第26話:決別/降臨
「────や…………真也? いつまで寝てるつもり?」
次に真也が目を覚ました時、眼前にはよく見知った顔が在った。
起き抜けの煩わしさに背を押され重々しく上体を起こす。
「ん、起きたわね。風邪引くわよ?」
「…………天音ッ!? 桐張は!?」
慌てて辺りを見渡す真也。殺風景な部屋に変わりは無いが、天音の足元から続く血痕がその場で起きた全てを物語っていた。
腐り始めていた両腕が無事である事を確認し、真也は差し出された手を取る。
「逃がした、か……?」
「見た感じそう遠くへは行ってないはずよ? 天音は屋上から侵入ったから、十中八九屋内でしょうね」
談話室を後にし、真也は天音と共に点々と続く血痕を辿る。
彼が気絶していたにも関わらず逃げた以上嗣音は相当な重症か、或いは天音の気配を察した可能性がある。
いずれにしても逃げ果せる可能性は極めて低い。
Itafに発信された謎の通報、下層階での戦闘────事の経緯を天音から聞く途中、真也は根本的な疑問を思い出していた。
「……そう言えば、何で俺無事だったんだ? 腕とか結構腐ってた気が」
「? 天音は『距離を操る』能力者よ? ウイルスなんて寄せ付けないっての。気になるなら代謝でも加速しときなさいな?」
「なる、ほど……? あーそれ聞いたら多分桐張の奴発狂するぜ?」
天堂天音の能力【絶対虚空】は『空間を与奪する能力』である。
周囲の物体との間に存在する距離を任意で調整出来る彼女は自身の体表に空間の『薄膜』を形成───真也にも同様の状態を付与する事で付着したウイルスの除去に成功していた。
詰まる所、桐張嗣音は天音に対して全面的に勝てない事になる。
◇
「────真也、あれを」
廊下を駆ける最中、天音は1つの異変に気付く。
点線だったはずの血糊が突如として放射状となり、その後は何かを引き摺った様に、擦れた帯を描いている。
「やったな………急ぐぞ!」
天音の肩に触れ、真也は鈍化した世界を急いだ。
これまでの調査に拠ればIrialは異なる考えを持った団体が『能力者の排斥』という共通理念の下に連合した、詰まりは形だけの協力関係である。
その中には当然様々な派閥が存在し、桐張はあくまで最多数派を取り仕切っていたに過ぎない。それはリーダーとは名ばかりの抑圧者としての在り方───身内の敵も多かったはずである。
ともなれば、この混乱に乗じ彼を排除しようと考える者もいる。
そんな真也の懸念が今まさに的中しようとしているのだ。
乾き始めていた赤の飛沫は進むにつれて潤いを帯び、やがて鮮血へと至る。
立ち止まった2人の前に現れた人物は、果たしてその煌々とした眼差しを向けていた。
「よォ……また会ったな、会長?」
相変わらず粗暴な口調を飛ばしながら、元Itafが一角、御守輝は振り返ってみせる。
力任せに引き摺って来たのだろう、彼に掴まれた嗣音の右足首は鬱血し痛々しい藍に染まっていた。
「ったくよ……何で正義ってのはどいつもこいつも偏るんだろうなァ?」
開ききった瞳孔が真也を捉える。
映し出された顔は何とも怪訝な表情を浮かべていた。
「…………御守、また肌に合わなかったらしいな?」
「ああ、まだItafの方がマシだったかもな?」
「……天音から聞いたぜ? 多分だけど、お前だろ? 匿名の通報者ってのは」
「言うまでも無ぇ。俺が粛正されんのも時間の問題だったからよ。漁夫の利にだって頼りたくなるもんさ」
最早そこに、誰よりも正義らしい正義を志した、そんな少年の姿は無い。
血に染まった握り拳は彼が未だ葛藤の中に在る事を物語っていた。
「お前さ、何がしたいんだ?」
「人助け、のはずだったんだけどなァ……? 今更気付いたぜ、会長みたく割り切った方がまだ楽だったワケだ。悔しいけどよ、アンタの説教にも一理あったって事だ」
「…………」
「だから1つ、礼をくれてやる」
「礼?」
「『夜弥が原典を手に入れた』──────桐張等じゃ対処は無理だったろうからな。ま、精々足掻いてくれや。そんじゃ、俺はここらでリタイアさせてもらうぜ」
「御守、桐張を離せ。その場から動くんじゃない……!」
「あぁいいぜ? どの道こいつァもう長かねェけどよッ!」
古布の様に放られた嗣音をどうにかキャッチし横たえる真也。
相当な力で刃物を突き立てられたのだろう、衰弱した嗣音は脇腹を深く抉られ、その傷は背中にまで到達していた。
敢えて正中を避けた、より苦しませる為に。極めて残忍なその意図を真也と天音は察する。
その間に御守は傍に在った窓ガラスを突き破る。
いくら能力者と言えど摩天楼の高さを考えればそんな事をする者は居ないはず。
脱出か、或いは自殺か。いずれにせよ逃すわけにはいかない。
「────いい加減お縄につけっての!!」
咄嗟に窓の外へ右手を伸ばす天音だったが、間に髪を入れず投げ込まれた鳥餅に阻まれてしまう。
予め彼女の能力を警戒していたのだろう。天音が左手を伸ばす頃には眼下に御守の姿は無く、ただ冷たい風が肌を撫でるばかりであった。
「…………彼、腕利きなのね?」
「そういう奴なんだよ……」
◇
「────天音! 傷の閉口は!?」
「駄目ね。軒並み無効化されてる」
一転して、嗣音の手当を試みる真也と天音であったが、御守の言う通りその怪我は致命傷に匹敵していた。
切断された動脈は引きずられたことにより圧迫され早鐘を打っている。
加えて今や彼の体は能力殺しのウイルスを自ら作り出している。
天音の接合術も真也の代謝操作もその一切が弾かれ止血すらままならない。
それはもしこのタイミングでItaf本隊と合流したとしても真っ当な治療が行えない事を意味していた。
「…………う……」
朦朧とする意識の中、嗣音は言葉を発しようと必死に呼気を整えていた。
今の彼を突き動かすのは好敵手の憎悪でも己への不甲斐なさでもない。
御守の一言が如何なる事態を予見してのものか、理解していたからこそだった。
「ありかた、君…………」
「桐張! 無理をするな!」
「いいから、聴け……『太陽を殺すのは、太陽自身』だ……備えろ……もう直来るぞ……」
己の死を悟っていたからこそ最期まで饒舌に。
桐張とて守りたいものは少なくない。
だからこそ、プライドを捨ててでも彼は託すことを選んだ。
「一体何を──────」
「君に任せるのは癪だがね……原典を──────」
刹那、窓から差し込む閃光が一条。
唐突に過ぎる事象は理不尽にも青年達を襲っていく。
あらゆる物をその輝きは吞み、やがて全てを包み込んでしまうのだった。
◇
その瞬間、その場にいた誰もが目を細めていた。
立て続けに吹き込んだ風は異常なまでに熱を帯び、その場の全てを焼き溶かしていく。
地鳴りの如き強震と共に、袈裟懸けに崩れていくビル。
全てが地へと墜ちていく最中、とある少女の視界にはこの事態を引き起こしたと思しき存在、その姿が走馬灯と共に焼き付いていた。
彼方に乱立するビルの谷間───その中で座するが如く浮かぶ輝きが在った。
四方に伸びた閃光は翼を思わせ、神性のそれに似た畏怖を覚えさせる。
余程の熱を発しているのだろう。遠目からでも周囲の景色は陽炎の緋に揺らぎ、今にも溶け落ちてしまいそう。
黒点の様な双眸は遥か先にいるはずの少女を確かに見つめていた。
その存在を形容するならば────正しく、地上の太陽であった。
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