第0話:プロローグ
長い夢を見ていたような、そんな感覚から有片真也は我に返った。
学校の屋上、卯月の青空の下、彼は一人の少女と対峙している。
玄関先のように置かれた一組の靴と添えられた手紙が小高いコンクリートの角に立つ彼女の行く先を示していた。
「......誰?」
感情すら混じらぬ少女の問いがようやく真也に言葉を思い出させる。
「ええと、初めまして、藍川零さん?」
「ええ、そうですね。それでは」
一切の躊躇無く、零と呼ばれた少女はおもむろに、一歩。
風にさらされた指先が石灰質のヒビをなぞり、屋上の縁を掴む。
真也が今すべきこと。
それは彼女のもう片足を繫ぎ止めるだけの言葉選びだった。
「まあ待て、落ち着こうぜ?」
幾つかの説得を並べていく真也とは対照的に、零は時折顔にかかる髪を透いたりしていた。
最早彼女の脚を何が留めているのか、平穏を装う真也には解せる気がしない。
◇
「............あの」
2人が相対してから5分が経とうとしている頃、
「なぜ、あなたは自分などを生かそうとするのですか?」
透き通るような声が真也へと問いを投げていた。
恐るべきことに零の顔に卑下の色など無く、無垢な『疑問』故に問うたらしいのである。
「何故って......そりゃ命が大事だからさ」
「......時折思うのです。『それ』と『生かされていること』は違うのだと、はっきり」
───それは、苛烈な感情故とも違う。
───憐憫とも違う。
───自虐とも違う。
───ましてや、痛みを恐れないこととも違う。
――――――――――純粋な『生への疑念』
それ故に、少女は、ただ何かを確かめる為に命を絶とうとしているのではないか?
ならばそのきっかけ、トリガーと成り得るものは何か? 彼女を歪めたものは何か?
真也には少なからず心当たりがあった。
「―――――それは、君の能力に関係が?」
零の顔に初めて動揺の色が走った瞬間だった。
「......なぜ、ご存知なのですか? 人目に付く類でもないのに」
「うちの調査班は腕利きでね。プライベートなのは謝る」
興味の風向きを掴み、真也はここぞとばかりに畳み掛ける。
「けどな? もし何か『そういう類』の事情があるのなら、きっと俺達は力になれると思う。―――――――――少なくとも、君と同じ理由で悩んでた奴を俺は知っている」
◇
藍川零はその容姿に変哲の残り香すら無い、至って『普通』の似合う人間である。
それ故に彼女の人生はただ一つの異質な要素によって揺らいでしまっていた。
それに気付いたのは物心付く前、初めて携帯というものを手にしたときだった。
ひとりでに画面にタイプされた文字。
文面はあまり覚えていないが、少なからず両親が彼女を愛していないことが分かる内容だった。
以来、彼女は知りたくもないことを刷り込まれていった。
平和なクラスの不仲を知り、
いじめっ子の大半がその場のテンションで拳を振るうことを知り、
小学校の担任のDVは予め知っていた。
いつしか彼女は携帯を手放せなくなっていた。
その能力で数多の思考を掻い潜り、嫌われこそしなかったが、心は確実に擦り減っていく。
そしていつしか思ったことがある。
――――――自分は、誰かに必要とされているのだろうか?
◇
――――――なぜ、自分はそんな昔のことを思い出している?
零が我に返った時、その体は空中にあった。
つい数秒前、会話中だった彼女は突風に煽られ、頭から地面へと引かれていたのである。
徐々に遠ざかっていく屋上。その景色は今朝の彼女が思い描いた通りの様相を見せる。
やはり自分は助からない。
このままならそう割り切れていたはず。
しかし、あの走馬灯が、何より助けに来てくれたあの青年の言葉が、零に生への執着を押し付けてならない。
最早言葉も無い。
結局のところ、彼女を必要としなかったのは彼女自身だった。ただそれだけの話。
零は重力に身を任せ、そっと瞳を閉じた。
「――――――させるか!!」
その声は高らかに、零を微睡みの淵から救い上げる。
直角な外壁をも蹴り放ち、逆さまの世界を駆ける一つの影があった。
「悪い! 色々怠った!」
その一部始終に零は括目することとなる。
◇
有片真也もまた普通の人間だった。
零との違いを挙げるならば、彼は多くの出会い、そして別れと真っ向から向き合ったことである。
多くのものを失い、その都度彼は己の未熟さに気付かされてきた。
───あと一歩。人が失われるには一秒と掛からない。
だからこそ、有片真也は瞬間を生きる存在と成り果てた。
◇
―――――――――【絶対刹那】は、瞬間を掴むもの
重力加速すら超えて、真也は走る。落ちていく。
伸ばしたその手は大気をも裂き進み、零の一寸先へ。
遂には届くはずのないその身を抱き留める。
「掴まれッ!!」
それは永遠の如き一瞬。
唸る風の音。
迫りくるアスファルトの黒。
尚も力強く、真也は両脚を壁に突き立てる。
「......なぜ、こんな自分の為に......?」
零の再びの問いに、避けられぬ瞬間を見据えながらも真也は微笑んでみせた。
「率直な話な? 君が必要だからさね」
それは紛れもなく少女が欲していた言葉。一条の光に違いない。
そんな瞬間も長くは続かない。
前触れすら無く、緑色の巨影が縦横無尽に零の視界を彩っていた。
太い樹のようなそれは瞬く間に2人を包み込み、程なくして人気の無い校舎裏に降ろしたのだった。
◇
「......あの! その、助けていただきまして......?」
急転直下の出来事に零が慌てふためく最中、校舎の方から駆け寄って来る何人かの生徒の姿があった。
「先輩、大丈夫ですか!? あと豆の木で着地とか正気ですか!?」
最初に歩み寄った少年(或いは少女?)は人一倍心配そうな顔をしていた。
特筆すべきその姿は中世ヨーロッパの農民を思わせ、片手には先程の大樹に似た蔓を握っている。
「あーあー、2人共めっさ擦りむいてまんなぁ? ほな、わしが治してもええんやけど、会長はん、どないする?」
続けて現れたサイドテールの少女は車椅子に乗っていた。
「おっと、細かいのでいいのなら頼む」
真也が懐から取り出した小銭を少女は人目もはばからず数え始める。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……600円? ま、止血程度はしてやるさかい、堪忍な?」
そして、少女は徐に上体を乗り出し、真也と零が四肢に携えた傷を優しく撫でた。
すると温かな光が彼らを抱き、赤黒い血の跡を消していく。
◇
「いやぁ、こういう時こそボクの能力だと思うけどなぁ」
「会長? 言っときますけどワタシの能力も込みッスからねー?」
「はいはい! 俺は俺はー?」
「先輩は抑えててください……」
こうして集まった一癖も二癖もありそうな生徒達。
彼らと共に真也もまた談笑していた。
「これって……皆さんはいったい……?」
ようやく手にした安堵の中、零は震えながらも再三真也に問うた。
照りつけるような笑顔と共に、返ってきた言葉。
「さっき言ったろ? 『俺達』ならきっと君の力になれる。だから、君もその能力を俺達に貸して欲しいんだ」
この日、零は初めて地べたに座り込んでしまった。
目頭の疼き、そして頬を伝う熱い感覚を抑えきれるはずもなく、ひたすらに感情を吐き洩らしてしまう。
故に彼女は真也のある一言を後に知ることとなる。
「ようこそ、俺達のItafへ」
御一読ありがとうございました。<(_ _)>
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