74話 即売会前夜
夜に葉音を響かせる、世界樹の聖堂の奥。薄暗い広間の円卓に、一人の男が座っていた。
特に何かを呟くわけでもなく、考えているわけでもない。
ただぼうっと、自分の席に座っていた。
ふと、男が入口に目をやると、一人の女が壁に寄りかかるように立っていた。
高い一枚下駄に山伏のようだが派手な色合いの服。目元を鴉のような仮面で隠した、ミステリアスな容姿だ。
女は興味無さげにしつつも、男に問いかけた。
「最近、ジャックの姿を見ないなぁ。どうしたんだろうねぇ。君は彼をしょっちゅう呼び出してたのに、かなり前からさっぱりだ」
見た目に反して軽快な口調をした女に、男は何にも言わなかった。女は更に揺さぶるように話しかける。
「そういやぁ、君がご執心だった女の子のことも聞かないねぇ。確か、死霊魔術師を連れているんじゃなかったっけぇ? やっと捕まえたの? そうなの? 何でだろ。ボクに話が来てないな〜?」
女は獲物を狙うかのように男を見据えた。
裂けるような笑みで「ルール違反?」と圧力を纏う。
男はそこまで言われてようやく、女を鼻で笑った。
「いいや。彼女はまだ捕まっていない。ジャックは除隊命令を出した。人狼遊撃隊は解体だ」
男がそう言うと、女の口元から笑みが消え、険しくなった。
女は低めの声色で男に詰め寄るように言った。
「人狼遊撃隊は議会の所有物で、解体は議会の半数以上の賛成で決まるものだよねぇ? なぁんで君は、勝手に遊撃隊をばらしちゃったのかな?」
「自分の直属部隊みたいに扱ってるけど、君がやったことは議会のルールに反してるよぉ?」
女がそう言うと、男はフフッと笑って女に言った。
「あれは私の私的軍事力だ。そもそも議会の物ですらない。議会の遊撃隊はとうの昔に解体されて以来、結成されていないだろう。要らないものを売ったところで、何の問題もあるまい」
男がそう言うと、女は軋む音を立てる歯ぎしりした。腰の、手帳ほどのサイズだが、辞書より分厚い本を抜くと、ページはひとりでに捲り出し、女は男に向かって叫んだ。
「ジャックを部隊長とした人狼遊撃隊は、お前の指名と議会過半数による賛成によって承認されたものである! よって人狼遊撃隊は議会の所有物だ! お前は正規の手順を踏まずに遊撃隊を解体したばかりか、魔導師への譲渡までした! これは!! 明らかな!! ルール違反である!!」
あるページを女が強く叩くと、歪に文字が浮かび始め、本は男に向かって立ち上がる。
それでも男はどこ吹く風で、つまらなさそうに自分の爪を眺める。
「正義を掲げし司法神よ 我が怒りを聞き届け給え
罪を犯す者に制裁を 正しき者に神の導を──」
「やめておけ。私には効かないのだから」
そう言って男は欠伸をした。その右手にはエルフ紋章が覆うように刻まれている。
女は舌打ちすると、本を荒々しく掴んで腰に戻す。自らを落ち着かせるように、深呼吸した。
「······じゃあボクは、議会の一員として行動しようかなっ!」
女はヘラヘラと態度を戻すと、広間を去っていった。
***
イーラは窓からこぼれる夜の色をじっと眺めていた。
安い宿はどうしても壁が薄い。
イーラの頭側の部屋からはギルベルトのいびきが聞こえ、足側の部屋からはスイレンの魔法に関する寝言が聞こえてきて、それがうるさくてかなわない。
イーラは耳を塞いで「馬鹿じゃない?」と悪態をついた。
「仰る通りですわ」
エミリアも眠れないのか、体を起こし、両側の壁を交互に見る。
「ギルベルトは珍しいので目を瞑りますが、スイレンは夢の中でくらい、魔法から離れてはどうでしょう。毎晩毎晩、何かの魔法式を唱えたり魔法薬を口で調合されたりしては、同じ魔導師でも悪夢ですわ」
「仕方ないわ。知識お化けのスイレンさんだもの」
「水魔導師になりそうです」
「あら、エミリアさんも面白い事を言うのね」
二人でクスクス笑い合っていると、イーラはベッドに背中を預けた。
「はー、明日の作戦が不安だわ」
寝る前に全員で立てた人狼の解放作戦はかなり大雑把なものだった。
即売会が始まった直後に乱入し、暴れ回って混乱の中を抜け出す。
たったそれだけ。しかもその作戦はギルベルトが闇市にいた頃に行った反乱とほぼ同じで、しかも成功率はかなり低かった。
『あれは魔法を使えなかったから』と言っていたが、魔法を使えたところで同じだろう。
ここは魔導師が集う商人の街だ。ギルベルト以外の火魔導師だっているし、あらゆる魔導師は議会の味方につくだろう。
議会公認の違法売買に浮き足立つ連中なのだ。絶対そうに決まっている。
エミリアはイーラの不安を拭い去ろうと、「きっと大丈夫ですわ」と優しく声をかけた。
「ギルベルトは器用ですし、スイレンも頭が回りますわ。いざとなればカナトネルラも協力してくれるでしょう。だから安心して──どこから入ってきたんです、不届き者め」
突然エミリアはベッドを下りると、杖の先を部屋の中心に向けた。
そこには先程までいなかった老婆の姿がある。その老婆は、カナを山に捧げようとしたあの集落の長だった。
「土よ──」
「待って、エミリアさん」
エミリアが即座に攻撃しようとするのを遮り、イーラはベッドから下りると、長に近づいた。エミリアはイーラに危害が及ばないか肝を冷やすが、長はまだ動きを見せない。
「──ララルマさん、だったわよね」
イーラが彼女にそう問いかけると、老婆は一瞬だけ目を見開いた。
イーラが素っ気なく、「カナがそう呼んだだけよ」と言うと、長は俯いて「そうかい」と弱々しい声を発した。
「何しに来たの?」
イーラはララルマと目線を合わせてしゃがむ。
カナの居場所なんか聞いてきたら、だだではおかない。毒だろうと薬だろうと、イーラの手元には何だってある。
しかし、ララルマは床に手をつけると、「頼む」と枯れた声で言った。
「どうか、あの子に『すまなかった』と伝えてくれぬか」
ララルマは、ギルベルトが造った装置による魔力の供給と循環に、ようやく目が覚めた。
自分たちの繁栄と自由の約束が、必ずしも原初の魔導師の魔力でなければいけないなんて、そんな古びた伝統以外に代わりがある、と。
そして後悔した。カナを道具のように扱って来たことを。自分たちの私利私欲の為だけに育ててきたことを。
ララルマは涙をポタポタと零しながら許しを乞うた。
「謝って許されることじゃない。あの子が、カナトネルラは生まれてから今までの時間を苦しみ続けた。私は彼女の育て親として、あの子の倍以上の苦しみを受けなければ釣り合わないだろう。だが、どうかカナトネルラに一言だけ、たった一言だけで構わない。謝りたいのだ」
イーラはララルマのその様子を哀れに思ったが、里でのカナの姿や容態を考えると、どうしても苛立って仕方がなかった。
カナに直接謝らせたいところだが、カナがトラウマになっていたら困るし、会わせたらスイレンやギルベルトの怒りが噴き出して止まらないだろう。
イーラが何も言わずにいると、エミリアは杖で床をコツンと叩く。
杖を立てて、胸に手を当てると、エミリアは苦々しい表情をララルマに向けた。
「イルヴァーナさんは、きっとカナトネルラに会わせはしないでしょう。私も彼女への仕打ちや、約束を破ったあの暴挙を思い出すと、今でも怒りの炎が胸を焦がします。
ですが、私がそれを言える立場ではない。ええ、私も、誰かを傷つけ、踏みつけて生きてきた身ですから」
エミリアはそう言うと、ララルマの前に立ち、慈しむように言葉をかける。
「真に、許しを乞うべきはカナトネルラと、彼女の内に眠る原初の魂です。カナトネルラを思うならば、彼女に贖罪なさい。彼女の幸せを願い、彼女に近づかぬことです。謝罪だけならば誰にでも出来ますが、その罪は洗い流されることはない。罪を償いたくば、行動なさい。彼女のために。そして、あなた自身のために」
エミリアはララルマの両肩を、杖で優しく触れた。
それが土魔導師の加護であることは、イーラでも理解出来た。エミリアは「土よ」と呟くと、杖を抱いて空を仰ぐ。
「偉大なる大地 母なる力よ その深き愛を分け与え給え」
祝詞を唱え、エミリアはその場にしゃがむ。
ララルマはエミリアの優しい表情にまた目を伏せたが、エミリアはララルマの頬に手を当てて、「お互い、頑張りましょう」と励ました。
ララルマはエミリアの手を握ると、「風の気まぐれ 精霊の戯れ」とカナの口癖と同じ言葉をこぼす。
「お前たちは、人狼即売会を中止にしようとしている。人狼を解放したいのか。ならば、わしの魔法で人狼の輸送車まで連れて行こう。輸送車を襲うことまでは出来ないだろうが、仕込みくらいは出来るかもしれん」
ララルマはそう言うと、エミリアとイーラの手をぎゅっと握った。
イーラたちの体を、冷たい風が持ち上げるように撫でた。
ララルマは歌うように呪文を唱える。それは自由な風のようだった。
「風の目指す場所」
***
イーラは夜空の星よりも目を輝かせた。
誰かを一度は望んだであろう、空を飛ぶなんて夢を叶えてしまったのだから。
体はタンポポの綿毛のように浮かび、家も、街も、森も、全てが小さく見える。風は冷たいが、身を縮こませるほどでもなく、髪も服も遊ぶようにはためかせているだけだ。
エミリアも杖を握ったまま、驚いていた。でもどこか楽しそうだった。
ララルマは商人の街から少し離れた森の野営地に目をつけると、そこに降り立った。
地面に降りる時も、風が体を支えているようで、とても心地良かった。
でも楽しい思いはそこまでで、暗い森に立つと辺りに恐怖が満ちていて具合が悪くなった。
血の匂いと、泥臭さが入り混じって鼻が曲がりそうだ。
すすり泣く声と寒そうに息を吸う音が聞こえて、悲しみが揺さぶられる。
エミリアは傍の木の枝をもぎ折ると、薪の燻った火をつけて辺り一帯を照らす。
イーラはその明かりで周りが見えるようになると、その光景に口を覆った。
人狼たちを押し込めた鉄の檻は、予想していたよりも多く、五つもあった。
布一枚だけという薄着に、鞭で打ったような痣や切り傷でいっぱいだ。皆揃って酷く痩せこけて骨が浮き出ている。傷が膿んでいる者も、病を患っている者もいる。
人狼は遊撃隊だけではなく、老人も女も子供も関係なく捕らえられていて、体のどこかに、痛々しい焼印が入れられていた。
人狼たちは、エミリアの持つ松明もどきに照らされると、悲鳴を噛み殺して身を捩り、涙を堪えて「やめてくれ」と小声で助けを求めた。
エミリアはその様子に酷く胸を痛めた。
イーラはこの場に薬を詰めたカバンが無いことを後悔した。
本当に、自分は何も持っていないと役に立たないことを思い知らされる。
「幸い御者は眠っていますが、私たちだけでは手が出せませんわ」
「皆がいないと無理ね。即売会が始まってからじゃないと動けないわ。どっちにしろ私たちは議会の目の敵にされるから、ここでエミリアさんが暴れても構わないけどね」
イーラの放った『即売会』と『議会』という単語に反応してか、人狼たちは更に恐怖の色を濃くしていた。
檻の中で母親にしがみついていた男の子はボロボロと泣き出して、「怖いよぉ」と小さく声を漏らした。
イーラはそれに気がつくと、「そうよね」と檻に近づいて声をかけた。
「ごめんなさい。私の配慮が欠けてたわ。大丈夫。絶対助けてあげるから」
イーラは慰めようと考えを巡らせると、森の中に赤い木の実を見つけた。
それを摘むと、男の子に差し出した。
「これはキーイチといって、甘酸っぱい木の実なの。疲労回復や気分を安らげる効果があるわ。少し食べて、元気を出して」
イーラは目の前でその木の実を一つ食べてみせた。イーラから木の実を受け取ると、男の子は恐る恐る口にする。美味しかったのか、表情を和らげてゆっくりと噛み締めていた。
「イルヴァーナさん、ちょっと」
エミリアに声をかけられて、イーラが別の檻に向かうと、檻で体を支えて項垂れる人狼がいた。
小豆色の短髪の、見知った人狼だ。その変わり果てた姿にイーラは弱々しく名前を呼ぶことしか出来なかった。
「ジャック······!」
ぴんと立っていた耳は力なく倒れ、息も限りなく弱い。
誰よりも鋭かった眼光も、光なんて灯っておらず、虚ろなままだった。
イーラの声に耳が一瞬だけ反応すると、ジャックはゆっくりと顔を上げた。
「死霊魔術師を······連れた············小娘············」
ジャックは震える手をイーラの首へと伸ばすが、檻から出る前にガタンと落とす。何度もイーラに掴みかかろうとするが、今にも死にそうな体は言うことを聞かない。ジャックは悔しそうに唇を噛んだ。
「よく、アンタよく生きてたわね。よか、良かった······」
イーラは安堵して泣きそうになるのを堪えながら言った。
ジャックは噛み付く元気もなく、黙って聞いているだけだった。
イーラはハッとして、さっき見つけたキーイチを摘み、ジャックにその汁を飲ませる。
真珠大の一粒に含まれる汁なんてたかが知れてるが、それでもジャックを助けようと、イーラは手や服を汚してでも飲ませた。
木の実の汁を数粒分飲ませると、ジャックは辛うじて会話が出来るようになった。
エミリアは険しい表情でジャックの傍に寄ると、「あなたを助けたい」と言った。
「あなたさえここから出られたなら、全員の救出は容易いでしょう。どうか、皆のために手を貸してくれませんか」
エミリアが協力を持ちかけると、ジャックは鼻で笑った。
「俺は、議会の······所有物·········。今の、お前たち······に、所有権、は······ないだ、ろ。············どっか行け。······どこかに」
ジャックは苦しそうに息をすると、体を丸め、眠そうに目を閉じる。エミリアは若干怒った声で「ジャック」と彼を呼んだ。
「私たちは、あなた方を助けようとしているのです。人狼遊撃隊を率いていたあなたなら、皆を助ける事が出来るでしょう。正直言うと、これほどの数は私やイルヴァーナさんたちだけではどうしようもありません。皆がこれより酷い目に遭うのは、お互いに避けたいでしょう」
エミリアがどんなに訴えかけてもジャックは聞く耳を持たなかった。
それどころか、全てを諦めたような目でイーラとエミリアを一瞥する。
「そんな、に言う······なら·········正規、の手、順で············俺たちを、助け···ろ。·········どうせ、無理だ」
その一言が、エミリアの怒髪天を衝く。
「────あっそぉ」
エミリアは滅多に使わない言葉を呟くと、杖で地面を強く突いた。
「分かったわよ。そんなに言うならそうしてやる!」
エミリアが捨て台詞を吐くと、御者が身動ぎをする。
ララルマは「これ以上は」とイーラとエミリアの手を掴むと、魔法でまた空を飛ぶ。イーラは人狼たちの檻が遠ざかっていくのが苦しくて目をつぶった。
必ず助けようと覚悟を決めるイーラの横で、エミリアは見えなくなるまでジャックを睨み続けていた。




