77話 人狼たちの行方
「───どうし、て」
ジャックはそう言ってイーラの胸になだれ込み、動かなくなった。
イーラが薬を出そうとするが、ジャックは全身を痙攣させて薬が飲める状態じゃない。
イーラは「しっかりして!」とジャックに声をかけるが、反応が鈍い。
焦るイーラにスイレンが駆け寄った。
ジャックの上に水晶をかざすと、苦しそうに息をしながら呪文を唱えた。
「水の知恵 祈りの歌よ 大地を駆ける自由な者に、癒しの雫を」
水晶から水が一滴垂れると、ジャックの背中に落ちて波紋を立てる。ジャックの痙攣は治まり、ジャックは楽そうに呼吸をしていた。
「はぁ、焦ったぁ······。イルヴァが飛び出した時はどうしようかと思ったよ」
「それよりスイレンさんも治療するわよ!」
イーラはヘラリと笑うスイレンをその場に仰向けに寝かせると、服をひん剥いて傷を確認する。
「大胆だねぇ」なんて言うスイレンの口に薬の瓶を差して飲ませ、怪我の様子を確認する。
「爪痕は······よし。エンユトウが効いてるわ。肋骨が三本折れてる。やだ、肺に刺さってるんじゃないのコレ?!」
「やっぱりそうかい? 通りで息が苦しいわけだ」
「ここじゃ治せないわ! それに、肺に刺さってるんなら、私じゃ無理よ。薬剤師に手術なんて出来ないもん! どうしよう。病院ってここら辺にあるのかしら」
「あのさぁ、イルヴァ。心配してくれるのはありがたいんだけどねぇ。······ゲホッ、あちしが、原初の水魔導師だってこと、忘れちゃあいないかい?」
スイレンはそう言うと、水晶を掲げて「叡智の水よ」と呟いた。
近くの配水管から水を引っ張り出してくると、自身を水で包み込んだ。水はスイレンの体に全て染み込み、スイレンは何事も無かったかのように平然として立っていた。
「水さえあれば、あちしはすぐに治っちまうのサ」
スイレンは自慢げにそう言って人差し指を立てる。
「ただねぇ。この治し方、難点が一つある」
そう言うとスイレンの顔が真っ青になる。そして物陰に隠れると、「オエェ」と吐くような声が聞こえてきた。
「こうやっで······治療に使った、ヴェッ······水を全部·········吐がないど、いげなっ! オエェェ······──」
物陰からスイレンの説明が飛んでくるが、その後なんにも聞こえなくなった。しばらくそっとしておこうと、イーラはその場を離れ、ローウェルやギルべルトの様子を確認する。
ローウェルは背中を痛めてはいるが、無事だった。
ギルべルトは地面に倒れて意識がない。脈を測って容態を診るが、ただ気絶しているだけと知って安心した。
ローウェルにジャックを担がせて、イーラはエミリアと協力してギルべルトを運ぶ。
途中で即売会の主催者を発見した。
ジャックの暴走でうやむやになった即売会はもうお終いらしく、出品予定だった人狼たちを牢に押し込めていた。
イーラはギルべルトの足をその場に下ろすと、主催者に声をかける。
主催者は不満げに振り返った。
「あの、即売会はもう終わり·····よね?」
「ああ、当たり前だろ。競り落とした人狼はあっちの牢に入れてるから、勝手に持っていきな」
「ねぇ、まだ売れてない人狼、全部欲しいんだけど」
イーラがそう言うと、主催者は「はぁ?」と片眉を上げた。
「あのなぁ嬢ちゃん。この人狼たちまとめて一体いくらになると思ってんだよ。それに嬢ちゃんたち、買った人狼に相場の三倍は金かけてんだぜ? それで残りの人狼もって、ちょっとこっちとしてもなぁ?」
「そこをなんとか」
イーラが食い下がると、主催者はイーラたちが買った人狼と、まだ即売会に出てない人狼を交互に見ると、イーラに詰め寄った。
「普段、闇市でも出さねぇ量の人狼を全部買うって、嬢ちゃん何を企んでんだ?」
「別に、アンタに関係ないじゃない」
イーラが跳ね返すと、主催者は「じゃあ売れねぇな」と荷造りを進めた。
「ちょっと!」
イーラが主催者の手を掴むと、主催者は乱暴にイーラを振り払った。
倒れそうになったイーラを、誰かが支えた。
「僕達の国の衛兵にするんだ」
「弟たちに頼んだんだけど、やっぱり来ちゃった」
「来て正解だね。買えないなんてありえない」
「ボク達の仲間に乱暴するこの人もありえないよ」
イーラは驚いて顔を上げた。
赤い目と青い目の男。でも瓜二つの顔が主催者に殺意を向ける。
「どうする? ドーア」
「どうする? ドール」
「殺してしまうか?」
「殺してしまおう?」
「売らないなら、いいよな」
「どう言ったって力づくでしょ」
双子の殺意に主催者は腰を抜かすと、「も、申し訳ありません」と震えながら謝った。
「イージドール! イージドーア! ······王。どうしてここにい、らっしゃる、んですか」
「敬語無理しないで。ドールでいいよ」
「ドーアでいいよ。ギルのお兄ちゃんだもん」
ドーアはイーラから離れると、主催者の前にしゃがんで頬杖をつく。
「で、人狼はいくらなの?」
彼がそう尋ねると、主催者は「こ、これはオークションなので······」とモニョモニョと口を動かす。
すると、ドールが「いくらだと聞いてるんだ」と少し声を荒らげると、主催者は相場より少し高い金額を提示した。
ドーアは「あっそ」と興味なさげに言うと、腰につけた袋を主催者にポンッと投げた。
「これで全部買うから。お疲れ様」
主催者が金の入った袋を持って逃げるように去ると、ドールはイーラの頬をムニムニと揉んで遊ぶ。
ドーアはフィニを見つけると、ヒラヒラと手を振った。フィニが驚きながらお辞儀で返すと、ドーアは不満そうに頬を膨らませた。
「他人行儀、ちょっと嫌だな」
「あの、イージドーアさん。どうしてここに?」
「フィニのブレスレット、あれボクが作った魔法道具なんだ。危険を察知すると、ボクの元に現在地の信号が送られる。だからここに来た」
「ドーアちょっと焦ってたけど、発信元が商人の街って知ってウキウキしてた。お出かけは久々だもんね」
「それは内緒の約束だけど。ドール」
「ごめんね。僕もちょっと楽しみだったから」
イーラの頬で遊ぶドールに、ドーアは無表情で頬を膨らませる。そしてキョロキョロを辺りを見回して誰かを探した。
「ギルは? ギルはどこにいるの?」
「見てドーア。ここ、何かが暴れた跡がある。かなり大きい。人狼の誰か、まさか暴走したの?」
双子はエミリアが何とか抱えようとするギルべルトの姿を見ると、血相を変えて駆け寄った。
「ギルべルト! どうしたの!」
「具合が悪い? 大怪我でもした?」
「どうしようドーア、死んじゃうかも」
「どうしようドール、病院は近くにないよ」
「気絶してるだけよ。少し眠れば治るわ」
イーラにそう言われると、ドールとドーアはギルべルトの肩を支える。
「宿はとってる? とってないならボクらでとるよ」
「いや、ドーア。人狼がいる。宿に入ったら攫われるかも」
「それもそうか。でもボク達、こっそり国を出てきたから馬車も鉄の蒸気車も無いよ」
「それにこれだけの人狼、どこに隠せる? 船まで遠いし」
「それなら、あちしに考えがあるよ」
ようやく調子が治ったのか、ややスッキリした顔でスイレンが戻ってきた。水魔導師の存在に、双子はあからさまに顔をしかめるが、他に策がないようで、渋々スイレンの話に乗った。
イーラが牢の鍵を開け、エミリアとフィニで首輪を外し、ドールとドーアは鎖を焼き切って外す。
スイレンはその間に配水管からありったけの水を引き抜いて、大きな大きな龍を創る。
ドールが最後の人狼の鎖を切ると、スイレンは声をはりあげて水龍に命じた。
「飛龍! 水切りの進!」
***
スイレンが魔法で飛んだ先は、商人の街の途中に通りかかった海沿いの道だ。
肩で息をするスイレンにドールとドーアは冷たい視線を浴びせかける。
「これが水魔導師の策?」
「とっても良い考えだね」
「一度に運ぶ人数が多すぎるのサ。ほっといとくれ」
スイレンはふぅ、と息を整えると、海に向かって水晶をかざす。フィニにおんぶしてもらっていたカナは、ぴくっとして顔を上げると、ぶつぶつと詠唱するスイレンの横に立った。
スイレンと同じように海に手をかざす。
「叡智の水よ 穏やかなる調 この海に浮かぶ宝を引き寄せ給え」
「風の戯れ 精霊の気まぐれ」
「空に架かる橋 潮の干き際の道 全てを繋ぐ導はここに 波に揺られて流れるものよ ここに現れん」
「おいで、おいで。あなたの持ち主はここだよ。主人の胸に帰っておいで」
スイレンとカナは笑って目を合わせると、同時に呪文を唱えた。
「水の演舞 さざ波の桟橋波紋巡り!」
「花に惹かれる蝶々」
柔らかな風が吹き、海がざわめき出す。
波が踊るように揺らぎ、風は歌うように駆けてゆく。
葉っぱが船のように海の上を飛んだ。
風はイーラたちの周りで心地よく戯れる。
海は波の音を楽器のように響かせた。
少し待っていると、遠くから船が見えた。イーラは「わぁ」と声をこぼす。それは紛れもなく、イーラの船だった。
帆をいっぱいに張り、イーラの船は波を分けて走ってくる。
しばらく見なかったその船に、イーラの胸は高なった。
「遠くに置いちまったからねぇ。一人じゃ不安だったのサ。カナト、ありがとう」
「嘘つき。一人でも十分だったでしょ」
「ふふ。でもカナトは手伝ってくれるだろう?」
スイレンは少し離れて止まった船に、満足そうに頷いた。
エミリアが杖で地面をかくと、土がボコボコと動き出し、船まで道を創る。
「足元に気をつけてください。ゆっくり乗って、慌てなくても大丈夫ですよ」
イーラはエミリアと一緒に人狼たちを船に誘導する。
ドールとドーアも、ギルべルトを支えながら道を渡った。
全員が船に乗ると、エミリアは道を杖で叩いて戻し、スイレンとフィニが出航の準備をする。
カナは見張り台に立ち、風を存分に浴びて鼻歌を歌った。
船はゆっくりと海原を進む。イーラは痩せこけたジャックの髪を優しく撫でた。




