第18話:しましまエブリデイ④
「──────もう逃げられないぞ!!!」
八郎は頭から急激に血の気が引いていくのを感じた。
部屋の奥から聞こえる不審なバタバタという音を聞きながら、ひたすら家の持ち主に出くわしたくないと願った。
何せ彼がこれまで目にしてきた不気味な品々を全て収集した人物である。
一般人どころか人間かすらも怪しい──────まさに“怪物”。
捕まれば最後、恐ろしい物事に巻き込まれることは明白だった。
時計において僅か5秒……八郎の体感にして5分が経過した頃。
部屋にいる“化け物”が何かを殴り壊す音と、先程の声の主による叫び声が重なる。
彼の耳に飛び込んできたのは──────
「お前が悪名高い変態、クァンミョン委員長のひぃひぃひぃ………孫だな!!! 見つけたからには俺が倒してやる!!!」
(え!? 見つけたのは僕じゃなかったの!?)
部屋から某国の元指導者の名前と予想外の台詞が聞こえてきた。
自らの死をも覚悟していただけに、八郎は思わずよろけてしまう。
八郎が胸を撫で下ろしている頃、明かりのついた部屋にて。
病的な顔つきの人物がデスクチェアに座りながら大暴れしていた。
彼、或いは彼女の名はクロ。
かつて学会を追放された鬼才であり、異能対策委員会に所属する客員研究員である。
そんなクロは侵入者を発見するどころか、いつにも増して散らかった自室で寝落ちし微睡の中で激闘を繰り広げている真っ最中……。
先程の叫び声も彼、或いは彼女の寝言であった。
「ほらクロ!! あんた寝るなら布団で寝なさい!!」
ヒグマのロレッタがそれを上回る大声量で絶叫する。
とある事件以降、クロと同居していた彼女はすっかり保護者の様なポジションに納まっていた。
耳元での咆哮に流石のクロも起きざるを得ず、
「うるさいなぁ……寝落ちしてたんだよ俺は! 俺に布団で寝る余裕なんかあるわけない。ロレッタ、あの国からクァンミョン委員長が来たの覚えてる? あと、奴の遺伝子を解析した結果も」
「ああ、あのダサい白髪男だろう? そういや言ってたね、次の時代に生まれてくるそいつの子孫が一段とヤバい野郎なんだってね?」
「そんで、最悪の場合この世は滅びる!! 確実にな」
ロレッタはクロの周囲に散らかった物の数々をざっと見渡した。
叩き壊された試験管の束、掛け布団代わりにされている遺伝子実験の資料、サンドバッグとして使われている委員長の等身大縫いぐるみ(クロ手製)、etc.……。
それらから導き出される結論はただ1つ。
「クロ……あんたまさか、数億年後の化け物を止める方法を寝ないで模索してんのかい……?」
「そうだよ。こんな俺だって少しは良いことがしたいと思ってる。奴が捕まっても、あの国が民主主義国家になっても、俺はちっとも穏やかにはなれないんだよ」
下がりそうになる瞼を無理矢理見開き、クロは壁の方を指差す。
コルクボードに貼られた半島の地図は大量の×に埋め尽くされていた。
「戦いが終わった後、色々気になってさ。あの国の臨時政府に『昔の資料を紙の一枚も捨てるなよ!!』って書状を送ったんだ。そのうえで俺は王族関連の大規模な調査を開始した。
独裁国家が民主主義になると、それ以前の資料が大量破棄されるって事例はありがちだからね……そういうのはとにかくスピードが命なんだ」
うつらうつら、遠退く意識を手繰り寄せる。
「調査の結果、奴は俺達が生まれる前からより凶悪な子孫を作ろうとしてたらしく……民間人を被検体にしたり、時には自分の遺伝子を裏ルートに回したりしてたらしい。日本や欧州で出回っているらしくてさ。これは認めたくもないし、滅茶苦茶残念な話だけど、この俺が奴由来の遺伝子を受けている可能性も否めないね……」
クロは青白い顔で一枚の検査結果をロレッタに突きつける。
例の戦闘の最中、クロは自身の髪型や肌の色がクァンミョン委員長と共通していることに気付いていた。
自身の髪も検査にかけた結果、彼、或いは彼女もまたよく似た遺伝子配列を持っている事が発覚したのだ。
つむじの位置、眉の形状と口元、そして何より純白の肌がその事実を物語る。
混入したタイミングは、恐らくはクロが生まれた時か、或いは常人を辞めた時だろう。
前者にこそ心当たりは無いが、後者は脳機能を拡張すべく移植した数多の賢人由来の細胞、その1つに紛れ込んでいた可能性が考えられた。
「クロ、例え奴と共通点があろうがあんたに、生まれてくる命に罪は無いんだよ……」
クロの胸中を察しロレッタは彼、或いは彼女の肩に手を置いた。
しかし──────
「違う違う、俺が憂いている理由はそこじゃない!! ジェノサイド作戦を決行すると北半球がまず確実に死んで、俺も死ぬことになるんだよ! 恐ろしいったらありゃしないっしょ!?」
「はぁ!? あんた何を馬鹿なこと言ってんだい!? とにかくさっさと寝るんだ!! 頭のネジ外れたあんたがバカやらかす前に!!」
「お前こそ何言ってんだよ、正義の断罪者に寝る暇なんか……」
「いいから寝ろっ!!!」
部屋に響くバキッという音。
300kgはあろうヒグマの右ストレートを顔面に食らったクロは(物理的に)寝かされ、ロレッタに布団をかけられた。
廊下に立ち尽くす八郎には、明かりのついた部屋にいる者の正体を見に行く余裕も勇気も無い。実際見ない方が良いであろう類のやり取りを知る由も無い。
部屋からの会話の内容がほとんど耳に入ってこなかった彼は、辺りが静かになった頃を見計らい再び歩みを進めた。
直後に聞こえてきたのは、先程の「寝なさい」と言っていた人物があからさまな児童書を読んでいる声のみ。
「うさぎのうーたんシリーズ⑤ うーたん サッカーをする……」
(本当に何なのこの家……)
訳が分からなくなってきた八郎は、何とか正気を保ちながら目的の部屋に向かう。
その間も後ろから読み聞かせの声が背を撫で不安を煽る。
「はくねつしたしあいに かんめいをうけたうーたんは よくじつ、ほいくえんでみんなにていあんしました。 『きょうはみんなでサッカーしようよ!』『わあ、おもしろそうだね!』『ねこにゃんもまぜてよ、ポジションはリベロがいいにゃあ』………」
相変わらず暗い廊下まで響き渡るカオスな読み聞かせ……。
我に返った八郎は再確認の後、最後の収集品である“珍獣”を探すことにした。
最後の品は遺伝子操作によって生まれた生物らしく急激な環境変化に弱いとのこと。
今回は大事をとると共に証拠品として体細胞を回収、後日法的手続きを行い押収する予定だという。
果たして、在る筈の無い生命を作り出すこと、それを物品と扱うとは如何なものか?
人間の都合に振り回される命を自身の境遇と重ねながらも八郎は前へ前へと進んで行く。
(ええと……廊下の突き当りの左だっけ……)
八郎は少し歩いた先に『ニャーちゃん』と書かれたパステルピンクの扉を見つけ入室を果たしていた。
(お邪魔しまーす……ってあれ? 本当にここだっけ……?)
八郎が驚くのも無理はない。
そこにはクレ○ーズでしか売っていない目がキラキラするぬいぐるみや、シル○ニアファミリーの家など、女児向けの玩具に溢れた夢のような空間が広がっていたのだ。
(珍獣が寝ている部屋なんだよね……? ずいぶん女子っぽい部屋だけど……)
改めて室内を見渡す八郎。
スワロフスキーが埋め込まれた天井と壁はモールとリボンで装飾され、カラフルな机と椅子にはヘリウム入りの風船がくくりつけられている。
クリスマスとイースターが同時にやって来たとしてもこれ程豪奢にはならないだろう。
(まっ、まぶしい!! 光の反射だけでも目がやられちゃうよ……)
精神に次いで目をやられそうになった八郎は比較的光量の少ない部屋の奥へ退避する。天蓋付きベッドが置かれた辺りは消灯され文字通り帳が下りた様だった。
(……あれ? 何か聞こえるような──────)
身を屈めようやく落ち着いたその時、八郎はベッドの上から微かな音が聞こえることに気付く。
それが小さな寝息と分かるのに時間はかからなかった。
(か、かわいいっ!!! スクイーズが寝息立てて寝てる!!! 家に連れて帰りたい、けど……)
堆く積まれたぬいぐるみを布団代わりにしてその生き物はスヤスヤと眠っていた。
雪の様に白く、潰れた球状の体。
小豆に見えた2つの点が閉じた目だと気付く。
なるほど珍獣に違いないと八郎は見惚れていた。
ユニコーンの縫いぐるみをどかし不思議な生き物の頭を触ってみる。
(わーー、やわらかーーい!!)
もちもちとした感触を楽しむ八郎は暫くして大事なことを思い出した。
(………あっ、そうだった。必要なのはこの子の細胞だった……嗣音はたしか、“銃弾も針も通さない究極生命体”って言ってたっけ。でもさっき僕が触っちゃったし……僕が触ってない場所を選んでガムテでベリッてやるしかないよなあ……)
流石に生きた動物に例のメモリを使うのは気が引けた。
八郎は嗣音から貰ったガムテープを取り出し、生物の寝顔に強力なガムテープの切れ端をべったりと貼り付ける。
「……もごもご……」
(銃弾も針も通さない身体なら、ガムテでベリッてやっても痛くないでしょ。うん、間違いない……)
自分自身に頷いた八郎はガムテープを一気に引きはがした。
ベリッ!!
(……お、終わった!! あとは嗣音のところに全部の材料を……)
八郎が退散しようとした次の瞬間、
「ふえーーーーーん!!! いたいおーーー!!!」
(あ”っ……)
想定外のことだった。
究極の生命体、そう銘打たれた存在が大粒の涙をこぼし泣いている。
「がは、っ……!!」
瞬間、八郎は背中が急に重くなったのを感じ倒れこんだ。
罪悪感故か、一気に緊張が解けた為か。
悪化の一途を辿り続けた謎の倦怠感はピークを迎え、八郎に襲い掛かる。
立てなくなるほどの脱力に耐えながら、化け物に命を奪われたくないが一心で彼は物陰に身体を収めた。
「饅頭ッ!! 無事か!?」
何者か───恐らくはあの“化け物”が声を荒げている。
八郎はベッドの下で、黒装束に身を纏った誰かが部屋に入ってくるのを見た。
(桐張さん……? どうしてここに!? 僕に家への侵入を依頼する理由は!? 自分で自分のことを化け物呼ばわりするってどういうこと!?)
「どうしたんだい、急に大声出されたらびびるだろうが」
嗣音らしき人のあとに続いてやってきたのはなんと喋るヒグマである。
(え!? もう片方の人の正体はヒグマだったの!? 美女と野獣的な何かか!?)
もはや“化け物”候補が多すぎて家の主が誰なのか分からなくなってきた。
ベッドの上からは先程泣かせてしまった生き物の声が聞こえる。
「ベッドの下から怪物がでてきて、顔をベリベリッてされたんだお!!」
「それ、アメリカ発祥の作り話だから! そんなアメリカの化け物が日本の、しかもこんな一般的でつまんない民家に入ってくる可能性はゼロだね!!」
それを聞いた嗣音らしき人物はいきなり否定を入れた。
彼にしてはやけにトーンの高い声だ。もしかするとこの黒い人は別の誰かなのではないかと思いつつ、八郎は彼らが立ち去ることをひたすら願う。
(そうだよ……その通りだよ……作り話なんだからさっさと帰って……!!)
「でも……ストーカーが留守中に忍び込んでベッドの下に身を潜めてたって事件は実在するわよ?」
(ああっ、あのクマ余計なひと言を!!)
「言えてるな、ロレッタ」
「調べる価値はあるわね……さがってなニャーちゃん!!」
趣味の悪い広告が映ったスマホからヒグマが炎を生成し発射する。
ベッドの下で八郎は突如現れた熱の塊がこちらに向かってくるのを確認した。
(や、やばい……超常的ななにかのせいで殺される!!)
キュドーーーン!!!!!
起爆性の火の玉によって天蓋付きのベッドは木端微塵に砕け散って大炎上──────炭化した骨組みが姿を現す。
「世の中が不穏になると、人間らの怒りを買う広告が余るほど出てくる……その中のひとつ、“動画サイトの美容系漫画広告”をありがたく使わせてもらったよ」
「ふえーーーん!! そこまですることないのにーーっ!!」
さらに大泣きする生き物をよそに、ヒグマが燃える木片と灰の山を搔き分けていく。
(やばい、見つかっちゃう……)
積み上がった残骸がたちまち崩され、ベッドの下に隠れていた者の全貌が明らかになる。
その途端──────
「ねこちゃんだー!! ベッドの下にねこちゃんがいたーーっ!!!」
(──────え……?)
理解に苦しむ状況だった。八郎と目が合うや否や白い生き物が泣くのを止め喜んでいる。
おまけに自分を見て猫だと言っている。
「ロレッタ……お前下手すりゃこの猫ウェルダンにされてたぞ?」
「ごめんな、あたいが悪かったよ猫ちゃん」
白い生き物のみならず、黒ずくめの、少なくとも嗣音ではない性別不詳の誰かと、その人にロレッタと呼ばれたヒグマまでもが八郎を指差して猫と呼ぶ。
ふざけるのもいい加減にしてほしいと思った。
「あの犬だけじゃなくて、お前らまでそんなこと言うのかあ!! 僕は人間だーっ!!」
「ねこちゃんが鳴いたお!! かわいいー!」
「しかし、だ。この猫は一体どうやってこの家に入ったんだ? 外にはエクストリームセコムがあるっていうのに……」
状況こそ飲み込めない八郎だったが窮地に立たされていることだけははっきりと分かる。
どの道見付かった以上長居は出来ない。
相手の視線が数瞬、移ろった隙を見計らい八郎は窓へ向け走り出した。
両手足をフルに使う為USBメモリとガムテープを口に咥え窓枠に飛び移る。
「待て!! どこへ行くんだ!!」
「ねこちゃーん! そっちにいっちゃダメー!」
背後からの制止を気にも留めず八郎は眼下の庭へ飛び降りる。
過剰な防犯設備の心配もあったが、それらが発動することはなく、路地の暗がりへと逃げ果せることが出来た。
予期せぬ事態に見舞われはしたもののノルマは達成している。
焦燥と安堵が入り混じる中、八郎は夜の街を一心不乱に駆けていった。
「ふえーーーん! ねこちゃん落ちちゃったおーっ!!」
「安心しなお嬢ちゃん。この程度の高さならちゃんと足から着地出来るだろうから。ほら、早く寝るよ。クロ、あんたもいい加減に……クロ? どうしたんだい?」
「…………」
◇
「──────申し訳ないけれど、君はもう用済みだ」
そして、時間軸は冒頭へと戻る。
真夜中の路地に放られた言葉は冷酷さに塗れたものだった。
嗣音が見下ろす先には衰弱した猫が一匹、コンクリートの床に倒れ伏していた。
「別に君が悪いってワケじゃないよ。ただ、生まれてきた事自体が間違いだったってだけでさ?」
「そんな……酷いよ桐張さん、僕あんなに頑張って材料を集めてきたのに……」
猫が鳴いている。
悲しげな声色が1つ2つ、夜闇へと消えていく。
「……ひょっとして君、まだ人間の言葉を喋っているつもりなのかい? だとしたら哀れというか、滑稽というか……」
その猫──────御縞八郎だった彼はようやく自身の身に起きた出来事を察していた。
恐る恐る両手を見る。
そこには青い毛に覆われた前足と黒い肉球があった。
彼の体を襲った倦怠感。その正体は人間としての体を維持しきれなくなる予兆だったのだ。
「まぁ品物を揃えてくれた点は評価するよ。能力を持つ身でどうやってあの保管庫を突破したかは分からないけれど、お陰で万全に実験を始められる」
(実験? AIを作るんじゃなくて……?)
「ただ、それでも君は悪だ。目の前で化けの皮を剥されちゃ許す理由も無いよね? だったら死の間際も、死んでからも、苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで──────償ってもらわなきゃ? さようなら、可哀そうな後輩君?」
嗣音は懐から取り出した試験管を足元の猫目掛けぶつけようとする。
しかし、
「あんたの相手は──────あたいだッ!!」
突如として現れた球状の炎。
夜闇を切り裂いて進む一撃は一直線に嗣音へと殺到する。
「ッ!?」
咄嗟に炎に向け試験管を振るう嗣音。
火球は彼の放った黒い霧によって相殺──────されることなく、強烈な光量を伴ったまま着弾した。
「ッ──────これは驚いた……最近は動物ですら能力を持つのかい? やはり汐ノ目は特段狂っているらしいね?」
上着に着いた煤を払いながらも嗣音は路地の先を見据える。
その視線の先、街灯に照らされた路上には2m近い羆が1匹、小さなスマホを掲げたまま直立していた。
「あん? 狂ってんのはどっちだよ虐待野郎!? あたいはねぇ、あんたみたいな人間が一番嫌いなのさ!!」
「へぇ、喋れもするんだ? というか、それにしても色々気になるなぁ? 君が使った技、それが能力なら粒子諸共無効化出来たはずなんだけど……ひょっとして『熱の生成』までが効果の範疇なのかな?」
未知の敵に対し探りを入れる嗣音だったが、
「粒子? 生憎、あたいの【百火繚乱】が使うのは“炎上エネルギー”さ!」
この時点で彼は相手が能力者の中でも厄介な部類──────言うなれば“ネタキャラ”であることを確信していた。
込み上げるその感覚は不吉な予感か、或いは吐き気か。
調子が狂いそうになる嗣音とは対照的に、ロレッタはいつにも増して咆え猛る。
「さぁ覚悟しな桐張嗣音!! 上着に耐火性でもあったようだけど、この“FPSの煽り実況”のエネルギーはそれを優に貫通する!!」
次なる火球が放たれる。
その一方で、嗣音は漠然とした違和感を覚えていた。
──────この熊、何故僕の名前を知っている……?
次の瞬間には、青年はある可能性へと行き着いていた。
「──────Itafかッ!!」
叫ぶと同時、焦げた黒衣を翻し傍らへと着地する。
嗣音が元居た場所ではロレッタの火球と後方から飛翔した弾丸が衝突、アスファルトに鉛色の雫が滴っていた。
「久しぶりだなぁ桐張? 相変わらず俺のファッションを真似してるようだな?」
「クロ……その台詞、そっくりそのまま返すよ」
拳銃を構えたクロを一瞥し嗣音は顔をしかめる。
黒と黒。狂人と狂人。
かつてItafの技術部門にて覇権を争った2人が再び相対した瞬間であった。
互いの狂気と殺意の籠った眼差しが交錯する中、嗣音は即座に跳ね起きクロへ向け疾駆する。
上着の内からナイフを取り出し、銃口を注視することで弾丸の軌道を掻い潜っていく。
数瞬の内に嗣音はクロに近接していた。
「何故ここが分かったッ!?」
音を切って振り下ろされる刃。
クロは寸前で拳銃からワイヤーを射出しこれを躱す。
ついでに袖口に忍ばせておいた爆竹を撒き空中で距離を取る。
この手の近接戦で自身に勝ち目が無いことは重々理解していた。
「そこの猫にノミ型の発信器を付けておいた! 盗聴機能もあるからお前が何か企んでるってことも筒抜けだぜ!」
嗣音の頭上を飛び越えたクロは着地と共に衰弱した猫を抱きかかえる。
容態を確かめようとする彼、或いは彼女の耳には敵の嘲笑が響いていた。
「見張りを配置しておいたはずだけど? 僕の知る限り、君って戦闘能力ゼロだよねぇ? そこの熊だけで突破出来るとも思えないんだけど」
「俺が1人と1頭だけで来ると思うか? お前さっき自分で言ってたよな、“伏兵”って」
「ふむ……やはり質ではItafに劣るか……まぁいいや、既に目的のUSBは手に入ったからね。後は任せたよ、エミリア?」
嗣音が路地の暗がりへ溶け込むと同時、立ち替わるようにして1人の少女が月明かりの下に歩み出る。
夜風に靡く金髪、碧眼には憂いの色が差す。
「ええ……好きにやらせてもらうわ……」
小さな口が開き、獣が如き牙が垣間見える。
本当の意味での“怪物”がそこに立っていた。
◇
防戦一方であった。
嗣音がその場を離れてから3分余り、少女は一歩も動くことなく、代わりにクロ目掛け矢継ぎ早に火炎や毒の霧を放っていた。
いずれもがロレッタの【百火繚乱】によって相殺出来る程度の威力だったが、逆に言えば迎撃以外の行動を封じられたに等しく、策を巡らせ相手の虚を突くクロにとっては痛手でしかない。
急いで家を飛び出した為装備は必要最小限。
戦力の大半は現状ロレッタの火力に依存している。
前以て呼んでおいた増援も深夜ということもあり少数、負けることは無いにせよ今すぐ合流出来る見込みも無い。
このまま経戦すればクロ達の勝ち目は薄いと見られた。
「さてと…………」
一頻り周囲を見渡したクロ。
彼、或いは彼女が最初に取った一手は、
「エミリアだったっけ? そろそろ終わりでいいっしょ?」
『停戦』であった。
唐突な事ながらもクロを一瞥したエミリアは攻撃の手を止める。
両腕に浮き出ていた鱗を松笠の様に閉じ、白亜の素肌を覗かせた。
「あら……察しが良いのね?」
「ああ、これまでに毎日のように能力者達を見てきたからな。相手の攻撃パターンを見れば大体の実力が分かってしまう。お前が“手抜きをしている”ってこともな」
それに────得意げな顔でクロは続けた。
「Irialにいる能力者は“訳アリ”って事前に知っていたし、その様子だと能力者であることを隠しているんじゃないか? 直接攻撃してこなかったのも“大きな音で大規模な技が使えることを桐張に悟られない為”! 民家も近いし、証拠は残りやすいだろうからな」
「大体正解ね……お望み通りもう帰るわ。“任せられた”し、“好きにやる”って言っといたし……」
そう言い残してエミリアは薄暗い路地へと消えていった。
負けず嫌いなクロにとって歯痒い判断ではあったが、その場で導き出せる最適解であることに違い無かった。
「そんな顔するんじゃないよクロ。ほら、最初の目的は果たせただろう?」
黒い上着にくるまれた猫を覗き込むロレッタ。
青い毛並みはすっかり汚れてしまっていたが幸い気絶だけで済んだようだった。
「桐張の奴、次会ったら原子炉建屋に突っ込んでやる……」
しかめた顔を朝陽に照らしながらクロは仲間達と合流すべく踵を返すのだった。
To be continued…
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