93話 戦いの後片付け
イーラは薄味に作ったスープを持って、船を降りた。
船の停まる岩場には、羽を畳んで海を眺めるタタラがいる。岩にもたれて足を伸ばす彼女の隣に座り、イーラはスープを差し出した。
「······いらないよ。どーせ、毒でも入ってんでしょ」
タタラはこちらも向かずに突っぱねた。イーラは無理やりスープの器を持たせると、「ちゃんと飲んで」と強めに言った。
タタラはじろりとイーラを睨むと、懐に隠したナイフをイーラの首に突きつけた。魔族としての誇りか、それとも恐れか。彼女の瞳はとても恐ろしく光っていた。
「あのさぁ。ボクの真名を知ってるからって、ちょーし乗らないでくれるぅ? 君のような人間に命令されるのって、すごくすごーくムカつくんだよね。真名を知られたんだ。このボクの真名が。なのにボクが君を本気で殺さないって思ってんのぉ?」
タタラはイーラの喉にナイフを押し込む。血が出ない程度に力を入れると、イーラは「いいわよ」とケロッと言った。
「いいわよ。刺しても。刺したらきっとスイレンさんが怒鳴り散らすだろうけど、私は構わないわ」
「本気で言ってるぅ? 馬鹿じゃん。ボクは君と違って優しくないんだ。それにぃ、魔族は人間と違って丈夫だし力も強い。ナイフが首裏まで貫通するだろうねぇ。それでもいいって言えるわけ?」
「ええ、いいわ。スープを飲んでくれるならね」
イーラはナイフを跳ね除けずに言ってのけた。
スープを指さしてそのまま説明を始める。
「器とスプーンは銀製。毒に触れるとすぐに黒ずむから、それで毒の有無は確かめられるわ。スープには人参とブロッコリー、厚切りのベーコンとトウモロコシ、あとは、ほうれん草とキャベツが入ってる。味付けは塩コショウ。スープの出汁はベーコン以外に他の肉類を煮詰めたものを使ってる。ギルベルトさんとエミリアさんのお墨付きよ」
「······嘘つけ。変な匂いがする。ボクら鴉天狗も人狼たちのように鼻が効くんだ。そんなのも知らないで毒を盛ったの? ホントに殺してやろうか」
「香り付けにいくつかのハーブを使っただけよ。香り付けついでに、血を増やす作用のあるハーブを混ぜただけ。ほうれん草とベーコンだけじゃ、なんか不安で。本当は薬を調合する予定だったけど、それはそれで警戒されそうだったから」
タタラはそこまで聞いても、疑いの目を向けていた。イーラはスプーンで少しスープを取ると、タタラの目の前で飲んでみせる。スプーンを器に戻し、タタラを真っ直ぐ見つめた。
「薬剤師の名にかけて言うわ。断じて、毒なんて入れてない」
イーラはそう宣言すると、自らタタラのナイフを喉に刺した。プツッと皮膚が切れて、ナイフの上に血の玉を作る。
タタラはようやく「あっそぉ」と言って、ナイフをしまった。
イーラは自分の喉の傷を手当てしながら、タタラがスープを飲む姿を見守る。
タタラは黙々とスープを飲み、空にすると、また海を眺めていた。
「······食べれない味じゃなかったね」
「そう。次は美味しく作ってあげる」
イーラは器を持って立ち上がると、さっさと船に戻ろうとした。
タタラは不満げに歯ぎしりすると、「君さぁ」とイーラに呼びかけた。
「ボクが敵なの知ってるでしょ。敵ならほっとけばいいじゃん。わざわざ助けるとか、お人好しにもほどがあると思わないわけ? あの戦い止めなかったら、ボクはふつーに死んでたじゃん。ほっとけば邪魔な奴がいなくなんの、赤ちゃんでも分かるよぉ? それとも何? 善人ぶってる方が楽しいの?」
苛立ちと、悔しさと、単純な疑問。
タタラは複雑な気持ちで、自分でどうしていいか分かっていないのだ。敵に助けられたなんて、彼女にとっては恥なのだ。
イーラはそれらを汲み取った上で、「簡単なことよ」と言った。
「敵とか味方とか、私には関係ないの。そうね。きっとみんなは私の行いをバカにするわ。だって放っておけないんだもの。仲間も、タタラも、私には大事な命だもん。もし自分が助けられたことに理由が欲しいなら、自分を納得させる理由が欲しいなら、これだけでいいわ」
「私が、イルヴァーナ・ミロトハだったからよ」
イーラがそう言うと、タタラは頭をぐしゃぐしゃと掻き乱した。
「ほんっと、意味わかんないなぁ」
悔しそうで、腹を立てているようで、でも納得しているように吐き捨てる。タタラは息をつくと、「早く行ってくれるぅ?」といつもの調子でイーラを追い払った。
「本当はダメなんだけどぉ。今回だけ見逃してあげる。ほらボク、動けないし。追いかける力もないから、君たちが船で逃げても仕方ないしぃ」
「······本当にいいの?」
「いいよ。もう、めんどくさいなぁ。どーせ聖堂に行くんでしょ。だったら、きっとそこで会うかもしれないじゃんね。行ってよ、早く」
「······タタラ」
「なぁに? 早くしないと、ナイフ投げるよぉ」
「ありがとう」
「······うるさいな。さっさと行けよ」
イーラはタタラにお礼を言って船に戻った。
イーラが陰に隠れて見えなくなると、タタラは膝を抱えてまた海を眺めた。
「──うるさいなぁ」
自身の羽で、守るように体を包み込んだ。
***
船に戻ると、ギルベルトが舵を握って待っていた。
「イーラ、タタラそれ食ったか?」
「ええ、ちゃんと食べた」
「ならさっさと離れるぞ。ったく、どこまで世話をやく気だお前は」
ギルベルトとタタラと似たような文句を言いながら、船を出した。
フィニが錨を上げて、カナが風を起こす。
船が岸から離れると、フィニが羽の中に籠るタタラを見つめていた。
「······辛そう。大丈夫かなぁ」
イーラは「大丈夫よ」と、声をかけて船室に向かう。
部屋のドアを開けると、ちょうど部屋を出ようとしていたエミリアにばったり会った。
「あら、もっと寝ててもいいのに」
「いえ、もう毒は抜けたみたいですし。イルヴァーナさんの部屋にずっと居座るのも少し、その、申し訳ないですから」
「気にしないで。その脇腹の傷、きっと残るだろうから、スイレンさんに治してもらいましょ」
「いえ、傷が残っても気にしませんわ」
「ダメよ。いつかきっと後悔するんだから。残って困ることがあっても、残らなくて困ることはないでしょ。スイレンさんには後で言っておくから。キッチンにスープあるから、味付け調整して飲んで。ジャックとタタラに合わせて薄く作ってあるの」
「······本当に優しいですね。心遣い感謝します」
エミリアが部屋を出ていくと、イーラは部屋に戻り、オルゴールを開く。
かなり前に、人魚から貰った貝殻のオルゴールだ。
それを美しい音色は、心を癒してくれる。優しく柔らかな音使いに、イーラが浸っていると、ギルベルトが驚いた声で叫んだ。
「おい! 人魚が船に上がってきてんだけど!」
イーラも驚いて甲板に走ると、そこには海底の古城の長の娘、リノアがいた。
「リノア!」
「イーラ! 久しぶり!」
「本当にそうね! どうしたの?」
「オルゴールの音が聞こえたから、顔を見せに来たんだ。あと、イーラの薬を分けてくれないかな。もちろん、お代は払うとも」
ギルベルトは人魚と楽しそうに笑うイーラに目を丸くしている。フィニが「わぁ」と声をこぼすと、リノアはフィニとも握手を交わす。
「リノアさん、お久しぶりです。海底の古城以来ですね」
「ああ、フィニとエミリアはそうかも。イーラとは時々話をしてるよ」
「オルゴールを開くとリノアが顔を見せてくれるの。海の話とか色々してくれるわ」
「あと薬のやり取りも。薬材と交換する時もある。イーラの薬はよく効くんだ」
「人魚の体質とか教えてくれるから、それに合わせて調合を変えてるだけよ」
「えー、イーラなんで教えてくれないんだよ。僕もリノアさんと話したかった」
「ごめんね。夜遅いことが多いんだもん。それにいつも船室から話してるし」
「女同士の秘密みたいで楽しくて言い出せなかった。すまん、フィニ」
むくれるフィニにリノアは笑って肩を組む。
そしてまたイーラに「手を貸してくれ」と頼んだ。
「さっきここらの海域に鴉天狗が沈んできたんだ。それも一羽二羽じゃなくて、何十羽も。瀕死の鴉天狗もいて、手が回らない。薬を作ってくれないかな」
「鴉天狗? ねぇ、ギルベルトさん。私がいない間に何かあったの?」
イーラが尋ねると、ギルベルトは冷や汗をかいて誤魔化そうとする。カナが見張り台からふわりと降りると、「あのね、怒んないで」と困り顔でイーラに事情を説明した。
もちろんイーラが怒らないはずがなく、イーラの怒号が海に響き渡った。




