誰もが人生という道を歩み続けており、彼もまた歩み続けることにした
「やはり君は、見込み通りの男だった」
「何言ってんだ。僕はあんな反則技を使わなきゃお前に勝てなかったんだぞ」
「だが――君は確かに、僕へハッピーエンドを見せた。あの絶望的な状況から、立ち直ってね」
靴を履いて、玄関を開けようとする伊吹。
けれど――俺達パラケルススの間には、別れの際にある暗黙の了解がある。
「じゃあな、成瀬伊吹。お前の苗字は嫌いじゃない」
「達者でな、龍大大和。龍大という苗字は珍しくて耳に残りやすい。すぐに変える事をオススメする」
互いの苗字に感想を言い合う事だ。パラケルスス同士はあまり顔合わせが少ないから、その時に使っている苗字が変じゃないかを評価し合うのだ。
玄関を出た伊吹。
リビングへと向かう俺。
そこには、ダージリンティを飲み干してしまった様子のエルと、彼女の母がいる。
「あの」
「おかわりだな。母はどうする?」
「私もお願いしていいかしら?」
「いえ、そうではなく」
「いらないのか?」
「……いえ、欲しいです、けど」
カップを受け取り、おかわりを淹れて、彼女へ差し出す。
彼女の言いたい事も分かっている。
「二人とも、ここはもうミューセルじゃない」
「地球なのね」
「ああ」
物分かりが良い母。そして理解が行き届いていないのか、まだ混乱を表情に浮かべているエル。
「もう、虚力を狙われる必要も無くて、母と一緒に居られる、平和な地球に来たって事だよ、エル」
こう教えてあげると、ようやく彼女は現状を呑みこめたようだった。
「で、でも……その、これから私たちは、このチキュウで、どう生きれば良いのでしょう? 私たちは、チキュウの事など、何も――!」
「何を言っている。ここで暮らせばいい。ここで学べばいい」
「え」
「これからの設定を考えよう。
そうだな……エルは僕の恋人で、父からの家庭内暴力を受けた事を僕に相談、そして僕はエルとエルの母を匿う事にした、というのはどうだろう」
「こ、コイビト? カテーナイボーリョク?」
「あら素敵、恋の逃避行ね。私も含めてくれてありがとう大和ちゃん」
「どういたしましてお義母さん」
どうやら母はある程度、地球の常識に近い人らしい。この人は今後の勉強も容易いだろうが、しかし。
「エルは猛勉強が必要かな」
僕はエルの手を取った。
「エル」
「は、はい」
「僕は君を愛してる」
「あ、その……う、嬉しい、筈、です。こんなの、初めてで」
「君は僕をどう思っている?」
「――アイしてる、と思い、ます。
救世主様の事を考えると、胸のこの辺りがきゅーっ、と締め付けられるようで……
これから一緒にいられるって考えたら、どきどきと高鳴っているのです」
「そうか、それは嬉しい」
「その、救世主様、顔が近くて」
「大和だ」
「え」
エルの唇と、僕の唇を、重ねる。
実は、四百年近く生きてきて、初めてのキスなんだ。
「――」
「これが『愛し合う』行為だ」
「アイし合う……」
「それで、愛し合う二人は、名前で呼び合わなきゃいけない」
「えっと……ヤマ、ト?」
「そう。それでいい」
玄関が開かれる音がする。
「二人に紹介しよう。僕の妹・理沙が帰って来る」
僕は二人を椅子に座らせたまま、玄関まで理沙を迎えに行く。
「あれ? お兄様、先に帰ってきてたんですか? 学校はどうしたんですか?」
「実はとある事情から早退をしなければならなくなってね。それよりお帰り、理沙」
「あ、ただいまです、お兄様!」
僕は理沙の持っていた、重そうな買い物袋を持ち、中身を確認する。
ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ、カレールー……よし、問題無かったな。
買い物も様子を見てあげたかったのだが、そこは今度伊吹を一発殴る事で気分を晴らそう。
「ちゃんとお買い物出来て、理沙は偉いな」
「えへへー」
「そうして理沙。お兄様は理沙へ、大変なお知らせをしなければならないんだ」
「? 何ですか?」
「まぁ――ゆっくりお茶でも飲みながら、聞いてくれ」
これからの事を話そう。
理沙の事を。
母の事を。
エルの事を。
そして――僕の事を。
僕はこれから、ようやく歩き始める。
――四百年近く止まっていた、僕の人生を。




