76話 波乱の即売会
「銀貨一枚と銅貨十二枚で落札!」
ハンマーの音が二回、会場に響いた。
フィニはほっと胸を撫で下ろす。ステージ上の女の人狼に、フィニの番号札の首輪がつけられた。
「親子は無事に落としたよ。離れ離れにはならないからね」
フィニはイーラに報告する。イーラは「そうね」と空返事で返した。
今のところ、イーラたちが取りこぼした人狼はいない。
正直なところ、もっと白熱すると思っていたのだが、イーラたち以外ほとんど札すら挙げなかった。
それもそのはず。人狼遊撃隊に所属していた人狼は高値で取引が始まるし、フィニやギルべルトあたりが札を挙げるスピードがものすごく早い。
子供や女の人狼も、カナが適切な金額を見極めて手を挙げてしまうから、その金額で競りが終わる。
そもそも、人狼たちの状態が悪すぎて、買ったとしてもその後の世話で金が掛かるのが目に見えているのだ。
「魔導師たちは、質のいい人狼を安値で手に入れたい。だから高い人狼や病気の人狼には絶対手を出さない」
カナは即売会が始まってすぐにそう断言した。その通り彼らは札を挙げなかった。だが、彼らが人狼を買わないのにはもう一つ理由がある。
次の人狼がステージに上がった。骨が浮きでて栄養不足なのは見て分かる。だが元遊撃隊員だ。魔導師たちが少し浮き足立つ。
「コレは元遊撃隊です。少々痩せておりますが、ご覧の通り威勢が良い! さぁさぁ始まりますよ! 金貨三枚から!」
人狼はあからさまに威嚇をしてステージから魔導師たちに睨みを効かせる。これはかなりの争奪戦になるだろう。──普通ならば。
「金貨三十枚!」
いきなり飛ばした金額に魔導師たちは騒然とする。その間に競りは終わった。ハンマーの音を聞き、満足気に微笑んだ後、また仏頂面に戻るエミリアの周りは、少し空間が出来ていた。
そう、エミリアが原因だ。
すぐに売れてしまいそうな人狼が出てきた瞬間、金額を釣り上げ叫び、瞬く間に落とす。
フィニやイーラが落としきれないと判断した瞬間にも金額を倍以上にして落とす。その勢いは留まることを知らない。
金に余裕があるにしても、破滅に堂々と向かっていく姿勢は仲間から見ても危険だ。
自分ひとりで人狼をまとめて買ってしまうぐらいの気負いようは、荒ぶる自然の脅威と同じで、誰にも手が出せない。
ギルベルトはずっと「ジャック許さん」と事ある毎に呟くし、スイレンは気にしない振りをしながらも、胃のあたりを強く押さえている。
エミリアはそれも知らずに鼻息荒く、出てくる人狼全てに狙いを定める。完全に狩人の目だった。
主催者がさっきよりも声を張り上げた。
嬉々として、「お待ちかねの目玉商品です!」と鎖を引っ張った。
よろけながらステージに上がったのは、ジャックだった。
虚ろな瞳で、口呼吸をしている。昨晩見たよりも状態が悪くなっている。これは、早く治療をしないと──死ぬ。
「この人狼はなんと、人狼遊撃隊の元隊長! 体力、回復力、攻撃力共に優れており、いかなる傷もたちまち治る優れもの! 今こそちょっと調子悪そうですが、パンでも与えておけばすぐに持ち直すでしょう!」
そんなわけがあるか。
極度の栄養失調で自力で動く力すらももうないだろう。それがパン一つで持ち直すだ? ありえない。少なからず二週間は絶対安静だし、なんなら早く治療に取り掛かっても今夜が山場だろう。
イーラの心配をよそにオークションは行われる。
ギルベルトやカナが予想したとおり、ジャックの競りは誰よりも高値で始まった。
「では! 金貨三十四枚からスタート!」
「金貨三十六枚!」
「金貨四十三枚!」
「金貨五十でどうだ!」
ひと月分の生活費ほどしても、やはり皆欲しがるか。元遊撃隊隊長、しかも今日出品された人狼の誰よりも優れているとなっては、余計に。
ギルベルトたちが口を挟む間もなく、金額は上がっていく。エミリアは深呼吸すると、「ギルベルト、スイレン」と二人に声をかけた。
「あとは頼みますわ」
エミリアは二人に優しく微笑むと、札を上げ、声高らかに金額を提示する。
「金貨百三十二枚と銀貨十九枚!」
一瞬で周りの声が止んだ。
エミリアは不敵に笑うと、これでもかとジャックを鋭く睨む。
それがエミリアの全財産だと理解した。そして、これで更に上の金額を提示されたら、ギルベルトやスイレンに手を借りる心づもりだったのも。
イーラはエミリアの覚悟に声が詰まった。そこまでするのか、なんてすら言えなかった。
エミリアはジャックにやり返す。その為だけに全てを投げ出してジャックを買おうとした。
「金貨百三十四枚!」
更に上の金額が出た。太った男は得意げな表情でステージを見上げる。エミリアはあからさまに苛立って舌打ちをした。
イーラは焦った。ここで金額を上乗せしないと競り落とされる。自分の手持ちの金額は大体把握しているが、皆へのプレゼントで少し使ってしまった。今あるかどうかは分からないが、イーラは現在の全財産を叫ぶ。
「がっ、金貨二百枚!」
太った男とギルべルトはあ然とし、エミリアは隠れてガッツポーズをとる。スイレンは頭を抱えるし、フィニには「バカなの!?」といつも言ってる台詞が返ってきた。
ジャックは高々と札を上げるイーラを見つけると、ゆらりと上半身を大きく揺らして前のめりに倒れる。主催者はそれを鎖を引いて留めた。
主催者がハンマーを叩こうとするその刹那、ジャックの様子が急変した。
倒れるように床に這いつくばって、唸り声を上げる。
それは前に見た事があった。イーラの顔から血の気が引いていく。
主催者は苛立ったように鞭でジャックの背中を何度も打つが、ジャックの唸り声は大きくなっていき、爪も、牙も、軋む音を響かせて大きくなっていく。
「あちゃあ、こりゃいかん。皆、早く逃げな! 人狼が暴走するよ!」
スイレンが避難を促した直後、ジャックは悲鳴にも似た鳴き声を挙げて巨大な狼へと姿を変える。
ローウェルは暴走したジャックの姿に、膝をついて落胆した。
「ジャック、ああそんな······」
「ショック受けてる場合じゃねぇぞ!」
「早く逃げよう! イーラ、カナちゃんとローウェルさんをあっちの建物に!」
「カナはここにいるよ。逃げなくても平気。だって、イルルがいるもん」
カナはにっこりと笑ってイーラの手を握った。
イーラがカナに気を取られた時、ジャックの爪がイーラの真横に振り下ろされた。
フィニがイーラの服を引いて転がり避けると、ジャックは血で染まった目をイーラに向ける。ローウェルはジャックの前に立つと、両手を広げた。
「もう苦しまなくていい! もうお前が苦しむことは無いんだ! 落ち着いてくれ! 頼む······っ!」
ローウェルの叫びも虚しく、ジャックは前足でローウェルを引き裂きカフェのテラスに突き飛ばす。
派手な音を立ててローウェルは呻いた。
フィニがローウェルを助けに向かうと、その背中を追いかけてジャックは牙を立てる。
「土よ」
エミリアがフィニとジャックの間に立つと、杖で地面を突き、空に届く土壁でジャックを阻害する。
そしてその土壁を杖で殴りつけると、土壁から岩のように硬い茨が突き出して、ジャックの体に絡みつく。
ジャックの動きを封じると、ギルベルトが遠くからジャックに銃を向けた。
「大人しくなってくれよぉ」
ギルベルトが二、三発撃つとジャックは悲鳴を上げ、体を丸めようとする。しかし、ギルべルトの方を睨むと、ジャックは茨を砕いて飛びかかった。
「なっ、効いてねぇとかアリかよ!」
前は吹き飛んだギルべルトの一撃も、ジャックは動じていない。かすり傷ひとつ負わずに、ジャックの牙がギルべルトの肩に立てられる。
「ばっかだねぇ! すばしっこいのがお前さんの良いところだろうに!」
スイレンがギルべルトを突き飛ばしてジャックの牙から守る。
ジャックが頭を振った時、鼻先がスイレンの脇腹に当たり、スイレンは少し宙を舞った後、広場に背中を打ちつけた。
そこにジャックの追撃が入る。スイレンの腹をジャックが両前足で踏み潰した。
骨が砕ける音がして、スイレンは勢いよく血反吐を吐く。
スイレンが執拗に狙われ、エミリアが気を引こうとするが、 ジャックは相手にしない。
ギルべルトが銃を何度撃とうと、ジャックがそちらを向くことはなかった。
「っ······ジャック!」
イーラはたまらず飛び出すと、ジャックの前に立つ。スイレンは息も絶え絶えで「逃げな······」とイーラに注意するが、イーラは一歩も引かずにジャックに叫んだ。
「玩具が欲しいなら、こっちに来なさい! アンタ、わんちゃんでしょ!」
イーラの安い挑発に乗って、ジャックはイーラに狙いを定めた。
イーラは逃げる直前にスイレンに薬を撒くと、ジャックを引きつけるように広場を駆けた。
人狼はその命が尽きるまで暴走する。それは絶えず苦しみ続けることになる。その前に殺してやるべきか。
いや、何とか暴走を止めたい。ちゃんと、生きたままで。
「イーラ! こっちに引きつけてくれ! エミリア! ジャックが避けられないように周りを土で固めろ!」
「ギルべルトさんどうするつもり!?」
「殺す気でやる!」
ギルべルトは銃に魔力を込める。拳銃は回路を増やすように形を変え、ショットガンになる。
ギルべルトは更に魔力を込めて、銃口の前に大きな火の玉を創り出す。
「殺すつもり!? ダメよ! 助けられるかもしれないのに!」
「だぁから、殺す気でやるっつったろ! 殺しはしねぇよ! 死んだらゴメンな!」
イーラはギルべルトの前にジャックを引きつける。ギルべルトは引き金に手をかけた。エミリアがそれを見計らってジャックの周りに土の茨を築き上げる。
「我が銃よ 魔力を燃やせ 全てを燃やし尽くす一撃を放て」
ギルべルトに脂汗が滲む。魔力が足りないのだ。
この一撃を放てばギルべルトの魔力は無くなり、ギルべルトが戦線を離脱する。勝ち目は大幅に減ることになる。それでもギルべルトは引き金を引いた。
「黒炎蓮華大輪咲き!」
ギルべルトの一撃は見事にジャックの脇腹に命中した。反作用でギルべルトも吹き飛ばされる。だが、ジャックは腹に軽い火傷を負ったくらいで、ダメージは少なかった。
「そんな······」
フィニは落胆した。カナは近くにあった花を摘むと、慈しむようにキスを落とす。そしてそれをジャックに向けて飛ばした。
「風の戯れ 精霊の気まぐれ」
カナは両手を広げて小さく零す。
「耳を澄ませて。あなたを助けたい人は、目の前にいるよ」
カナが飛ばした花は、花弁となり、いくつにも増えてジャックの視界を遮った。
「風の囁き」
花弁はジャックの周りを戯れると、力を失ってはらはらと散る。イーラはジャックが花弁に気を取られたその隙を狙って、「ジャック」と声をかけた。
「──やめて。アンタが死んでしまうわ」
前と同じようにイーラは声をかけた。
優しく声をかけたかったのに、イーラは強ばってしまって、上手く話しかけられない。
何を言っていいかも分からず、頭も心もぐちゃぐちゃのまま、イーラはジャックの頬に手を添えた。
「ジャック······お願い。死んでしまうから、アンタが死んでしまう。やめて。お願いだから」
イーラは泣くのを我慢して、怒るのも堪えて、ジャックに話しかけ続ける。それでも同じ言葉しか出てこない。
どうしたら彼の暴走は止まるのか。どうしたら彼の怒りを鎮められるのか。分からない。自分に出来るかも。自分がどうすればいいのかも。
「······ジャクイーン・ハルヴィア・モントベール」
自然と出てきたジャックの本名。ジャックの目が一瞬見開いた。
イーラはいつものように強気でジャックを睨む。頬に添えた手に、力がこもった。
「今すぐ暴走を止めなさい!」
イーラが怒鳴ると、ジャックの全身の毛が逆立った。イーラの背中から強い風が吹きつける。ジャックの鋼鉄のような毛皮を奪い去るように剥がしていった。
ジャックは狼の姿から人の姿へと戻る。
イーラを見つめていたその目には、また光が戻った。




