78話 治療に駆ける
大海原のど真ん中で、イーラの船は佇んでいた。
風もなく波も立たぬ静かな海で、隣に寄り添うように停まった豪華な船に板橋を立てて食糧や包帯などの物資を行き来させる。
「イーラ! 包帯はどこに持っていけばいいの!?」
「とりあえず下の倉庫の方に! フィニ、そのまま包帯替えられる?」
「た、多分······。不安だけど」
「分からなかったらエミリアさんにやり方聞いて! あの人上手だから!」
「イーラ! ドールが食糧あとどれぐらい要るのかって聞いてんだけど!」
「ちょっと! まだ寝ててって言ったじゃない!」
「魔力切れでへばったくらいで寝てられるか。忙しいんだから人手は多い方がいいだろ」
「ったく、言うこと聞かないわね。ギルベルトさんが料理場よく使うでしょ。アンタが決めていいわ! 肉は多めにして! でも腐った肉詰めは要らないわ!!」
イーラは甲板で人狼の手当てをしながら指示を出す。
エミリアがキッチンでスープを作っていると、ドールとドーアがひょっこり顔を出す。
「これ、なんのスープ?」
「美味しそう」
「これはポトフですわ。野菜と加工肉を煮たものです。人狼に配慮して味は薄めにしてあります」
「そうだよね。人狼は五感が僕らより鋭い」
「でもこれで、ビタミン足りるかな」
「······ビタミン?」
ドールとドーアは疑問符を浮かべるエミリアを放置して甲板に戻ると、一人ずつ焼印を消して回るスイレンの元に行く。
「ディーネ紋」
「何だい。サラム紋」
ドールは心底不満だと言わんばかりに眉間にシワを寄せる。
「人狼の体内構造、遺伝情報とか調べられる? 僕達、今そういう機材持ってないから」
「それが人に物を頼む顔かい。まぁいいサ。ローウェル、ちょいと付き合っとくれ」
「ああ、構わないぞ」
仲間にパンを配っていたローウェルがカナにカゴを預けると、スイレンの元に行く。
「どうすればいい?」
「ちょいと、血を分けとくれ。怪我をした人狼から貰ってもいいんだが、如何せん傷の状態が悪い。すまないんだけど、お前さんの血で調べさせとくれな」
「別に気にしないさ。仲間を助けてくれたんだ。それくらい協力するとも」
「そうかい。そんじゃ遠慮なく!」
スイレンはさっそく、と針でローウェルの指を刺す。ローウェルは一瞬顔を歪めたが、ドーアに顔を揉まれて表情を緩めた。
スイレンは採取した血を試験管に入れると船首に立った。
「ちまちま調べてもいいんだが、あちしの部屋はあいにく別の調べもので使えないんでねぇ」
「君の部屋には行きたくないからここでいいよ」
「絶対加齢臭とかするでしょ」
「こんのっ······!」
スイレンは怒りながらも人狼の身体情報を調べる。
海の水が浮き上がり、大きな盃になると、そこに血を垂らす。
盃に薄紅の波紋が広がるとあらゆる情報が泡沫のようにポコポコと浮き出した。
「健康な人狼の情報だが、これで文句はないね?」
ドールとドーアは浮き上がる文字列をじっと見ると、二人揃って顎に手を添える。
何かを考えたかと思うと、二人でブツブツと呟いた。
「本来、犬には毒のネギやチョコレートは人狼には平気みたい」
「アリルプロピルジスルフィドの分解酵素があるんだ。人間と同じ」
「食べられない食べ物は無いみたい」
「でも遺伝子構造がほんの少し違う。効かない薬があるかも」
「イーラに伝えないと。どの薬が効かないか分かる?」
「······蛇毒から作る薬ってあったよね。あれは全然ダメだ。人狼の体内で分解されて効かない」
「他はある?」
「それだけだね」
ドールは船首から離れると、甲板で包帯を替えるイーラに近づいた。
「イーラ、薬の中に蛇毒から作る薬はある?」
「ドールさん。あるわよ。でも止血剤くらいね。活用があるとしたら」
「蛇毒の薬、人狼には効かないみたい。別の止血剤使って」
「分かったわ。教えてくれてありがとう」
イーラは包帯を巻き終えると、人狼達を見回してため息をついた。
「日差しが強いのね。肌が焼けてる。スイレンさん! 水で日光を遮ったりって出来ない?」
「もちろん、出来るとも。少し涼しくしようか」
スイレンが厚い水の膜を張っている間にイーラは下の倉庫に駆ける。
貯蔵していたもの全て退けて作った簡易的な病室では血の匂いが濃く漂っていた。
重病人がわんさか転がされ、フィニが一人ひとり丁寧に包帯を取り替えている。
「イーラ! あそこの女の子! 風邪引いてるみたいなんだけど、ちょっと様子がおかしいんだ」
「了解。フィニ、まだ血が止まらない人はいる?」
「ほとんどがそうだよ」
イーラはため息をついて女の子の診察に向かう。
ひどい汗をかき、体が痛いと泣く女の子の頭を撫でながらイーラは脈を測り、呼吸音を聴く。
肺炎を起こしている。咳をするたびに傷に響いて痛むのだろう。ただでさえ咳が止まらなくて苦しいはずなのに。
「──息苦しいね。辛いね。大丈夫よ。必ず良くなるわ」
怯えないように優しく声をかけて、女の子に可愛い花が詰められた瓶を渡す。女の子はそれを抱き抱えた。
「綺麗でしょ。匂いもとっても良いのよ。ちょっと嗅いでごらん。なんの匂いがするかしら?」
「······カモミールと、マジカルリーフ。あと、シャボンコスモス」
「正解。さすが鼻が良いわね。今呼吸が楽になる薬を塗るから、ちょっと胸を見せてくれる?」
女の子を泣き止ませてイーラは薬を塗った。
女の子が落ち着いて眠ると、すん、と匂いを嗅ぐ。イーラは隣の女の人狼に目を向けた。女の子の頭を撫で続けていた人狼はビクッと肩を揺らした。
「傷が膿んでるでしょ。ちょっと腕を出して。化膿止めをかけるから」
「わ、私は······平気よ」
「傷がそれ以上腐ったら切らなきゃいけないわよ。自分の子供、抱きしめられなくなってもいいの?」
イーラは汚れた包帯を取ると、薬を出した。
異臭を放つ腕に、周りの人狼は堪えきれずに鼻を塞ぐ。女の人狼は恥ずかしくて俯くが、イーラは表情ひとつ変えずに治療を施した。
「恥ずかしくないわよ。傷なんて、腐ったらこんなものなんだから。それより恥ずかしいのは、平気なフリしてほったらかして、病気になって死ぬことだからね」
イーラは新しい包帯を巻くと、周りの様子を確認して階段を上がる。
エミリアが様子を見に来るとイーラはエミリアに包帯の取り替えを頼んで部屋に向かった。
「イーラ、今エミリアのスープが出来たけど、下の奴らは飲めそうか?」
「噛む力も残って無い人達が多いわ。軽傷の人達は平気よ。下の人たちに持っていくなら、具材は入れないで」
「ドールとドーアに頼めば、栄養ドリンク作ってくれると思うぜ?」
「······作れるの? あの二人」
「あ、知らねぇよな。あいつら、王様になる前は研究室に入り浸ってたから。遊びで野菜やら肉やらから成分だけを抽出してカプセルに閉じ込める方法見つけちまったんだよ。そういう知識はかなり豊富だぜ。多分スムージーにしてくれるぞ」
──遊びで、そんな重大な発見をするのか。
科学が発展した火魔導師の国ならやりかねないが、それを『遊びで見つけました』が通じるのもなかなか不思議だ。
ギルベルトいわく、それと同じように成分だけを抜き出してドリンクに混ぜられるらしい。
「で、そのスムージーって何」
「野菜や果物をぐっちゃぐちゃにして液状にした美味しいやつ」
「······そう。それなら良いかもしれないわ。ギルベルトさんはもう休んで。あとは私たちで何とかするから」
ギルベルトが甲板戻るのを見送って、イーラは自室にこもった。
薬材用の引き出しが壁一面を陣取るイーラの、イーラだけの小さな薬局。手入れの行き届いた調薬器具が、イーラの心を暖める。
イーラはちらとベッドを見下ろした。ベッドにはジャックが眠っていた。
上半身は傷だらけで、服を着せても擦れただけで傷が開くほど脆い。仕方なく包帯だけ巻いて寝かせているが、目を覚ます様子は全くない。
イーラはジャックの前髪をさらりと撫でて薬を作る。
「──蛇毒の止血剤は使えないのよね」
そう呟くと、引き出しから薬材を出して薬研に詰め込んでいく。
どの引き出しに何が入っているか、どの薬材がどれくらい必要か。全て手が覚えている。
イーラは薬の作り方を呟きながら薬を作っていく。
「アマカクルミを殻ごと三つ。セイセンバを二グラム。テナンテ樹のエキスを五滴。オトナキビワを四つとチドメ草から抽出して作った粉」
イーラは薬をすり潰し、練り玉になったそれを窓際に置いて天日干しする。
乾くまで時間がかかる。だが、机の引き出しから乾いた練り玉を出した。
「──今の止血剤が効かなかった時用に、作っといて良かったわ」
乾いた練り玉を更にすり潰して粉状にし、ヒラハカエデの樹液を加えて滑らかにする。
止血剤が出来ると階下の倉庫に薬を塗りに行った。




