報員】前編
「説明してもらおうか?」
キレているイスマエルが、細い抜き身の剣を彼の首筋に当てていた。
服装は・・・よりにもよって、黒衣騎士戦闘モードであった。
萌えぇ~!
・・・じゃなくって! がんばれ私!
昨夜の夜遅く、私は呼び鈴を鳴らし、クレーを呼んだ。
とりあえず、私よりも先にイスマエルの説得が巧みなクレーに証言してもらおうと考え、昨夜の出来事を頭の中で整理した。
「ヒロコ様! どうなさいました!」
何故かとても早かった。
ノックもせずに、あの上品なクレーが私の寝室の扉を勢いよく開けたのである。
「遅くにごめんなさい。もう寝る前だったよね?」
「え・・・いえ、心配だったもので・・・スタンバイしていました」
「スタンバイ?」
クレーは頬を一瞬だけ染めたが、私の足元に転がる男を見て「ヒュッ」と息を飲んだ。
「誰です!? 確か来たのはソラル様では・・・」
「ん? まさか、知っていてスタンバイしてたとか?」
クレーは赤くなったり青くなったりしつつ、黙って頷いた。
まさかまさかまさか・・・クレーまで騙して・・・つまり、私が侍女公認の下、ソラル様と逢引きしていた事になっている!?
「なんてこったい!?」
スパーン!!
腹が立ったので、とりあえず室内履きで、熟睡している紫頭を叩いておいた。
翌朝、客室で見張りの護衛兵士に見守られ・・・高級なソファーの上で目覚めた紫頭の男は、眉間に皺を深く三本浮かばせ、つまり現在進行形で・・・剣を向けていたイスマエルと睨みあっていた。
イスマエルの眼光は鋭く、「あ、殺意ってこんな感じ?」と思いながら、私の身体は硬直していた。
「説明してもらおうか? 何故、貴様がここにいる?」
どうやら、紫頭とイスマエルは知り合いのようだ。
でも、私は起きたてで、お腹も空いていて、頭がいまいち動いていなかった。
(糖分を下さい)
紫頭は何も答えようとはしていないし、イスマエルの沸き立つ殺気にクレーも固まっている。
「ねえクレー? 私は昨夜・・・朝食を二人前頼んだわよね?」
ぐぎぎぎと、錆びた蝶番のようにクレーは顔を私に向けた。
「は・・・はい、もうすぐ準備が整います・・・」
「ん・・・じゃあ、イスマエル。朝食が終わったら話しましょう、まずはその人と朝食を食べます」
「んなっ・・・何を言ってるんだヒロコ!」
イスマエルは片眉を引き攣らせながら納得がいかないという顔だ。
紫頭の男は、私と同じく起きたばかりの為に状況が理解できないと視線を私に送ってきた。
「その方は昨夜、たまたま私の部屋のベランダに倒れていたの」
「たまたまとは奇妙な・・・だが、不法侵入罪だ、今すぐ殺しても問題ない」
「問題ないとは、なくはナイナイナイですよ? クレー・・・この場合は私が先に保護しましたので、この男性がすぐに処罰を受けないという事でお願いね?」
「・・・・・・・・そう来たか・・・」
クレーは自分がソラル様に化けた侵入者を許した事に、かなり凹んでいる。
だからクレーは、私と自分が不利になる証言はできないので黙秘していたようだ。
「ふふふっ・・・では、イスマエル? 貴方は騎士の訓練があるのでしょう? どれぐらいで戻る予定かしら?」
「何をバカな事をっ!?」
「イスマエル・・・その剣をしまって?」
笑顔で小首を傾げる私に、歯を食いしばりながら訓練用の細い剣を鞘に納めた。
私がヒヨッコの見習い聖女と言えども “世話係”は自分の担当する聖女には絶対服従が基本だ。
場合によっては、その“世話係”の地位を剥奪する事もできる。
尊敬する兄のようなイスマエルには申し訳ないが、ここは順を追って話をまとめたい。
「訓練どころではない・・・この男は、情けない事だが母上の愛人だ」
「・・・・・・・・・・え?」
今度は私が状況を把握できなかった。
「・・・悪いけど、違うから」
しれっと紫頭の男は言った。
「何を言うか! 貴様と母上が何度も逢引きしたのを私は見ているんだぞ!」
「あのさ、悪いけど・・・お客の情報は一切言わない主義だから」
「客だと!? 貴様・・・」
「いやだから、オレ情夫とかじゃないから・・・誤解されてるのは分かってるけどさ・・・現時点ではこれ以上アンタには何も言えないから」
まったく何が何だかわからないけど・・・、私はパシンと勢いよく手を叩き、その音でらちがあかない二人の睨み合いを強制終了した。
「とりあえず、私はその人と遅い朝食を食べます。イスマエルは訓練をサボるつもりなら、この不法侵入の男性の身柄を私がどこまで拘束できるかどうか確認してきて」
「この男の身柄を聖女が預かるとでも?」
「そうよ、私はどこまで自分に権限があるかなんて知らないもの」
「逆にどこまで・・・その男を従わせたいのだ?」
「すべて」
「なに言ってんだ? バカ女!?」
声だけ張り上げる紫頭を、護衛の兵士は二人がかりで拘束して見せた。
絶対服従・・・余り気分のいいものじゃない。
「やめて、その人を押さえ込まないで・・・クレー、その人と朝食を食べるから準備と案内をお願い」
遅めの朝食は、コーンスープに、サラダにトースト、ベーコンエッグは湯気が立ち昇り口の中にジワリと唾液を感じた。
朝の卵料理は大事なたんぱく源だ。
真向かいに太々しく座る男も、一瞬表情を柔らかく崩したが、私と目が合うと、再び眼光を鋭くした。
「いただきます!」
この国の正式な食事前の祈りは特にないけれど、この部屋には調理師のギヨムと、侍女のクレー、私と紫頭だけだなので、一応日本式で済ませる。
目の前で私の事を睨んでいる紫頭にはお構いなしに、私は朝食にがっつく。
食パン美味しい!
目玉焼きサイコー!
サラダしゃくしゃくで新鮮!
はああああ・・・美味し~い!
「ギヨムさん、今日も美味しい食事をありがとうね!」
「は、恐れ入りますヒロコ様」
もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ・・・。
「おい・・・」
もぐもぐもぐもぐもぐもぐ・・・。
「おおおおお~い!」
「んぐ! うっさい、食事中でしょう!」
「これが最後の晩餐とでも?」
「朝食ですけど? ・・・食べたら適当に出てったら?」
「はあ?」
紫頭はポカンと私を見詰めた。
「ギヨムさんの作ってくれたごはんはすっごく美味しいの! 食べなきゃ損よ?」
「・・・ま、いいけど」
警戒心が削がれた紫頭はモソモソとサラダを食み始めた。
目が覚めてきたのか、傍にあるレモン水を一気に飲み干し、焼き立てのトーストにバターを塗り、サクサクと口の中に入れ始めた。
(ふっ! 旨かろう、旨かろうて!!)
パンから何から手作り感満載のこの朝食は、体に行き渡る美味しさ満点なのだ!
「美味しいね!」
笑顔で私は紫頭に声をかける。
「・・・なんなんだよ・・・オマエは・・・」
もぐもぐもぐもぐもぐもぐ・・・美味しいごはんは皆を幸せにするのだ。
敵も味方も、同じ食卓で美味しい食事をすれば笑顔になる・・・と、私は思っている。
「・・・けど、一人の食事は寂しい・・・」
「んあ?」
紫頭が物を口に入れたまま、中途半端な返事をした。
もぐもぐもぐもぐもぐもぐ。
あ、いかん、ついつい・・・がっつき過ぎた・・・と反省し、姿勢を整えて上品に食事を口に運び直した・・・もう殆どないけど。
クレーが厳しい目で私を見ている。
(気品がなくて、ごめんなさい)
途中からは互いに無言になり、朝食を平らげた。
紅茶が目の前に最後に置かれ、熱い紅茶をふうふうと冷ましながら私はすすった。
猫舌なのだよ。
「よく眠れた?」
「お蔭様で!」
ごめんなさい、薬を盛ったのは私です。
「さすがに私の寝室に殿方をお泊めするわけには行かないもの? 客室は良い所だったでしょう?」
手足を縛ってソファーに転がして置いたけどね。
「目が覚めたら手足がしっかりお縄になってたけど!」
「あら・・・ものすごくゆるく結ぶようにお願いしておいたのに・・・大丈夫?」
紫頭は初めて気が付いたかのように自分の手首を確かめながら指でなぞった。
「本当だ・・・縄の痕が全然ついてないや・・・」
「よかった」
「よかった? 敵なのに?」
「あら? 敵なの?」
紫頭の男はしまった! と、言わんばかりに自らの口を手で押さえて見せた。
「その・・・あんたさ、さっきオレを従わせるだの言ってたくせに、出てけって言ったり、なんなんだよ?」
「噓も方便よ、貴方は夜倒れたの、それを私が見つけたの、他には何もないわ」
「・・・どうせ、ここから今逃げたってすぐにオレは捕まる」
「そうなの?」
「そうだよ! 分かってるよ、聖女を・・・騙したんだ」
「あら? 私、騙されたの?」
「・・・・・・・・・・・・・・はあ?」
「あら私、被害被ったっけ?」
丸くした目をクレーの方に顔を向けると、彼女は床を見詰めていた。
「ふん! その女、オレをソラルと間違えて・・・聖女の部屋に入るのを黙認してたんだぜ?」
ムカついたのでとりあえずティースプーンを紫頭の顔面に向かって投げておいた。
コンッ――――、といい音をさせて紫頭の額で跳ねたティースプーンをギヨムが澄まし顔で空中でパシリと回収して見せた。
紫頭は両手で額を押さえながら悶絶している。
かなり痛かったらしい。
「ヒ・・・ヒロコ様、申し訳ありませんでした!」
侍女のクレーは深く頭を下げる。
「クレー、気にしないで? 最初から・・・この紫頭を私は捕まえるつもりだったから」
「ムラサキアタマってなに!?」
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
「それは・・・ええっ~と・・・」
「首を跳ね飛ばされる瞬間まで、そう呼ばれるのは嫌じゃない? なんて呼ぼうか?」
「・・・・・・まさに、飴と鞭だな・・・。いーよ、おまえが好きな名前で呼べよ」
「・・・・はあ、そう、なの?」
良く分からないけれど、諦め顔の紫頭の彼を見詰めながら、理想の名前を思い浮かべる。
こんなキャラ“ムツノクニ”には居なかったからなあ。
「じゃあ・・・“ヴィヨレ”はどう?」
フランス語で紫を意味する。
ちなみに、某液体せっけんの事ではない。
紫頭は苛立たしくも不思議な笑みを頬だけに浮かべた。
「いいぞ! それで! はっきりその名でオレを今、呼んでみろよ」
「え? 呼べばいいの?」
「ああ、ちゃんとオレを認識して“聖女”として胸張って呼んでくれよ!」
その彼の言葉に、ギヨムとクレーは空気を大きく吸い込んで、口を開きかけた。
「じゃあ・・・あなたの名前は“ヴィヨレ”!」
その瞬間、私の口から金色の粉が飛び出し、ヴィヨレの身体に降りかかった。
「承諾した! 聖女に与えられし名を我が身に刻む、オレの名は“ヴィヨレ”!」
ヴィヨレは眼を見開き、嬉しそうにそう答えた。
彼の体はふんわりと光り、その光はすぐに消えた。
「――――ちょっと待てぇっ!!」
扉が勢いよく開かれたと思ったら、一歩部屋に入ったイスマエルが、勢いよくつまずき、後ろのマクシムとナトンの下敷きとなった。
「・・・・・・・・え? なに?」
「な・・・・・・・何故、聖女しか使わない契約魔法を・・・お前が知っている・・・」
息苦しそうに、青ざめたイスマエルがヴィヨレを床から睨み上げていた。
先ほどとは正反対の体勢になっているイスマエルの姿を、ヴィヨレは勝ち誇ったような顔で見下ろしていた。
どうやら私は、また何かやらかしたようだ。