第4話:開戦/終わりの始まり
喧騒の中で時は過ぎ、冬空の蒼に溜息が白く流れる季節となった。
そんな情景とは対照的に真也の表情は晴れず、机の木目に影を落としている。
5年生───学園の教育システムにおいて最高学年である彼はあと数か月で卒業せねばならない。
籍自体をItafに残す事は出来るのだが、それでも後輩達との距離は遠くなってしまうだろう。
長らくほぼ1人で運営してきた組織……否、居場所である。
それを手放すのかと思うとまた1つ、視界に白い霞がかかって余計に煩わしくなる。
きっと、胸中に空いた風穴を持て余してしまう。
そうして仕方無く、渇いた欠伸と共に机に突っ伏した。
そんな真也の不安に反し、彼のいる教室は祭りの様に賑わい盛り上がっていた。
飛び交う話題の中心は、どれを切り取ってももう間も無く起こるという『大惑星連結』という言葉ばかり。
太陽系の全惑星が一直線上に並ぶと何が起こるのか、夜の帳はいつ降りるのか。
誰もが数万年に一度の天体ショーに胸を躍らせていた───ただ1人を除いては……。
──────何も、何も起きなきゃいいんだけどな……。
腕枕の中で呟く。
青年の不安は、杞憂は、これから始まり得る惨劇の予兆を告げていた。
◇
『──────こちらクロ! 緊急事態だ真也!!』
程なくして、携帯が鳴った時点で真也は覚悟を決めていた。
跳ね起きた勢いをそのままに教室へ別れを告げる。
それは星々の連結まで10分を切るか否かの時。
何かが始まった────漠然とした感覚が青年の胸に突き付けられていた。
「やっぱ来たか……クロ、そっちで何が起こっている?」
『俺手製のレーダーが高等部校舎上空の飛翔体を捉えた! 迎撃が間に合わない!』
慌てたクロの息継ぎより速く、真也は通常の時間軸から離脱する。
一息で屋上へと辿り着き、沈みゆく空の蒼さを仰ぐ。
「【偽者の嘘】適用の弾頭弾はどうした?」
『熱源がほとんど補足出来ない! 恐らくだけどこれは『神の杖』みたいな質量兵器だ! とにかく急いで!』
「……となると、狙い撃ちも火力不足か……? しゃあない、それならッ……!!」
加速された思考が即座に最善の行動を導き出す。
真也は懐に忍ばせていた鉄球を欠け始めた太陽へ向け投擲した。闇雲に放るのではなく高度を調整して。
直後に自身も跳躍、風の奔流にその身を投じる。
「さぁて、上手くいってくれよ……!」
夜に呑まれた空の中、真也は持ち合わせた鉄球を足場に上へ上へ。
投げては蹴り、投げては蹴りの繰り返し。
雲に映った影を目指して、上へ上へ。ひたすらに加速していく。
そして遂に、彼は“それ”を目視した。
「…………ッ!!?」
“それ”は、兵器と呼ぶには余りに輝いていた。
“それ”は、明らかに場違いな神々しさと、それでいて確かな殺意を放っていた。
──────“十字架”だ。
“それ”は教会で見掛ける様な、茨の装飾が施された十字架であった。
絡みついた金の茨で風を切り、2m近い無骨な支柱で雲を薙ぐ。
十字架、それ以外の形容が見当たらなかった。
──────これは……うん、不味いな……───
呆気に取られる間も無く、改めて真也はこの迎撃の難しさを悟る。
十字架の表面を見る限りその材質はほとんどが金属───少なく見積もったとしてもその質量は1tを超える。
それ故に、【絶対刹那】による完全な停止は見込めない。
能力の浸透速度が対象の質量に反比例する為である。
減速させる程度は出来るかもしれないが、運動エネルギー自体はほとんど変わらない。
地上に着いたが最後、重力という名の暴力は地表を伝播しあらゆる物体を蹂躙するだろう。
これらの事実は、落下の先に待つ大規模な破壊を示していた。
「──────……なんて、言ってらんないよな……!!」
それでも尚、真也がその職務を放棄する事は有り得ない。
自由落下の最中で拳を握り、両脚で十字の底を挟み定める。
彼のやるべき事はいつも変わらない、その肩に責務を、拳に決意を乗せ──────
──────ひたすらに、殴るだけだ。
◇
音速の戦いがあった。
迫る地上と昏い天球の間に木霊する咆哮があった。
真也による必死の連撃は徐々に十字架の速度を奪い、その軌道を変えつつある。
常に脚で体を支え続けたことで落下速度も目に見えて鈍化していた。
しかし、それでも足りない。
どれ程向きを変えた所で汐ノ目の様な密集地域に被害は及ぶ。
どれ程能力を使った所でそれは見た目だけの減速に過ぎない。
一分、一秒。圧縮された時間の中に破滅の瞬間を押し留めているだけに過ぎないのだ。
白い高等部の校舎が迫る。
星の影が広げた裾野へと、十字架は沈んでいく。
近づく終わり。猶予など無い。
ただひたすらに、破壊の一手が止まることはない。
「──────ッ……! あと少しだってのに……!」
青年の脳裏に過去の一幕が過る。
時に固められたまま殺されていった仲間達。
伸ばした手は届かず、断末魔だけが海馬を揺らしていたあの日。
届かなかった『あと一歩』を追い求め、あの日の少年は人間である事すらも捨て去った。
それでも、彼の掌からは今尚多くの命が零れていく。
【絶対刹那】は瞬間を、届かぬ刹那を掴むもの──────
──────されど、そこに『絶対』は無い。
──────それ故に、“失われた時”という忌名を冠する。
今回もそう。思わぬタイミングで終止符はやって来る。
無数の声、数多の嘆き。その全てを奪い去って絶望は色付く。
そんな時、人は皆一様に瞼を閉じる。
最期の一時を手放す為に。全てが潰える瞬間を見たくないが為に。
衝撃が来る──────その刹那に、真也もまた自然と目を閉じていた。
「──────嗚呼……またちょっと、遅かったのかもな…………」
「──────真也!! 俺を……使えっ!!!」
「……お前にしちゃ遅いぜ、小手川?」
十字架の底目掛け突き立てられた銀の拳。
中央校舎より直上10数m。
籠手姿の能力者、小手川拳斗は真っ向から巨大な質量と火花を散らし激突する。
無論、大気圏近くからの落下物を退ける程の浮力を彼は持ち合わせていない。
鈍化しているとは言え、じわじわと下方向へ押し返されていく。
(……ッ!! 何だこれ……力が抜けてきやがる……!?)
しかし、それ程の時間があれば問題は無い。
真也が屋上へ降り立ち、息を整える程度の事は。
「真也! そろそろ離すぞ!」
「応! もう十分、小手川の方が速く降りられる!!」
ゆっくりと、十字架が降りてくる。
青年の目前へと、その中に大いなる破壊を孕んだまま屋上の縁に立とうとする。
「──────限定機構解除。第一フェーズへ移行──────」
だが、それは有り得ない。
「──────是成るは、有片流勢法が其の弐──────」
何故ならば、
「「──────本気でいくぞ」」
『あと一歩』の背を押す、仲間がいるのだから。
刹那、着地の寸前で十字架が溶け爆ぜる。
真也が小手川を装着した数瞬後、無限にも等しい拳を受けた金属表面は完全に停止し、尚も与えられた衝撃は熱となって蓄積された。
本来ならば、その圧倒的な運動量はどこかへ発散されなければならない。
しかし、物体そのものを融かす事に使われるのであれば話は別である。
ガガガガガガガガガガガガッ──────!!
遅れてやって来た破砕音が金色の水溜りに波紋を散らし、Itafの迎撃作戦は完遂された。
◇
「すまねぇ、クロの奴が掃除用具入れに俺用のカタパルトなんて用意しててよ。きっと間に合うからつって、その癖セットアップに時間掛けてやんの」
「誰だよそんなアホみたいな提案したの………………俺だよ」
「お前か」
2人が安堵する最中、管制室にいるクロから無線が入った。
『はいお疲れ様ぁ! 今医療担当を向かわせてるから、小手川は大丈夫だろうけど真也は一応診てもらってねー』
「ん、なんか早いな? 真白もニャーも、いつもは少し時間掛かってなかったか?」
『ああ、それなんだけどねぇ。たまたま非番だったから──────』
「──────お二人共、最期までご苦労様でした」
「…………成程、あなたでしたか……」
長くも短い沈黙があった。
通信の最中、屋上に現れたその人物から真也は目を離さずにはいられなかった。
「……なぁ、クロ。ちなみに迎撃の時、……はどこにいたんだ?」
『えっ? 珍しく高等部中央校舎のM-R1室で待機だけど、それがいったい……』
「補足直後の十字架の落下地点、予測データは!? 事件前後、空間軸に歪みはあったか!?」
『もちろんあるけど──────────…………そうか、しまった!! 俺としたことがッ……何でこんな単純な事に気付かなかったんだ畜生!! これは“たまたま”なんかじゃないッ!! いや、今までもそうだったのか!!?』
クロの絶叫がトランシーバー越しに屋上全面へと散らされる。
緊張が四方へと走る最中、誰もが動揺していた。
ただ1人を除いては。
「ええと……どうかなされましたか……? 何か問題でも」
「その場で止まってください。貴方には今、幾つかの容疑が掛かっています」
「? いったい何の事でしょうか? それよりも有片さん、怪我などはありませんか?」
「止まってください、そう言ったはずです」
「もう! 悪いことなんてしてませんよ! 何かあったのかもしれませんが、まずはどうか楽に──────」
「どうか止まってください、マリア先生」
空に、地上に。星々の影は墜ちていく。
真也が三度呼び掛け、汐ノ目学園中等部保険医、マリア・ローゼンベルグ・クロイツはようやくその歩みを止めた。
「…………何のつもりですか? 私はただ医療担当として怪我を」
「話は逸れますが──────修道服にしてもそのローブ、白過ぎませんかね? 校内でも流石に不自然かと」
「? えっと……人は生きている限り汚れ、穢れていくものですよ? ならばせめて、見た目だけでも真っ白でいたいじゃないですか」
「ふむ、同感ですね。布一枚隔てて、俺には真っ黒に見えます」
「フフッ、面白い事を言いますね有片君は」
金環の薄明りの下、訪れた沈黙に両者の渇いた笑いが消えていく。
それは漠然と残っていた違和感に対する答え合わせ。
思えば、今までの何もかもが不自然でしかなかった。
一年前、何故藍川紫皇はItafメンバーの情報を手に入れながらも周囲に最後まで気付かれなかったのか。
半年前、何故Irialは学園の警備を搔い潜りItaf本部に爆弾を設置出来たのか。
そして年明け、何故ローブの集団は『未元』が秘密裏に櫻小路邸へ集まる事を知ったのか。
それら全ての疑念は、藍川零に次ぐもう1人の内通者、マリアの存在によって説明が付く。
即ち、Itafの協力者かつ教員という立場の彼女ならば、一切の出来事への関与が可能なのだ。
「油断すんじゃねーぞ真也!!」
「ああ、分かってる。マリア先生、どうか投降願います。多分貴女の能力よりも、今の俺達の方が速い」
身構える真也と小手川。
この2人が本気でいる以上、例え五元将が相手でも引けを取らないはずである。
対するマリアは───
「──────、──────」
───十字を手に、祈っていた。
一心不乱に、見えない何かへと言葉を捧げる。
夜一色の空と相まって、その様子は奇跡の前触れかの如く光り、美しくも禍々しい輝きを纏って見えた。
「──────我が身は、信仰の楔─────」
「させるかよ!!」
無論不審な動きの一切を真也は見逃さない。
助走無く音の領域へと到達しながらもマリア目掛け殺到する。
刹那を切り裂いてその拳は突き出され──────
「──────天獄よ、顕現しませい─────」
─────そして、星刻は満ちた。
◇
「な────────────」
瞬間を生きる真也の瞳には、またしても十字架が映っていた。
それも1つではなく無数に、空の果てを区切るように。
金色の尾を引いて、光の雨が街の外周へと突き立てられる。
雲の高さまで昇った粉塵と轟音がようやくその光景を現実へと縫い留めた。
「ボディーがお留守ですよ?」
殺意の籠った輝きが後方へ跳躍する真也の鼻先を掠める。
彼が気を取られている隙に、マリアは手元に十字の槍を顕現させ横薙ぎに振るっていた。
「──────何なんだよ、これ…………!?」
寸前で攻撃を躱しながらも真也は未だ混乱の最中にあった。
それもその筈。十字架が落下した直後、黒い靄の様な何かが地表から天へと噴出していた。
硬質に耀く気体はみるみるうちに街を囲い込み周辺の地形からも隔絶する。
その様子は何時ぞやか、京都は櫻小路邸での出来事を想起させた。
「あれが、御記さんの言っていた『空間』なのか……!?」
「集中しろ真也!!」
小手川の叫びと重なる様に、再び殴打が振り下ろされる。
咄嗟に放った拳は茨を模した切っ先とぶつかり甲高く吠えた。
「嗚呼っ……嗚呼!! 本当にっ! 可哀想ですね有片君という魂は! 無知にして無垢たる世界の託児! とても! とても愛おしいです!!」
「それがアンタの本性かッ!!」
次なる一撃はより重く、より速く──────あろうことか徐々に真也の挙動に足を踏み入れつつあった。
右、左、反転、脳天。
徐々に、徐々に。
速く、殺す。
小手川を介して伝わる衝撃と脱力感は敵の実力が未だ不可知であることを物語っていた。
「ッ──────何つー馬鹿力…………なんなら紅葉並みかこれ?」
「いや…………ワンチャン力とか、そういう問題じゃないかもだ…………小手川、街の方見えるか……?」
「確かに何かヤバいような──────…………」
十字架の質量を受け止めた瞬間、小手川の声が途切れる。
それは決して相手の攻撃によるものでも、謎の脱力感によるものでもない。
ある筈のない彼の視界が、彼方にそびえる黒壁の下を捉えた為である。
昏い陽光に照らされながら、白い点が何百、何千とその数を増やしていく。
閉ざされた地平を覆うそれは、恐るべき事にItafが追っていたローブの集団、その全勢力であった。
「一旦分離するぞ真也! コイツ、ハナから足止めを狙ってやがったんだ!」
真也の手から外れ、マリアの打撃を正面から迎え撃つ小手川。
彼の考え通り、最初の十字架から正体を現すまではデコイ───汐ノ目地域が最高戦力の一角たる真也をこの場に釘付けにする為の罠である。
そしてマリアの本当の目的───“街を閉鎖した上で主戦力を投入すること”は既に達成されている……。
「ここは俺が足止めしとく! 安心して行って来い、会長!!」
「ああ……任せ」
「それともう一つ」
「…………?」
「……死ぬんじゃねぇぞ。何が何でもだ」
「……………………ああ。任せたぜ」
不安と信頼。意思と信念。
僅か数秒の間に交わされた会話に内包されたものは余りに多く、それ故に使うべき語彙は余りに少なすぎた。
◇
「逃がしませんよ!! 貴方を楽にしなければきっと───」
フェンスを飛び越え屋上を離脱しようとする真也。
彼を逃がさんとマリアは十字架を全身で振りかぶり投擲しようとする。
その挙動は最早人間の域に無く、十分に青年の背を捉え得た。
「───させねぇっつってんだろうがっ!!」
しかし、十字架が風を切ることはなかった。
マリアの動作より速く、小手川の拳が到達した為である。
それは目視すら叶わぬ一撃。
世界すら置き去りにする程の神速。
痛烈な右のフックは的確に肩を潰し、破れた布地から白い護符らしきものを覗かせた。
「なぁ、知ってっか? 【絶対刹那】は物に触れて暫くは浸透してんだと。生身の人間なら動くだけで精一杯になるんだが、生憎こちとら生身すら持ってなくてよ? “置き土産”だけで充分アンタ……いや、テメェをぶちのめせると思うぜ?」
「そうですかそうですか。えーと、つまりは小手川さん、貴方も『未元』同様に要救済対象の方なのですね? ご安心ください。如何に亡霊の類だろうと、煉獄にて主は迎え入れてくださることでしょう」
相克の思想、相反する正義が対峙していた。
いずれもが望んだのは万人の救済。しかして行き着く果ては誰かの死に違いなく。
静かな怒りと狂気を孕んだままに、金と鋼は再びぶつかり合う。
◇
「こちら真也! クロ、管制室から聴いていたな!? 会長権限を以て警戒レベルを最大に引き上げる! 伝達事項として現在中央校舎屋上と汐ノ目外周地域に敵戦力有り! 一般人の避難を優先しつつ各自応援に向かわれたし! いいな!?」
『りょーかい! こうなったらピンチも楽しんでブツッ、ザ、ザザッ──────』
「……クロ?」
前触れ無く途絶した通信に真也はようやく汗の冷たさを知覚した。
マリア以外にも敵勢力からのスパイが送り込まれていたとして、彼等の目的がItafを機能不全に追い込むことだとするならば───真っ先に狙われるのは指示や情報を仲介する本部である。
(応答は───無い、か…………しゃあねえ、先に本部へ行って……)
空中で体を捻り重心を安定、窓枠を掴もうとする。
しかし──────
『─────な……こちら天堂花、たった今戻りました! 有片君、聞こえてますね!? クロさんはこちらで何とかしますので! どうか前線へ、優先順位を努間違えないよう……!』
そう言い残し、無線は再び砂嵐に呑まれた。
(少なくともクロとItaf本部は無事、なのか……? いや、まず必要なのは先見……このままだと情報が足りなさ過ぎるな……)
着地と同時に疾駆しながらも真也は思考する。
目指すは警報が鳴り響く街の端。
文字通り、一寸先すらも闇に包まれている現状。
敵の最終目的が、もし真也の危惧した通りならば──────ローブ達は学園へ向け侵攻しているのではないか。
「……きっと今、この瞬間が正念場ってヤツなのかもな……」
傷口から蒼い炎が覗き揺らめく。
されど青年の足取りは尚も疾く、異界と化した街並みを一直線に駆けていくのだった。




