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第6話:ニャーとドヴラートフ


 ユーラシア大陸極東、オホーツクを望む雪原にその建物は在った。

人知れぬその廃墟、剝き出しの煉瓦から吹き込む寒風に凍てつくその地下。

枯れたはずのパイプラインを巡る機械音。

その先の一際開けた空間で、天井を突く程の人影が揺れていた。

今は無き連邦のミリタリコートを背に、その男は煙草を燻らせる。


「不撓たる我が後継―――それ即ち我を超えねばならぬ......」


コートの男が見つめる先。培養液に満たされたカプセルの中では胎児に似た何かが蠢き、時折黒曜石を思わせる双眸で男を見つめ返していた。



 事態が動き始めたのはそれから数日後、軍服の男は酷く激昂し冷静さを欠いていた。

彼の目線は鋼色の床に向けられている。


「......何故だ」


そこに置かれた。否、そこにいるのは白く歪な球。ちょうど「饅頭」と形容すべき生物が、ちょうど「胡麻」の様な目で男を見返している。


「何故なのだ......」

「......( ´∀ ` )」


こんな↑間の抜けた表情を浮かべる生物と対照的に、臨界を迎えた男の感情は逆鱗へと姿を変えていく。


「何故だと聞いておるのだ人外め!!」


「......?」


キョトンとする生物。

尚更煮えくり返る腸を抑える術を男は知らない。


「貴様はこのドヴラ―トフの血統を継ぐ唯一無二にして完全たる霊長、そのはずなのだ!! だというのに! 何だその雪玉の様な姿は!?」


「......ん。ひト、のカタちがいい、ノ?」


その生物は初めて口を開いたかと思うと唐突に1メートル程にまで膨張した。

細胞分裂の様に四方に線が走り折りたたまれた外殻が花弁の如く開いていく。


「こレで、いい?」


コートの男、ドヴラ―トフの前に現れたそれは今度こそ人の形をしていた。

しかしその容姿はひたすらに白く、幼児体形と髪に似た触腕と相まってクリオネを思わせる。


「ふざけるな化け物めが!! それのどこが究極の生命だという!?」


その激憤が収まることは無い。



 かつてのドヴラ―トフは一塊の軍人として戦線に立つ、至って変哲の無い男であった。


そんな彼の人生を狂わせた要因があるとするならば、それはとある戦争に他ならない。

この戦いにより彼が負傷したということも無い。

前線にこそいたものの相手は発展途上の小国、軍備はおろか身長に至るまで敗北する要素が見受けられない。


予想の通りドヴラ―トフは敵軍を軽くあしらい羽虫の様にこれを潰してみせた。


 しかし、ある一報に彼は愕然とする。

国内最強と呼ばれた特務部隊の壊滅、無二たる戦友の死。

それからというもの、立て続けに寄せられる敗北の二文字にドヴラ―トフは心身をすり減らし、人としてあるべき何かを失うその頃には母国は戦争に負けていた。


たかが列強を気取る島国に、たかが黄色い蛮族に。


歪められた祖国への誇りがドヴラ―トフを駆り立てた。

以来彼は復讐に堕ちていく。


手始めに彼は能力開発を担っていた研究所を占有した。

平凡な身体強化能力を余りある薬剤と人体改造を以て強化し、血反吐を吐いては延命の繰り返し。

それは祖国が滅びて尚続けられ、遂には100年目を迎えることとなる。


 度重なる手術の末に人の域を超えはした。

しかし同時に生物としての限界も悟っていた。

この逃れようは無いのかと、正常なままに狂った思考が不安を覚える。

そこでドヴラ―トフは自らの補完を画策した。

変質しきった自らの細胞を培養し、次世代の超生物と共にあの忌々しき小国へと進軍する。

そんな理想を掲げ研究を重ねたのだ。


全ては盟友の為に。


全ては祖国の為に。


全ては我が誇りの為に。



 それ故に許せないのだ。

自分からこの様な陳腐な生物が出来るなど考えたくもない。


「そんな身形で如何に奴らを殺戮するというのだ!!?」


怒りに任せ自らの子の細首を掴むドヴラ―トフ。

プレス機並みの握力にも関わらず白い生物は稚拙な語彙ながらも返答しようとしていた。


「―――、―――」

「何だ、己が生を詫びる気か? 我輩に何を言おうと―――」



「―――みんな、みんななかよくがいちばんだお!」




それはドヴラートフという存在を何よりも否定するような言葉だった。



「............異端め、失せろ」


極点に達した怒りを灯し、その拳は振るわれた。



 数秒後、ドヴラートフは完全な廃墟に立ち尽くしていた。

乱立した機材は軒並み破壊され、積み上げられた書類は引火しつつある。


この数秒に何があったかは明白であった。


ドヴラートフの拳が白い生物を捉えた刹那、球状に戻ったそれは直撃とともに音を裂くような速度で飛翔、反射を繰り返し――――――結果としてこの惨状が生み出されたのだった。


破壊されていく拠点を成す術も無くその目に映していたドヴラートフ。

燃えゆく床と消えた生物。そして通気口から遠ざかっていく反射音。

立て続けに起こった理不尽は到底形容出来るものではなく、残された男はひび割れる程に感情を噛み締める。



獣の如き咆哮がタイガを震わせた。




「―――で、そのままプカプカ逃げてきたんだお!」


「なるほど。クロ、捨ててきなさい」


真也は白い生物を肩に乗せたクロに言った。

即答である。迷いは無かった。

ただでさえ年中無休のItafの、それも会長という立場である真也。

そんな彼にとって貴重な休日を度外視し、Itaf本部に駆けつけた結果がこの現状である。


「いやぁ、そんなこと言わないでさぁ? ニャーちゃんをItaf(ここ)に入れてよ真也―」

「いやそんな子犬感覚で言われても......ニャーチャン? そいつの名前、だよな?」

「うん、にやにやしてるからニャーちゃんなんだ! んでもって俺は饅頭って呼んでる」

「待て、ワケの分からない生物にワケの分からない名前を付けて順当なあだ名で呼ぶな」


この形容し難い状況を生み出した、もとい持ち込んだ張本人であるクロは相も変わらず謎の生命体ニャーちゃんと戯れている。


「なぁクロ。そのニャーちゃん? そもそもどこで拾ってきたんだ?」


「青森の大間だよ? マグロが絶滅しかかってるのに皆食べちゃうもんだから、自己分裂能力を持ったクロsマグロを放流しに行ったんだ! で、海に出ようとしたらこいつが浮いてたってワケ」


「よし、始末書な? じゃなくて、どの道危険過ぎるって話だ」


 真也とて良心が痛まないわけではない。

しかしいずれにせよクロの申し出を受け入れるわけにはいかなかった。

にわかには信じ難いが相手は旧連邦の軍関係者、それも明らかな狂人に他ならない。

真也らItafの任務はあくまで汐ノ目学園内での治安維持、出しゃばれたとしても汐ノ目町内や系列校での活動に限定される。

ともなれば尚更に、学外勢力から襲撃を受けるというリスクを負ってまでニャーを置いてはならない。そんな理由に帰結する。


「真也は心配性なんだってば! だいじょーぶ! そのドヴラートフって奴に気付かれても倒しちゃえばいいんだから」


「巻き込まれること前提なのがお前の悪い癖だぜクロ? そういうことじゃなッはははははははははは―――!?」


唐突に笑い出す真也。

自分でも訳の分からないままに爆笑してしまう。


「しんたんオコはやだお! もっとスマイルしなきゃねー!」


「ほら真也! 言い忘れてたけど饅頭には【リカバリースマイル】って能力があるみたいなんだ。効果は『直接触れた相手を確実に回復させて確実に笑わせる』! すごいっしょ!? シロ(真白)がいないときとかどう?」


「ふははははッ―――駄目だってのwww」




「「うわぁ......」」


その最中、オカ研の端で漏れた哀れみの声を真也は聞き逃さなかった。


「ははッ―――小手川w桃井wお前らwかぶっふふふwww」


 とある事情からItafに常駐している赤髪の少女、桃井。そしてたまたま居合わせたグローブ姿の能力者、小手川。

買出しから帰った彼らが目の当たりにしたのは狂った様に爆笑する同期といつもテンションのおかしい同期。とどめに謎の生命体であった。


「......俺SAN値チェックしようかな」


「ブラックさんと兄貴と―――可愛いねこの子!! 名前とかあったりする?」


「ニャーちゃんはニャーちゃんだお!」


「そっかー!(^^)」


不思議なシンパシーで通じ合うニャーと桃井。

Itaf本部はかつてないまでの混沌に満たされていたという。



「―――まぁ、そのドヴラートフって奴に目ぇ付けられなきゃいいんだけどな?」


その後もクロとニャー自身、そしてどういうわけか桃井による交渉が続き一進一退の譲歩と説得が成された。


「なぁ真也? 入れていいのかそんなヤベー奴引き入れて?」


「あのさ小手川? 今まさにお前が所属OKなことが理由で納得しかけてる俺がいる」


とうとう真也が根負けし許可を出そうとしたその時、彼の携帯がバイブする。

端末画面に映し出されたのは数件のネットニュースだった。


「―――『根室沖でタンカー座礁』『大間で船団が行方不明』『岩手で無差別殺傷』」


訪れた沈黙。

尚も更新されていくトップニュース欄。

着信音だけが響く中読み上げられた不穏な事件は一つの懸念へと帰結しつつあった。


「なぁクロ? ちなみにだが、ニャーの身体検査はやったんだろうな?」


「いや? これからやろうかなって」


「これからって、そんな――――――


真也がその言葉を言い終えることは無かった。

彼の瞳が窓の外へ向いていたならば、その一撃を貰うことは無かっただろう。


破砕するガラスと共に吹き飛ばされる真也。

次の瞬間には代わるようにしてトレンチコートを纏った大男がクロ達の前に立ち塞がっていた。


「ついに.......ついにだ.......」



ドヴラートフに不意の先制をくらった真也。

容易くもその体は石礫の様に飛ばされ、後方の壁を突き破らんとばかりに叩き付けられる。


「ついに! 見つけたぞ異端者めが!!」


そんな彼には目もくれずドヴラートフは血走った視線を向ける。


─────真っ先に目に付く忌々しき白い饅頭がひとつ。

─────それを肩に乗せた黒ずくめの小人がひとり。

─────その横に赤い髪の女がひとり。

─────そして吊るされた銀色の篭手が一対。


いずれをとっても脅威と成り得るものは見当たらない。

むしろ小ばかにされているのでは、ドヴラートフという男にはそうとすら思えてしまっていた。


「ハッ、成る程? 雑魚を隠すにはやはり同族の中ということか? 我輩を愚弄するのも大概にすることだ。やはり浅はかよな、饅頭めが」


「おいお前! いきなり失礼だぞ!?」


クロが抗議しようとした刹那、既にドヴラートフは攻撃に移っていた。

目標は迷わずニャーに向けて、数歩で距離を詰めクロの肩諸共一直線に拳を振るう。


「さらばだ悪魔めがァ!!」



「「─────させるかよ!!」」



その声が聞こえた頃にはドヴラートフは逆方向に殴り飛ばされていた。


「おいおい、大丈夫なのかよ真也?」


「問題無い! 服を固定化しといた!」


蒼くなったその手に小手川を装備しつつ、真也は眼前の敵を見据える。


話に聞いたその装いは連邦の軍人などではなく大戦の亡霊と形容するに値した。

何より特異に思えたことはほんの短時間で辺りを満たした血生臭さである。



「…………なぁアンタ、ここに来るまでに何してた?」



構えた拳から垣間見えたのは男の失笑であった。



「決まっておろう? 価値無き俗物共に身を捧げる名誉を与えたまでのこと」



その場の誰もが解っていた、しかしそれはかつてなく最悪の返答だった。


「てめぇよくもッ!! 二度と許されると思うなよ!!」


「落ち着け、クロ。お前はニャーを連れて行くんだ。桃井、お前も付いてやってくれ」


「でも真也───────」


「天堂先生に伝えるんだ。それに、お前の本気は事前準備あってこそじゃないのか?」


「……………………行くぞ桃井と饅頭!」



 いくらアナーキーなクロでもこの状況では冷静にならざるを得なかった。

その端末準備室から退避しつつも考える。

どうすればあの怪物を倒せるかではなく、相手にとって何が有効か屈辱か、逆境だからこその邪悪な笑みをニャーは不安そうに見つめていた。




「待たれ─────!! 黒い小僧めがッ─────!!」



 出口の方へ意識を向けたドヴラ―トフにすかさず真也は速攻を仕掛ける。


彼の読みが正しければ相手は膂力こそ桁違いではあるものの決して追随出来ない速度ではなく、加えてその動きには無駄が多いはず。


実際その考えは当たっていた。


丸太の如き腕による迎撃を掻い潜り、真也はドヴラ―トフの胸に掌底を到達させる。

【絶対刹那】による鈍化速度は触れる強さにも比例する。

加えて小手川の影響下では倍以上となる。


真也の一撃は生物にとって最大の急所、即ち心臓をほんの一瞬、しかし確実に止めた。


「ぐッ!? ォォオオオ───────!!?」


端末準備室にドヴラ―トフの絶叫が木霊する。

強制的な心停止にその巨体はいとも容易く悲鳴を上げる。


「ッ貴様ァ!! 無礼であるぞォ!!」


「あっそ」


 叫んだ顔を、痙攣する身体を、真也と小手川は容赦なく殴り砕いていく。

殺められた人々への祈りを、静かに燃える憤怒をその一撃一撃に込めて、何度も何度も何度も。殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る─────────

真也もこの時ばかりは【絶対刹那】の加虐性に感謝していた。


『相手は遅くなり自分は速くなる』


容易に相手の自由を奪えてしまういやらしさ、速度によるマウントが救いようの無い敵に向けられた時、かつての冷徹な司令官が姿を現すのだ。



 僅か1分足らずで端末準備室に沈黙が訪れた。

彫像の如く固まったドヴラ―トフを眺めながら小手川は呟く。


「あれだけやってまだ原形残ってるとか…………どんだけの硬さだよ?」


「ま、警察に渡す分には丁度良いんだけどな」


完全に停止した巨体は甲で叩くと金属に似た音が出る。

恐るべきことに何百分の一という時の中で未だに動いているらしいのだ。


「小手川、一応そいつを見といてくれ。ちょっと刑事さんに連絡するわ」



────────解せぬ。


────────我輩は誉れ高き連邦の将であるのだぞ。


────────だというのに、何故だ?


────────何故、あの倭人は閃光の如く動いている?


────────これ程手を伸ばしているというのに、何故届かない?


────────嗚呼、あの時と同じだ。友を無くしたあの時と!!


────────何たる理不尽!! 何たる逆境!!


────────嗚呼、世界の全てが連邦の敵というのなら……………………。




「────────【怨念開放】」


その言葉と窓の割れる音に咄嗟に真也は振り向く。

そこにドヴラ―トフの姿は無く、戦慄する小手川だけが残されていた。


「追うぞ真也!! あの加速じゃ追いつかれる!!」


急いで部屋を後にする真也と小手川。

少なくともあと5分は触れなくとも良かったはず。

如何なる能力ならばあの状況から脱せられたのか、考える間も無く真也はベルトのモーターを起動させる。


まさにその時、携帯の着信が鳴っていた。

送り主の名前を確認した真也は不敵に笑う。


「行こう小手川。今回はあいつの策に乗ってやろうじゃないか」




 ドヴラ―トフの能力【怨念開放】。

長年の研究により自ら異能を調べ尽くした彼は一つの結論を出した。


それは倒した相手を何らかの形で身体強化に利用すること。


狂気の沙汰とも言える改造手術はその身体を恐るべき怪物へと変貌させた。

それは接収した血液に比例して強くなる能力。

宛ら吸血鬼の様に、そして戦車の様に。

燃費が悪くなろうともひたすらに相手の血肉を食み蹂躙することにこそ意味が有るのだと。




 学園に辿り着くまでに大戦時並みの殺戮を経たドヴラ―トフにとって数回程度なら音速に到達することなど造作も無かった。

しかしそれでも真也から逃れたのは生物としての本能が故か。


依然として彼がこの地に来た目的は変わらない。

ニャーの発信器を頼りに二階の廊下へ降り立つとドヴラ―トフは力の限り号哭する。


「出てこい化け物めがあああああ────────!!!


人気の無い廊下が震える。

幸いにして休日の校舎に応える人間はいない、そう思われた。



「こっから先には行かせないよ」



柱の陰から姿を現したのは赤毛で三つ編みの少女、桃井であった。



「ハッ、何かと思えばまた赤いのか? やはりこの島にはまともな霊長などありもしないのだな?」


「ふぅん、ここにいるってことは兄貴とこてから逃げれたんだ?」


「おい貴様、あの怪物めをどこにやったのだ? 教えれば上半身だけで勘弁してやろう!」


「よーし、折角だしあたしも参戦っ!! おいでリル! ゾンさん!」



会話が嚙み合わないままに桃井は能力を展開する。

描き出されたのは魔法陣と形容すべき2つの光輪────そこから浮上する異形の影。

一体は彼女が連れているリルと呼ばれた狼。

そしてもう一体はロングソードを鞘より引き抜く騎士。

しかし兜から覗くその顔に肉は無く、眼球無き双眸で敵を見定めている。



 桃井の能力【死者組成】。

自身が生前契約を交わした生物をいわゆるゾンビという形で召喚出来る能力。

最大捕捉は二体までだが内一枠はリルで固定(しかも戻せない)らしい。

一見してユニークスキルの類だが、さりげなく生命の理を覆す異能である。



「雑兵めがあああッ!!」


再び力任せに猛進するドヴラ―トフ。

先程の加速により激しく血液を消費したものの未だその速度は超常の域にある。

勢いをそのままに目前の骸骨へと拳を振るった。



しゃりん、という鋭い音。



間も無く膝を着いたのはドヴラ―トフであった。


一方でゾンさんと呼ばれた骸骨は右手で剣の柄を、左手で刀身を持ち斬撃の余韻を享受している。

典型的なハーフソードによって足を絡め取ったゾンさんはドヴラ―トフの巨体をもろともせず、そのまま大腿を投げ切っていた。


立て続けに襲い来るリルのかぎ爪をどうにか躱すドヴラ―トフ。

しかし胴体に隠れた切先がその身体を分厚いコート、通信機諸共一閃する。


「ぐおおおお!? ────否、否否否! 何のこれしきィ!!」


憤慨しながらもドヴラ―トフは懐に手を入れる。

使うことも無いと高を括っていたはずのナイフを手に、能力の行使者である桃井へ狙いを定めようとする。


更に事態が動いたのはこの瞬間であった。



「やめるんだおパパたん! いや、ドヴラ―トフ!」



廊下の果てから聞こえる誰のものでもない子供の声。

それはドヴラ―トフが最も嫌悪する存在のものだった。


「その声、忌まわしき悪魔めが! 大人しく我輩に討たれていればよいものを!! とっとと姿を現わせ! さもなくば一撃では済まさぬぞォ!!」


「ニャーちゃんはこっちだおー! 鬼ごっこスタート!!」


「待たぬか愚物め!! ええい逃がさぬわ!!」



遠ざかっていくニャーの声を追い、ドヴラ―トフは獣の様に前肢まで使いその場を離脱する。

ゾンビと共に残された桃井は廊下に点々と続く血糊を眺め、そしてニマニマと笑った。


「ブラックさんってば、もう何か考えたんだなぁ」





「何と姑息な!! 戦の儀も知らぬのかァ!!?」


高等部の校舎中腹に位置する研究棟に4つ足のまま激昂するドヴラ―トフの姿が在った。

延々と続く白亜の施設にその叫びが消えていく。


かれこれ5分近く土曜日の校舎を激走しているにもかかわらず、未だにニャーの姿を捉えられないでいる状況。

常に最大の出力で追い続けたドヴラ―トフは自らの血液すら消費段階に移行し、当初の様な筋骨隆々の巨体は今や貧相なものとなっている。



「正々堂々と戦わぬとは卑怯者めが! どこだ! どこにいる!?」



「こっちだおー! パパたんおっそーい!」



その声が聞こえた時、研究室の扉が一つ静かに開くのが見えた。

番外の鉄扉に刮目しドヴラ―トフは高らかに嘲笑する。


「やはり阿呆だな単細胞生物!! 袋のドブネズミというやつだ!!」


疑う素振りすら無く、その扉へと駆け込む。

もし彼に人並みの理性があったならば、この先に待つ地獄を知らずに済んだのかもしれない。




「な────────貴様は…………!!」


研究室でドヴラ―トフが目の当たりにしたのは白くて丸っこい生物────ではなく、喉元に手を当てた真也であった。


「じゃあなパパたん。鬼ごっこ、楽しかったぜ?」


声帯の振動数、声色を元に戻しつつ場違いなダストシュートへと消えていく真也。

逃すまいと飛びかかるドヴラ―トフであったが胸の辺りで何かにつかえ行く手を阻まれてしまう。


白い壁に紛れ今まで見えなかったが、艶のある白い円盤が空中にピン留めされている。

ドヴラ―トフが目を凝らすと小さな点が2つ、「胡麻」の様な目が見つめ返していた。



「…………( ´∀ ` )」





 ダストシュートを滑り下りながら真也は【絶対刹那】を任意解除する。

その数秒後、多重の爆発音と共にドヴラ―トフの悲鳴が金属チューブ内に響き連なっていく。

頭上からの熱を加速で振り切り、真也はそのままクッションの上に放り出された。


「はい真也お疲れ様ぁー! やっぱり上手くいくと楽しいっしょ!?」


そこは学園の地下、Itafの格納庫に着いた真也をクロが出迎えた。

よほど暇だったのかコーラを勧めてくる余裕っぷりである。


「いや、お前の作戦通りニャーを殴って固定しといたけどさ? あの爆発とか色々大丈夫なのか?」


「問題無いよ! 俺が調べたところニャーの体は例え宇宙空間であっても快適に過ごせるくらい丈夫なことが分かった。だからピンボールみたいにぶつけまくっても、置いてある重クロム酸とか二硫化炭素とかの爆発に巻き込まれてもへっちゃらなんだ。

しかも【リカバリースマイル】のお陰で笑わせて肺を焼きつつギリギリ死なない状態をキープ出来る。これ以上の拷問なんてもう現代には無いんじゃないかな?

それとあの実験室だけど、あそこは学園が俺に支給してくれたもので防御力は核シェルター並み。グローブ(小手川)が扉を押さえてくれてるだろうけどオートロックもあるから安心だよ!

いやぁそろそろリフォームして鮫の養殖場にしようと思ってたから丁度良かったなぁ!」


「おっ、応……それなら安心、なのか……?」


 クロのマシンガントークに若干困惑しつつも真也はあることに気付く。

そういえばこの作戦はニャーが研究所から脱走した経緯にとても似ているということ。

この上ない意趣返しを以て相手のトラウマを容赦なく抉っていくスタイルは一周回って流石と言うべきか。



 いずれにせよクロの思惑通り作戦は成功した。

小手川が黒焦げの部屋から瀕死になったドヴラ―トフと、対照的に元気そうなニャーを回収し襲撃事件は幕を閉じた。




「────とまぁ報告はこんな感じなんですが、いかがです天堂の姉貴?」


ドヴラ―トフを護送車に引き渡した後、真也は職員室に足を運んでいた。


「先生と呼んでください先生と! それにしても……何というか、相変わらずのハードライフですね有片君は……」


彼に哀れみのオッドアイを向ける小柄な女性教諭。

彼女こそが異能対策委員会の総括責任者にしてオカルト研究同好会の顧問、天堂花その人であった。


「現政府が絡んでなかったのが幸いでしたね。先生も公安的にホッとしました」


真也が高速作成した始末書、報告書の束に苦笑する天堂先生。

ここで彼女はあることを思い出す。


「あ、そういえば件のニャーさんは結局入会させるんですか? クロさんが大分お気に入りの様ですけど」


「はい、その報告書の最後に契約書挟んであります。幸い人型になれるようなので、こうオカ研のマスコット! なんて、言い張ろうかと」


「まぁ小手川君が何とかなってますしね……」


「ええ、小手川いるんで……。クロには入念に言っておきます」



「…………クロさん、あの子馴染めてますか?」


「はい、寧ろ侵食するくらいには、ですけど。毎回、手ぇ焼かされてますよ」


「有片君が笑ってられるなら先生も安心出来ますね」


「はい、俺はオールウェイズ安心出来ないですけどね!」


Itafの指導者2人が心配するのも無理は無い。



 クロの能力────は存在しない。

必要としない、とでも言うべきか。


生まれながらに成人を超えた頭脳を持っていた彼、或いは彼女は未成年にして学会にその名を遺す科学者だった。

人類でも指折りの知識を有する彼に不可能など無く、あらゆる学問領域において怪物と呼ばれる存在。


そんなクロの人生において最大の罪を挙げるならば、それは人の領域を自ら超えてしまったことにある。


人間の頭脳に限界を感じた彼はとある実験を敢行する。

各国の研究機関から多様な賢人及びイノベーター達の脳細胞を買い取り、それらを培養した後────────自らの脳に添加したのである。


この狂気に満ちた実験によって、クロは学会からの追放と引き換えに文字通り人知を超えたIQとその副作用、精神成長の喪失を得たのだった。


以来徹底的な快楽主義に堕ちた彼が何故通えもしない汐ノ目学園に、Itafという魔境に押し付けられたのか。

本人以外に理由を知る者は極めて少ない。




「…………案外、良いコンビかもしれませんね」


「あねッ───天堂先生、それはどういう?」


「『青菜に塩』じゃないですけれど、あの子の気性をなだめてくれるような、そんな気がするんです。子供っていうのは親の鏡ですからね」


「先生、それ魔鏡です」


その決断が吉と出るか凶と出るか、或いは大凶となり得るか。

それだけはクロであっても知る由の無い事柄である。



 公安警察の護送車に乗せられる直前、満身創痍のドヴラ―トフを訪ねる者がいた。


「そこの君、すまないが────名前を教えてはくれまいか?」


やけに親しげなその態度に、ただでさえプライドに傷を負わされたドヴラ―トフが冷静でいられるはずもなく、


「貴様も我輩を、我が祖国を愚弄するか黄色い猿風情めが!!」


声の主を嚙み砕こうとするも既に怪力は消え失せ拘束帯に阻まれる。

行き場を失った感情はとどまることを知らず、余計に荒れ狂う他無い。


しかし次の瞬間、ドヴラ―トフは返ってきた言葉に耳を疑った。



「ああ、久々に思い出したぞ! そうそう君は────────ハハ、君もあの頃と変わらないらしい。流石『血霧のドヴラ―トフ(Туман из крови Dovuratofu)』、蛮族殺しの将軍様だ」



「!!?────────お前、Vechenuiか?」


目を見開くドヴラ―トフに声の主は言葉を嚙み締めるようにして並べていく。


「……そうか、それこそが私の名なのだね、我が友よ。この記憶が正しければ留置場など君にとって庭先の柵ほどのものだろう? その傷が癒えたなら私に会いに来てはくれまいか? 幾年が経とうと、姿形を変えようとも、私は君を待っていたのだから」



 護送車に運ばれる際にドヴラ―トフが騒ぎ立てる様なことは無く、口元に薄い笑みを携えたまま荷台へと積まれていった。


走り行く車を見据える者もまた同様に微笑みを浮かべていた。

自らのものと思しき名を小さく口ずさみながら。



それは邪悪が動き出した瞬間であった。




可能であれば第一章最終話まで毎日19時の投稿を予定しております。話数が飛んでいたり変化する場合もありますので何卒ご了承ください。_(-_-;)_

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