80話 身の振り方
三週間が経った海の上に今も二隻の船が仲良く並んで橋を渡している。
イーラは今日も眉間にシワを寄せて、甲板で怒鳴り声を上げていた。
「イーサン! メア! シュリオン! 手すりに乗らないの! 落ちたらどうすんのよ! あっ! またキッチンの食糧盗み食いしたのね!」
「アルマ! 柱を噛まない! 破片が喉に刺さったら危ないでしょ!」
「エリオット! 橋の上で跳ねるな! この注意、今日だけで三回よ!」
すっかり元気になった人狼の子供たちを注意しながら、イーラは人狼たちの健康チェックに駆け回る。
カナは子供たちと一緒になって遊び、フィニは年老いた人狼のお気に入りと化していた。
スイレンは相変わらず人狼の研究に没頭し、ギルベルトは悪ガキを集めて身の守り方や鍵の開け方を仕込んでいた。
「スイレンさん! エリオットが落ちたわ!」
「ああ、ついにか。だから言ったろう! イルヴァの忠告はちゃんと聞きなさい!」
「いいか? 細い金属でこの穴の奥の······」
「あっ、外れた!」
「これが手枷の開け方だ。檻の時は······」
「いい子だねぇ。本当にいい子だ」
「あ、ありがとうございます。船酔いとかないですか? 外は暑いですので、水とかいっぱい摂ってくださいねっ!」
思い思いの時間を過ごしていると、人狼たちは突然、船室の方を見つめた。子供たちは浮き足立って、うずうずしながら待機する。
「皆さん。昼食の用意が出来ましたわ」
エミリアが顔を出すと、手にした鍋に向かって子供たちが走り出した。
「あ、鍋はまだ熱いですから、触ってはいけませんわ。すみません、どなたかテーブルの準備をお願いできませんか。ああ、コラ。もう少しお待ちください」
エミリアの周りを囲み、服を掴む子供たちを「やめなさい」とローウェルが静かに止める。
それでも聞かない子供に、ローウェルとエミリアは困り果てていた。
イーラが注意しようと息を吸い込んだ。
「やめろ。迷惑だろう」
後ろからジャックが子供たちを制止した。
エミリアとローウェル同様に大鍋を持ち、無表情で見下ろした。子供たちはしょぼんとしてエミリアに謝った。
「ごめんなさい」
「ちゃんと謝れて偉いですね。謝れる子はいい子ですわ」
男たちがテーブルを用意すると、エミリアはそこに鍋を置き、ふぅ、と疲れた様子を見せる。
「皿を取ってこよう。ジャック」
「そこで待ってろ。神殺しの巫女」
二人が奥に戻っていくと、エミリアは微笑みながら怒りを燃やす。
「いつになったら名前を呼ぶんでしょうか。あのクソ──」
「わぁあ! ストップ! ダメですよぅ!」
フィニが慌ててエミリアの口を塞ぎ、何とか悪口を阻止するが、エミリアはまだ息が荒かった。
人狼たちの回復は思っていたよりも早く、ジャックは一週間のうちに全快した。回復して動けるようになったジャックは最初こそ失望されたのではと、不安そうにしていたが、みんなに無事を喜ばれ、安堵したように頬を弛めた。
それからはイーラが大人しくしていろと言っても聞かず、ジャックは仲間の様子を見回ったり、イーラの手伝いを率先してやってくれた。
ジャックの回復が皆の支えになったのか、容態がかなり悪い人狼もみるみるうちに回復して、今ではギルベルトに戦い方を教わっている。
人狼たちはだんだん協力的になり、イーラたちを信用してくれるようになった。
人狼の回復力を侮っていたイーラは、違いを肌で感じていた。
でも昼食の様子を見て、シチューを平等に分け合い、お年寄りに優しく接し、子供たちには自分の分も食べさせる姿は、人間とさほど変わりない。
狼と同じ耳を生やしただけの人間なんじゃないかと錯覚するくらい、親しみのある行動を取っていた。
「イーラ、ご飯食べないの?」
「血色悪いよ。貧血気味なんじゃない?」
いつの間にかドールとドーアが目の前にいた。
イーラが飛び退くと、二人は顔を見合わせる。
「食べよう? お腹空いたでしょ」
「イーラに鉄分のサプリメントあげなきゃ。倒れたらギルがびっくりする」
「ジャックのサプリもかなり減ったよ。もう少し渡してあげないと」
「そうだねドーア。 後で船から持ってこよう」
***
食事が終わり、食器の片付けが終わったところで、ドールとドーア、イーラたちは人狼全員を甲板に集めた。
皆が不安げな表情で座る中、スイレンはおもむろに立ち上がり咳払いをする。彼らの不安を払拭するように、優しい声色を心がけた。
「一時は死にかけていたお前さん方が、こうして全員、欠けることなく回復してくれて、とても喜ばしく思う。今ここに集まってもらったのは、お前さん方に大事な話があるのサ」
そう言うと、人狼たちの表情は余計に強ばる。
スイレンは「失敗したか?」と小声で呟いて首を傾げた。見ていられなくなったギルベルトが立ち上がり、「悪いことじゃねぇから」とフォローを入れる。
「俺たちは人狼を使役するつもりはねぇ。皆回復したから、イーラが最初に約束したとおり、人狼全員を解放する!」
ギルベルトの宣言に人狼たちがざわついた。
彼らは口々に不安をこぼす。ローウェルは彼らを庇うように代弁した。
「ここにいる人狼たちは元遊撃隊の家族や、群れを襲われてリーダーを失った生き残りだ。森に行っても住処がない。それに、遊撃隊だった奴らはそもそも、森での暮らしを知らないんだ」
「森での暮らしを知らないって、そんなことあんのか」
「ああ。人狼遊撃隊っていうのは、子供の頃から訓練を受けてきた人狼で組織される。森にいる仲間の自由を約束することを条件に使役されてきた。だから──」
「あー、何となく分かった。さて、どうすっかな」
ギルベルトが困っていると、ドールとドーアが手を挙げた。
「森で暮らせないなら」
「ボクらが生活を保証する」
人狼たちが双子に反応すると、ドールとドーアは胡座をかいたまま話を続けた。
「僕らの城の衛兵が欲しいのはホントだしね」
「国の警備の兵隊はいるけど、城を守る兵隊は極小数。今度、有志を募る予定だった」
「元遊撃隊が衛兵なら心強いし、一から育成する手間も省ける」
「給金は出す。雇用契約書も発行する。福利厚生バッチリ」
双子が人狼たちに話を持ちかけるが、どうにも反応が鈍い。
双子は同じ方向に首を傾げると、「どうする?」「どうしよう?」と相談を始めた。
「······家族と、別れないといけないのか?」
人狼の中から声が上がった。
前にエミリアたちに噛みついた人狼だった。その傍らにはまだ若い女と小さな人狼がいる。
彼は恐る恐る双子に尋ねた。双子は反対方向にまた首を傾げた。
「······家族?」
ドーアがそう言うと、彼の表情は青く険しくなる。
「······離れる必要があるの?」
ドーアは心底不思議そうに聞き返した。
その言葉に人狼の表情は緩んでいく。
「家族がいるなら、その分の衣食住の確保もする。全員分はすぐに出来ないから、一部の人狼は当分城で暮らしてもらうけど」
「家族を離れ離れにはしない。みんな一緒の方が楽しいもん。ただ、シュヴァルツペントは火山の国だから、慣れるまで大変だよ」
「「暮らしの保証は確約するから」」
双子がそう言うと、人狼たちは表情が明るくなっていく。
別の人狼が双子に声をかけた。
「身寄りのない人狼でも、働ける場所はありますか?」
女の人狼だ。不安そうにしているが、ドールは「あるよ」と軽く言い退ける。
「城にも仕事があるし、街でも人不足のところはいっぱいある。それはあっちに行ってから決めればいい。君がどこに決めても口利きはする」
「虐げられるとか、差別されるとかは心配しなくていい。ギルの整えた国だから、皆とっても優しいよ」
ギルベルトはちょっと恥ずかしそうに口元を隠す。スイレンはニヤニヤと笑ってギルベルトにちょっかいを出した。
ローウェルも「自分の群れにも空きがある」と選択肢を増やし、人狼たちに好きに選ばせた。
人狼たちは各々道を決めると、別れを惜しみながらも二つの船に別れた。ジャックはそんな彼らを見つめながら、イーラの船に残った。
ドールとドーアはギルベルトの手を握るとその温度を確かめるように指の腹で撫でた。
「······頑張った手だ」
「努力し続けてきた手だ」
「温かいね。ドール」
「ホントだ。ドーア」
「ねぇ愛しいギルベルト」
「僕らの優しいギルベルト」
「「いつか帰ってきて。お前の家に」」
ギルベルトは双子を抱きしめると、歯を食いしばって涙を堪えた。
「ごめんね、ギル。いっぱい苦しめた」
「ごめんね、ギル。もう苦しまないで」
「ずっと待ってるから。帰ってくるまで」
「ギルのこと待ってるから。いつまでも」
ギルベルトは「必ず帰る」と双子に言った。
双子は「言質取ったぞ」なんてからかいながらギルベルトの頭を撫でた。
ギルベルトは名残惜しそうに双子から離れると、「またな」と声をかけた。双子はその言葉にちょっと驚きながら「またね」と返した。
かけられた橋が外れ、双子の船はシュヴァルツペントに向けて波を割いて走る。
ギルベルトはそれをじっと見送ると、船の舵を取り、大海原を進み出した。
イーラが帆を張っていると、ジャックがそっと寄ってきて、ロープを結ぶのを手伝った。
「······まだ結べないのか。これだとすぐ解けるぞ」
「なっ、これでも慣れてきた方よ! バカにしないで!」
ジャックはフンと鼻を鳴らす。
「──ありがとう。イルヴァーナ」
ジャックは去り際にイーラに感謝をこぼす。だがそれは風にかき消されてイーラには届かなかった。




