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97話 聖堂にて待つ男

 一週間が経った。

 ジャックが案内する世界樹の聖堂は、あと少しで着くらしい。

 ようやく辿り着く旅の終点地に、イーラは浮き足立った。

 思えばかなり長い旅だった。フィニが訪ねてきた雨の日から、ここに着くまでに、沢山のことがあった。

 土魔導師(ノーム)の里では神様退治に、火魔導師(サラマンダー)の国で兄弟喧嘩に巻き込まれ、水魔導師(ウンディーネ)の都で嘘を見破って、風魔導師(シルフ)の集落で魔道具作りして······細かいところを除いても、かなり濃密な旅だった。


 そういえば、旅を始めてからもう一年が経つ。その一年が、まさかこんなにも実りの多い一年になるなんて、誰が想像しただろうか。

 もうじき、イーラの誕生日が来る。

 その日までに、母がどうして死んだのか、どうして旅をしろと言ったのか、全てをハッキリさせたい。


 イーラは母の手帳を手に取った。甲板の端で、イーラは古くなった手帳の表紙を撫でた。母はなんにも言わずに死んで帰ってきた。母がイーラに残したものは沢山あるが、イーラに残した愛は薬剤師としての技術とこれだけだ。


「······もう少しで、全部分かるのね」


 イーラはぽつりと呟いた。

 聖堂に何があるのか、不安が無いわけではない。が、聖堂に行っても、何も無かったらと思うと不安になる。



「大丈夫かい? イルヴァや」



 ふと、スイレンがイーラに声をかけた。

 まだ見えぬ聖堂に浮き足立つのはイーラだけではない。

 エミリアやフィニ、カナも楽しそうにしている。スイレンは彼らの中にいないイーラにそっと寄り添った。

 イーラはフン、と鼻を鳴らす。


「別に何ともないわ」

「嘘をつくんじゃあないよ」

「本当よ。楽しみだもん」

「後半は本音だが、嘘をついているねぇ」

「嘘なんてついてない。心配になる要素なんてないじゃない」

「ああ、やっぱり心配なんだねぇ」


 スイレンののらりくらりとした態度に、イーラは腹を立てた。物言いたげにスイレンを睨むと、スイレンは「心なんか読めやしない」と、イーラの気持ちを汲み取った。


「あちしはシルフ紋じゃあない。叡智のディーネ紋サ。そして、嘘に聡いアマノハラの出身でもある」

「ああ、······ああ。そうだったわね。うっかりしてた」

「ふふ。そこはマシェリーに似ているねぇ。彼女の『うっかり』にはよォくしてやられたもんサ」


 スイレンはケラケラと笑うと、イーラの頭を優しく撫でた。


「心配ないよ。何かあってもちゃあんと守ってやるとも。お前さんに向く脅威の全てを、討ち滅ぼしてやろう。原初の魔導師の名にかけて」

「頼もしいわ。でもね、私が不安なのは『何も無かった』時よ」



 もしも、母が死んだ理由が分からなかったら?

 聖堂に行けと言った理由が分からなかったら?

 この果てしない旅が、ただの時間の無駄だったら?



 そうなったときが怖い。

 何も分からずに、ただ聖堂に来て帰っただけになったら。理由がまるで無い行動に、後に虚しさを覚えるだろう。


 イーラの不安を、スイレンは「そうかい」と笑わずに受け止めてくれた。

 イーラの肩を寄せて、愛おしそうに目を細め、スイレンはイーラに優しく声をかける。


「きっと大丈夫サ。マシェリーはいい加減だが、決して無責任なことはしない奴だった。だから、イルヴァが旅に出たその意味を無駄にすることはないよ。ああ、絶対にサ。それにホラ、タタラはマシェリーの死を知っているようだったし、聖堂で分からなくても、彼女の元をまた訪ねればいい。お前さんが不安になることなんて、ちっともないのサ。だから元気を出しておくれ。愛しいイルヴァ」


 スイレンに励まされ、イーラは「そうね」と顔を上げる。

 水平線の彼方に何かの影が見えた。ジャックが「もうすぐ着くぞ」と言った。

 イーラは船首の方へと歩いていく。






 イーラのほとんどオレンジ色になった髪を見つめ、スイレンは水晶を袖から出した。


「──イルヴァ、愛しいマシェリーの子。······運命の悪戯に、(もてあそ)ばれる哀れな子」


 スイレンは水晶に浮かぶ、鎖でがんじ絡めになったイーラに、苦しげな瞳を向けた。


「······あちしが、代わってやれたなら」


 誰にも聞こえない、年寄りの独り言だった。


 ***


 ジャックは岸に船をつけた。

 そこは、ゴツゴツとした黒岩の丸い島だ。いや、島とすら言えない。

 ただの円盤型の足場。そんな感じだ。

 ギルベルトはキョロキョロと辺りを見回し、カナは空を見上げる。

 スイレンは島の真ん中まで歩くと、袖をまくり、地面を掘り始める。

 エミリアとフィニは少しガッカリしていた。


「もっとすごいの想像してた······」

「確かに。フィニの言う通りですわ」

「まぁまぁ、ちょいと待ってておくれな。あっと驚かせてやるサ」


 スイレンは泥だらけの手を振って笑う。カナ、エミリア、ギルベルトを呼びつけると、掘った穴を指さした。


「さぁさ、あちしらの仕事だよ。ここに魔力を込めるのサ。議会の人間ならちょっとした合言葉のような魔力で事足りるが、生憎あちしらは無関係だからねぇ」

「長ったらしい! ハッキリ言え!」

「言った。『魔力を込める』んだよ。議会のある世界樹の元に咲く花を、ここに咲かせるんだ」


 スイレンはそう言うと、目を閉じて精神を統一する。ギルベルトは不満そうに口を結ぶと、目を閉じて集中する。エミリアやカナも、それにならった。

 四人が集中すると、それぞれの紋章が淡く光り、島が魔力に反応する。



「──土よ 我が魔力を糧として生まれゆく命に温情を」

「──我が銃よ 魔力を燃やせ 純真なる炎の加護を授けよ」

「──水の知恵 偉大なる海よ その大いなる知恵を世界樹の下に生まれし命に分け与え給え」

「──風の戯れ 精霊の気まぐれ 世界樹から飛び立つ新しい風に祝福を」



 エミリアが杖を突き立てた。


「慈愛の土に包まれて」



 ギルベルトが拳銃を突き上げる。


「高潔なる炎に照らされて」



 スイレンが水晶を胸の前に突き出す。


「叡智の水を浴びて」



 カナが両手を広げた。


「自由な風に吹かれて」






「命よ 芽吹け」






 四人の声が重なり、穴からはぷっくりと、青い花が咲く。

 花は虹色の光を放ち、島全体を包み込んだ。

 イーラはその眩しさに目を閉じ、顔を覆う。ふわりと体が浮くような感覚があったが、目を開けている場合じゃなかった。


 ***


 爽やかな風が吹く。陽だまりのような温かさが体を包んだ。

 イーラがそっと目を開けると、まだ眩しさが残るが、耐えられないほどではなかった。


「──ここは」


 生い茂る草花と、どこまでも高く伸びゆく大樹。その枝先に揺れる葉っぱは、イーラの顔ほどの大きさがあった。

 そして、その木の根元。埋まるように建てられた白い聖堂は、来る者を阻むような威厳を抱いていた。

 尊くも、厳しい命の象徴のようなその佇まいに、イーラは口を開けたまま見つめるしか出来なかった。




「ここが、世界樹の聖堂?」




 ようやく口にした言葉に、スイレンは「そうサ」と言って笑った。

 エミリアは溢れる命の音に感激し、杖を胸に押し抱いて祈る。ギルベルトは感心しながら世界樹を見上げていた。


「やったぁ! やったよイーラ! とうとう聖堂に辿り着いたんだ!」


 フィニはぴょんぴょん跳ねて興奮を隠しきれずにいる。カナも吹き抜ける風に戯れてとても楽しそうだ。

 ジャックはピリッとした緊張感を持ち、辺りを警戒する。エミリアがそれにいち早く気がつくと、ジャック同様に警戒し始めた。




「やぁ、よく来たな。待ち疲れたよ」




 その一言に、その場にいた全員が危機感を覚えた。

 聖堂の入口には、にっこりと笑う男が立っていた。茶色ストレートのミディアムヘアにつり上がった目。オーバーサイズのガウンにスキニーズボンといったラフな格好。タタラよりも胡散臭い笑顔で、その男はイーラたちを迎え入れた。


 男はイーラを見ると、イーラの前にしゃがむ。

 マジマジと見つめると、イーラの顔に手を伸ばした。


「ああ、ようやく会えた」

「······何の事?」



「触らないどくれ。汚らわしい」



 男の手を、スイレンが弾き飛ばした。スイレンは自分の腕の中にイーラを収めると、獣が威嚇するかのように男を睨みつけた。


「嘘だらけの体でイルヴァに触れるな」

「酷いな。私とお前は旧知の仲だろう?」

「知るもんか」


 イーラは訳が分からないまま、どこに助けを求めるべきかで悩んでいた。

 ギルベルトは拳銃を男に向け、エミリアも臨戦態勢のまま動かない。

 男はジャックを見つけると、氷よりも冷たい目で「やぁ」と挨拶をする。ジャックは男に牙を見せた。


「役立たずが帰ってきたのか。今更この子を連れてきたところで、お前の名誉は戻らないぞ」

「違う。俺はお前じゃなく、その娘の為にここに来た」


 男は「そうか」と微笑むと、深くお辞儀をした。



「まずは挨拶が先だったな。スイレンとジャックは知っているだろうが、私は議会第一席に籍を置く、万能魔導師(エルフ)のアルバートという。以後よろしく頼むよ」

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