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83話 鴉のお誘い

 派手色の山伏の格好に鴉の仮面と、墨色の羽。高い一枚下駄で不安定な舳先を歩き、女はジャックにだけ話しかけた。

 ギルベルトが銃を向けてもお構い無しで、ジャックにずっと笑いかけていた。


「本っ当に会いたかったぁ。第一席が議会に無断で売っちゃうんだもん。怖かったよねぇ。ボクがいながら不甲斐ない! でももう安心だよっ! 君を迎えに来たんだ」


 女は手すりから飛び降りて、ジャックの手前にふわりと着地する。

 ジャックは少し険しい表情をしていた。


「君が率いる人狼遊撃隊は、第一席の指名と議会の過半数によって承認された『議会が所有する』軍事力だ。そして遊撃隊の解散は『議会の過半数の賛成で決まる』ものと記されている。つまり、君たちの解体及び売却は不当なものとみなされ! ボクの権限により議会に戻ることが出来るのだぁ!」


 イーラにはいまいち話が見えないが、ジャックはまだ議会に所属していることになるのだろうか。

 ジャックは女から目を逸らした。女はここでようやくイーラたちの存在を視認した。──「ああ、いたの」と。

 腕を組んで考える素振りを見せると、突然ニコッと笑って羽を広げた。ふわりと空を飛ぶと、舵を取るギルベルトに近づいた。


「そっかそっか! もう買われた後なんだね。そういえば遊撃隊の即売日、ボクにやたらと仕事が入ったなぁ。阻止されるのが相当、嫌だったんだねぇ。でもここでボクが買い直せばいいだけのこと! 君が船の船長さんだね。ジャックをボクに売ってちょうだい。もちろん言い値で買うとも!」

「悪いな鴉野郎。船長は俺じゃねぇ。今すぐ船から降りろ。焼き鳥にしてやろうか」




「このボクを脅す気か?」




 女はギルベルトの目と鼻の先で低い声を出した。

 ギルベルトの銃を無理やり下ろすと、「さっさと金額を言ってよ」と低い声のまま急かした。


「ジャック、あの人は何者なの?」


 女の気がジャックから逸れたところでイーラはジャックに尋ねる。

 ジャックはイーラに合わせて背をかがめた。


「彼女は議会の第十席──タタラ。鴉天狗という魔族で、七宝の一つ『司法神の聖典(スクリフ・ミスラ)』の所持者だ」


 タタラという名に反応してか、女が振り返った。

 そしてイーラのじぃっと見つめると不思議そうに近づいてきた。



「あれ? あれれれ? マシェリー? もしかして生きてたの?」



 タタラはイーラの顔をじっと覗き込むと、「ん〜?」と観察してくる。イーラは少し腹を立てた。


「悪いけど、私は母じゃないわ。マシェリーは亡くなったのよ。聖堂に行ったっきり帰って来なかったわ」


 イーラがそう言うとタタラはぱぁっと表情を明るくする。


「そっか! 君はマシェリーの娘か! どうりで似てるわけだよ!」




「そうだよねぇ! マシェリーが生きてるわけないもんねぇ! ()()()()()()()()()()()()




 イーラの胸が熱くなる。血管という血管が膨張し、鼓動が耳元で聞こえてくる。手が震える。足が竦む。汗が止まらない。

 もしかして、もしかしたら、母の死の真相が目の前にあるんじゃないだろうか。



「──どういうことよ」



 イーラは平静を装ってタタラに尋ねた。しかし、周りにはイーラの異変はバレているようで、エミリアが杖を構えて警戒体勢に入る。

 タタラはけろりとしていて、「そのまんまだよぉ?」とイーラに言った。


「マシェリーはボクの前で死んだ。あれ? もしかして、いやまさかだけどさぁ······君、お母さんがなんで死んだか聞かされてすらいない?」

「······っ!」

「ふぅ〜〜〜ん。まぁいっか! 今はジャックを連れて帰る目的で来てるからね! 君のお母さんの話をしに来たわけじゃない」


 タタラは要件を思い出すと、イーラの前にかがんだ。


「ジャックをいくらで言ってくれる?」

「俺は、議会には戻らないぞ」



 青い顔で立ちすくむイーラの代わりに、ジャックはタタラを見下ろした。

 冷たく睨むその瞳に、タタラは「あは」と笑いを零す。


「なぁに? ジャック。もしかしてこの船気に入ったの? 同じのくらい造ってあげるよぉ。君のわがままなんて初めてじゃない? ボク嬉しいなぁ」

「船なんて関係ない。俺は、イルヴァーナたちを気に入った」


 ジャックはイーラの肩を寄せると、背中をポンポン叩いた。そして後ろに押しのけエミリアに預けると、前に出てタタラと対峙した。


「助けてくれた恩義もある。彼女たちは敵だった俺を助けてくれた。一度も俺を蔑んだことはない。仲間になった以上、俺はそれに応えるだけだ」






「任務の失敗を繰り返して議会に損害をもたらした分際で? 本気で仲間になれたなんて夢でも見てるのか?」






 なかなかに辛辣(しんらつ)な言葉がジャックに突き刺さる。

 タタラは更にジャックを追い詰めた。


「彼らは死霊魔術師(デュラハン)を連れている時点で罪人だ。それにボクが把握している情報じゃあ、死霊魔術を数回繰り返しているし、それを黙認してる。これから仲良く縛り首になる奴らと一緒にいて何になる。ボクについておいで。君まで罪人になる必要は無い。······それに、君が負った負債は、ちゃあんと返さないとね」


 ジャックはじりじりと追い詰められる。「それでも」とジャックは戦う姿勢を見せた。相手は七宝の所持者だ。敵うはずもない。タタラは冷たくジャックを見下ろした。




「それでも俺は、ここに残る。負債を負ったのは第一席のみで、議会全体ではない。その負債も、約束を破られ、売られた仲間の分できっちり返済してやろう!」




 タタラは息を吐きながら上を向くと、ブツブツと独り言を呟いた。


「議会のルール上、ボクは無意味な戦闘は避けなければいけない。ジャックは権利を放棄した。司法神の七宝を持つ者としてルール違反は見逃せない」



 タタラが突然黙ったかと思うと、イーラの足が地面から離れた。隣にはフィニもいて、かなり驚いていた。

 タタラは機嫌が直ったのか、明るい声でジャックに言った。



「君が戻んないなら仕方ない! 犯罪者はボクが、責任もって、議会に突き出すとしよう!」



 ***


「何か言ったらどうなんだい。自分の娘に魔法をかけて魔力を隠すなんて正気じゃないよ」


 スイレンは苛立った声でマシェリーに追い打ちをかけていた。

 マシェリーは言い淀んで鍋の煮えたぎった水面を撫でた。

 半透明の指先を見つめながら、マシェリーは「あなたなら覚えているでしょう?」とようやく口を開いた。


『終末の万能魔導師(エルフ)の蛮行を。原初の万能魔導師(エルフ)が死んでから、たった二千年後の出来事を』

「······お前さんは、百万年以上も前のことを、昨日のように話すねぇ」


 ──知ってるとも。




 世界の始まりは、原初の万能魔導師(エルフ)が生まれたところから始まる。

 万能魔導師(エルフ)は世界の地盤を創るとその柱として世界樹を植え、この世に命をもたらした。そして世界樹を育てる者として、火魔導師(サラマンダー)土魔導師(ノーム)水魔導師(ウンディーネ)風魔導師(シルフ)を生み出した。


 土魔導師(ノーム)水魔導師(ウンディーネ)が大地と海で命を育み、火魔導師(サラマンダー)が空に光をもたらし朝と夜を生み出した。風魔導師(シルフ)が命の息吹を世界に広め、命の種類を増やしていった。



 世界は豊かになり、それぞれの魔導師の元で文明が生まれ、歴史が刻まれていった。



 しかし、スイレンを除く原初の四大魔導師は尽く悲惨な死を遂げた。それも、自分勝手な人間の手によって。



 土魔導師(ノーム)は慈しみ深いがために、人間に裏切られて自ら命を断った。


 火魔導師(サラマンダー)は有能がために、人間に使い捨てられて呪いを吐いて朽ちていった。


 風魔導師(シルフ)は自由を愛していたがために、人間に脅されて自殺せざるを得なかった。


 水魔導師(ウンディーネ)は博識がために、人間に閉じ込められた。



 全ては人間のエゴで、強欲が招いた事だった。それを嘆いた万能魔導師(エルフ)が仲間のために、己の魔力全てを使い、もたらした世界の終末。

 世の根幹たる世界樹を枯らし、ありとあらゆる命を絶やし、世を滅ぼした。その終末には、一人の人間が儀式の贄として、殺されたという。



 豊かで幸せに満たされていた世界は、面影もなく変わってしまった。

 それを再び命の溢れる世界にしたのは、後に生まれた四大魔導師だと聞く。


 その後どう世界を直したかなんて、スイレンには全く分からない。

 牢獄の中で不老不死の魔法を身につけ、わざと魔力を使い果たして眠りについた後なのだから。


「それが何だって言うんだい。お前さんの予言が間違うこたぁない。イルヴァが終末の贄にならないように、守ってきたんだから。お前さんもそのために、あちしに一番に伝えに来たんだろう。万が一にもそんなことあるもんか」

『そうね。でもあなたの万が一は打ち崩れるわ。私の胸の内を知ったなら』

「マシェリー、一体何が言いたいんだい。昔のお前さんより分からなくなってきたねぇ。第一、終末の条件が揃っちゃあいない」

『あら、本当にそうかしら?』




「当たり前サ! 今の仲間を見ててもそうだろう。どこにも『裏切られた土魔導師(ノーム)』も『捨てられた火魔導師(サラマンダー)』も············『奪われた風魔導師(シルフ)』も」




 スイレンはハッとして煙に浮かぶ術式を読んだ。

 イーラの魔力をこぼさず包み込む術式はいくつもの鎖となって、魔力を守っているようだった。

 外れた術式はそれぞれ魔導師の名称が入っており、水魔導師(ウンディーネ)の鍵にはスイレンの名が刻まれている。

 最初から自分が鍵にされていた!


 スイレンは腹を立てた。






「マシェリー・オースティ・ミロトハ! 万能魔導師(エルフ)にしてただ一人、予言の能力を持つ偉大なる魔導師! ()の親愛なる友人がどうして! 己の娘を滅亡の道具として扱うのか! どうして世を滅ぼすためにかつての仲間を犠牲にするのか! 原初の魔導師として問おう! 偽りを申せばお前の魂は暗い海の底で未来永劫! 眠ることになろうぞ!!」






 スイレンが水晶を手にするとマシェリーは「そうよね」と悲しみを落とした。


「──信じていたのに。イルヴァが生まれたあと、『終末の贄となる』と、お前が言ったから。私は全てをかけて、あの子を守ってきたというのに!」


 マシェリーはただ無言で渦巻く術式を撫で、「そうよね」とまたこぼした。スイレンはマシェリーの嘘を見抜けなかった自分に腹を立てた。そして、自分に嘘をついたマシェリーを憎んだ。

 当のマシェリーはこの場にいないイーラに許しを乞うて、スイレンにちゃんと向き合った。真剣な眼差しで、悲しみを飲み込んで、スイレンに応える。


『マシェリー・オースティ・ミロトハ。原初の水魔導師(ウンディーネ)、タキナミ・スイレンに真実を告白する』





『私は、娘が終末の万能魔導師(エルフ)にならないように、魔法をかけた』





 マシェリーは自分の言葉で経緯を話す。

 最初は世界に終末が訪れるという予言だけが降りてきた。

 だからその万能魔導師(エルフ)探すために旅に出た。


 結局、自分が旅をした限り、魔導師は見つからなかった。

 だがイーラが生まれた時、事態は一変する。イーラが終末の万能魔導師(エルフ)になると予言が降りた。自分の予言に恐怖を覚えたのはこの時が初めてだった。


 イーラが世を滅ぼすと知ったなら、誰かに知られたなら、イーラの命はないだろう。それを初めて抱いた我が子の泣き声を聞きながら感じてしまった。

 今殺せば、世界の終末は避けられる。今この場で、娘を殺せば世界は助かる。



 だがこの柔らかな肌に、自分の指よりも小さな手に、この世の何よりも純粋な赤子に、理論も刃も、立てることが出来なかった。




 予言はその通りに進めば必ず起きる。別の行動をとれば未来は変わる。

 マシェリーは未来を変えるために、自分の娘の魔力を封じた。それでも溢れ出る魔力は、段階的に解けるよう四大魔導師の術式を組み込み、イーラに魔法のことは一切教えなかった。

 彼女を普通の人だと教え込むことで、魔法に関心を持たないようにした。

 薬局を営み、イーラに薬学を教えて生活に困らないようにした。

 自分の死を予言した時、これが自分の罪なのだと受け入れてスイレンに全てを託した。


『どうかあの子を助けてちょうだい。あの子は世界の終末の贄となる。私が死んだ後、あの子が十五歳の頃にあなたを訪ねに行くでしょう。どうか手を貸してちょうだい』




 ──そう言えば、スイレンは協力してくれると知っていたから。




『全ては愛しい我が子のため』

「愛しいなら、魔力を封じずとも策はあっただろう。嘘だって、ついて欲しくなどなかった。······お前なら何だって出来たはずなのに」



 マシェリーはスイレンに諭されると、ポロポロと涙をこぼし、子供のように泣きじゃくった。







『だぁって、死んで欲しくないんだもん!!』






 突然声を出して泣き喚くマシェリーにスイレンは目を見開いた。

 見たことの無いマシェリーの姿にどうしていいか分からず、とりあえず水晶を置いてマシェリーに傍寄った。

 袖で涙を拭ってやろうにもマシェリーは死んでいるから触れないし、慰めようにも自分が泣かせたからなんて声をかけていいかも分からない。

 マシェリーは狼狽(うろた)えるスイレンにべそをかく。


『だってだって! 私の娘よ! 大事な娘なのよ! それがさぁ終末の万能魔導師(エルフ)なので殺しましょう。皆のためです。これでハッピーなんて、冗談じゃないわ! 誰も死なない未来だってあるでしょ! だから世界の始まりからぜーんぶ調べて、適切な魔法選んであの子が然るべき時に魔法が使えるようにするために努力したのよ! 私の子が大人になる前に死にますなんて笑えない話は聞きたくないの! 母親だもん! 守りたいもん! 自分じゃ守れないって分かってたから! 途中で死ぬの分かってたからさぁ!』


 マシェリーの怒涛の本音にスイレンも「そうかい」としか返せない。

 何とか泣き止ませようと策を練るが、相手は大の大人、それもスイレンの前では一度も泣いたことの無いマシェリーは何で泣き止むのか検討もつかない。

 イーラのようにまくし立てるあたり親子だな、なんて呑気なことを言っている場合じゃないのだ。


「えぇと、マシェリーや。どうして()()()に手を貸してくれなんて──」





『あんたが一番頭いいからでしょマヌケ! 自慢の脳みそはお休みなの!?』

「あ、あぁ、そうかい。ごめん······」





 ──キレ方も一緒か。


『それにスイレンなら、イルヴァを支えてくれるから。誰がなんて言おうと、イルヴァを守ってくれるから。私の子だもん。実際そうだったでしょ』

「確かにそうサ。最初はお前さんの生き形見だと思っていたからねぇ。でもあの子はあの子だ。お前さんとはまた違う優しい子だ。お前さんがそう言うのなら、あちしはディーネ紋章にかけてあの子を守ろう」


 スイレンはマシェリーに改めて誓をたてると、マシェリーをふんわりと抱きしめる。触れられないから、空気だけ。マシェリーも同じように抱きしめ返した。


「──そういやぁ、甲板が騒がしいな。誰か小僧でも怒らしたのかい?」

『ああ、サラム紋のお友達?』

「友達じゃあないよ。怒号が──いや、悲鳴だ! イルヴァ!」


 スイレンが部屋を飛び出すと、マシェリーは自分で魔法陣を焼き消した。



『──いつも、見守ってるわ。愛しいイルヴァ』



 ***


 スイレンが甲板に飛び出すと、イーラとフィニが連れ去られる直前だった。

 イーラはスイレンに気がつくと手を伸ばした。スイレンは反射的に駆け出した。


「スイレンさん!」

「イルヴァ!」


 スイレンは急いでイーラの手を掴もうと腕を伸ばす。

 しかし、イーラの手を掴むことはなく、その手は空を切った。

 タタラは「ざぁんねんっ!」と舌を出すと、大きな羽を広げて船首から飛び立った。

 スイレンは苦し紛れにフィニをタタラの手から奪い取ると、タタラは舌打ちをしてスイレンを下駄で蹴り飛ばす。


「手間をかけさせないでくれるぅ?」


 そしてフィニをまた捕まえるとそのまま飛び立ってしまった。

 スイレンは起き上がり、手すりに身を乗り出してタタラへと手を伸ばす。

 ジャックとエミリアに甲板に引き戻されて、呆然と座り込んだ。


「そんな······」

「気持ちは同じですわ。そう落ち込まずに」


 異変を感じたジャックはスイレンのうなじに鼻を近づける。顔を真っ赤にしたエミリアに殴り飛ばされ、「やめなさい!」と怒鳴られた。

 ジャックは不貞腐れた表情で「潮と死臭がする」と頬を擦る。カナもハッとしてスイレンを見つめた。


「レンってば······」


 スイレンは遥か遠くなったタタラの姿にボロボロと涙をこぼす。そして、ぐにゃりと姿を歪ませた。




「そんな、ごめんなさい。──()()()()()




 フィニはうずくまって泣き続けた。

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