第16話:しましまエブリデイ②
本日は都合により若干早めに投稿させていただきました。ご了承くださいませ…。
問1:アデノシン三リン酸13gの物質量を求めよ。
問2:マイトトキシンの構造式を書け。
「問1、13÷507.18≒0.0256mol。問2は……」
ホワイトボードに書き連ねられた32の環。
ヤスデの様な構造式に誰もが圧倒される中、スマホを取り出した生徒が一言、
「合ってるよ……!」
と呟く。
直後、教室が歓声に包まれたことは言うまでもない。
◇
グラウンドに銃声が反響する。
かっこいい所を皆に見せたい一心で青年は他の走者を次から次へと走りぬき、瞬きより早くゴールしていた。
「あー、終わったあ!! ねえ皆、僕の勇姿ちゃんと見てくれた?」
振り向いた彼の眼に呆然と立ち尽くすクラスメイト達の姿が映る。
「八郎の只今の記録……ひ、"100メートル"……7.5秒……?」
保健体育の先生が小さく呟き、以降その沈黙を破る者はいなくなった。
◇
「ほら、あの子……」
「2組の御縞だっけ? 化学の先生が嫌ってたの」
「ねぇねぇ、知ってる? 八郎って東京拘置所から脱走してきたらしいよ……」
「なるほどなー。道理で世間知らずだと思ったわ!」
「うわー、囚人と一緒の教室とか怖ええ!」
陰口から逃げるようにして、ハム改め御縞八郎は廊下を早足で歩いていた。
人間の肉体を手に入れてからというもの、八郎は入学するや否やその頭角を現してきた。
元猫でありながら学問に滅法強い彼は入学当初こそ”少し変わったところのある優等生”と周囲から認識されていた。
もっとも、彼自身としては放送大学で見た内容のアウトプットにしか過ぎないのだが。
しかし異端者は時折人々とすれ違い、あるいは衝突することもある。
学力、身体能力共に人間離れした八郎は化学の先生を初めとする大人達から気味悪がられ、クラスメイトとの関係も徐々に破綻していった。
取り繕おうと会話をしようにも出せる話題はニュースで見たトレンドばかり。
学内のブームはおろか個人の好みにすら合わせることが出来ないでいた。
それもその筈、常軌を逸した勉学の才能を持ってはいるが逆を言えばそれ以外が壊滅的にできない八郎。
テレビで見た世界とは違う現実に戸惑う日々が続いていた。
「こんなはずじゃなかったんだけどにゃぁ……」
100m走の時点から薄々予感はしていたが立たされた現状は理想からは程遠い。
悲運をぼやきながらも人気の無い教室のドアに手を掛ける。
ガラガラガッシャ───ン!!
次の瞬間、八郎の頭目掛けペンキの缶が落ちてきた。
視界が赤に染まり、背後で誰かの笑い声が遠ざかっていく。
上半身までペンキ塗れにされた八郎。
老夫婦に買ってもらった鞄も悲惨なまでに汚れてしまっていた……。
「あーあー…」
ぼんやり見上げた天井はいつもより暗く、遠くに感じられた。
怒りや憎しみといった感情は思ったよりも感じられない。
ただ、自分はまた取り残されてしまったのだという漠然とした悲しみが小さな胸の内で渦巻いていた。
◇
「──────やぁ、何かあったのかい?」
その日の夕暮れ、放課後の出来事は八郎の人生において大きな転機となった。
きっかけは彼が路地裏から掛けられた声に端を発する。
「うわっ!? びっくりしたぁ……!」
振り返った直後、盛大に腰を抜かす八郎。
拡がった黒目には夕闇から浮き出た様な人影がくっきりと映っていた。
「おっと失礼、落ち込んで見えたものでね。お節介だったかな?」
夕陽の下へ歩み出たその人物は漆黒の外套を靡かせ、顔には穏やかな笑みを携えている。
困惑する八郎に、彼は『風紀委員』と名乗った。
◇
「──────僕を風紀委員に!? 良いんですかそんな……」
桐張嗣音と名乗る青年に促されるまま、八郎は長らく抱えていた悩みや不安を打ち明けていた。
その間嗣音は静かに相づちを打ち、時折同情や労いの声を掛けていた。
そして一通り話が終わった頃、八郎は嗣音から思いがけない提案を受ける。
「ああ、寧ろ頼むよ。恥ずかしい話、言う事を聞いてくれる委員が少なくてね。このままじゃ業務に支障をきたしかねないんだ。それに……」
八郎に向けられた眼差しは悲哀や憐憫とも違う、期待と確信に満ち溢れていた。
「……君の気持ちは痛いほどよく分かる。僕もギフテッドの人間だからね……もし君が孤独を感じるというのなら僕が友になろう。どうかこの手を取ってくれないかい?」
断る理由を、この時の八郎は持ち合わせていなかった。
◇
「また一般人を巻き込む気か君は!?」
数日前の事、Irialが拠点としていた廃屋にて。
静寂を破った皆方に対しやはり嗣音が動じることはなかった。
「相変わらず早とちりが多いね君は。僕がいつ民間人と関わったっていうんだい?」
「私が言いたいのは今し方君の語った『実験』とやらの段取りについてだ! 真機那勇一の件といい、我々本来の理念から逸脱しているのではないかね!?」
「言っただろう、【経典】の適正がある時点で能力者としての資質があると。これは夜弥の解析結果からも明らかなことだ。今回だってそう──────」
嗣音は机上の書類に置かれた一枚の写真を指し示す。
「──────御縞八郎、汐ノ目学園高等部1年2組所属。彼は能力者の疑いがある。『100mを7秒台で走った生徒がいる』という噂を聞いてね。もしそれが本当なら、野放しには出来ないだろう?」
「確かめて……もし違ったらどうするつもりだ……?」
「別に? あんな所に行くんだし、まぁ捕まるくらいじゃない?」
「巻き込んでいるじゃないか! Irialが為すべきは──────」
「『能力者の根絶』だろう? それに僕は『捕まるくらい』と言ったんだ、『危害を加える』とは言っていないよねぇ? あとそもそもを言うのならIrial自体も『任意で集まった非能力者の団体』だ。本人に協力の意思があれば同士として迎え入れるのは至極当然なこと、それを否定すると言うのであれば君こそ反体制的と言わざるを得ないのだけれど、どうなんだい容疑者クン? ハイ反論タイムまで5、4、3、2、1……!!」
嗣音の捲し立てる様な口調を前にして、皆方はそれ以上の言の葉を漏らすことが出来なかった。
「……すまない、少々昂ってしまったようだ……とにかくこの計画は進めさせてもらうよ」
狂気と狡知を持ち合わせながらも理性を以て組織を率いるカリスマ。
そんな彼が発案した実験は1人の元猫によって始まろうとしていた。
To be continued...
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