81話 ジャックの意思
「本当に助かった」
草木の生い茂る陸に船をつけると、ローウェルは深く頭を下げてお礼を言った。
「おかげで仲間達が生きて帰ってきた。大きな借りが出来てしまった」
「借りなんて······。誰よりも本気で仲間を助けようとしたのは、ローウェルさんでしょ」
イーラはローウェルの頭を上げさせると、「こちらこそ、ありがとう」とお礼を返す。
「ローウェルさんが仲間を説得してくれなかったら、全員を治療出来なかったわ。皆が人間に好意があるわけじゃないし、傷すら見せてくれなかった人もいたから」
ローウェルは首を横に振って、イーラの手を握る。
「仲間に何を言われても、根気強く接してくれた。普通の医者なら匙を投げただろう。それでも昼夜問わず、治療をしてくれた」
「心の底から感謝する」
イーラは少し恥ずかしそうに手を握り返した。
ローウェルは握手を交わした後、するりと指を這わせてイーラの手の甲にキスを落とす。イーラは驚いて小さく飛び上がった。女性的な扱いを受けてこなかったイーラには衝撃的で、どうしていいか分からなかった。
「人間はこういう挨拶をするんだろう? 人間のルールに従わないとな」
ローウェルはにっこりとわらって船を降りていった。
仲間を連れて、森の奥へと姿を消す。イーラが熱くなった頬に手を添えて目を回していると、カナがニコニコと笑ってイーラの脇をつつく。
「ねぇねぇイルル。どうだった? どうだった?」
「どうだったって······ちょっと恥ずかしい、かな」
「かっこいい人にキスされたらキュンってするんでしょ? キュンってした?」
「え、いや、その······」
「カナトネルラ、いじめてはいけませんわ。あれは挨拶ですから。ただの、挨拶です。······実際、どうでしたか?」
「へぇっ!?」
エミリアが照れながらイーラをフォローするも、我慢できずに尋ねた。女性陣でローウェルの行動に黄色い声を上げていると、少し離れたところで男性陣が冷めた様子で見守っていた。
「······女子は手に口づけをすると喜ぶのかい?」
「知らね。女心を俺に聞くな」
「でもちょっとかっこよかったですよね······!」
「フィニはやるなよ。まだ早い」
「小僧、ちょっとエミリアあたりに試しておくれ。照れるか見たい」
「テメェでやれ。そんで殴られてこい」
「やれやれ。女って生き物は、どんなに研究して数多の記録をつけようと、さっぱり分からんものだねぇ」
イーラはようやく熱を冷ますと、まだ甲板に残っているジャックに声をかけた。ジャックは水平線を、思いを馳せるように見つめていた。
「······ジャックは行かないの? もうローウェルさん達行っちゃったわよ」
「俺は、ここに残る」
「······別の場所に行くってこと?」
「いや、俺はお前たちの旅に加わる」
ジャックは世界樹の聖堂に案内すると言って、船を降りなかった。もしそれが、買われたからという理由だったら、イーラは追い出してやろうと思っていた。
だが、ジャックはイーラを真っ直ぐに見つめると、曇りのない瞳で告げた、
「暴走を止めてくれた。真名を呼んでくれた。怪我を治してくれた。仲間を助けてくれた。敵であるにも関わらず、真剣に向き合ってくれた。一度も俺も、軽蔑しなかった。これだけの恩を、たかだか一つの礼だけで済ませる気は無い。せめてお前たちの手伝いはしなければ。体のいい働き手が増えたくらいに思ってくれ」
ジャックは少し不安そうに耳を下げた。
断られたら、と思っているのだろう。
断りたい。仲間の元に返してやりたい。そのためにイーラは今まで世話を焼いてきたのだ。
悩んでいるとカナがイーラの服の裾を引っ張った。
「いいでしょ?」とジャックの味方につく。うるうると瞳を輝かせるカナから目を逸らし、チラと仲間に助けを求める。エミリアだけが嫌そうな表情をしていた。
「いいんじゃあないか? あちしは賛成だよ。議会の内部には詳しいだろうし、聖堂の道は分かりにくい。変に迷わず済みそうだ」
「それに腕っ節も立つしなぁ。戦力外二人の穴埋めしてくれるだろ」
「ぼっ、僕達だってそれなり戦えますもん! イーラの方が、もちろん、すごい······ですけど。それに、船に乗り慣れてるから助かりますよね」
「イルヴァーナさんがいいと仰るのなら、それに従いましょう。ですが、私はずっと監視しますからね」
全員の意見を聞いた上で、イーラはジャックに問いかけた。
「アンタは本当にいいの? フィニがいるのよ。アンタが捕まえようとしていた死霊魔術師がいるのよ。いいの?」
ジャックはちょっと考える素振りをみせると、「構わない」と断言した。
「俺は遊撃隊長の任を解かれた身。もう追い回す理由もない。それに──」
ジャックはフィニをチラッと見ると、海の方に目を逸らした。ジャックは言いにくそうに口を結ぶ。
フィニはキョトンとして首を傾げた。カナは笑わないように、両手で口を押さえた。
「そこの死霊魔術師は俺の前で魔術を使っていない。だから見た目だけで禁忌だと断言できない。捕まえるには理由が曖昧だろう」
ジャックの言い訳に皆が笑った。こんなに可愛い言い訳があるだろうか。
「そんな曖昧な理由だけで追いかけ回してたのに、仲間になったらどうでもいいの?」
「かぁわいいなぁ、ジャックは。あんだけ執念深く追っかけてたのによぉ」
「冷徹な目で『獲物は逃がさない』なんて雰囲気を出していたでしょうに」
「なっ! あれは、議会の命令だったからで、別に仕事じゃなければ追いかけるつもりなんかっ!」
ジャックは頬を少し赤くすると、「いいのか? ダメなのか?」とイーラに答えを急かす。その姿も面白くて、イーラは「一緒に行こう」と返事をした。
ジャックは分かりやすく耳を立てて嬉しさを表現した。ギルベルトがジャックの頭をわしわしと撫でると、「イカリを上げろ」と出発の準備に入る。
ジャックはいそいそと準備に向かうと、スイレンがフィニを引き連れて手伝いについて行った。
「そういえばイルル」
カナはふとイーラに尋ねた。
「どうしてイルルは、ジャックのホントの名前が分かったの?」
エミリアが微かに反応した。そして悩ましげな表情でイーラの返答を待つ。
イーラはそれも知らずに「そうねぇ」と宙を仰いで記憶を遡ると、ちょっと不思議そうに答えた。
「何となく、頭に浮かんだのよ。カナの時もそうだったなぁ。ちゃんとした名前が頭の中にフワッと現れたのよね」
エミリアが考え込んでいると、ギルベルトがエミリアに声をかけた。
エミリアがギルベルトの側にいくと、「ジジイが今調べてる」と短く告げた。
「······イルヴァーナさんの秘密が、判明するのですか?」
「わかんねぇ。正直ジジイも秘密は多いが、イーラはそれよりも秘密が多い」
「魔法を使える一般人······そんなことありえません。ましてや魔力を一切持たないのも不思議なのに」
「ジジイ待ちだ。こればっかりはな。あんま悩むなよ」
「そうですね······。スイレンの結果を、大人しく待ちましょう」
エミリアは不安げにイーラを見つめると、何事も無かったかのようにイーラたちと話に行った。
ギルベルトは追い風を浴びて舵を取る。
「──あれかな? ジャックの言ってた犯罪者の船って」
世界樹の聖堂で、不穏な声の主が円卓の杯を覗いていた。一枚下駄をカツカツ鳴らし、相変わらず珍妙な衣服を着ている。
船に乗る人物の中からジャックを見つけると、仮面の下でニヤリと笑う。
「待っててねぇジャック。すぐに行くからさ」
女は足取り軽く円卓に手を振って離れた。聖堂の廊下に、一枚の鴉の羽が落ちた。




