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86話 それぞれが手を伸ばす

 船首に立ち、ランタンに火を灯すフィニを、ギルベルトは怪訝な表情で見守る。フィニはマッチに火をつけると、祈るように何かを呟いていた。


「なぁ、本当に大丈夫なんだろうな? あれでイーラの所に行けるって嘘なんじゃねぇの? ランタンだぜ。ただの」

「フフフ。ただのランタンではありませんわ。死霊魔術師(デュラハン)のランタンです。あれに行き先を告げて火を灯せば、そこに案内してくれるそうですわ」

「イマイチ信用出来ねぇな。どう見ても、オンボロなランタンだし」


 ギルベルトがじぃっと見つめる手前で、フィニはマッチの先を、ロウソクに近づける。



「イーラの所に。お願い、連れて行って」



 フィニがそう呟いて火を灯すと、ランタンの中で小さな火が揺らめく。

 フィニがそっと離れても、特に何も起きなかった。


「──ほらな」


 ギルベルトが鼻を鳴らすと、フィニは「そんな事ない」と珍しく反論した。まだ疑っているギルベルトの横で、ジャックとカナがぴくりと反応した。


 船はゆっくりと進路を変える。風もないのに船は走り、舵もとっていないのに船は右へと方向を変える。

 ギルベルトは船が勝手に動く様子に驚きを隠せなかった。フィニは少し得意げに「ほらね」とギルベルトに返した。

 ギルベルトはクッと笑うと、フィニの頭を乱暴に撫で回した。



「やるじゃねぇか」



 カナは見張り台に立ち、風を起こす。ギルベルトは方位磁石で方角を確認すると、地図を開いて現在地を計算する。

 ジャックはエンジンルームに向かった。


「······言ったでしょう。あなたにも、出来ることがあると」


 エミリアはフィニの肩を抱いて、笑顔を見せた。フィニはエミリアの太陽のような笑みに「はい!」と力強く返事をした。


「でも、僕もうちょっと、頑張ってみます。ジャックさん、いないですよね」

「はい。彼は奥の方へ行きました。しかしフィニ、もう少し頑張るとは?」

「えへへ。前に見たと思いますが、死霊魔術師(デュラハン)というのは、精霊の召喚も出来るんですよ」


 フィニはそう言うと、ローブの下から折りたたんだ紙を広げて魔法陣を書いていく。慣れた手つきで仕上げはそれに杖を立てると、フィニは祈りを捧げた。



「冥界を統べる我らが神よ。我が魔力をいしずえに、精霊を呼び覚ましたまえ! ──海馬(ケルピー)!」



 フィニが叫ぶと、海が荒波を立て始め、透き通る綺麗な緑の精霊が船を跨ぐ大ジャンプをした。

 上半身は馬、下半身は魚の不思議な精霊だ。馬のいななきを辺りに響かせると、ケルピーは船首に半身を乗せる。


『汝、我を呼び出す者よ。その名を示せ』

「──フィニアン・レッドクリフ」


 フィニが恭しく(ひざまづ)くと、ケルピーはまた一ついななきを響かせて海へと潜った。

 フィニは杖をクルン、と回すと呪詛を唱えた。


「災いの歌 厄悪の音色 海に棲う精霊よ 船に加護を授け給え

 我が魔力を(むさぼ)りて海を駆け抜け 嵐を目指せ!」


 フィニは杖先を、水平線へと向けた。その瞬間、船にガツンッと大きな衝撃が走り、船はぐらりと揺れた。

 ギルベルトが慌てて舵を取ってバランスを保ったが、船は動きを止めた。


「おい! フィニ! お前何した!」

「フィニ、今の衝撃は何ですか!?」


 二人が問いかけるも、フィニはニコッと笑うだけだった。

 船も海も静まり返った。しんとした船に、小さな音が聞こえてくる。


 ······パキッ、ピキッ。

 パリパリッ、ピシッ、ピキャッ!


 フィニは不敵に笑うと、杖の先で、船を軽く叩いた。




海馬に好かれた船フェイブ・ピリオ・ケルピー




 フィニが呪詛を唱えた途端、船の色は透き通った緑と青に変わり、海藻の装飾が施されて、より煌びやかになった。

 舳先の下に施された女神のシンボルは、飛沫を上げて飛び出すケルピーへと形を変える。


 フィニが「進め!」と叫ぶと、それに呼応するように船は驚くほど早く走り出した。

 突然のスピードに耐えられず、ギルベルトとエミリアが尻もちをつく。カナは見張り台で楽しそうに手を叩いていた。


 フィニは目をキラキラと輝かせて杖を握りしめた。初めて出来た、という興奮よりも、自分でも役に立てる、という嬉しさが、フィニに前を向かせる。


「待っててね。イーラ、スイレンさん! 必ず助けてみせるから!」


 ***


 草木の茂る牢獄の中、イーラは胡座をかいて頭を抱えていた。

 ······難しい。本当に難しい。


 他の植物に触れると毒になるエンユトウなら、その特性で表面が溶けるかと思っていたが、これがまた面白いくらいに溶けやしない。

 弾かれたようにつるりとエキスが滴り、地面で毒に変わる。自分の着地点を危険にしただけで檻に一撃も入らない。


「エンユトウを弾くって何よ。本当にバカじゃない? 毒にすらならないの金剛樹って······」


 イーラは檻に頭を打ちつけると手立てはないかとカバンを漁る。

 傷薬になるエンユトウエキスがあと三本、解毒薬になるオトナキビワが二つ、火炎樹の皮から作る保護クリームとサンバソウの目薬、先日作った止血剤と──母の手帳。


 イーラは手帳に目を落とすと、その表紙を撫でた。

 母ならこの状況をどう打開しただろうか。魔法を使って逃げ出して、どこかにいる仲間を助けることも、容易かっただろう。

 あいにくイーラに魔力はない。使えるものは手持ちの品と、自分の頭脳と技術だけ。魔法が使えたなら、きっともっと楽に逃げられたはず。いや、そもそも捕まったりなんかしなかった。

 自分の無力さなんて、何度だって味わった。


「──母さん。母さんなら、きっと、上手く立ち回れたのよね。捕まることも無く、仲間を危険に晒すこともなく、私が旅した期間よりもずっと早く、世界樹の聖堂に辿り着けたのよね」


 イーラは母の手帳を愛おしそうに抱くと、カバンの奥に押しやった。

「でもね」と新しいカバンを、強く掴んだ。


「私は私なりに学んだよ。魔力が無くても、一人で出来なくても、私は前を向いて、歩いていけるの。鼻で笑ってくる奴らを、思いっきり睨んでね」


 イーラはミツヅタを切ると、ナイフにたっぷりと蜜をつけた。その上からエンユトウエキスを垂らし、蜜を毒に変える。

 その蜜を金剛樹の檻に垂らし、様子を窺った。


 エンユトウエキスはサラサラで、粘り気がなかった。だから滑らかで硬い金剛樹の表面を溶かすことは出来なかったのだ。

 毒蜜は金剛樹の表面を滑ることなく、じわじわと溶かしていく。

 イーラが溶けた部分に毒蜜のついたナイフを押し当てた。


 決して簡単に、とは言い難い。だが、確かに切る事が出来た。

 ナイフを当てて、ほんの少し待てば、イーラの力でも檻を切断出来る。ノコギリのように何度も何度もナイフを動かし、やっとの思いで金剛樹を切断出来た。


 イーラは息を切らしながら、ナイフをじぃっと見る。


「······改良出来そうね。はぁ······もう少し、簡単に切れるはずだわ」


 イーラはナイフを檻に刺すと、少しの休憩を挟む。

 そしてその場にいないタタラを睨み、「見てなさいよ」と苛立ちを口にした。ナイフから垂れた毒蜜は、依然として地面の草花を枯らしていく。

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