過去編:前日譚/異闇の相克
復活して早々過去編です。お楽しみいただければ幸いですm(__)m
「─────それで? 用件は?」
燻った憤りを隠そうともせず人気の無い教室の暗がりに声を投げつける、そんな真也の姿があった。
今は亡き先代に代わり彼が異能対策委員会の会長となってから早1ヶ月。
『七不思議』という名の異常、或いは超常を単独で捜査していた彼にとって、こうしてアポイントメントすらも無しに呼び出されるという行為は不快要因でしかない。
しかし、それだけで彼がこうもあからさまに感情を漏らす事は無い。
「そのまま黙りこくってんなら帰ってもいいか? 生憎と、小手川を待たせている」
真也の刃先の様な視線が夕闇に揺れた人影を貫く。彼の殺気に炙り出されたのか、勿体ぶるのも飽きたのか。西日の下へ歩み出たその人物は、春の訪れも知らぬ様な黒のロングコートを揺らし、微笑を手土産にようやく口を開いた。
「まぁまぁ、今日ぐらい良いだろう有片君? 君だって働き詰めなんだろう?」
「そりゃあ、なんたって会長だからな。ここで足踏みするつもりは無いとも」
「それは────仲間より後に死にたくないから、かな? 先代みたいに」
「…………」
終始嘲笑う様な口振りで、真也の顔を覗き込むこの男──────桐張嗣音
この男の存在を、真也は是が非でも警戒せずにはいられなかった。
というのも、ここ一ヶ月Itafの議題に『七不思議』の名が上がることは無く、代わりに飛び交ったのは『会長』という役職の名のみ。新たに会長となった真也に対し、彼を是としない勢力が現れた為である。
それだけに止まらず、連日に渡って実働班、調査班問わず死傷者が報告されるようになる。真也自身も既に3回ばかりの交戦と二度の重症を経ており、会長の座を巡る内部抗争が浮き彫りになっていた。
そして何よりの問題は、件の反対勢力────その筆頭こそが調査班のメカニック代表、この桐張嗣音という男であること。その一言に尽いた。
「…………それで? 有給を消化しろ、なんて話じゃないんだろ?」
「ハハ。せっかちなのは能力だけにすべきだろうに……」
渇いた笑いも束の間、嗣音はコートのポケットへと手を伸ばす。反射的に身構えた真也の足元に投げ捨てられたそれらは複数枚の写真。いずれもが生々しい傷痕や痣の数々、形容し難き惨状を写していた。
「有片君? 確かにここ最近の君の活動、特に検挙率は目覚ましいものだ。僕の仲間も大いに妬んでいたよ。けれどその実は? この通り、余りにも加虐!! 凄惨を極めているとしか言いようがないんだよ!」
「そうだな。で、本題は?」
「…………会長職を辞退願いたい。君に自覚は無いだろうけど、君は狂っている。何故この少年は自由を失わねばならなかった?」
「『触れた相手を任意で殺害する能力』だったからな」
「何故この少女は光を失わなければいけなかった!?」
「『視界に存在する生物を任意で即死させる能力』だったからな」
「何故この男は獄中で舌を────」
「まだ折れるだけの人心があった、ってことだろ?」
事実として、この時点での有片真也は狂人に違いなかった。
『時を止める能力者』との戦い────実働班の壊滅を経た彼は本気で裏社会に対する抑止力になろうとしていた。
殺人とまではいかないものの手段の一切を選ばず、その所為で事情聴取も出来なくなった凶悪犯がいる、などという噂すら流される始末。
彼が人並みの感性を取り戻すのは、この後に小手川や桃井、クロといった仲間に諭されてからである。
いずれにせよ確かなことは2つ。今の彼を理解しきれず、反対派に回る者が少なからずいること。そして、これを機に組織の分断を狙う勢力がいるということ。
「まだ解らないのかい!? 皆が君に怯えている! 君を支持している子達だって、逆らえば裏で粛清されてしまう、そんな理由で縮こまっているだけじゃないのか!?」
声を荒げる嗣音に対し、真也は眉間にしわを寄せ尚も直立不動を貫いていた。
この件に関して、今の彼に反論の余地はほとんど無かった。数日前に新しいメンバー、小手川に注意された通り、この類の文句を言われることは明らかだ。
そしてこの動乱に付け込まれ、思わぬ一撃を貰う羽目になる。何もかも、覚悟はしていた。利己の為に超常の力を振るう、まごうこと無き悪なのだと自分に言い聞かせる日々。
だからこそ、それ故に、ただ耳を傾けていた。
◇
一通りの事実を、誹謗を受けた。
しかして、嗣音の訴えに真也が首を縦に振ることはなかった。
並べられた数々の業に噓偽りは無く、それを糾弾する嗣音の態度ももっともである。
それでも真也は譲らなかったのだ。
「…………何故」
か細い声が力を失うと同時、真也は本物の怒りというものを見た。
「何故君はそうも頑ななんだ!? こんなことをしても先代は帰って来ない!! 君だって分かっているはずだ!」
話し始めに見せた嘲笑は既に無い。
有片真也という男の不動に、不気味さに、追い詰められていたのは嗣音の方だったのかもしれない。
こうなってしまえば会話は盛衰のしようも無く、ただ朽ちていくばかりだ。
「────あのさ?」
ようやく真也が能動的に発した一言に、一瞬、嗣音の顔から怒気が抜ける。
沈黙に呑まれた教室を見渡して、真也は言葉を繋ぎ始める。
「お前さ? 何か、勘違いしてないか?」
「…………は?」
「別に、俺自身会長の役に固執してるワケじゃないさね。確かに先輩方の敵討ち、みたいに思っている節はあるのかもしれない。けれど先代と天堂の姉貴から指名を受けた、それだけでも続ける理由には十分だろ?」
「なら何故!? 君は辞職しない!? 部下を怖がらせてまで続投する必要はないだろう!?」
「だってさ────────」
「────その後任、お前だろ桐張?」
◇
桐張嗣音は、本来ならばこの世界を知ることの無い、至って普通の少年であった。
そんな彼の人生、彼の在り方までもを変えたのは、とある能力者による無差別爆破事件────────そして、家族の死に他ならない。
その事件を解決し、犯人を捕縛したItafがその少年の類稀なる頭脳に目を付けるまでにそう長くはかからなかった。
以来、メカニックとして雇用された彼は様々な研究、発明を以て事件捜査のバックアップを担当することとなる。まともに使用出来る物、原理が明らかにされている物に限れば、彼の実績は後任であるクロに追随することだろう。
しかし、彼がItafの最盛期を担った人物として挙げられることはほとんど無い。
それは常日頃から目立っていた過激的、差別的発言、或いは行動に端を発する。
「Itafは偽善の骨頂だ」「能力とは在っていいものだろうか」「汐ノ目は狂っている、常にだ」
超常の力を以て両親を奪われた、そんな彼にとって能力者を善と悪に振り分けることは極めて不要と思えたのだろう。
能力者同士が目的の違いで裁き、裁かれるその様を桐張嗣音は一括してこの世界における異常と認識していた。
最早彼に善も悪も要らない。
この世界に生じた、能力という人災を一切合切排除する。その為に手段を選ぶつもりは無い。
奇しくも、その姿勢は彼にとって最も邪魔な男の為す偽善、それに一番似通っていた。
◇
「少なくとも、今ここで俺が退けばお前が会長戦に勝利する。その為に俺直属の部下、特に実働班を襲わせてたんだろ?」
「────その証拠は?」
「お前の部下が何人か、行方不明になってないか?」
「……そういうことか。けれど証言だけで天堂顧問が動くとは、到底思えないね」
「だろうな。だが少なくとも『能力者全員を排するべき』なんて輩を姉貴がこのまま容認するとも、それこそ到底思えないけどな?」
「いいや、あり得るね。例えば、選択肢がそもそも1つならッ────」
さり気なく嗣音が手を突っ込んでいたコートの内側から、カチッという音が勢い良く飛び出し──────そのまま教室の隅へと消えていく。
「……ッ!?」
「ああ、仕込んでたレーザーなら解除しといた」
「あー成程? これは一杯食わされ」
「言っとくが、多分自動小銃も機能しない。ここに来るまでに配電盤ごと壊しといたし。そも今の俺なら避けれるだろうさ」
「ふむ。これは嬉しいね? 無能力者の僕なんかにそこまで警戒してくれるなんて──────本ッ当に反吐が出る」
「そりゃどーも。で? お前のことだ、『これからノープラン』ってワケでもないんだろ? 教室前に控えさせてる奴らを特攻させるのは得策じゃあないだろうけど……」
壁越しに伝わる殺気に硬直する者、恐怖に竦む者。この場において有片真也に立ち向かおうとする者はただ1人しかいなかった。
2人の指導者が浮かべる微笑は、隠しようの無いまでの狂気を孕みながらも、ただ叢雲の様に過ぎ去る一瞬を待ち惚けていた。
嗣音は改めて教室を見渡す。何度スイッチを押してもレーザーの赤光は見えない。落とし穴は────真也が重心を下げている辺り、おそらくは看破されていることだろう。自爆という手もあるが、それでは本末転倒である。
「──────ふむ。それなら僕の負けでも構わないよ? で? 健闘空しくも殺りきれなかった僕を、君はどうするつもりかな?」
両手を挙げた嗣音に真也はゆっくりと詰め寄っていく。
一切の慢心を捨て置き、踏み出した一歩にすら力が入る。桐張嗣音とはそれ程までに油断ならない男である。
「……会則並びに会長の権限を以て、桐張嗣音、お前を拘束する。おとなしく投降願おうか」
「いやぁ有片君。それにしても君は本当に律儀だね?」
「何を急に──────」
「何せ、こういう時でもちゃんと相手の眼を見て話そうとするんだから」
真也が咄嗟に視線を下げると同時、嗣音のコートから落ちた試験管は既に破砕していた。
ロングコートの所為で落下の過程が見えなかった、それだけと断言するには疑念が残る。
これまでの一挙手一投足が全て、この瞬間の為に注がれていたとしたら。そんな可能性に思考を巡らせる暇も無く、真也は後方へと飛び退く。
「────ッ!!」
間も無く木の天板に着地した真也の視界に、鉛色の弾丸、そしてかつてないまでの嘲笑が映る。
眼前に迫る一撃を、即座に加速した左手を以て撃ち落とす。
不意に見えた冷や汗に刮目する自分が映る。
再び視線を嗣音に向ける真也だったが、次なる一射が放たれることは無く、代わりに侮蔑のこもった眼差しが彼に突き立てられていた。
「───『一体何をした?』なんて言いたげな顔だね?」
「……言ったはず。弾丸程度なら、ワケ無───」
「ん? ああ、安心してくれ有片君。もう僕の攻撃は成立してるからね?」
その一言をきっかけに、真也は不意に体に走った痛みの正体を知ることとなる。
恐る恐る日にかざした左手は比喩でも無く煮立っていた。丁度積み上がった汚泥が沸々と音を立てる様に、血色に染まった手先は皮を破って尚泡立っている。
腐敗していく左手は、沸き立つ髄液は真也の身に起こった事態をすぐさま教えてくれた。
「……なる、ほど? ここまで来ると見事なものだ」
「察しが早くて助かるよ。その通り、このウイルスこそ僕の悲願───僕が生涯を捧げるに相応しい研究さ」
◇
桐張嗣音は、明らかな狂人である。
その人生、その在り方までもが歪められた彼は、いつしかある信念を持つようになった。
「この世全ての異能を、自らの手を以て断罪する」
その言葉を実現する為ならば、汐ノ目機関から資料を盗み出すことも、一からウイルスを培養することも、実験の段階で幾人を犠牲にしようとも──────全て、全て、全てが、構わなかった。───どうでも良かった、とも言うべきか。
いずれにせよ確かなことは一つ。
彼にとっては極めて些末な紆余曲折を経て、桐張嗣音の望みは歪んだ形で実現された。
そのウイルスは───かつてないまでに脆弱である。
微弱な壊死性を持つものの短時間で死滅してしまう、生物兵器と言うには脆弱過ぎる欠陥品。
しかし、このウイルスは唯一無二の特異性を有していた。
それは、能力の根源たる第四世代粒子を吸収した際のみ活性化すること。
ありとあらゆる能力を無効化しながらも、その行使者のみを跡形無く腐敗させてしまう。
歪んだポリシーの顕現か。或いは行き先を知らない正義感か。
その仮称を【End of He】──────この世全ての超常をも根絶し得る、純粋な狂気、その具現である。
◇
「このウイルス、僕自身のDNAを基底にしていてね? つまりは、これから君を殺めるそれは紛れも無い僕の分身! 僕そのものという訳さ!! おっと、加速しないのかい? じゃなくて、出来ないんだよねぇ!? 『腐敗』も一緒に加速するから!! それに?『未元』がどれ程強力であっても能力である以上は必ず影響を受ける!! もう解っただろう!? 君はもう詰んだ───消えて失せるしか無いんだよ!!!」
「…………」
嗣音がその本性を吐き出している時も、再び銃口を向けられた時も、真也は無言のまま直立し、時折崩れ落ちていく左手だった箇所を気にしていた。
「…………本当に、最期まで、君は僕の感情を逆撫でてくるね……せめてもの足搔きと解釈させてもらうけれど──────いや、どうでもいっか」
そして、銃声が一つ、教室の隅へと消えていった。
◇
「───無事か、真也!!」
腕の能力者、小手川拳斗が件の教室へ駆けつけるまでにそう長くはかからなかった。
最近改装されたという教室に目を付けた彼は萎縮していた伏兵達をものの数秒で殴り倒し、そして現在へと至る。
硝子を破った小手川、彼の視界に飛び込んできた光景は、直立不動の有片真也であった。
足元で気絶した桐張嗣音を見下ろし、直前まで繰り広げられていたであろう死闘の余韻に身を浸している。その佇まいは剣術でいうところの残心を感じさせる。
しかし、ほんの数瞬、小手川は言葉というものを忘れていた。
彼の視界に映る真也。その両腕は、わずかばかりの骨格を残し、欠損していた。
腐敗していた、と言うのが正しいだろう。
零れ落ちた肉片は1つや2つではなく、肘から下は今も尚血を沸かし消失の一途をたどっている。
異常極まる状況に小手川が思わず怯む中、彼に気付いた真也が先に声を掛ける。
「応、小手川……ぇ、も近づかない方が、いいぜ……」
「真也……お前……」
「クロと……あと救急車……この、ウイルス、は…………」
真也の意識を繋ぎとめていた何かが立ち消え、彼もまたタイル張りの床へと倒れてしまう。
斯くして桐張嗣音は公安警察によって捕縛、彼を中心とした反真也派メンバーもまた同様に捜査対象となり、その多くには薬品による記憶処理が施された。
これを以て真也の会長就任に異を唱える者はいなくなり、後日改めて天堂顧問による使命の下、彼は異能対策委員会第13代会長に認められることとなる。
◇
あの瞬間、嗣音の放った銃弾は確かに真也の体、それも眉間に命中していた。
人間であれば間違いなく即死、しかして能力を使おうとも無駄。
そんな状況にも関わらず、真也は能力を行使することでこの局面を乗り切っていた。
──────真也の能力【絶対刹那】
嗣音はこの能力の本質を物体全般の加速と捉えていたが、実際のそれとは大きく異なる点が挙げられる。
それは「時間の流れを奪い、また与えている」という点。
自身の体表から時間を奪ってしまえば、少なくとも現実の物理法則との間に齟齬が生じる。
金属に似た甲高い音と共に弾丸を弾き、真也は痛みに耐えながらも反撃に転じる。
能力を使わず脚の脱力のみで相手との距離を詰め切り、全体重を乗せた右拳で顎を割り脳を揺らす。
無論嗣音とてItafの構成員が一角、身体能力においても上位の成績を誇る。
朦朧とした意識の中でも真也の脇腹を撃ち抜き、怯んだ顔に向けて左の拳を突き立てた。
さて、そんな嗣音の最たる敗因とは如何なるものだったのか。
その理由は──────偏に、有片真也という男の執念深さ。或いは狂気であった。
腕を腐らせ、脇腹を撃ち抜かれ、挙句顔面に指がめり込んで、それでも尚真也の攻勢が止まることは無かった。
怯む間も無く相手の重心を崩し床へと叩きつける。ウイルスすら気にも留めずに加速した右手で殴る。ついでに失った左手でも殴る。
これも後に判ることだが、傷口から露出した尺骨は意図的に研磨され、ナイフと遜色無い程に鋭利だったという。
全体重を乗せた殴打と刺突が度重なり、嗣音は出血の末に意識を失ったのだった。
何故真也は自らの死線を踏み越えていくのか、泥中が如き闘争を続けるのか。
それを知り得る者は彼自身を除いて他にいない。
◇
「────ぉん? 嗣音?」
長身の男に肩を揺すられ、桐張嗣音は現実へと意識を向ける。
「あぁ、すまない皆方。僕も疲れ気味らしい……」
虚ろな視線をアスベストの天井へと向けた時、彼はふと思い出す。
あの屈辱の日──────己の持てる全てを賭し、そしてその全てをたった一人の男に、あろうことか能力を使われた上で敗北を喫した。この世の全てを呪った、あの日。
「……チッ……時に皆方。例の話は各位に伝えたんだろうね?」
「勿論。長らく拒否していた輩も既に無い。君の望み通り、事は進んでいるが……」
「んー? どうかしたのかい?」
「本当に、やるんだな……?」
「くどいよ。これは最早僕等だけの問題じゃない。能力者という人類の仇敵を討つ、その第一歩なんだ! 藍川先生を退任させた奴らへの報いなんだ! …………ねぇ、何度も言わせないでくれるかなぁ?」
「ああ……申し訳ない……再三、私は聞きたかった。君の覚悟を、信念を」
「…………まぁ、構わないけどさ?」
復讐が始まる。
何者をも寄せ付けない増悪を以て、静かに、されど着実に日常は蝕まれていく。
彼の正義が明かされる日を目前にして。
そして、物語は再び動き始める。
本日もご一読ありがとうございました! 次回の投稿は11月6日17時頃を予定しております。
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