89話 命の戯れ
カナはクルクルと甲板を回る。
風が切りつけるように吹き荒ぶ。
カナはヒラヒラと楽しそうに踊る。
風が弾き飛ばすように荒れ狂う。
カナの絶大な魔法の前に、鴉天狗たちは劣勢を強いられていた。
ジャックはフィニを守るように立ち、鴉天狗の猛攻を剣ひとつで薙ぎ払っていく。
ジャックの唸り声は風にかき消される。鴉天狗たちは風の動きを読めずに、ただ遠くへと流されていく。カナは台風のような風の中で、本当に遊んでいるように歌い、踊った。
「楽しいね。楽しいね」
「······くふっ、イカれてんねぇ。このクソガキ!」
年端もいかない小娘一人に仲間が減らされていく。タタラは苛立ちを露わにしてカナに襲いかかった。
カナはふわりと綿毛のように宙を舞う。タタラの薙刀は、カナにかすりもしない。それが余計に苛立つ原因となる。
「おのれ、おのれ! この小娘が! 原初の魔導師だろうと、所詮は低俗な人間に過ぎぬ! 大人しく殺されろ! 貴様の血を船の飾りに塗ってやる!」
「とってもとってもヤバンなことを言うね。鴉天狗のタタラさん。イルルが聞いたら怒りそう」
「うるさい! 罪人の分際で! このボクに生意気な口を聞くな!」
気がつくと、カナは壁際に追い込まれていた。
カナが逃げ道を見つける前に、タタラの薙刀が振り下ろされる。
カナがギュッと目を瞑ると、キィンッ! と金属音が響いて、低い唸り声がした。
「ジャック!」
「カナトネルラ・キニアラン! フィニアン・レッドクリフの援護をしろ! タタラの相手は俺が引き受ける!」
「ジャックはダメ! 空と大地はかけ離れてる!」
「······そぉだよ。ジャック。君のような大地の魔族は、空の魔族に勝てっこない。だってさぁ、飛べないじゃん?」
「ああ、もちろん。狼が空を飛んだら世界の常識がひっくり返る大事件だ。だが、方法はある」
ジャックはそう言った。しかし、空を自由に飛ぶ鳥に勝てる算段があるはずがない。タタラは油断していた。自分の力を過信していた。それが大きな落とし穴だった。
羽を突き抜ける鋭い痛みと、じんわりとした温もりが服を濡らしていく。
タタラの羽を、土の槍が突き刺していた。それは、エミリアが魔法でばらまいた砂から出来ていた。
「······俺の魔力を砂に込めた。神殺しの巫女は、とてもずる賢い」
エミリアは自身の魔法で鴉天狗を捕縛するという、目立つ魔法を使っていた。しかし、彼女はフィニを守る保険として、使った砂を甲板にわざと撒き散らかし、密かに魔法をかけていた。
エミリアはジャックにそれを教えてはいない。が、彼の前でわざと砂を撒いた。『踏むなよ』と睨みつけてすぐ戦いに戻った彼女の振る舞いを、ジャックが何となく察しただけ。
──そしてジャックが知らないまま使っただけ。
「もう少し大人しい魔法だと思っていた。元上司を串刺しにするのは少し心が痛む」
タタラは一枚下駄で砂の槍を砕き、ジャックから離れるが、羽はぼたぼたと血を垂らして動かなくなった。ジャックはいっとう鋭い犬歯を見せると、嫌味ったらしく言った。
「だが、鴉が飛べなくなったら俺でも勝てる。そうだろう?」
タタラはついに堪忍袋の緒が切れた。
薙刀を思いっきり振り回すと、「クズ野郎!」と叫び、その切っ先ジャックに向ける。
「毛皮を剥いで腰巻きにしてやる!」
「夕飯に困らずに済むな。だが鴉の肉は不味い」
最初に仕掛けたのはジャックだった。
高く構えた剣をタタラの喉にねじ込むように突く。タタラはそれを海老反りで避けると、下駄でジャックの顎を蹴りあげる。
ジャックは下駄を手で押さえると、蹴りあげる力を利用して宙に身を投げ出した。そしてそのまま一回転して広い甲板に着地する。
フィニの近くで応戦していたカナがジャックを見つけると、甲板に降りた鴉天狗を無理やり退場させた。
「風の戯れ 精霊の気まぐれ」
「ちょこまかしやがって! デカいだけの犬が調子こくなよ!」
「飛べない鴉が偉そうだな。希望の味付けはあるか? その通りにして食ってやる」
「お願い。彼らのために力を貸して」
「鴉は雑食でね。ゴミでもなんでも、狼だって食べるんだ。捕食者がお前だけだと思うなよ!」
「他人の物を奪う下劣な種族が気取るな。同族意識よりも哀れみが勝る」
「戦場を彷徨う流浪人」
カナが巻き起こした竜巻は真ん中に立つジャックとタタラを残して全てを薙ぎ払った。
フィニは突風に体勢を崩すも、すぐに持ち直して前だけを見つめる。
ジャックは広くなった戦場に気持ちを高ぶらせた。タタラも、邪魔な物がなくなって、心が軽くなっただろう。
荒々しく響く金属音、甲板を突き破りそうなくらい踏み込む足音。獣同士の雄叫びが、風に乗って運ばれる。
ジャックの剣がタタラの手足を切り刻む。タタラの薙刀がジャックの胴を突き刺す。流れ出る血が甲板を鮮やかに染め上げていく。
ギルベルトやエミリアの戦いがまだマシだと言えるほどに。
カナの吹き荒れる魔法がまだ可愛げがあったと言えるほどに。
鴉と狼は加減知らずの命知らず。激しく甲板を踏み踊り、耳障りな金属音を弾き鳴らし、お互いの服を赤くして死の舞踏を繰り広げる。
もう人としての声を保っていなかった。獣の性が剥き出しになり、肉体も、獣のそれへと変わり始めていた。
カナはそれをただじっと見守り続け、空より降り注ぐ襲撃からフィニと彼 らを守るばかりだ。
フィニは後ろの戦いが少し気になり、「止めないの?」と尋ねた。荒れた戦いなのは見なくても分かる。あれを止められるのがここには居ないことも分かってて、フィニは意地悪な質問をしたな、と反省した。
しかし、カナは「止めないよ」と明るい声で、かつ、真剣な声で答えた。
「どっちも本気。どっちも真剣。それを止めるのは、それを上回るものじゃないとダメ。カナが手を出すのは『野暮』ってヤツでしょ」
カナは祈るように胸で両手を絡める。
ギュッと目を瞑って、二人の争いを今一度、真っ直ぐに見つめた。
「正義と悪の戦いに見えるかもしれない。今間違っているのは、きっとカナたちの方。でも、これは正義も悪も関係ない。二人とも、自分の気持ちに真っ直ぐだから。どっちが正しいかなんて、関係ないの。どっちでもいいとすら思ってるんだよ」
目の前で戦う獣たちは、死を叫び、命を貪り続ける。
フィニは目の前に見えてきた島に、目を見開いた。
カナはフィニの背中に、体重を預けるように呟いた。それは、自由をよく知る風魔導師であるからこその、言葉かもしれない。
「──『譲れないもの』のために、彼らは命を張っているの。それが、他人にはしょうもなく見えていても、彼らには、命すらおしくない代物なの」
カナは空を仰ぎ、逆巻く風の鞭で鴉天狗たちを叩き落とす。
海へと落ちていく彼らを見上げながら、カナはイーラの名を呼んだ。
「イルヴァーナ。あなたはどうするの?」
いつもの可愛らしいあだ名ではなく、ちゃんとした、本名で呼んだ。カナは胸の前でまた手を組むと、空に解けるように呪文を呟いた。
「風は花畑に吹く」
船が加速した。あと数十分もすれば、島に着くだろう。




