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88話 陸と空の戦い 2

 イーラは山を駆ける。

 息を切らし、金剛樹の間を縫って走る。

 金剛樹の根が埋め尽くす道は、道とは言えないほど険しかった。イーラは急な斜面を転がり落ちないように慎重に下りる。途中で一際太い金剛樹を見つけると、それに近づいて幹をナイフの柄で叩く。


「······これがいいかしら」


 ボソッと呟き、イーラはナイフで幹に傷をつけた。

 豆腐のように切れた金剛樹から、とろりと黄金の樹液が垂れた。イーラはそれをこぼさないように少し大きめの瓶に入れる。


「······やっぱり。これで正解なんだ」


 イーラは黄色くなったナイフをじっと見つめた。

 イーラは檻に閉じ込められている間、ひたすら薬の調合を繰り返し、金剛樹を切れるナイフを作っていた。

 ミツヅタとエンユトウは金剛樹を切れるが、強い毒性で採取には向かない。そして、かなり力を入れないと切れないという問題点があった。

 しかし、ナイフにあらかじめオトナキビワと保護クリームを混ぜた物を塗っておき、上からミツヅタとエンユトウ、サンバソウの目薬を混ぜた液体をかけて、火であぶることによって表面がコーティングされたナイフが出来上がった。

 これでエンユトウの毒性で切りつけ、切りつけたその後をオトナキビワが解毒し、無毒にする便利で強靭な武器となった。


 イーラは樹液の採取を終えると、瓶を密閉し、また山を駆け下りる。頂上の檻にフィニはいなかった。

 でも山のどこかにいるはずだ。イーラは汗を流して仲間を探す。


「──必ず、助けるから!」


 イーラは諦めなかった。どこにいるか知らなくても、必ず見つけ出す覚悟があった。それがどんなに遠くても、どんなに時間がかかろうとも、きっと彼女には、諦めるという選択肢はないだろう。


 ***


「さぁ逃げなさい! わたくしは今! すこぶる機嫌が悪いのです! 手加減なんて出来ないでしょう。命が惜しいのならば、今すぐここを立ち去りなさい!」


 優しい口調とはいえ、巫女とはいえない立ち振る舞いは、かつて盗賊だった頃のクセが滲み出ている。

 エミリアは生み出した砂を、あらゆる形に変えて鴉天狗たちを拘束していく。羽が使えなくなり、悲鳴を上げながら鴉天狗たちは海やら船やらに落ちていった。

 タタラは仲間を助けながら、根源たるエミリアの命を狙っていくが、一歩でも距離を縮めると、ジャックが彼女の喉笛を噛みちぎろうと牙を見せる。

 ギルベルトは舵を手にしながら、エミリアとジャックの援護もしつつ、フィニの護衛も務めた。だがあまりにも多い鴉天狗の数と、フィニを狙う奴を追っ払うのに魔力の消耗が激しくなる。

 だんだんと撃ち出される炎の弾丸の威力が弱まっていった。エミリアは戦いながらギルベルトを気にかける。しかし、油断は禁物だ。エミリアがほんの一瞬目を逸らした瞬間、エミリアの横腹を、タタラの薙刀がかすった。

 熱い激痛にエミリアが片膝をつく。タタラは脂汗を浮かべて薄ら笑った。


「どぉ? 鴉天狗は空の魔族の中でも、有数の規模を誇るんだぁ。相手にするの疲れたでしょ。どんなに倒しても湧いてくるんだもん。いいよ、降参しても。むしろそっちの方が助かるなぁ」


 タタラは火傷を負った足を引きずってエミリアと首に薙刀を当てた。エミリアはタタラを見上げると、鼻で笑った。


わたくし一人を殺したところで、誰もあなたの言いなりになりません。あなたがどんなに頑張ったところで、誰もあなたに屈しない。教えて差し上げましょう。わたくしたちの力の源を、ここまでして彼女たちを助ける理由を」



「──かけがえのない仲間だから」



 エミリアが杖で薙刀を叩く。重心が体の外側に傾いたところで、タタラの火傷を思いっきり殴った。タタラがバランスを崩したら、足を引っかけて転ばせる。エミリアはタタラの胸を踏みつけ、杖を喉に突きつけてその場を制した。


「大人しく退却なさい。そうすれば、わたくしの慈悲の心で命は助けましょう」


 タタラはエミリアの足を掴むと、下から睨みあげる。歯を食いしばり、心底苛立った口調で叫んだ。


「罪人風情が偉そうに! 仲間だ?! 慈悲だ?! 情けをかけてんのはこっちの方なんだよ! 本来なら議会の承認を得るまでもない大悪党のお前らを、わざわざ議会で承認を得て、許可を得て、裁いてやってるんだ! ボクの、七宝の、情けで! 君たちは正義をはき違えてんの! 悪はボクじゃない! 君たちだ!」

「それでも(わたくし)は仲間を助けますわ。わたくしの背中を押してくれた、大事な宝物ですから!」

「綺麗事を抜かすな穢れた巫女め!」


 タタラは力づくでエミリアを押し飛ばすと、薙刀を支えに立ち上がった。


「なぁにが宝物だ。馬鹿馬鹿しい。所詮は傷の舐め合いだろう? 絆だの思いやりだのなんて言葉で仲間の首を括るんだろう? 利害関係の世の中で何が大事なもんか」


 タタラは薙刀を振り回すと、近くの仲間を切り捨てた。

 仲間の血を浴びると、彼女は薙刀を振り下ろし、甲板に穴を開ける。



「力無き者に、語る資格も無し! それが誠であるならば、ボクに証明してみせろ!」



 またタタラの雰囲気が変わる。背中の鴉の羽を大きく広げ、エミリアを威嚇する。エミリアが杖を構えようとするが、突然、視界が歪んだ。耳鳴りと吐き気、揺れる視界がエミリアの身体の自由を奪う。

 動きが鈍る、いや、動けなくなっていく。力が入らない。魔法も使えない。エミリアは汗が止まらなくなった。


「エミリア!」


 ギルベルトが舵を離れ、エミリアを抱える。エミリアは喋ろうとしたが、上手く言葉にならなくて、何も伝えられなかった。

 ギルベルトはエミリアの様子に、毒だと気がつくと、血の気が引いた。


「まずいな、早く解毒しないと!」


 しかし、鴉天狗に囲まれたこの状況で、どうやって治療が出来るだろうか。その場を離れることすら、難しいこの状況で。

 イーラの船室に行けば、嫌というほど薬がある。イーラは傷薬と解毒薬だけはストックを切らせないようにしていた。イーラの船室にさえ入れたら、エミリアは助かるだろう。

 ギルベルトはジャックに目配せをする。『どうにか道を開けてくれ』と。

 ジャックは唸り声をあげると、倒れた鴉天狗から剣を奪い取ると、剣に油をかけて火をつけた。それを振り回すと、鴉天狗たちは空へと逃げる。


 道が開けた。ギルベルトは一瞬の隙を逃さず、前線から離れようとするが、寸でのところで鴉天狗の槍が背中に突き刺さった。


「ぐぁっ······」


 ギルベルトが痛みを堪え、銃を撃ち鴉天狗を倒す。槍が突き刺さったまま、船室に向かうドアに手を伸ばした。

 あと少しという所でギルベルトにまた鴉天狗の手が忍び寄る。ドアに映った影は、より大きな剣を持っている。

 ギルベルトは最悪、エミリアを放り投げるつもりでドアを開けた。



風の雄叫び(ルゥ・ジェ・シルフ)



 可愛らしい声と共に、とてつもない突風が甲板を突き抜けた。

 ギルベルトは尻もちをつき、ジャックは身を伏せて風を切り抜ける。フィニは気合いひとつで風に耐えた。不意をつかれ、空を飛んでいた鴉天狗たちは風に抗えずに海へと突き落とされた。

 敵が減った甲板に踊るようにカナが現れる。


「鳥さんいっぱい、楽しいねぇ。カナと遊ぼっ! 鳥さんと遊ぶの初めてなの」


 彼女の無邪気な笑顔は、タタラの表情を凍りつかせる。カナはくるくると回ると、タタラに手を伸ばした。


「風の戯れ 精霊の気まぐれ」


 ギルベルトは船室へと走り、ジャックはカナの表面的な笑顔に釘付けになった。カナは一人でクスクスと笑うと、タタラの頬を両手で包み込む。


「──遊びましょ?」


 ······重量感のある誘いだった。

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