第5-1話:天戴閲覧
飛翔体の観測から数分後の事。
授業を抜け出し管制室に集ったItafメンバー達は衝撃の瞬間を目撃していた。
「りょーかい! こうなったらピンチも楽しんで──────」
クロが屋上にいる真也へ応答しようとした刹那、フィルムが切り取られた様にその姿が掻き消えたのである。
残されたヘッドフォンとモニターの砂嵐だけが沈黙の中に浮かんでいる────そんな一部始終を目の当たりにして明智誠は息を吞んだ。
「これはまさか……いや、そんな筈は……!?」
後輩達に下がるよう言いつつ冷や汗を拭う。
似たような光景を彼はかつて見た覚えがあった。
悪趣味な映画の様に、1人、また1人と消えていく。そんな状況を。
「今、一瞬だけ“門”が……!」
「小雪君がそう言うって事は……認めたくはないけれど、これは【電脳乖離】の再来と見ていいだろうねぇ……」
【電脳乖離】────後に『マザーグース』、或いは『ハッカー』とも称されたその能力者は、かつて実働班の猛者達を抵抗すら許さず次々と消し去った破格の存在である。
特筆すべきは相手を画面内に引きずり込むその速度。
ネット回線を介したその挙動は当時の真也をも上回り、西川小雪という生き残りがいなければ史上二例目となるItaf壊滅にすら発展し得た程。
そして、そんな悪夢が今まさに再演されようとしている。
「あー……仕方無いかぁ。全員管制室と端末準備室には立ち入らないように。こうなったらボクと小雪君でもう一度──────」
「─────その必要はありませんよ」
「! 先生、ですが相手は────」
人波を掻き分け管制室に入ろうとするのは、Itafの総括責任者兼オカ研顧問の天堂花。
『未元』をも従える彼女の実力ならば相手の影を捉えることは出来るかもしれない。
しかし、相手がいるのは画面の向こう側、仮想質量に縁どられた電脳の園である。
如何に彼女が未知数の異能を有していようとも、彼の領域に指先1つ向けることすら厳しいだろう。
「ええ……何故彼が本部にいるのか、断言はしかねます。それでも今は学内外の防衛を並行せねばなりません。警察や自衛隊、機関の私設部隊とやらにも頼れない以上は……明智君だって分かっているでしょう? これ以上後手に回る訳にはいかないと」
「…………任せて良いんですね?」
「ふっふっふ、私を誰だと思っているんですか? 公安直属のエリートオブエリートで、Itafの最終兵器で─────」
不安に曇った会員達の表情を一瞥し、天堂顧問は背を向ける。
伽藍堂に残されたモニターを優しく撫で、小さな吐息を1つ天井に浮かべた。
「─────誰よりも教え子に恵まれた先生、なのですから」
刹那に、小さな影が消え去る。
残像すら無いその現象に改めて目を見張りながらも、明智を始めとする会員達は、今度ばかりは不思議と恐怖を覚えなかった。
彼女の背を見たならば、あの笑顔を見たならば尚更に。
湧き上がる勇気を抑えられる筈も無い。
「……よし、今の内に学内へ警報出して。名目は『対テロ』に設定。うん、あながち間違いじゃないからさぁ。それと防衛プロトコル通り第二体育館をシェルターとして開放する。避難誘導は調査班に任せるよ」
「誠クン、実働班達は───」
「もちろん前線」
「うわぁ……デスヨネー」
「面倒なのはお互い様らしいねぇ」
開戦を告げる警報が、奔り往く少年たちの背を押していた。
─────それにしても……何故彼が……?
◇
蒼く、深い空を見ていた。
天堂花が降り立った世界は仮想の地平と天球に象られ、無数の0と1が風と共に流れ過ぎていく、そんな場所だった。
「報告書で見るよりずっと綺麗な所ですね?」
「……うるせェ。世辞なンざ並べて、命乞いのつもりか?」
粗暴な口調と如何にも不良といった容姿。
彼女が対峙する男は、やはり件の【電脳乖離】に違いない。
気絶したクロを無造作に捨て置き鋭い視線を投げかける、一触即発の状況がそこにはあった。
「まァいい……どうやって入ったか知んねェが、1人で電脳世界に来たことは褒めてやる。けれどテメェも! Itafも! 今度こそオレがこの手で終わらせてやんよォ!!」
男が叫ぶと同時、その体は激しい燐光となって天堂顧問を取り囲む。
相手を画面内へ引きずり込みその際の負荷で無力化する【電脳乖離】。
その真価は、前述の通り圧倒的な速度にある。
ネット回線を介した行動─────即ち、通電の速度と同等なのだ。
無論、人間の反射神経が捉える事も能わず、一切の抵抗も許されないまま狩り取られるに違いない。
「ヒィィィャッッッハハ────────!! テメェも地獄行きだァッ!!」
電子色の空を裂いて閃光の鞭は襲い来る。
◇
「────今、なんて……!?」
聞き返した小雪の足が止まる。
生徒が逃げ去った廊下には危険を叫ぶ残響が尾を引いていた。
「え? だから言った通りさ、【電脳乖離】は拘留直後に獄中死しているって」
「噂とかじゃなく?」
「去年のゴタゴタであんまり話題に上がらなかっただけで、ちゃんと死亡診断書も届いていたよ。不審死だったそうだけど、今思えば藍川紫皇の隠蔽だったのかもねぇ」
「じゃあ尚更、アイツがここに来るワケないじゃないッスか!」
混乱する小雪に急ぐよう促しながら、明智は神妙な面持ちで顎を支えた。
「そうとも言い切れないよ。現にボク達は桃井先輩や小手川先輩、それと真白君……『死を無視した存在』を知っているだろう? 能力者に『絶対』の2文字は無いのさ」
「敵さん方にも死霊術師的なヤツがいるかもしれないと……?」
「うーん、どうだか。少なくとも、これだけで終わるとは考え難いかなぁ……」
「いや、だとしたら天堂センセイがヤバいじゃないッスか!? やっぱり今からでも引き返して加勢した方が───」
踵を返した小雪を引き留めつつ明智は静かに首を振った。
彼方の端末準備室と喧騒が待つ廊下の果て。
双方を見渡す眼差しには使命と信頼が宿り、青年に改めて目指すべき先を教えてくれた。
「先生は、ボク達はその場において『必要無い』と言ったんだ。報告書の全てを熟知したその上で、『自分1人で事足りる』と言ってのけたのさ。だとすれば、教え子であるボク達が信じなくてどうするって言うんだい?」
「す、凄い……! ここに来て誠クンの語録が凄まじい速度で更新されているッス……!!」
「あはは、久々の出番だからねぇ。これくらいハイな方が享楽も捗るってものだろう?」
改めて学外を目指し駆ける最中、「そう言えば」と明智は付け足した。
「小雪君がまだ不安そうだから補足するけど、Itaf責任者の選定基準って覚えているかい?」
「……『人間を卒業済みであること』とか? いや冗談ッスけど」
「あながち間違ってはいないねぇ。厳密には『会長と協力して所属する会員全てを無力化出来ること』なんだ」
「えーと……つまり?」
「少なくとも先生はボクらItaf会員を最低でも10数人、まとめて相手取れる程の実力って事さ……」
◇
「─────【天戴閲覧】接続、転写再現」
【電脳乖離】がその言葉を聞いた時、彼は芝生の上に叩き付けられていた。
光にも迫る速度で突進したにもかかわらず、真正面から迎撃され鼻っ面をへし折られたのである。
訳も解らないまま男は顔を上げる。
自らの放つ電光に照らされ気付くのが遅れたが、彼の前には、否彼を取り囲む様にして無数の影が揺れていた。
その中には憎き西川小雪や霧乃蛍の姿も見える。
明智誠、小手川拳斗、桃井玲奈……有片真也や天堂天音の姿こそ見当たらないものの、電脳の園にはItafの会員やOBと思しき人々が精悍な顔を並べていた。
「な─────」
言葉を失った男に天堂顧問は改めて語り掛ける。
「私の能力は、私の兄さん─────天堂司の記憶を閲覧、反映する事です。見ての通り、ここに集うのは彼が身を滅ぼして尚も見続けた、記録の残渣─────」
「─────は、はは……ンだよ、驚かせンな……てことはそれ全部ありもしない見せかけじゃねェか! それが一体何に……」
安堵から威勢を取り戻しかけた矢先、【電脳乖離】の口は再び言の葉を忘れ電子の風に晒された。
居並ぶ人影の合間を縫い歩み出る人物。
天堂顧問と肩を並べたその姿は、栗色の髪から覗く朱と蒼のオッドアイ。
その青年は制服と背丈からOBかと思われたが、何かが、言葉では形容しきれない何かが決定的に違っていた。
まず、眼光が違う。
朗らかな笑みの反面、射殺す様な視線が突き立てられる。
そして佇まいが違う。
50は下らない人群れの中に在っても、彼こそが全ての“中心”であり“始まり”なのだと一目で解せた。
憤りとも冷血とも知れぬ覇気は、有片真也のそれを遥かに凌駕し、凡そ人間である事すらも疑わしいものである。
「それともう1つ───」
傍らに立つ青年と互いの2色の視線を重ね、天堂顧問は言葉を投げる。
「───天堂司の能力【天戴観測】。その効果は『自身が観測したあらゆる事象を再現する事』、そしてその『観測』は彼が死した今現在も継続されています」
この時点で、【電脳乖離】───男はこの状況が如何なるものか、また如何にして成立したかを直感していた。
何故この女は電脳世界へ介入出来たのか?
何故あの時自分は撃ち落されたのか?
何故入れてもいない人間がこうも大勢、しかも負荷に耐え直立していられるのか?
─────何故、兄の能力について語っているのか……?
男の予感は、全てが最悪の央を射ていた。
「ですので、歴代Itafの会員達───流石に『未元』の2人は容量が重くて止めましたけど……ほぼ全員! こうして再現、実体化させてみました! 相手が目で追えないならこう『全ての場所に誰か居ればいいのでは?』なんて思いまして」
「────────」
「信じられない、という顔ですね? まぁ現実世界ではそうおいそれとは使えませんし、今回は偶々環境が良かっただけなのですけど……」
「────────」
「……そもそも、私が自力で“門”を開いた時点で貴方はそれを拒むべきでした。『“門”を開いて尚ほとんど消耗していない』という事実にも────────『能力者が自らの能力を明かす』その意味も」
「────────」
「ですが、奮発したお陰でこうして面と向かって話せます。私が聞きたい事は2つ、『何故死んだ筈の貴方がここにいるのか?』『誰が貴方を仕向けたのか?』……正直にお話頂ければ、最低限身の安全は保障します」
「────────」
「どうか投降してください。Itafは戦いを望みません」
「────────くたばれ、クソガキがッ……!!」
数秒後、【電脳乖離】は絶命した。
Itafの総攻撃を受けるまでもなく、反撃に転じようとした際に明智誠の影が首元に添えていたナイフが運悪く刺さり──────自らの勢いで骨をも断ってしまったのだった。
◇
亡骸が消えていく。
影法師達と共に過去へと帰していく。
やがて沈黙が訪れた草原の真ん中には、呑気に寝息を立てるクロだけが残された。
「……さて、後はクロさんを回収して、改めて防衛戦ですかね」
溜息を1つ、安堵したところで天堂顧問はある事に気付く。
【天戴閲覧】の励起を解いたにもかかわらず退去していない影が1つ、星明りの下で揺れていた。
「花……花、君に伝えねばならない事がある」
「!!? 兄さん、影法師状態でも話せるの!?」
驚くのも無理はない。
彼女が呼び出した歴代Itafの面々は、本部最下層の白い正六面体────【天戴観測】に記録された再現体に過ぎない。
余程の手間や条件をクリアしない限り、思考を再現する事はおろか全自律的な行動すらも実現は難しい筈である。
ともなれば考えられる原因は1つ。【天戴観測】そのものからの干渉に違いなかった。
「もちろん、元はと言えば僕自身の能力だからね。この数十年、ただアーティファクトになっていた訳じゃないよ」
信じ難い状況に様々な感情が入り乱れる中、在りし日の青年は語りだす。
「まず1つ目。さっきの能力者だけど、今し方類似の状態として【死者組成】と【空の刹那】が検出されたよ。敵方にも確実に蘇生能力者がいると見ていいだろう」
(【空の刹那】……!? 何故その能力が……?)
「そして2つ目。この学園……特に僕の本体がある最下層は何としてでも死守してもらいたい。知っての通り、ここ数年学園の地下に大量の第四世代粒子が集積されていてね。僕がリソースとして消費、抑制していたけど最近はそれすらも困難な程だ。具体的な理由や意図は分りかねるけど、敵の目的はきっとそこにあるのだと思う」
一通りを話し終えたところで、天堂司を模した人型は徐々にその形を忘れ、光の粒子となって透けていく。
天堂顧問──────天堂花にとっては幾度か目にしてきた光景に違いない。
だとしても、だとしても。
今回ばかりは手放していたはずの情が胸を揺さぶり、気付いた時には喉を震わせ叫んでいた。
「待って……待ってよ兄さん!! 話したい事がまだ、沢山あるの……ねぇ、待ってってば……また1人にしないでよ!! 置いてかないでよ…………お兄ちゃん!!!」
今になって、かつての少女は後悔の念に苛まれていた。
花にとっては2度目の、最愛の人との別れである。
こんな事になるのなら、こんな思いを抱くと知っていたのなら…………自らの能力を、過去を弄んだ自分を嫌悪する。
それでも、兄の似姿は微笑みを浮かべ、栗色の髪を撫でてくれる。
あの日と変わらない、大きく優しい掌だった。
「……ごめん。ここに居るのはかつての亡霊……能力の縁をなぞる木偶に過ぎないよ……」
「……けれど、どうか忘れないでほしい。花はもう、1人じゃないってこと。『誰よりも教え子に恵まれた先生』なんだろう? 政宗先生や天音ちゃん、真也君……君と一緒に歩んでくれる人は、決して僕だけじゃないんだ」
「……それでも寂しいようなら、どうか思い出して。僕は永遠の観測者……いつも、いつまでも、Itafを見守っているってことを…………」
別れの言葉は、終ぞ無かった。
質量を失った声帯はただの構造体でしかなく、完全に風化するまで時間はかからなかった。
そよ風に残された残響は最早誰のものでもない。
「……この歳になって教えられるなんて……私もまだまだ学生ですね……」
電脳の園には教え子を抱きかかえる教師が1人、熱い目頭を袖で拭っていた。
◇
「……【数値操作】出力終了!!」
「せ、先生!?」
「すごい……まだ10分も経ってないのに……!?」
「クロ!! 無事かい!? って……よく寝ていられるね、こんな状況だってのに……」
程なくして、天堂顧問はクロを救出し管制室へと帰還した。
傷1つ無いその様子にある者は恐怖し、またある者は鼓舞される。
(9分05秒……あと25分くらいは猶予がありますね……)
「ケホッケホッ……それにしても、たった2回の使用でこの疲労具合……流石、概念系統と言ったところですね……」
咳き込みながらも最上の椅子に腰掛けモニター群を俯瞰する。
先行した有片真也は間も無く第一陣と接敵を果たす頃合いと見える。
「『一緒に歩む』……ええ、そうですね。その為に私も、貴方も戦っているのでした……」
少女のあどけない笑顔は既に消えていた。
されど、誰かの背を追う2色の眼差しは、昔も今も変わる事はない。




