82話 贈り物
スイレンは一人、船室にこもって魔法薬を調合する。本が散らかった部屋のど真ん中に鍋を置き、ぐらぐらと煮立つ湯の中に魔法薬材を投げ込んでいった。
ケンタウロスの背中の毛と火竜の鼻息。滝のぼりをした鯉の鱗と死体が埋まっていた土。あとアルビノのコウモリの羽。
イーラが作る緻密な医療薬とは違い、スイレンの魔法薬は大雑把だった。量も図らずつまんだ分だけ放り投げ、気体系の魔法薬材は瓶ごと鍋に放り入れた。
薬材が入る度にあらゆる色の煙が上がり、その度にスイレンは鼻をつまんで煙をはたく。
「ああ、臭い。くっさい。もっといい香りの薬はないのかねぇ」
スイレンは鍋をかき回すとタンスからリンゴくらいの水晶玉を出した。
水晶を魔法媒介とするスイレンには少し痛手だが、知りたいこと──知らなければいけないことに惜しんでいる暇はない。
「──叡智の水よ 原初の血 欲深き知識の泉
姿を見せよ 全てを暴け 見えぬ力の、源は何処」
水晶を鍋に投げ込むと、スイレンは袖からイーラの血の入った試験管を出した。少しだけじぃっと眺めると、大事なものを手放すかの如く、鍋に落とした。
「──これは、そんな······」
***
風を帆に溜め海原を進む。
白く波立つ海をイルカが跳ねた。
フィニははしゃいで船から身を乗り出す。
「落ちるわよ」
イーラはフィニに注意を促すが、イルカに夢中なフィニには聞こえない。
船に沿って泳ぐイルカを見ようと更に身を乗り出した。
「危ないっ!!」
フィニは手を滑らせて船から落ちそうになる。イーラが服を引っ張って助けようとするが、既に上半身は船の外にあり、イーラ一人ではどうしようもない。
エミリアは舵取り中で離れられないし、カナは突然のことに驚いて動けない。イーラは手すりに足をかけて踏ん張るが、フィニはずるずると落ちていく。カナがハッとして魔法をかけようとする。
「風の戯れ 精霊の気まぐれ」
カナが魔法をかける前に、フィニの体が突然浮き上がった。
フィニは「うわっ」と声をあげると、そのまま甲板に投げられる。手を叩いてホコリを払うジャックは威嚇するようにフィニに言った。
「フィニアン・レッドクリフ。船から身を乗り出すなんて馬鹿なことはするな。船のタービンに八つ裂きにされて死にたくないなら大人しくしていろ」
「は、はい。すみません······」
「イルヴァーナ・ミロトハ。何かあったらすぐに呼べと言っただろう。迷惑をかけるなんて考えるな」
「何で助けようとしてた私が怒られてるのよ!」
ジャックがフンと鼻を鳴らすと、エミリアが「ジャック」といさめた。
「ここは軍隊ではありません。脅すような注意は些か教育によろしくないかと」
「ならば己の不注意で死んでも構わないと言うのか。神殺しの巫女」
「もっぺん言ってみなさい。スイレンでなくとも海の底に沈めることは出来ますわ」
一瞬で喧嘩になる二人にイーラは頭を抱えた。
カナは雰囲気を察すると、ジャックの背中に飛びつき、そのまま肩までよじ登る。
勝手に肩車してもらうと、ジャックの髪を撫でて楽しそうに笑った。
「なっ、風魔導師の──」
「カナトネルラ。カナトネルラ・キニアラン」
「カナトネルラ・キニアラン! 今すぐ降りろ!」
「やだぁ。ジャックの髪の毛綺麗なんだもん。三つ編み出来るかなぁ」
「やめろ! 悪戯をするな!」
カナの乱入で喧嘩の雰囲気はすっかり無くなった。エミリアはドヤ顔でジャックを見下ろす。ジャックは不満げではあるが、カナの好きなように遊ばせた。
少しするとギルベルトが甲板に顔を出す。
ジャックを三つ編みだらけの頭にブハッ! と吹き出すとジャックは更に不満げな顔になる。
「笑うな。ギルベルト・シュヴァルツフラム」
「いや、ブフッ! ······っく、わら、笑ってねぇよ。くくっ······」
「笑っているだろう。イルヴァーナ・ミロトハ、カナトネルラ・キニアランを離してくれ」
「律儀にフルネームで呼ぶなよジャック。そう呼ばれたら俺らもお前をフルネームで呼ばなきゃいけねぇだろ。それに俺らの仲だ。罪人と役人。深く考える必要は無い。気楽にいこうぜ?」
「死罪の巻き添えがそんな能天気な考え方でいいのか」
ギルベルトは要件を思い出したのか、フィニを呼ぶと耳打ちして船室に向かわせた。
イーラは少し疑問に思ったが、どうせスイレンの研究だろうと気にしなかった。ギルベルトはついでに、とエミリアに木彫りの置物を見せる。モチーフは牡鹿のようだ。
「どーよ。これ、お前が前に使ってた杖で作ったんだぜ」
「素敵ですね。私の杖が······父の杖がこんな風になるとは」
エミリアは舵から手を離し、牡鹿の置物をじっくりと眺める。
大胆であり繊細な曲線と細かな細工の美しさ、木の根のようにたくましく伸びた角には色とりどりの宝石が輝いている。
「ジジイに頼まれた時は驚いたぜ。真っ二つの杖を加工してくれって。久々に彫刻なんかしたからな〜。つい張り切っちまった。別のが良かったか?」
「いえ、そんな。とても気に入りました。······鹿は、母が好きだった動物ですから。父の杖で母の好きな鹿。こんな嬉しい贈り物はありません」
──エミリアさん、鹿食べてなかったっけ?
イーラは感動の瞬間に水をささないよう、ぐっとこらえると、自分も渡すものがあったことを思い出した。
ギルベルトから貰ったカバンを漁り、エミリアにネックレスの入った袋を渡す。
「私もあるの。宝石が好きって言ってたじゃない? ギルベルトさんに先越されちゃったけど、女の人ならオシャレなのがいいかと思って」
エミリアは花形の紫の宝石がついたネックレスを見ると、いそいそと首につけてみる。少し照れくさそうに笑うと「どうですか?」と尋ねた。
「いいんじゃねぇの? イーラの趣味も中々だな」
エミリアはギルベルトから置物を貰うと、「盗られないように隠してきます」と嬉しそうに船室に向かった。
イーラはエミリアの代わりに舵を取るギルベルトにカバンから大きめの包みを出した。
ギルベルトは中を見ると目を輝かせた。
「これっ! うわマジかよ。よく手に入ったな!」
ギルベルトは袋からエンジニア御用達の作業バッグを出すと「すげぇな」とはしゃいだ。
「これの何がすごいって、外のバッグから中の工具まで全部ドワーフ製で半永久的に使えることなんだぞ。それにドライバーのサイズも種類も多いし、珍しい工具も入ってる! これ一つであらゆる機械が作れんだ! シュヴァルツペントでもこれを持ってる奴なんてほとんど居ねぇ。そもそもこれ自体生産数が少ないんだ。よく買えたな。そっちの方がすげぇわ」
ギルベルトのエンジニア魂に火でもついたのか、「久々にエンジンとか造るか」なんて腕試しに作るものじゃない単語が聞こえてくる。夢を馳せるギルベルトはとても楽しそうだ。
「喜んでもらえたならいいわ」
イーラはギルベルトの傍を離れるとカナには花の香水瓶をあげた。
カナは「いいの?」とイーラに聞く。イーラが「もらってくれる?」と聞き返すとカナはギュッと香水瓶を抱いた。
「ねぇギルベルトさん、スイレンさんはまだ部屋にいるのかな?」
スイレンにも渡そうと思っている物があったが、ギルベルトは眉間にシワを寄せて「あ〜」と唸る。
「今日はやめとけ。何か忙しそうだったからな」
「そう······まぁ、また死霊魔術師の研究してるのね。何度もフィニに言い寄ってるもの」
イーラは甲板の掃除をしようとモップを持ち出した。
ジャックがデッキブラシとバケツを持って手伝う様子を、ギルベルトは哀れんで見下ろした。
「······死霊魔術師よりも早く、調べねぇといけないもんがあるっつったら、どんな顔すんのかな」
ぼそっと呟いて、海に目を向ける。
***
「何度も言いますけどっ!」
フィニは出来るだけ小さな声でスイレンに叫んだ。
「僕がマシェリーさんを呼び出したのって、本当に一回しかないんですって」
スイレンは呆れ疲れた表情で眉間のシワを揉みながら「だからサ」と言葉を返す。
「一回だけ試しとくれよ。マシェリーを呼び出せたことがあるのなら不可能じゃあないんだから。お前さんは死霊魔術師だろう。『口寄せ』くらい、ちょちょいのちょいで──」
「僕が『口寄せ』出来たのって、本当に数えるくらいです」
「でも出来るんだろう」
「だから、半人前の魔力でマシェリーさんのような膨大な力を持つ人を呼び出すのは難しいんです」
スイレンはふむ、と考えると妥協案を提示する。
「じゃあ、あちしが呼び出そう。魔法陣を書いとくれ」
「正気ですか!?」
「だって、呼び出してくれないんだろう?」
スイレンは真っ白な紙を出すとフィニの前に置く。
「これに魔法陣をかいとくれ。血で書いてくれると助かる」
「本当にやる気なんですか?」
「痛いのは嫌かい?」
「死霊魔術師の魔術を魔導師がやったところなんて見たことないです!」
「そうだねぇ。あちしがどんな目に遭うか、分かったもんじゃあないねぇ。でも仕方ないだろう? 魔術を使える誰かさんがやらないって言うんだからサ。幽霊になっちまってもしょうがない。誰かさんが手伝ってくれないんだもの」
スイレンの嫌味っぽい脅しにフィニは「分かりました!」と口を滑らせる。ハッとして口を押さえた時にはもう遅い。スイレンはニコニコとして「やってくれるのかい? すまないねぇ」と畳み掛けてくる。
フィニは仕方なく紙に魔法陣を書いて自分の指先を切った。
「血で書く気かい?」
「いいえ。狭い室内で杖を使えない時は、自分の血を魔法陣に垂らして呼び出すんです。僕、下手くそなんで、紙の無駄遣いになりますが」
フィニは魔法陣の真ん中に血を垂らすと、息を整えた。
気合いを入れて、「大丈夫、大丈夫」と自分に暗示をかけると、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「冥府を統べる我らが神よ 世界樹の根に眠りし者を我が元に呼び覚まし給え」
魔法陣は淡く光り出す。フィニは更に呪詛を唱えた。
「偉大なる魔導師の御霊よ ここに現れん······!」
フィニが魔法陣に力を入れても、魔法陣は光を失い、不発に終わった。
フィニは何とか呼び出そうと新しい紙でやり直すが、これもまた不発だった。何回も何回も試したが、マシェリーが呼び出される様子はない。フィニの指先がズダボロになると、スイレンはフィニの傷を癒し「もういい」と辛そうに言った。
「無理を言ってすまなかった。許しておくれ。分かってはいたのサ」
「すみません。僕が──」
「マシェリーのような気分屋が、大人しく召喚されるわけがないのサ。無駄に魔力を使わせちまって悪いねぇ。世界樹の聖堂に着いたら、マシェリーの頬を叩いてやらないと」
フィニはクスッと笑うと「マシェリーさんのせいですか」とこぼす。スイレンは「全部マシェリーのせいサ」とフィニを慰めると部屋から解放した。
フィニが出ていくと、スイレンは散らばった魔法陣の紙から一枚つまみあげると、テーブルに置いて、誰もいない空間に冷たい声を放った。
「······出てきなさい。いるのは分かってるぞ」
シン、としたかと思うと楽しげに笑う声が降ってくる。スイレンが天井を見上げると半透明ではあるが、マシェリーが面白そうに笑っていた。
『スイレンってば、そんな声が出せたのねぇ。イルヴァは知っているかしら?』
「茶化すんじゃあないよ。全く、ふざけた奴だねぇ。フィニが可哀想じゃあないか」
『だってあなたは私と二人きりで話したかったんでしょう?』
スイレンは図星を突かれると、への字口で黙ってしまった。マシェリーはクスクスと笑うと、「イルヴァは元気?」と尋ねた。
スイレンが「知ってるくせに」と冷たく返すと、マシェリーは「そうだけど」と呑気に返す。
『幽霊っぽい会話したかったのよ。イルヴァとはもうしたから。後はあなたくらいだし。付き合ってくれるの』
「だろうねえ。偉大なるマシェリーが呼び出されたとなっちゃあ、予言やら何やらでその遊びが出来やしない」
『······私を私として見てくれるのは、イルヴァとあなたくらいよ』
マシェリーは愛おしそうに胸に手を当てると、目を伏せて一人イルヴァを想う。それは愛とも後悔とも取れた。
『さて、あなたは私に聞きたいことがあるんでしょ?』
「ああ沢山あるとも」
スイレンは鍋の縁を荒々しく叩いて波紋を立てる。
煙が垂直に昇り、いくつもの鎖と術式が浮かび上がる。
「──どうしてイルヴァに魔法をかけたんだい」
「どうしてイルヴァに『お前は魔力を持たない一般人』なんて嘘をついたんだ!」
マシェリーは苦しげな表情で視線を落とした。
***
船の上。舳先に立った鴉の羽と仮面を持つ女が、ニタリと怪しげに笑う。
イーラ達には目もくれず、身構えるジャックに女は両手を広げて喜ばしげに声を張り上げた。
「ジャ〜ック! ジャック、ジャック、ジャァァァック! 会いたかったよぉ。こいつらに酷いことされてなぁい? 今日は君にいい話を持ってきたんだぁ。ドン底に落ちた君への、最っ高のギフトだよ!」
女は鴉の羽を大きく広げた。まるで「聞くだろ?」と強制するように。ジャックだけを見つめて。




