第5-2話:その手に束ねしは願い①
それは金と鋼───金管に彩られた舞踏曲が如き、激しくも流麗な戦いだった。
打ち鳴らされる殴打は互いの信念に応じて甲高く響き、数分が経過した今でも絶えていない。
(コイツの能力……ただ十字架を出すだけじゃねぇな……)
小手川がその可能性に気付いたのは初めて十字架に触れた時点から。
以来、継戦しながらも彼は徐々に確信へ至る段階にまで近づいていた。
◇
時は1分前に遡る。
「今まで痛かったでしょう!? 辛かったでしょう悲しかったでしょう!!? 恐れることはありません! 我等が主は皆等しく!! 救って、救って─────」
「人殺し連中が何言ってんだっ!!」
繰り出された十字架を的確に受け止め、即座に右の拳を放つ。
懐を掻い潜った一撃は今度こそ的確に、白地に浮き出た鎖骨を折り砕いた。
人体の構造上これで腕は上がらない。
すかさず十字を跳ね除け次なる一撃を狙い澄ます。
「……ッ!?」
しかし次の瞬間、小手川は相手の能力───その一端を垣間見た。
(あれは……俺か…………?)
見えたのだ。
マリアの首元に突き立てられた銀色の籠手が。
本来であれば見えるはずの無い、戦闘中の小手川拳斗───自分自身の姿が。
「─────救ってくださるのですよお!!」
「ッ!! ヤベっ……!!」
我に返った小手川は寸前で振り下ろされたカウンターを背面へと流す。
裏地の護符に衝撃を緩和されたのか。
或いは、【絶対刹那】による速度添加も限界に近づいているらしい。
(今、見えたのは……間違いなく俺だった……)
あの瞬間、小手川は第三者の視点から自らを知覚していた。
苛烈さを増す攻撃を避けつつも洗練された戦術思考は反射的に仮定を立てる。
(コイツの能力……ただ十字架を出すだけじゃねぇな……)
そうして、この心境へと行き着く。
注目すべきは無論先程の現象。
十字架に触れる度、小手川は意識が揺らぐような違和感を覚えていた。
それはまるで、彼が寺社仏閣───所謂『聖域』に踏み入った際に近しい感覚。
生者ならざる存在を拒み、この世から排除しようとする宗教的防衛システム。
もし同様の性質をマリアが有しているとするならば─────
(すこぶる相性サイアクってとこか……)
小手川拳斗は亡霊である。
一度死した後、その能力によって現世に留まり、自らの存在意義を「誰かを助けること」と定義した、過去をなぞる意識そのもの。
本来ならばあり得ざる“真正の超常現象”である。
物理法則が支配する現象界においては無敵の彼だが、一方で明確な弱点も存在する。
例えば、春日部瞑のような精神干渉の能力。
或いは、前述したように宗教的な背景を持つ存在や干渉───かつて彼が神凪八重との決闘に参加出来なかった真相もここにある。
多くの宗教において、死とは神聖さと対局に位置付けられ忌諱されている。
『死した者はこの世にはいられない』
当然の道理である。
一度定められた摂理を押し付けられてしまえば彼に為す術は無いだろう。
(継戦は危険───戦力的にも一旦退くべきなんだろうな……)
数瞬、不安が過る。
直駆け付けるであろう応援に任せておけば倒せない相手でもないだろう。
されど─────
「何故分からないのですか!? この街にもたらされる死こそ至上の『救済』だというのに!!」
「……なぁ、その『救済』っての。そっちは今まで何回やって来たんだ?」
「ええと? そうですねぇ……150辺りまでは数えていたのですが……まぁ問題ありません! どの道地上は浄化されますので! ええ、ええ。待ち遠しいですね、皆様と共に天国へと昇るその瞬間が!! 血と痛みの先に待つ理想郷が!!」
「…………そうかよ」
小手川拳斗という男は、誰よりも死を嫌悪する。
意味の無い犠牲。身勝手な殺人。
一度死んだ身だからこそ、誰よりも命の価値を知っている。
トラックにはねられたあの日。見知らぬ少女を庇い、その背を突き飛ばしたあの日。
最期まで伸ばしていたその手は魂に焼き付き、今この瞬間も誰かを守っている───守り続けている。
だから。
だからこそ─────
「……ああ、よく分かったぜ…………テメェだけは俺がぶちのめさなきゃなんねぇって事がなあ!!!」
小手川拳斗という存在は、酷く厄介に違いない。
何せ、性根の曲がった相手を叩きのめすまで諦めというものを理解しないのだから。
◇
「─────小手川先輩!!」
要請を受け鳳紅葉が屋上へ駆け付けた時、彼女は真っ先にその戦いの異様さを感じ取っていた。
【霊媒体質】を介した視界には大別して2つの精神エネルギーが映る。
1つは腕の形をした蒼い炎。
攻撃を受ける度に依り代の籠手から離れてはいるが、間違いなく小手川拳斗の魂である。
もう1つは…………形容し難い何かがあった。
それは天を衝く程に巨大な影である。
何処から伸びる無数の鎖に留められ、悶えながらも空の彼方を仰ぐ異形。
その背から伸びる翼の様なものが、癒着した幾千もの怨霊と解った瞬間────紅葉の生存本能が直視する事を止めてしまう。
「うっ……うぁ……ぁ」
「紅葉ちゃん、しっかりして!! 早く小手川助けないと!!」
同行していた桃井玲奈は、すかさずコンクリートの足場に光陣を開き粒子を収束、ストロボの如き速度で武装したスケルトンを繰り出す。
崩れそうな頭蓋をもたげながらも、その鉤爪はマリアの死角から弧を描き───
「まぁ、何と醜悪な……」
不可視の干渉により塵となって霧散した。
この時、マリアは絶えず小手川による殴打を躱し、流し、受け止めていた。
“何かをした”とは言い難い。されど桃井がその現象を把握するまでの間、確実に“何かが為された”のだ。
「─────は……!?」
風へと消えていく骸骨の背から桃井の顔が覗く。
困惑の色と、底知れぬ畏怖がそこにはあった。
自慢のゾンビが瞬殺された事実に慄いたのではない。
気付いてしまったのだ、小手川と同様に。
眼前のマリアが自身にとって最大の天敵であると。超常を許容し得ない存在なのだと。
「──────ろ……」
「──────避けろ! 桃井!!」
「…………え?」
刹那、屋上に血飛沫が舞った。
マリアの袖口から放たれた不可視の追撃は紅葉の肩を浅く抉り、
桃井の胸を突き穿った。




