毒に頼らない恋
行きはあれほど盛り上がっていたのに、帰りの車中はみんなが言葉をなくしていた。でもそれぞれの沈黙には全て違う思いが籠もっているような気がした。
新幹線が動き出したとき、それまで黙っていたメグルが不意に口を開いた。
「ごめん昴。嫌な話、聞かせちゃって」
「いや、いいんだ。本当のことが分かって、よかった」
「やっぱり昴にまほろの引っ越し先を教えるんじゃなかった……」
珍しくメグルは真剣に反省している。僕は首を振りながら「そんなことないよ」と答えた。
確かに今回の旅はろくでもないことを多く知ることとなった。
しかし一つだけ、救いのあることも知ることが出来た。
惚毒の力を得る前からメグルは僕のことが好きだったと聞かされた時だけは、不快感を感じなかったということだ。
僕の恋愛感情に対する忌避は惚毒に起因して発生したものだけであり、人に愛されることそのものには嫌悪感はないようだ。それが分かっただけでも、大きな収穫だ。
しかしそのことはメグルに伝えなかった。
変な期待を持たせてはいけないからだ。
荒れそうなメグルを抑えるために触れたとき、惚毒に罹患した彼女は急におとなしくなって僕の言うことを聞いてくれた。あの瞬間、申し訳ないが僕はメグルに少し不快感を覚えてしまった。
メグルが大丈夫なわけではない。
この力を得る前の僕に好意を抱いてくれたメグルには嫌悪感を感じなかっただけだ。
僕とメグルの間に座っている朋花は、黙ってテーブル台に描かれた車内案内を熟読するように眺めていた。
「さ、さっきの、話なんだけどさ」
メグルは急に声を上擦らせ、視線を不自然に泳がせた。それに併せて朋花が立ち上がって席を外す。
空席を挟んで僕とメグルの二人きりになってしまった。
「さっきの話って?」
「あ、あたしは昴がそのヘンテコな力を手にする前から、昴のことが好きだったって話だよ」
メグルは察しろよという顔で僕を睨む。
「あれ、本当だから。昴がなんて言おうが、私の初恋はその変な力が原因じゃないから」
「そうなんだ」
ありがとうと言うべきなのか、それとももっと他の何かを言うべきなのか。
相応しい言葉が思い付かなくて沈黙の間を作ってしまった。
ただ少なくとも、やはり嫌な気持ちはしなかった。
「別にだからなにって訳ではないけど。それだけは言っておきたくて」
「うん。分かった」
「もちろん今でも好きとか、そういうのじゃないから。ただ誤解されたくなかったし、なによりあたしの中であれは毒に冒されて生まれた想いじゃないって確認したいだけ」
「そんな昔からメグルが僕のこと好きでいてくれてたなんて、全然気付かなかったな」
気の利いた言葉なんて何にも浮かばなくて、ただボソッとそんなことを呟いた。
しかしそれは意外と悪い選択じゃなかったようで、メグルは嬉しそうに微笑んだ。
「そりゃそうだって。バレないように上手に隠したもん」
「隠さなきゃいけないものなの?」
「当たり前でしょ。バレたら恥ずかしすぎて死ぬ」
その言い方も笑い方も小学生の頃を思い出させるものだった。
「その割には毒に罹患してからは激しかったよね。あれも毒の及ぼす影響なのかな?」
純粋に惚毒の考察をしただけだったが、からかわれたと思ったのかメグルはムッとした顔になる。
「あれはっ……急にクラスの女子全員が昴を好きになりだしたから焦っただけだし。だってそれまで昴のことを好きな女子なんて、あたし以外一人もいなかったんだよ! それがいきなり大人気になるから焦ったし、イラッとして」
「やっぱり他のみんなは惚毒の力かぁ。そりゃそうだよね」
「なにそのガッカリした言い方! あたしだけでも毒の力以外で好きな人いたんだから感謝してよね!」
すっかり機嫌を損ねてしまったメグルに謝りながら、僕は考えた。
もしその時に僕がメグルの気持ちに気付いていたならば、どうなっていたのだろう。
まほろは品のいい正統派美少女として人気があったが、男子にも気さくで整った顔立ちのメグルも男子の間では密かに人気があった。
そのメグルに想いを寄せられてると知ったら、馬鹿な僕はきっと舞い上がっていただろう。
恐らく僕はメグルのことを特別な目で見るようになっただろうし、その後まほろと仲良くなったくらいで心移りはしなかったのじゃないかと思う。
そうすればまほろに告白してフラれることもなかったし、あの酔いどれの女神に出逢って馬鹿げた願いを告げることもなかったはずだ。
「そんなに深刻に悩むこともないだろ」
メグルの声でそんな『もしも』の妄想から目が醒めた。
「確かに色んな女子に気を持たせてクラスを混乱させたかも知れないけど、いつまでも落ち込んでても仕方ないじゃん」
一番の被害者ともいえるメグルに慰められ、申し訳ないやらホッとしたやら不思議な感情になる。
「ありがとう。でもやっぱり僕はみんなにひどいことをしてしまったし」
「毒を使って好き放題したのかもしれないけど、それを言うならまほろだって一緒だって。あちこちの男に気を持たせて数人の人間関係を滅茶苦茶にしたんだから」
言われてみれば確かにまほろがしたことも僕と似ているのかも知れない。だから僕の罪が許されるというわけではないが、多少の慰めにはなった。
「しかし昴の毒に冒されたときのまほろはウケたよね。突然言い訳とか嘘とか言いだして。ザマァとか思った。昴も悪い奴だなぁ」
「ちょっとやり過ぎちゃったかな?」
「あれくらいしてちょうどいいって。スカッとしたし」
メグルは手を叩いて笑っていた。
「でもあれってどれくらい効くの? しばらくショックで立ち直れなかったりして」
「個人差があるからどれくらい効果が持続するのかとか、どれくらいショックを受けたのかは分からないけど」
僕は握った強さやその時間を思い出し、今さら背筋が冷たくなった。
「あれだけ強く念入りにしたら半年くらいは効いてるかもしれないね。しかもかなり心が掻き乱されているところにあれだけヒドいことを言ったから、相当恨んでいると思うよ」
「マジで? ストーカーとかになったらヤバくない?」
メグルはちょっと心配した顔になる。
「どうかな? まほろはプライドが高そうだし、住んでるところも遠いからストーカーにはならないかも知れないけど。でも刺し殺しには来るかもね」
「ウソ!? 警察に言った方がよくない?」
「そんなんで警察は動いてくれないよ。それこそ僕が刺されてからじゃないと警察は何にもしてくれないだろうね」
「それってつまりどうしようもないってことじゃん!? 大丈夫なの?」
「さあ?」
強がりで笑うのが精一杯だった。
「ただ人から狙われることなんて日常茶飯事だからね。その人が一人増えたってくらいだよ」
「笑いごとじゃないし」
恋心というのは人を美しくも変えるが、醜くもする。届かない思いというのは自分の中で処理するしかないが、そんなに割り切ったり達観している人は少ないものだ。
きっとこの毒は単に僕に好意を持たせるだけでなく、向こうも僕が好意を持っていると錯覚させる力もあるのだろう。その証拠に、僕に恨みを持つ人は大抵裏切られたような怒りを抱いている。
「人を想う気持ちっていうのはちょっとした出来事で簡単に怒りや嫉妬、恨みに変容するものなんだよ」
それはメグルもよく知っているのだろう。小学生の時に暴れた彼女は正に我を忘れてしまっていた。
メグルは無言で俯き、会話が途切れた。再び重苦しい空気が訪れる。
僕は誤魔化すように立ち上がり、用もないのにトイレへと向かった。