91話 互いの手を掴む 2
イーラの船室で、ギルベルトは棚に並んだ薬品を漁る。
エミリアは歯を食いしばり、苦しそうに息をしていた。
「ああクソッ! どれが解毒薬だ? そもそもどれがどれだか分かんねぇ!」
「焦らなくとも大丈夫です。まだ余裕はありますから」
「あんまり喋るな! 今まだ体力が持つだろうけど、毒ってのはいきなりコロッと逝ったりすんだよ! つーかお前に毒耐性なんてねぇだろ!」
「昔は飢えを凌ぐために毒草を食べたりしました。普通の方よりは毒の巡りが遅いのです」
「そんなの聞いてねぇ! 後出し情報今要らねえから!」
ギルベルトは苛立ちながら薬を探す。背中からは、折った槍の隙間をこぼれ落ちるように血がたれ続けていた。
ギルベルトは焦り始めていた。エミリアは「平気だ」と言うが、毒が効きにくくなるなんてことは、訓練を受けていない限りはそうそうない。自分もそろそろ止血をしないと傷が膿む。
だがどの瓶に何が入っているのか全く見当もつかないし、仮に薬を見つけても、毒の種類が分からなければ解毒のしょうもない。
「エミリア、症状は何だ? せめてそれだけでも特定しよう」
「目眩と、吐き気······あと、あとは············えーと」
「目眩と吐き気な。ゆっくり思い出してくれていい。それまでに急いで探す」
ギルベルトは何とかエミリアを落ち着かせようとするが、毒の種類も分からないばかりか薬の見分けもつかずに途方に暮れていた。
怪我をすれば、イーラがいつも薬を差し出して処置を施してくれる。どんな症状でもどんな些細な悩みでも、それにピッタリ合わせた薬をくれる。
イーラなら、この毒もそれに対する薬も瞬時に見つけて対応出来ただろう。彼女の偉大さは、彼女がいなくなって初めて気がつくほどに、心地よいものだった。
ギルベルトは床に血溜まりを作りながら薬品棚を睨みつけた。イーラは薬をどう分けているだろう。作用別か、使用頻度か。だがいつも使う薬の瓶は大きさも形もまちまちで、関連性はない。
「ギルベルト、あなたの魔法で毒を焼くことは出来ませんか?」
「はぁっ!? そんな精巧な魔法が使えるかよ! 第一俺は······忘れてると思うがな、魔導師になって一年目だぞ!」
「ああ、そういえばそうでした。すみません、聞かなかったことに」
エミリアは汗を滲ませてイーラのベッドにもたれた。そろそろ限界に近づいているのだろう。ギルベルトも血が流れ続けて視界がかすみ始めていた。このままではどちらも力尽きてしまう。それだけは避けなくては。
ふと、上の方から荒々しい足音が響く。
ジャックとタタラの獣のような叫び声も聞こえてきた。
「──マズいな。このままじゃまた暴走するかも。いや、もう暴走してっかも」
ギルベルトは更に焦った。
イーラの薬をすぐに使わなければ。『イーラの薬の大半は飲み薬である』ということしか覚えていない自分に腹が立つ。癪だが回復魔法が使えるスイレンも今はいない。
「······っふぅう〜〜〜〜〜〜」
ギルベルトは深呼吸をした。
焦るな、焦るな。自分にそう言い聞かせて薬を探す。
イーラはいつも、薬を見分けている。スイレンもよくイーラの船室から薬を持って行っていたし、イーラも『誰にでも分かるように印をつけてる』と言っていた。その印を探せばいい。
「────あっ」
ギルベルトはようやく気がついた。薬瓶の色が揃っていることに。そして、棚の端っこに薬の種類が書かれていることに。愚かしいほど遅く、気がついた。
「これか!」
ギルベルトは『解毒薬』と書かれた棚にある、黄色い瓶を手に取った。それがちゃんと効くかは分からないが、急いでエミリアに飲ませる。
エミリアも効果を尋ねたが、ギルベルトはとりあえず解毒薬を飲ませた。
そして自分も、『痛み止め』の棚の茶色い瓶を取ると、それを飲み干し、エミリアイーラのベッドに転がして安静にさせる。
「島に着きます! あと少しです!」
上からフィニの声が聞こえた。
ギルベルトは急いで甲板に駆け上がった。そして絶句した。
甲板の上で踊る、人間性を捨てた魔族の争い。鮮やかな血で甲板を彩り、裂けるように笑ったその表情は、狩りをする獣よりも恐ろしかった。
ギルベルトは戦いに夢中な二人を避けて、フィニとカナの元に走る。
「島が近いって? なぁ、あれか?!」
「はい! あ、イーラが見える! ギルベルトさん! イーラとスイレンさんがいます!」
「マジか! 二人とも無事か!?」
ギルベルトは船から身を乗り出して二人を確認する。
イーラが元気そうに手を振る一方で、スイレンは吐き気をもよおしていた。
「おいフィニ。ジジイは乗せなくていいぞ」
「えっ」
スイレンが吐いたのを見た時、ギルベルトは「あいつは捨て置こう」と決意した。
***
岸に着けた船から、カナがふわりとイーラの前に降り立った。そしてイーラにギュッとしがみつく。会いたかったとこぼす小さな体に、イーラは安心感を与えるように抱き締め返した。
ギルベルトが走って船から降りてくると、イーラの安否を確認する。イーラはギルベルトの顔色の悪さに気がつくと、すぐに背中を自分に向けさせた。
「きゃあ! なにこれ! 何があったの!?」
「タタラの襲撃に遭った。早々に悪いがいくつか頼みたいことがある。まずは······」
「お前さんの治療だろう。この馬鹿たれ。槍を刺しっぱにして来るやつがあるかい」
「うるっせぇなジジイ。助けに来てやったのに吐きやがって」
「あれは不可抗力サ。イルヴァ、小僧はあちしに任せとくれな」
「あ、エミリアが毒を受けた。適当な解毒薬を飲ませちまったから、処置を頼む。あと甲板の奴らも早めに止めてくれ」
「あーもう! 一気に喋んないで! まずは解毒が先よ!」
イーラは急いで船に乗ると、甲板の光景に絶句した。
誰の血かも分からないほどに真っ赤になった船と、船首で青ざめているフィニの姿。そして、息も絶え絶えに微笑んで踊る、二人の獣。失血で震える手で剣を握り、狼のように吠えるジャックと、血の滴る翼を広げ、凛として薙刀を構える狂った瞳のタタラだ。
二人とも戦うのを止めず、なんなら獣の姿に変わりつつあった。
イーラは二人の戦いに巻き込まれないように避けて船室に駆けた。ギルベルトの血の跡を辿り、自室に入ると、汗をかくエミリアがベッドに横たわっていた。
イーラはエミリアの様子を診察すると、体の傷口を確認する。赤くなった傷口の周りから紫の筋が伸びている。おそらく毒刃か何かで斬ったのだ。
「あー、ここから入ったのね。エミリアさん、ちょっと苦しいけど我慢してて。すぐ治すから」
イーラはエミリアの汗を拭い、棚から解毒薬を選び、それをエミリアに飲ませる。エミリアは飲み込む力が弱まっていて、一口飲む度に咳き込んだ。
思っていた以上に弱っている。イーラは机の引き出しから塗り薬を出すと、それを小さな深皿に出して水を少し混ぜた。
薬の粘り気を緩めると、エミリアの傷口にとろりとそれをかける。
「──っうあぁああぁぁあぁあああ!」
エミリアが暴れるのをぐっと押さえ、「耐えて!」とエミリアに声をかけ続ける。エミリアに突き飛ばされても、イーラはすぐに起き上がって傷口をガーゼで覆う。そして痛みにうずくまるエミリアを何とかなだめて包帯を巻いた。
「すぐに効いてくるから。大丈夫よ。痛みはすぐに引くわ。ごめんね。痛かったでしょう」
イーラはエミリアの汗をもう一度拭うと、「しばらくそのままでいて」とエミリアに壁に掛けていた上着をかける。
エミリアが目を閉じたのを確認してから、イーラは甲板戻った。
甲板では、まだあの二人が戦っていた。
もう人としての理性はない。獣の本能だけでそこに立っていた。
──殺すか、殺されるか。
──食うか、食われるか。
命で語るようなその戦いに、イーラは深い怒りを覚えた。
「今すぐ止めなさい! 私の前で殺し合いなんてよく出来たわね! 加減ってもんがあるでしょうが!」
イーラが怒鳴ったからといって、二人が止めるとは思えない。そもそも声すら聞こえていないだろう。イーラにすら、止める手立てはない。それでも、どちらか一方が死ぬなんて、考えられなかった。たとえそれが敵であったとしても。
イーラには、どうしても許せなかった。──自分の目の前で、命がむしり取られることが。
「ジャクイーン・ハルヴィア・モントベール!」
ジャックの意識が一瞬だけ逸れた。
「ツユシロ・タタラ!」
タタラの意識が、人間に引き戻された。完全に正気を戻した瞳でイーラを見つめていた。
「今すぐその手を止めなさい! 二人とも死ぬわよ!」
イーラの怒号が、二人を貫いた。
ジャックはその場に倒れ、タタラも続いて膝をつく。
ギルベルトの治療を終えたスイレンが、甲板の様子に深いため息をついた。
タタラは薙刀を支えに立ち上がろうとするが、体が言うことを聞かず、とても悔しそうに顔を歪めた。
「どうして、お前が、ボクの······どうして」
タタラはついに力尽きて倒れた。スイレンは血なまぐさい臭いに鼻をつまみながら水晶をかざす。
「水の知恵 祈りの歌よ······うぷっ」
具合悪そうにしながらも、ジャックとタタラの傷を治す。海から引っ張った水の力でジャックとタタラを包み込むと、スイレンはそのまま鼻をつまんでいた方の手で払う仕草をした。
海から這い上がってきた水が甲板の血を流し、海へと消えていく。
綺麗になった甲板に二人を降ろすと、イーラに目配せをした。
「傷はもういいだろう。さぁさ、ちょいと診とくれ。無事かどうかまでは、あちしにゃ分からないからねぇ」
「分かったわ」
イーラは二人の様子を確認する。
どちらも意識を失っている。顔色がかなり悪い。甲板が真っ赤になっていたのだ。いつ失血死してもおかしくない。
輸血が必要だ。でも魔族に輸血は出来るのだろうか。出来るにしても、これは医者でないと処置できない。イーラでは役不足だ。
「······血が足りな過ぎるわ。このままでは死んでしまう。どこか病院に運びましょう。魔族でも、見てもらえるかしら?」
「いや、無理だよイーラ。魔族を診てくれる病院はない。襲われでもしたら大変だから」
フィニが恐る恐る答えた。イーラは絶望した。このままにするしかない。二人は眠ったまま死ぬ。何も出来ないまま。
イーラは諦めたくなかった。何としてでも助けたい。何としてでも生かしたい。放っておくなんて、イーラには出来なかった。
「スイレンさん、お願い。魔族の血を増やすことって出来ない?」
「難しいね。血は水だが、水は血じゃあない。増やしたところで血中濃度とか何とかってのがガクッと下がってむしろ危険だ。魔族の回復力にかけるか、このまま楽に眠らせてやるかサ」
「私が見捨てるとでも!?」
「いいや。お前さんがそんな事出来るなんてちっとも思っちゃいないサ。だから、かなりの賭けをしようと思う」
「でも助けられないって」
スイレンは苦笑いをした。唇に人差し指を立て、意味深な表情をする。
「難しいとは言ったがね。あちしは『出来ない』とは言っていないだろう? 不可能ではないサ。でも成功するとも限らない」
「······それでもいいわ。助けるためなら」
「そうかい。お前さんがそう言うのなら。もう一度、あちしにその血を分けておくれ」
スイレンは船室から深皿を取ってくると、皿に数滴ほど水を入れた。
イーラの指先に針を刺し、血を一滴だけ同じ皿に入れた。
水と血がじんわりと混ざると、スイレンはその皿を、なんとフィニに渡した。
フィニは驚きながら皿を受け取ると、オドオドしながらスイレンを見上げる。スイレンはそれに、意地悪な表情で返した。
「さぁフィニアンや。お前さんの出番だよ。なぁに、難しいことは言わないサ。簡単とも言い難いがね」
「あの寝っ転がってる二人に、とっておきの魔術を使っておくれ」




