消えない悪評
夏休みの初日。
僕は朋花と小学校時代のクラスメイト、高瀬の家にやって来ていた。
ちなみに朋花の妹の令奈ちゃんは今朝から祖父母が迎えに来て、田舎に帰省しているらしい。
「高瀬はまほろと一番仲がよかった。恐らく彼女ならまほろの引っ越し先を知ってる」
しかしなかなかインターフォンが押せなかった。
小学校を卒業してもう四年以上経っているが、あの時の混乱を思えば今でも合わせる顔はなかった。
「やっぱり私が惚けてまほろさんの知り合いの振りをして訊いてみようか?」
なかなか呼び鈴すら押せない僕を見かねて、朋花がそう提案してくれた。
「いや、いい。これも僕の贖罪だ。朋花は隠れて見てくれているだけでいい。僕が逃げ出さないように」
決意を決めてインターフォンを押すと、僕の心中にはまるで不釣り合いな軽やかなチャイムが鳴りおばさんが応答した。
用件を伝えると三分後に気怠そうな顔をした高瀨が現れた。
「なに?」
彼女は僕に対するわだかまりや苛立ちをたった二文字で表現した。
「久し振り。ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
高瀬はなにも言わずに警戒した目で僕を威圧していた。そこに好意的な色は全く感じられない。
少なくとも惚毒はとうに消えてなくなっているのだろう。それだけでも僕にとっては朗報だった。
「小学生の頃に転校した伊東まほろっていただろ」
険しい表情はまほろの名前が出た瞬間、より一層鋭さを増した。
「高瀬は仲良かったからもしかしたら引っ越し先とか今の連絡先知ってるかなと思って。もし知っていたら教え──」
「まほろに何の用なのよ」
『無理に感情を抑えてあげてます』と言わんばかりの、押し付けがましい理性的な声で訊かれた。
「実はちょっと確認したいことがあって」
「知ってても三田なんかに教えるわけないでしょ」
惚毒は消えていても恨みはまだ消えていないようだ。これ以上話しても高瀬からはなにも訊けないだろう。
「そうだよな。ごめん。突然悪かったね」
踵を返して立ち去ろうとすると、「ちょっと待ちなさいよ」と呼び止められた。
「なに?」
「三田って今でも色んな女の子に手を出してるらしいね。あんたと同じ高校行ってる人から聞いたよ」
小学生時代は確かに力を悪用した。しかしそれ以降は誤って触れてしまった事故が原因だ。
しかし惚毒の存在を知らない高瀬には説明のしようもなかったし、今さらそんな言い訳をする気も起きなかった。
答えずに突っ立っていると高瀬は舌打ちをした。
「そんなことばっかしてたら本当にいつか酷い目に遭うよ。まあ、私はそうなってくれた方が嬉しいけど」
呪いのような言葉を吐いて高瀬は家の中へと戻っていった。
彼女の中ではいつまでも僕は『悪』で、その『悪』に対して一生涯糾弾する権利を持っているというような態度だった。
「相当嫌われてるみたいね」
「そうみたいだ。これでは同窓会の幹事は出来そうもないかな?」
「まあ最初から上手く行くわけもないよ。次の人に行こう」
朋花は相変わらず僕の冗談では笑わない。
「そうだね。よし、次だ」
いちいち落ち込んでもいられない。気持ちを切り替えて歩き出す。
しかし行く先々で待っていたのは罵り、悪態、失笑、拒絶だった。
中には僕が来るのを待ち構えているような人までいた。恐らくは先に会った誰かから、『三田がやって来るかもしれない』という連絡が回っていたのだろう。
とにかくみんな一致団結しているくらいに僕を嫌っていた。考えようによっては元クラスメイト達は僕を憎むと言うことで一つに纏まっているようにさえ思える。
そう思えば少しは僕に感謝して欲しい気もしてきた。
「しかし本当に見事なくらい三田君って嫌われてるんだね」
八人目も門前払いをくらい、感心したかのように朋花が呟く。僕は苦笑いを返すのが精いっぱいだった。
「やっぱり私が伊東まほろさんの友達の振りをして連絡先を訊く作戦の方がいいんじゃない?」
「気持ちはありがたいけど、今さら無理じゃないかな。多分ほとんどの女子やまほろと関わりのあった男子には連絡が回ってるよ。そんなとこに朋花が行ってまほろの情報を聞き出そうとしたら絶対怪しまれるし、余計悪評が立つんじゃないかな」
僕の意見に朋花は複雑な表情を浮かべた。
「でも手伝うと言ったからには、私も何かしたいし」
「充分助かってるよ。これだけ次から次と幼馴染みに嫌悪感をぶつけられるとさすがの僕も凹む。でも事情を知っている朋花が近くにいてくれるだけで支えになるから」
「なにそれ? まあ私が役に立ってるなら、いいけど」
朋花は口許を歪めながら微かに笑う。
そのシニカルな笑みも僕の支えだ。けどそれを言うともう笑ってくれなさそうなので心の中に留めておく。
炎天下の中歩き回ったのでもうくたくただった。
三本目のペットボトルも空になり、お腹も痛くなってきた。身体は水分を欲しているのに冷たいものの摂り過ぎで胃腸は悲鳴を上げている。
「今日はもう帰ろうか。また明日にしよう」
「ありがとう。でも明日は僕一人で行くからいいよ」
「一度やると決めたことを途中でやめるのは嫌なの。明日も一緒に行くから」
朋花の意志は固そうだった。
「ありがとう」
一人でいることに慣れすぎた僕は仲間にどう接したらいいのかよく分からない。
それは朋花も同じだったのか、そっぽを向いて照れくさそうに早歩きで駅に向かっていた。