87話 陸と空の争い
ケルピーを纏う船は風を切り、海を裂き、猛スピードで水平線の遥か彼方を目指す。
フィニは船首に立ち、魔法陣を維持しながら遠くに目を凝らし、イーラのいる牢獄を探していた。
ふと、見張り台に立っていたカナが目を大きく開くと、「いた!」と叫んだ。見張り台をふわりと降りると、ギルベルトの肩に立つように着地して未だ何も無い海を指さした。
「向こうに大きな島がある! 岩山に囲まれて大きな山があるの! その山のてっぺんにイルルがいるよ!」
「島!? 山ぁ!? 岩山に囲まれてって······船停めるとこ無くね?」
「岩山の一ヶ所が大きく空いてるから、そこから入れるかもしれない」
「そうか。お前が視たならそうなんだろうな。よっしゃ行くぞ!カナ、ジャックん所に行ってエンジンに魔力ぶち込んでこい! 石炭も使え!」
「分かった!」
カナはぴょんとギルベルトから飛び降りると、船室の奥へと走っていった。
エミリアは杖を握りしめると、強く息を吐いてトントン、と軽いジャンプをする。
「必ず、助けてみせますわ」
エミリアが覚悟を決めた直後、空から羽ばたく音がして、矢のように飛んでくる影がエミリアを突き刺した。
ギルベルトが驚いて舵を手放しそうになると、エミリアは「離すな!」と怒鳴り声を出す。
「私は大丈夫です! 持ち場を離れないで!」
エミリアが杖で防ぐ先には、銀色の薙刀に足先を下ろすタタラの姿があった。
タタラは裂けそうな笑みを浮かべて薙刀で杖を押し込む。ギチギチと不穏な音を立てて、エミリアの表情は強ばり始めた。タタラは相変わらず、飄々とした態度で鴉の羽を羽ばたかせる。
「ちょぉっとちょっと! 君たちどこに向かう気なのさ。ここから先はボクの管理区域。君たちを閉じ込める牢獄があるんだけど? あ、もしかしてぇ、捕まりに来てくれたのかな? いやぁ助かるなぁ。手間が省けるってもんじゃん」
「いいえ、仲間を助けに行くのです。ここで死刑になるわけにはいきませんから」
「えー、死んだっていいでしょ。君たちは罪を犯した。死刑に値する罪だ。ここで逃げれば一日くらいは長生き出来るかもよ?」
「食事を共にした友人を見捨てて生きるくらいなら、喜んで命を捧げましょう!」
エミリアは杖を回し、薙刀を受け流すと鋭い蹴りをタタラの腹に突き刺した。「ぐっ······!」と声を漏らしたタタラが空に逃げると、ギルベルトが追撃をかける。
繰り出される火の弾丸を避けながら、タタラは歯ぎしりをした。
「おのれ、おのれ! 卑しい罪人の分際で! 法の守り人に楯突く気か!」
タタラは悔しそうに叫ぶと、腰につけていた本を手に取り空に放り投げる。本が開かれると、ページはひとりでに捲れ、ある項目で止まった。
タタラはそのページを強く叩くと、ひどく苛立った声で叫んだ。
「牢獄における騒動についての掟! その三十六条! 『外部者が看守に刃を向けた場合、速やかな捕縛を優先する』!」
「『なお、外部者は応戦した瞬間から囚人とみなし、投獄を許可される』! 『看守は囚人を捕縛する際に殺してはならない』!」
タタラがそう叫んだ後、エミリアの背筋は凍りついた。
彼女はただ、七宝に記されたルールを読んだだけだ。だが、そのルールには、『囚人を殺してはならない』とだけ記されていて、
『囚人を怪我させることなく捕縛しろ』とは書いていない。
それに気づいた時には遅かった。
空からは不規則な羽音を響かせて、無数の鴉天狗がこちらに向かっていた。
ギルベルトは片手で舵を取り、銃口を空に向ける。
フィニはギルベルトの方を向くと、「大丈夫です」と声をかけた。
「ケルピーの加護で船は加速できるし、ランタンがあるからイーラの所に必ず着きます。戦うことだけを考えてください」
「お前こそ、魔法陣から出たらケルピーの加護は途切れちまう。そうなったら最初からやり直しだ。お前は島に着くことだけを考えてろ」
「私がフィニを守りましょう。ギルベルト、出来るだけ敵を船に近づけないように」
エミリアは杖で床をつくと、フィニの方を見た。
真っ直ぐな目で、覚悟を決めたその瞳で、フィニに命令する。
「魔力の全てを注ぎ込む気で、船を進めなさい。危なくなっても前だけを見なさい。あなたは自分の役目を果たすことだけに集中しなさい。絶対に、後ろを振り返ってはいけません。戦おうとしては行けません。あなたに伸びる悪意の手を、叩き落とすのは私たちの役目です」
「────はい!」
フィニは返事をすると、「進め!」と声を張り上げる。
船がより一層加速すると、鴉天狗達は一斉攻撃を仕掛けてきた。
ギルベルトは拳銃を燃やし、形を変えて空を睨む。
ギルベルトの周りにいくつもの炎が浮かび上がり、それは小さなミサイルに姿を成す。ギルベルトは腕と一体化した小型砲を上に伸ばし、タタラに照準を定めた。
鴉のうるさい鳴き声がする。バサバサと煩わしい羽音を焼き殺すように。ギルベルトは静かな声で、呪文を唱えた。
「我が銃よ 魔力を燃やせ 我が身に降りかかる厄災全てを撃ち落とせ」
タタラ達が、船の一番高い帆の先に、差し掛かった時だった。
ギルベルトの小型砲に、光が集まっていく。
「迎え撃つ炎弾」
ギルベルトの小型砲から放たれた炎が鴉の集団の中心を射抜く。タタラは海に落ちるように加速して避けたが、タタラの後ろに続いていた鴉天狗は皆揃って焼け落ちた。
炎の弾丸が空を撃ち抜いた直後、炎のミサイルが不規則な軌道で鴉天狗達を襲う。追撃を食らって鴉天狗達は焼けた顔を押さえ、羽を焦がし、次々に海へと落ちていく。
タタラはその様子を怒りに満ちた顔で見つめていた。「この野郎!」と叫ぶと、ギルベルトの喉元に薙刀を突きつける。しかし、ギルベルトは冷たい目で小型砲を撃った。
「悪いな。俺、イーラほど優しくねぇから。敵すら殺さないなんて考え、持ち合わせてねぇんだよ」
タタラの太ももを炎がかすり、タタラは歯を食いしばって痛みに耐える。そして薙刀でギルベルトの胸を切りつけると、帆の上へと逃げた。
「せめて、仲間の分は傷を負ってくれないと」
そしてまだ集まってくる仲間に号令を出す。
鴉天狗達は船へと降り立つと、圧倒的なその数でギルベルトとエミリアを押さえつけた。
エミリアは悔しそうに抗うが、タタラが下駄でエミリアの顔を蹴り飛ばす。そして、真っ直ぐフィニの元へと歩いていった。
「死霊魔術師の子供。魔術の使用と善良な人間を唆した罪で捕縛する。······安心してよ。君は死刑確定だから、痛みなんて感じないように、ボクが切ってあげるから」
タタラはフィニに手を伸ばす。フィニは言いつけ通りに後ろを振り返らなかった。フィニのローブにタタラの指先が触れる。エミリアは「やめて!」と最後の抵抗をみせた。
「うぐっ、あぁぁあぁぁぁあぁああ!」
タタラが悲鳴を上げた。伸ばした腕にジャックが噛みついていた。
白く鋭い牙を、容赦なく肉にくい込ませ、骨を噛み砕こうと力を込める。
タタラは腕を振り払い、ジャックを遠くへと叩きつけた。
「このバカ犬! 議会第十席のこのボクに牙を立てるなんて!」
ジャックはフラッと体を揺らして起き上がると、口元の血を雄々しく拭った。タタラは心底腹立たしい様子でジャックを睨みつけていた。
「生憎だが、俺はもう議会と関係ないのでな。お前の立場など知ったことじゃない。仲間に手を出すのなら、その喉笛を噛みちぎってやる」
「お前は勝手に売られただけでまだ議会の所有物だ! クズ犬のお前は! ボクに刃向かえる立場じゃない!」
「クズ犬で結構だ。俺はイルヴァーナ・ミロトハの手で買われ、開放された身。議会が売り飛ばしたのなら、それはもう所有物ではない」
「遊撃隊に戻してやるって言ってんのに、せっかくのチャンスをドブに捨てる気ぃ?」
「ドブに捨てたのは議会との縁だ。俺は自由に大地を駆ける人狼! 束縛するものは何も無い! チンケな本を大事に抱えた底意地の悪い鴉の言うことなんざ、聞く義理もない!」
ジャックがそう断言すると、ギルベルトが「よく言ったぁ!」と叫び、エミリアが呆れた笑みをこぼす。
タタラは顔に青筋を立て、「クソ犬が!」と悪態をつく。合図を出して、鴉天狗にジャックを囲ませると、槍をジャックに突き立てさせた。
ジャックは腰を低く構えて警戒する。タタラは嘲笑った。
「帰って来ないなら、ボクだってもー容赦しないよ。ねぇ、ジャック。大人しく降伏してくれない? ボクは忙しいからね。あんまり手間はかけたくないんだぁ」
ジャックはポケットから小さな石を取り出すと、エミリアの方に投げた。
コロコロと転がった石は、エミリアの膝にぶつかって止まる。エミリアはそれをじぃっと見つめて、ほくそ笑んだ。
「降伏しない。俺はお前たちに退却してもらうつもりだ」
「はっ、間抜けな狼一匹で何が出来るって? ここは海の上で、空を飛べるボクたちが有利だ。君に勝ち目はないんだよ」
「······まぁそうだな。俺一人だけでは、勝ち目はない」
「じゃあさっさと降伏──」
「俺ともう一人いたら、勝ち目はある。手を貸してくれ」
タタラはキョトンとした。ジャックの発言の後、鴉天狗達から悲鳴が飛び出した。エミリアのいたところからだ。
エミリアは鴉天狗の高速を解くと、ゆっくりと立ち上がる。
「──スイレンは、中々面白いものを作りますね。『砂を生み出す魔法石』なんて、一体何を作る気だったのでしょうか」
エミリアは杖を一振りすると、石から溢れ出る砂で土の茨を作り出す。
それで鴉天狗を拘束していくと、ジャックの横に立った。
「退却だけが目的ですか?」
「殺せばイルヴァーナ・ミロトハが何を言うか」
「そうですね。あの子は命を軽んじることを嫌う」
「手は抜くなよ。神殺しの巫女」
「駄犬が。誰にものを言っているんです」
エミリアは杖先をタタラに向けると、上品とは言い難い笑みをこぼした。ジャックはは唸り声を上げてタタラを睨んだ。
「「ごみ溜めに帰れ。クソ鴉」」




