この世で唯一の女性
触れた女性すべてから愛される能力。
もちろんはじめはそんなこと信じていなかった。女神と会ったことを含め、すべては幻覚だったと考えた。
しかしその判断は間違っていたということにすぐ気付いた。
本当に触れた女性が全員僕に恋をしだしたからだ。
でも肝心のまほろとは会うことが出来ず、結局お別れも言えずに離れ離れになってしまった。
でも落ち込んではいなかった。
フラれた悔しさもあって、もうまほろなんてどうでもいいと思っていた。
むしろ色んな女子からモテまくって、僕をフッたまほろを後悔させてやろう。そんな浮かれていた気持ちだった。
力を得た当初こそ面白がってその力を使った。
どんなに可愛い子でも、真面目な子でも、年上のお姉さんでも、とにかく女性なら誰でも恋に堕とせるのだから魔法使いになった気分だった。
しかしそんなものが愉しかったのも最初の半年くらいだ。
四六時中色んな女性から好意を持たれるというのは意外と大変で、気が休まる暇もない。
そもそも触っただけで恋されるという制御困難な力なので、僕を好きだという女の子はものすごい数になってしまった。
それだけならまだよかった。
ハーレムで揉みくちゃにされながら「もう勘弁してくれよ!」と言ってニヤニヤしておけばいい。
だがこの力の恐ろしさはその先にあった。
惚毒に冒され、僕に惚れてしまった女の子同士がいがみ合いや互いを嫉妬し始めてしまったのだ。
僕に他の女子の陰口を吹聴してきたり、女子同士で喧嘩したり、時には僕に怒りをぶつけてきたりもする。
そう。
女性たちは僕に好意を持つが、何でも許して無条件で愛してくれるわけではなかった。
触れたら惚れるということ以外は、ごく普通のままだったのだ。
多くの女の子は自分の想いが叶わないものと分かると、恋心をどす黒い悪意や嫌悪に変えていった。
普通に恋をしたのであれば諦める人も多いのだろうが、惚毒に罹患した人は強烈に僕を求めてしまうらしい。
強すぎる恋心は強い憎しみに変わっていった。
甘い果実も腐れば異臭を放つのと一緒だ。
普通こういうハーレムスキルというのは一人の男を奪い合ったりはするが、女子同士でいがみ合ったり、ましてやハーレムスキル持ちの男に怒ったりはしないはずだ。少なくとも僕が見てきた漫画やら小説ではそうだった。
思っていたのと違う。
こんな能力ならない方がマシだった。
しかも不幸はそれだけに留まらなかった。
自分の彼女を取られた男も僕に陰湿だったり暴力的だったりする怒りをぶつけてきた。
僕がなぜかモテるからという理由だけで嫌う人、みんなが罵声を浴びせるから自分も加わろうとする人。
とにかく人の汚い部分を余すところなく見せつけられることとなった。
お陰で僕はすっかり人間不信に陥ってしまっていた。
以来僕はなるべく誰とも関わらないように生きている。
人に好かれることで人を嫌いになるという寓話的な皮肉が効いた、笑えない人生を余儀なくされていた。
────
──
僕に触れても恋に落ちない唯一の人。
それは伊東まほろのことだとずっと思っていた。
それが一番あの性悪女神の企みそうなことだからだ。
無意味に色んな人に好意を持たれる苦しみを味わせた上で、最も好かれたい人からは好かれない。
そんな二重で苦しめることで高笑いをあげる悪趣味な女神の顔を思い浮かべていた。
(でも違っていたのか……)
僕の手を握っても平然としていた志津野朋花を思い出す。
素手であれだけ強く手を握り合えば、間違いなく僕の惚毒に冒されているはずだ。
しかし彼女は平然な様子だった。もちろん何事もなかった振りをして誤魔化したという可能性はある。
これまでも何人かそういう人はいた。だいたい志津野と同じような、人付き合いが嫌いで恋愛に奥手そうな人に多い。
しかしそういう演技をする人でも、あんなにあっさり僕を置いて歩いて行ってしまうということはなかった。
なんともない振りをしつつも、付き纏ってくる。そしてなまじ気持ちを抑えこむからなのか、そういうタイプの女性の方がしつこいことが多かった。
(まあ、明日学校に行って様子を見れば分かるか)
これまで接点がなかった志津野が急に話し掛けてきたり、僕の周りをうろうろしたら毒が効いていたということだ。
結論から言うと、志津野朋花は翌日、僕と目を合わせることも、不用意に近付いてくることもなかった。
朝登校したときもずっと机に向かい予習をしていたし、授業中も昼休みもまるで僕の方に見向きもしなかった。
昨日僕を自転車に乗って蹴飛ばしてきたやつが誰なのかなんて、もはやどうでもいい。その犯人捜しより志津野の動きばかり目で追っていた。
しかし終業のショートホームルームが終わっても、志津野が僕を意識する素振りは見られなかった。
(まさか本当に志津野が僕に触れられても何ともない唯一の女性なのか……)
この世に一人しかいない人が偶然クラスメイトだったなんて、にわかには信じがたい。それもほとんど接点がない人だ。
しかし今のところ彼女に変化が見られないのだから、その可能性が高いと言わざるを得なかった。
こざっぱりとした身だしなみ、すとんと下ろした黒い髪、飾り気のない鞄。
無課金状態のアバターのような没個性の女の子だ。
もっとも顔立ちは幸薄そうなものの、決して悪くはない。
無遠慮に凝視していると、その視線に気付いた志津野が顔を上げて僕を見た。
「なに?」
「いや、その。昨日はありがとう」
「別に。通り掛かっただけだから」
彼女は荷物を鞄にしまい、立ち上がった。
「あ、あの、ちょっと、時間いいかな?」
志津野は壁に掛かった時計をちらりと見る。
「悪いけど忙しいの」
同情で餌をあげた捨て猫に懐かれて迷惑がっているように冷たくあしらわれる。
それが新鮮で思わずぞくっと背筋が震えてしまった。変な性癖が芽生えてしまいそうだ。
「少しでいいんだ。頼むよ。相談したいことがあるんだ」
「……じゃあ駅まで歩きながらだったら」
そう言うと志津野は僕の返事を待たずに歩き出してしまう。
慌てて追い掛けて「待ってよ」と肩を叩く。念のためもう一度触って反応を見るためだ。
志津野は触れられた肩を見て「馴れ馴れしくしないで」と視線だけで僕に訴えてきた。
やはり間違いない。彼女が、そうなんだ。
「昨日のこと、先生には話したの?」
校門を出てしばらくしてから志津野が訊いてきた。
「昨日の? ああ、蹴られたことね。ううん。話してないよ」
「なんで? 対応しないとエスカレートするよ、ああいうのって」
「うん。でもまあ、ああいうことなんてしょっちゅうだし」
心配してくれているようなので笑顔で答えると、志津野は眉をひそめた。
「頻繁にあんなことされてるの? それは問題だよ」
僕に好感を持ってはいなそうだけれど、イジメ的な心配はしてくれていた。
冷たそうな印象はあるけれど、性格はいいようだ。
「頻繁っていうか、まあ……そんなことよりほら、あそこ。新しくドーナツ屋が出来たみたいだよ。寄っていかない?」
今度は思い切って志津野の手を握ってみた。それにはさすがに驚いたように目を見開かれた。
やはり惚毒が効いてしまったのかと焦ったが、よく考えてみれば誰だって恋人でもなく好きでもない男に手を握られれば驚くだろう。
「ちょっと。馴れ馴れしく触らないでくれる?」
「ごめん」
睨みつけてくる瞳には嫌悪が滲んでいる。この視線に晒されながらもう一度ドーナツ店に誘うほど、僕も強いハートの持ち主じゃない。
志津野は早歩きになってしまい、なんだか話し掛けづらい空気が漂った。
でもこういう気まずい空気ですら僕には新鮮でちょっと嬉しかった。