92話 フィニの本気
「でっ、出来ませんよ! 僕に何させる気ですか!?」
深皿を受け取ったフィニが、必死に首を横に振った。スイレンは「お前さんだけだ」と、きっぱり言い切ってフィニの弱音を封じ込める。
フィニは不安そうに目を伏せて、「やっぱり···」とまだ弱音を吐く。
スイレンは呆れたため息をつくと、フィニの両肩を掴んで目線を合わせた。
「よく聞くんだ、フィニアンや。死霊魔術師の魔術には『繋ぎ』ってのがあるんだろう? それを使えば二人は助かるんだ」
「でも『繋ぎ』は、本当に難しい魔術で、何回も出来ることじゃないんです! 術者にも、魔術を受ける者にも、負担が大きくて」
フィニはチラッと甲板で眠る、タタラとジャックを見下ろした。
フィニは不安はよく分かる。彼は死霊魔術師を名乗るもののまだ半人前。一人前の魔術師でさえ難しいような魔術が、自分には使えないと思っているのだ。
スイレンが自分基準で物を言っている可能性もある。しかし、スイレンは年長者らしくフィニに言葉をかけた。
「不安なのは分かるよ。あちしも、大昔はへっぽこだったからねぇ。でも、魔法も魔術も、使わなくちゃ上達しないもんサ。あちしが知恵だけで魔法が使えたと思うかい? あちしだって何回も何百回も失敗してるんだ。だから今こうして、海さえも操る力がある。怖くなんかないよ。あちしもイーラも、小僧もエミリアもついてる。カナトだっているんだ。なぁんにも怖がるこたぁない。失敗しても、サポートくらいは出来るとも。だから魔術を使っておくれ。二人を助けておくれ」
スイレンは優しく微笑むと、フィニの頭をわしわしと撫でた。
「お前さんは自分が思っている以上に才能があるんだ。それを『出来ない』なんて一言で、蓋をしちゃあもったいないと思わないかい?」
フィニはそう言われると、イーラに視線を送る。
今頼れるのはフィニだけだ。失敗したら、と思うと気が気でない。だが、フィニならきっと、と信じている自分もいる。どちらの気持ちを優先すべきか、なんてイーラには悩む必要も無い。
「フィニ、お願い。二人を助けてちょうだい」
「でも、僕が失敗したとして、連続で魔術を使うのは、三回が限界だと思うよ」
「十分よ。フィニは絶対に成功出来る! ずっと一緒にいた私が言うんだから、間違いないでしょ」
フィニは二人に励まされ、ようやく自信が持てると、甲板に魔法陣を描き始めた。
フィニの指示に従って、魔法陣の上にタタラとジャックを寝かせると、フィニは黒いローブを持ってきて、頭からすっぽりと被った。
「ふぅぅ······大丈夫、大丈夫。出来る。僕なら出来る」
自己暗示をかけて、フィニは深皿を二人の上に差し出して、杖を立てた。
「世界樹の下に生を受ける者、その命に祝福あれ。
世界樹の元に眠れる者、その命に栄光あれ。
世界樹の根に絡まる命ある者、死者の道に外れることなかれ。
冥界を統べる我らが神よ。冥界に落ちゆく生者を救い給え。この魔族たちに慈しみの涙を恵み給え!」
「今一度、生きる喜びを与え給え! 『命を繋ぐ回廊』!」
フィニが呪詛を唱えると、魔法陣は橙色に光り輝き出す。
スイレンもイーラも、その様子を固唾を飲んで見守った。フィニは汗を流して集中する。
このまま不発に終わるかもしれない。成功しなかったら、あと二回しかチャンスはない。でも成功出来るかもしれない。
フィニの心は揺れ動いていた。不安と恐怖は湧き出た自信を、いとも簡単に飲み込んでしまう。成功しなくて二人が死んだらどうしよう? イーラはとても怒るかもしれない。スイレンは呆れて物も言えなくなるだろう。
昔からそうだった。仲間に『お前は出来損ないだ』と言われるほど魔術が下手だった。年下の子が出来た魔術だって、フィニには出来なかった。
イーラの母、マシェリーを口寄せ出来たのは、本当に奇跡だったんじゃないか。あの奇跡で、調子に乗らなければ良かったんだ。そうすれば、役立たずな自分を何度も何度も、責めずに済んだのに。
『お前さんは自分が思っている以上に才能があるんだ』
『フィニは絶対に成功出来る!』
二人にそう言われて、ちょっと嬉しかった。でも自分が皆を助けた場面なんてほとんどない。イーラは自分を『お荷物だ』なんて言っていたけれど、フィニよりも役に立っている。
(──どうしよう。失敗しちゃう)
フィニは何とか集中力を保つが、一向に術が発動する様子はない。やっぱり自分じゃダメだったんだ、ごめんなさい。そう心の中で謝った時だった。
「自分を信じて! 私はアンタに救われた! アンタは人を救える力があるの!」
イーラがフィニを励ました。
······弱虫な自分が、ポンコツで何にも出来ない自分が、誰か一人を救えたら万々歳だ。誰も救えないと知っていたから、そう思えていた事なのに。
イーラはどうして、そう簡単に誰かの背中を支えられるんだろう。
どうして禁忌の魔術師さえも、救ってしまえるんだろう。
「目覚めよ! 冥界のリストに名前はない!」
フィニは泣きそうになりながら叫んだ。
魔法陣の光は一層濃くなり、雪のように降り注ぐ。タタラとジャックの上に落ちた光は、溶け込むように二人の中に消えていった。
深皿からは血と水が混ざった液体が二滴浮かび、クラゲのように宙を漂う。そしてタタラとジャックの胸の上で波紋を立てた。
波紋はゆっくりと広がり、ほどなくして消えた。それと同時に魔法陣の光も消えて、甲板の上には穏やかに眠る二人の魔族が残った。
フィニは疲れからか、後ろに倒れると「はぁあ〜〜〜······」と力の抜ける声を出す。
船に戻ってきたギルベルトが状況を読み込めずにいると、スイレンがジャックを指さして「部屋に」と小声で頼んだ。
ギルベルトが俵担ぎでジャックを運んでいくと、スイレンはフィニに「よくやった」と言って頭を思いっきり撫で回す。
イーラはスイレンにもみくちゃにされるフィニに、「ありがとう」と短く感謝を伝えた。
イーラがスープを作りに行くと、フィニは起き上がってイーラの背中を見つめる。
「ありがとうは、こっちのセリフだよ」
フィニは恥ずかしそうにそうこぼした。スイレンはイーラの背中を愛おしそうに見つめながら、「いいじゃないか」と笑う。
フィニの肩を寄せて、スイレンは優しい言葉をかけた。
「受け取っておきな。悪口を受け取る必要は無いけど、感謝に遠慮はしちゃあいけない。お前さんはもっと胸を張りな。思っているよりも、お前さんは役に立っているんだから。いつまでも卑下してたら、相手にも失礼になっまう」
「フィニアンがいてくれて、本当に良かった」
フィニはその言葉に、我慢していた涙をボロボロとこぼした。
スイレンは袖でフィニの顔をそっと隠すと、見ないふりをしながら抱きしめてやった。
カナが甲板に戻ると、スイレンは唇に人差し指を当て、「しー、だよ」とカナに合図を送る。カナはニッコリ笑って、スイレンと同じように唇に人差し指を当てた。
カナは足音を立てないようにその場を離れた。
スイレンはすすり泣くフィニを抱きしめながら目を閉じて、耳を澄ませた。
静かなさざ波が、心地よく響いていた。




