アメリカンコーヒーを好んでいる理由は特にない
「……これは」
「あら、ここは?」
「ど――どこですか、ここ!?」
「僕の家だ。皆、紅茶とコーヒーはどっちがいい?」
現在、昼の三時過ぎを時計が示していた。
僕は返事が無いので伊吹には凄く薄めたアメリカンコーヒーを。僕とエル、彼女の母へはとっておきのダージリンティを淹れる。
僕の家で伊吹とエルと彼女の母が椅子にかけている光景は、非常にアンバランスな画だと思いながらも、それぞれへ茶を振る舞う。
「あの、これは……?」
「紅茶という飲み物だ。美味しいぞ」
「あらホント。ただの飲み物に美味しさを求めるなんて、地球の人は味わい深いのねぇ」
「そうかもしれないな。エルも飲むといい」
「あ、はい……あ、本当に、美味しい」
「ミューセルでは飲み物の文化は無いのか?」
「そもそも食べる事や水を飲む事は嗜好品みたいなものなの。
シェリル、ってエネミーが何度か地球に行って、色々持ってきてくれた事もあったんだけど、彼は地球で死んじゃったから、こういうのも新鮮ねぇ」
「勿体ない。美味しい料理と美味しい飲み物は、人生を豊かにするんだ。なぁ伊吹」
「その前に、一ついいだろうか」
伊吹は、恐る恐るアメリカンコーヒーの入ったカップに手を付け、一口飲んだ後に「マズい」とだけ口にして、僕を睨んだ。
「何が起こった」
「まぁ、当然の疑問だな」
僕も一口だけ飲んで、カップを置き、伊吹へと説明する。
「伊吹。お前さっきまで靴を履いていたよな」
「勿論」
「今はどこにある?」
「……今は、履いていない……?」
「日本の住宅は履物を脱ぐ構造になっているからな。多分玄関にある」
急ぎ、席を立って僕の家をドタドタと音を鳴らして歩く彼の姿を見据えながら、再びティタイムへと戻る。
奴はおそらく玄関を確認した後、僕の肩を掴みながら焦るように問いかけてきた。
「何をしたんだ、大和」
「時を飛ばした。――僕の思い描く未来にな」
「それが君の、ベルフェゴールの【能力】か」
そう。僕と同化を果たした神霊・ヴェルフェゴールは【怠惰】を司る神霊だ。
故に僕が持つ能力は『自らの望む結果へ事象を書き換え、その上で必要な時間を飛ばす』という、反則技だ。
しかし、この技には二つ問題がある。
一つ。
事象を動かすと言うだけなら簡単だが、内容によってはとんでもないトラブルに遭いかねないという事だ。
例えば「今すぐ日本全国の口座から千円ずつ振り込ませる」という大雑把で短絡的な結果を望めば、飛ばす時間はおそらく少ない。今の世の中、振り込みなんか一瞬だからな。
しかし口座に金は振り込まれるものの、僕に金を振り込む事になった口座の持ち主から全国の銀行は非難轟々浴びせられる事になるだろう。
そして振込先を特定され、僕にも非難が来ること間違いない。
更に例えると「銀行の金を僕の物にする」なんて望んだら、僕が銀行強盗をした状態になっているだろう。
これは「銀行の金を僕の物にする」という過程において、僕が考える可能性が銀行強盗だけである事が要因となっている。
しかも「どうやって成功させたか」を設定していないので、もしかしたら僕は顔を晒したまま銀行強盗をしている可能性すらある。
だが、その程度ならばまだ可愛い物だ。
例えば「僕が国王になる」なんて、想像も出来やしないとんでもない結果へ時を飛ばせば、何十年何百年と時間が経っているかもしれない。
もしかしたらそれまでの経緯が問題で、世界は滅んでいるかもしれない。
二つ目。
メチャクチャ疲れる。
「だから、安全に時を飛ばせる条件に至るまで、滅多に使わないんだ」
「なるほど――しかし、今回君はどのように時を飛ばしたと?」
理解してしまえば、伊吹は落ち着いたものだった。
都度「マズい」と口にしながらも僕の出したコーヒーを飲んでいるし、エルと彼女の母は、出したお茶請けを少しずつ食べて一喜一憂している。
「『僕が、エルとエルの母親を連れて地球へ帰れば全て安泰と伊吹を説得し、伊吹も納得、僕の家まで届けてくれる』という結果へ飛ばした。
結果はまぁ上々じゃないか?
ミューセルに僕が行ったのは午前十時頃。そして事の対処に当たったのがだいたい二時間ほどで、あの時の大立ち回りは正午から午後一時の間位に行われた。つまり僕は、伊吹の説得に二時間かけた事になる」
スマートフォンで日付も確認するが、ミューセルへ旅立った日から変わっていない。念の為年数も確認し、二千十八年である事も確認。
「俺がその説得に、納得したと言う事か」
「結果はどの様な内容でも必ず辿り付く。だが、それまでにどれだけの時間が掛かるかだけ、僕は指定できない。だから一種の賭けなんだ。
お前が僕の説得に頷くまで、もしかしたら一年の時間を有するかもしれない。
五年かもしれない。
百年かもしれない。
もしかしたら――人類が滅びた後に、ようやく帰れているかもしれない」
「そんな危険な賭けをしたというのか、君は」
「そうだな。けれど――そこまで分の悪い賭けとも、思ってなかった」
「何?」
「お前はある程度話せばわかる奴だからな。
これが師匠やドルイドなら、何年か時間はかかっただろうけれど、お前なら数時間で何とかなると思った」
伊吹はそこで、今日初めて笑みを浮かべた。
「俺の負けだ」
「おう。それ飲んだらさっさと帰れよ」
「いや、残そう。流石に薄すぎる」
伊吹はそっと立ち上がって、玄関へと向かっていくので、気まぐれに見送ってやることにする。




