99話 仲間か敵か
スイレンは腕に巻き付けられた札に目を落とし、巻き付けた奴を見つめる。
こんなことをするはずがない。出来るはずがない。度胸とか、見栄とか、そんなもので妨害するような奴じゃない。
そう思ったところで、腕に巻き付けられた札も、巻き付けた人も、そこにある事実だ。
「どうして······」
落胆した声でそう尋ねる。どうして、なんてありきたりな台詞しか出てこないのは、叡智の水魔道師には致命傷だ。
スイレンの前では、しかめっ面でとても心苦しそうなフィニが「ごめんなさい」と、呟いた。
「謝るくらいなら、やってんじゃねぇよ」
「ごめんなさい」
「フィニアン、きっと事情があるのでしょう。だから、スイレンの妨害をしたのでしょう。どうか、どうか教えてください。私たちは、仲間だったはずですわ」
「ごめんなさい」
「フィニアン。これを外しとくれ。脅されてるのか、操られているのかは知らないけれど、あちし達が何とかしてやれる」
「違う!」
フィニは、泣きそうな顔で叫んだ。
仲間から距離を取り、杖を抱いて唇を噛む。
「······ごめんなさい。でも僕は、どうしてもやらなくちゃいけないんです」
フィニは空を見上げ、苦しめられているイーラを遠く見つめる。
そして、精一杯睨むような目で、旅をしてきた仲間を見据えた。
「虐げられて、石投げられて、生きてるだけで、そこにいるだけで禁忌とされる。魔術の何がいけないんですか。もう一度だけ、亡くなった人に会いたいと願うことは悪ですか。精霊と会話して、力を借りて、命の巡りを支える僕らの何が、死に値する罪になるんですか!」
死霊魔術師が何百年溜め込んだ不満だろうか。
何千年、抱え込んだ怒りだろうか。
日陰に追いやられ、見つけられ次第殺されて、何をしようとしなかろうと、『死霊魔術師』という理由のみで追い回される。
それを、それらを、こんなにも小さな体に溜め込んで、こんなにも重い感情に震えて、とてもとても、苦しそうだ。
「僕たちは人間なんだ! れっきとしたこの世界の住民なんだ! なのにこそこそ陰に隠れて生きないといけない! こんな惨めな人生、もう嫌だ!」
『世界樹の下に眠る魂を呼び起こしてはならない』──たったそれだけの掟。世界が守るべきルールに縛られて、彼らの存在意義は、命は。紙切れよりも、薄っぺらいものとなってしまった。
ギルベルトは呆然とするスイレンの腕を荒々しく掴むと、爪を立てて札を剥がそうとする。しかし、それはどんなに力を込めようと、剥がれることはなかった。
フィニは「無駄です」と、ギルベルトの行為をばっさりと切り捨てた。
「それは、死人系の魔物──キョンシーという魔物を制御するための札と同じだけの魔力があります。土魔導師が従えるゴーレムのように、死霊魔術師が従える魔物の一つです。もっとも、精霊とはかけ離れていますが」
「ジジイはジジイだけど、魔物じゃねぇぞ! ましてや死んでもねぇ! 何でこんなもんが使えんだよ!」
「スイレンさんのような強い魔力を封じるために、より強い魔術式で書いてます。魔物じゃないので、魔導師用に変えて。効くかどうかは不安でしたが」
「フィニアン! これは笑えませんわ! 今すぐ剥がしなさい! まだ、やり直せますわよ」
エミリアはフィニを諭す。しかし、フィニは「嫌です!」とエミリアの手を払った。
「議会の円卓は本来十三席ありました。死霊魔術師にも、議会の席が与えられていたのに、たったひとつの掟が、僕たちを世界から追放した!」
スイレンはフィニの言わんとしていることを察した。
フィニは杖で地面を叩き、堂々として仲間の前に立つ。それはいつもの自信なさげな雰囲気なんてない。
反撃の刻を、ただじっと、ひたすら待ち続けた、虎の姿だ。
「僕は、フィニアン・レッドクリフ! 『邪心』を冠する死霊魔術師にして、失われた十三席の所有権を持つ者! もうオドオドしてるだけの僕じゃない! 仲間のために、未来のために立ち上がった!」
スイレンは空を見上げ、苦しむイーラに手を伸ばす。しかし、水晶からも、自分の手からも、魔力に満ちた水は出てこない。
原初の魔導師の魔力を封じ込めるだけの力······それこそ、魔術師見習いなんかに出来る芸当じゃない。
今まで力を抑えて来たのだろう。この日のために、彼はどれほどの修行を積み、血を吐く思いで耐え抜いたのだろう。
目の前にいるフィニは、ポンコツなんかじゃない。
でも、どうしても信じたくなかった。
スイレンは澄んだ瞳でフィニを見つめる。
フィニの覚悟は、その心は、波紋一つ立たぬ強さがあった。
──嘘偽りのない、毒気のない心。
それでもまだ、希望を持ってしまう。信じようとしてしまう。
イーラが知ったら、どんなに怒るだろう。
「フィニアンや」
スイレンは考えに考えた。それでも、安っぽい言葉しか出てこない。
「本当に、裏切ったんだねぇ。あちし達を。──イルヴァを」
イーラの名前に、フィニの表情がほんの少し揺らぐ。それでも、フィニは「そうだ」と断言した。
「後悔してないかい?」
「後悔なんて、するもんか。僕は最初から、イーラをここに連れてくるためだけに、イーラの元を訪れたんだ」
最初から、イーラに嘘をついていた。
スイレンは抗う力もない。イーラの代わりに怒ることも、叩いて目を覚まさせることも、出来なかった。
でも、彼にここまでの行動力があるとは思えない。ましてや、禁忌の魔術師が議席を取り戻すなんて。
世界の常識がひっくり返るような出来事だ。
それを他の議席の者が許すとも思えない。でも、一人だけ出来る人を知っている。
「──アルバートと取引をしたのか。そうでなけりゃあ、辻褄が合わない」
アルバートならやりかねない。
あの男は目的のためなら何だってする、狡猾な男だ。もしイーラの運命を知り、殺すために手を回すつもりで話を持ちかけたのなら、きっと全てが終わったら捨てられる。
スイレンは忠告した。「約束を守ろうとするな」と。
フィニは聞き入れなかった。「再び日向に立てるなら何でもする」と。
どちらにも正義がある。
どちらにも守るべきものがある。
だから、どうしても譲れなかった。
ギルベルトは銃口をフィニに向ける。エミリアも杖先をフィニに向けた。
どちらも、いつでも魔法が撃てる状態だ。でも魔法を使わなかった。──使えなかった。
「一緒に旅をしたお前が、全部偽りだったなんて言うなよ」
「私が見たあなたを、優しいフィニアンをどうか汚さないで」
フィニは「全部嘘です」と、二人の頼みを切り捨てた。
それでも二人は、魔法を使えなかった。
苦楽を共にし、いかなる困難も乗り越えてきた仲間を、簡単に切り捨てることなんて出来やしない。
カナは泣きそうになりながら「お願い、やめて」とフィニを止める。
彼女は風を吹かせ、フィニの心を揺さぶった。
「風の戯れ 精霊の気まぐれ」
優しい風は、花弁をさらっていくつにも増やす。
柔らかい花弁はフィニの視界を遮り、頬を撫でる。
「お願い。あなたの心を歪ませないで。あなたを助けたい人達は、目の前にいるんだよ」
「風の囁き」
花弁の隙間から、エミリアとギルベルトの手が伸びる。
フィニを抱き寄せようとする、慈愛の腕はフィニの体に触れようとした。
「──触らないで!」
フィニが杖で強く地面をついた。
青白い魔法陣がフィニの足元に広がり、おぞましい数の亡霊を呼び寄せる。
エミリアは亡霊の壁に阻まれて吹き飛び、ギルベルトは亡霊の爪に引き裂かれる。
「小僧! エミリア!」
スイレンは水晶で防御魔法をかけようとするが、魔力を封じられて何も出来ない。カナが咄嗟に魔法を唱えた。
「涙は雲を超えて」
カナはそう唱えると、風に歌を溶かす。
「風は気まぐれ 精霊と同じ
風魔導師は歌う 自由な風と戯れて
青葉の香りは幸せの香り 花のひとひらは命の揺りかご
遊べ 歌え 自由な風よ
吹かれ流れる空の色は いつも綺麗な色なのよ」
カナの歌に亡霊は消えていく。
風とひとつになる魂は、まるでたんぽぽの綿毛のようで、綺麗だった。
エミリアも、杖を立て、叩き起された魂たちに祈りを捧げる。
ギルベルトは容赦なく撃ち落としていった。
「やめろフィニ! 自ら死にに行くこたぁねぇだろ!」
ギルベルトが止めても、フィニは魔術を止めない。
フィニは更に亡霊を呼び寄せる。
これ以上は、カナがいても抑えきれない。エミリアもギルベルトも、何とか応戦するが、今にも押し切られそうだ。
「ぎゃっ!!?」
フィニの肩から血が流れる。
フィニは魔法陣から放り出され、痛そうに足をばたつかせる。
ジャックだった。ジャックがフィニの肩に思いっきり噛みついていた。ジャックは唸りながらフィニから顔を離すと、フィニの頬を殴り、血だらけの口で脅す。
「次同じことをしてみろ。お前の喉笛を噛み千切り、骨も残さず喰らい尽くしてやる。何なら今、その命を終わらせてもいい」
「ジャック! やめてください! そんなことをしたら、イルヴァーナさんが悲しみますわ!」
「彼女を大事に思うなら、彼女を守ることが最優先事項だ。仲間だからという情に流されて、攻撃出来ないようなら、それは獣の檻に赤子を放り込んで放置するのと一緒だぞ!」
エミリアに一喝し、ジャックはもう一度フィニに牙を立てる。
フィニは苦し紛れにジャックの横腹を杖で殴り、ジャックを押しのける。くるんと回り、ジャックに馬乗りになると、フィニは銀の針をジャックの胸に突き刺した。
「銀はヤバいんじゃね!?」
ギルベルトの直感が、フィニを突き飛ばした。
そのまま反射的に針をジャックから引き抜くと、ジャックは苦しげに咳き込みながら胸を押える。
じわじわと広がる血の染みが、ジャックの白いシャツを侵していく。
ジャックが唸り声を上げる。段々と、人としての理性が失われていくジャックを、スイレンが何とか抑え込もうとする。
「落ち着けぇジャックや。落ち着いとくれ。今のあちしにゃ、お前さんを封じ込めるだけの力もないんだから」
「ジャック、ダメだよ。イルルが怒っちゃう。ね?」
それでジャックが止まるはずもなく、ジャックはより鋭くなった牙をむき出しにして、スイレンの腕から逃げ出した。
フィニの腹を踏みつけて地面に縫い止める。
フィニの喉に突き立てられた爪は、クッと力を込めるだけで、その柔肌に傷をつける。しかしそれ以上は怪我をさせなかった。
ジャックは狼と同じ目でフィニを見下ろす。今すぐにでも噛みつきたい衝動を抑えながら、フィニに選択肢を与えた。
「無けなしの理性でチャンスをやる。イルヴァーナ・ミロトハの仲間に戻るか、今すぐ喰われるか。残念だが、答えを長く待ってやれない」
フィニはジャックに何も答えなかった。
ジャックにフィニを裏切り者と罵る資格がない。彼自身、議会の敵になった身だ。だからこそ、『イーラを裏切った悪人』として処分するつもりはなかった。
「······僕は、僕達の居場所を取り戻す」
でもフィニは『イーラの敵』という選択肢をとった。
ジャックは眉間にシワを寄せた。
(──どうか、許しを乞うてくれ。イルヴァーナ・ミロトハを裏切らないと言ってくれ)
そう願いながら、「後悔はないな?」と尋ねた。
しかし、フィニは無言で銀の針をジャックに向けた。
ジャックも狼の牙を、フィニの喉に突き立てようとする。
「イルヴァ!!」
スイレンの悲痛な叫びが聞こえた。
空を見上げると、イーラが落ちるところだった。
投げ出された手足がイーラに意識がないことを語る。落ちるイーラの速度は、誰にも受け止められるものではなかった。
それでも、それぞれが助けようイーラに手を伸ばす。
落下するイーラの体を、自分の腕を犠牲にしようとも、支えるつもりで。
でも、誰もイーラを受け止められる位置にいない。
ギルベルトは走る。エミリアも。
スイレンもカナも、大きく腕を伸ばした。
ジャックも、フィニを放ったらかしてイーラを助けに行った。
でも誰も、イーラの体に触れる位置にいない。
どんなに腕を伸ばそうと、どんなに急ごうと、イーラの体は誰にも触れずに地面に叩きつけられるだろう。
「──馬鹿じゃない?」
嫌味ったらしい声が、イーラの服を掴んで持ち上げる。
「あーあ、せっかくの聖堂がぐっっっちゃぐちゃじゃ〜ん。どぉしてくれんの? ねぇ、アルバート。これ、ボクブチ切れ案件のルール違反なんだけどぉ」
七宝を片手に笑う鴉天狗は、イーラを大事そうに抱えてアルバートを睨みあげる。
タタラはニヤリと、意地悪な笑みを浮かべていた。




