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75話 即売会当日

 朝起きると、いつの間にかカナがイーラの隣で眠っていた。

 イーラが体を起こすとカナも目を覚まし、とろんと蕩けた顔で「おはよぉ」と挨拶をする。

 イーラがカナの身支度を手伝っていると、ドアがノックされ、スイレンとフィニが顔を真っ青にして部屋に飛び込んできた。


 フィニはイーラを見るなりわんわんと泣き出し、スイレンはイーラの肩を掴んで「イルヴァや」と焦ってまくし立てる。



「一晩の間に何が起きたってんだい! あのノーム紋と喧嘩でもしたのかい?! とんでもない事になっているじゃあないか!」

「エミリアさんと? 私じゃないわよ。まだ怒ってるの?」

「その口ぶりは何か知っているんだね? 教えとくれ。何があった」

「わぁぁぁん! エミリアさん怖かったよぉぉぉぉ! イーラァ! なんでエミリアさん怒ってるのさぁぁ!」



 イーラは事情を説明しようとしたが、カナが傍にいるため口ごもる。スイレンはその様子にいち早く気がつくと、カナにフィニを連れていかせ、二人きりになった。

 イーラが昨晩あったことを話すと、ララルマが来たことにスイレンは案の定苛立っていた。

 が、ジャックと会った事やジャックがエミリアに言ったことを全て白状すると、スイレンはまた顔をさぁっと青くする。


「大丈夫よ。あのエミリアさんよ? それほど悪い方にいかないって······」





「だから何度も言わせないでください!」





 廊下からエミリアの怒鳴り声がする。イーラが驚いて廊下の方に目をやると、スイレンは苦い表情で「どうだろうねぇ」と零した。

 イーラがそろっとドアを開けると、ギルベルトとエミリアがピリピリと張り詰めた空気の中で言い争いをしている。


「ジャックの言うことなんざ忘れろって。どうせ苦し紛れの言い草なんだからいちいち真に受けるこたぁねぇだろ」

「あの野郎は『正規の手順で』と言ったのです。ジャックを先に助けて協力してもらえたら、もっと手っ取り早く且つ穏便に事が進んだというのに!」

「だから言われた通り正規の手順で奴らを助けるってのか!? 議会が取り仕切る即売会は全てオークション形式だ! 先に買われたら終わりなんだぞ!」

「買われる前に買ってしまえば良いだけのことですわ! お忘れのようですけど、(わたくし)の所持金は腐るほどあります。無理だと言いやがったあのクソ犬にひと泡吹かせてやりますから!」


 エミリアの剣幕に圧され、ギルベルトは珍しく怯む。

 エミリアはふんと鼻を鳴らすと階段を下りていってしまう。ギルベルトはため息混じりに頭を掻くと、自分の部屋へと戻っていった。



「······あれ、本当にエミリアさん?」

「ジャックは一番怒らせちゃあいけない魔導師を怒らせちまったねぇ。『慈愛』の土魔導師(ノーム)は常に慈しみを持って人と接する。それを愛のない言葉で跳ね返したとなると、その慈愛は厄災に変わる」



 スイレンは教訓と言わんばかりにイーラに告げた。

『魔導師の中で一番厄介なのは土魔導師(ノーム)だ』と。

 イーラはエミリアの憤怒の表情に、全て納得してしまった。


 ***


 即売会が始まる十分前、イーラたちは広場に集まった。

 即売会のために来た魔導師たちは存外多く、みな楽しみに話し合っている。

 人狼の召使いが欲しかっただの、人狼の毛皮は高値で取引できるだの、イーラには胸くその悪い話題が頭上を飛び交っていた。


 イーラたちの空気は周りの穏やかな雰囲気とは真逆で、かなり緊迫していた。全員が人狼を助ける名目で集まっているだけではない。エミリアがあまりにも怖すぎるのだ。


 朝からずっと眉間にシワを寄せたままで、ギルベルトと言い争ってから一言も発しない。

 カナも空気に呑まれてイーラの服の裾を掴んだままだった。フィニはエミリアの側でずっとプルプルと震えていた。

 ギルベルトは小さく咳払いすると、「じゃあ確認するぞ」と背をかがめる。



「カナとローウェルは比較的安値の子供や老人の人狼を落とせ。フィニとイーラは女の人狼だ。俺と、スイレンとエミリアは成人済みの人狼を。元遊撃隊は特に高値だ。他人に競り落とされないように気をつけろよ」



 ギルベルトはエミリアの顔色を窺うと、エミリアは「容易いですわ」と気合い十分だ。狩人のように鋭い目つきで簡易ステージを睨む。

 ギルベルトは初めて即売会に参加するローウェル、フィニ、カナ、イーラに手に持った白い札をよく見せる。


「いいか? 競り落とす時は、この札を上げて、金額を叫ぶんだ。前の人よりも高い金額を叫べ。そうすりゃその値で人狼を買える」

「わ、分かりました。でも、全員買えるんですか? 僕たちのお金じゃ足りないかも」


 フィニの不安を一蹴するように、ギルベルトは「お前、今までの金何に使ったよ」と尋ねる。フィニは全く答えられなかった。




 イーラたちは必要な食料と飲料しか買っていない。

 イーラは薬材を買うことがあったが、支出よりもドワーフから貰った謝礼金や時々あった依頼の報酬などの収入の方が遥かに多い。

 別に皆が無欲というわけではない。ただゆっくり買い物をする時間が、たまたま、取れなかっただけだ。


 お陰で全員、潤沢な金を保有している。買えないかもなんてギルベルトに言わせれば杞憂でしかないのだ。

 ギルベルトがステージの方を向くと、ローウェルがちょんちょん、とイーラの肩を叩いた。


「すまないが、聞きたい事があってだな」


 ローウェルは屈むと、少しの金を出してコソッと尋ねた。






「金の使い方が分からないんだ」






 イーラが驚いていると、ローウェルはしょぼんと肩を落とす。本気で困っているようだ。だが金の使い方を知らない人なんて、イーラは会ったことがない。フィニは「あっ」と素早く察すると、イーラにだけ聞こえるように耳打ちをした。


「人狼は、普段は群れで狩りをして生活するんだ。森からほとんど出ないから、僕たちみたいにお金を使うことがない。というか、そもそもお金って文化が無いんだよ」

「そうなのね。初めて知ったわ」

「人狼でお金の使い方を知ってるとしたら、遊撃隊くらいじゃないかな」


 フィニに教えてもらうと、イーラは一つ一つ丁寧に説明した。



「この金色のコインが金貨(ガナン)で、銀色のが銀貨(リール)。銅のコインが銅貨(ネアド)よ。三十銅貨(ネアド)で一銀貨(リール)。二十銀貨(リール)が一金貨(ガナン)。大丈夫?」



「な、何とか」

「分からなかったら聞いてちょうだい」


 ローウェルは忘れないように反芻(はんすう)する。

 フィニはカナの頭を撫でて気分を落ち着かせる。


 辺りにベルが鳴り響いた。イーラは気を引き締めた。拳を強く握り、怒りにも似たやる気を出す。

 主催者が壇上に上がった。腹の立つ顔が笑ってルールの説明をする。

 人狼即売会が今、魔導師の歓喜の声に包まれて始まった。

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