70話 束の間の楽しみ 2
とある店から出てきたエミリアは、深いため息をついた。
小綺麗な布に包んだ杖を抱え、別の店を探す。
どの店に行っても、真っ二つに折れた杖を直してくれるところなんて無かった。それでもエミリアは辛抱強く、杖の修理屋を歩いて回る。
ほとんど全ての店を回ったんじゃないかと思う頃、店を出てきたエミリアに、スイレンが話しかけた。
「おやおや、せっかくの祭り時に浮かない顔だねぇエミリア。もっと楽しい店があるじゃあないか」
「スイレン。いえ、大したことではありませんわ」
エミリアは杖をギュッと抱きしめた。スイレンはふぅん、と言うとエミリアを連れて杖の専門店へと入っていった。
所狭しと並ぶ杖の数々を、スイレンはじぃっと品定めするように眺める。うん、と納得すると、スイレンは店の奥で杖を磨いていた男に声をかけた。
「ちょいと旦那。新しい杖が欲しいんだが」
スイレンは店主を呼ぶと、エミリアの折れた杖を借り、長さを確かめる。
店主は折れた杖に怪訝な顔をした。
「これを直すのは無理ですよ。欠けただけならまだしも、真っ二つ折れたんじゃあ直せっこないですもん」
どの店でも言われたセリフに、エミリアは表情を暗くする。
杖の扱いなんて、魔導師ならば知っていて当然だ。
半分以上に折れた杖は直せない。一部欠損くらいなら簡単に直るが、欠損の部位や範囲によって修理の難易度があがる。
スイレンは頬を膨らませて「耳が遠いらしいねぇ」と言った。
「誰が直せと言ったんだい。あちしゃ『新しい杖が欲しい』と言ったのサ。馬鹿だねぇ。みんな同じことしか言えないのかい」
スイレンが不機嫌そうに言うと、店主は急いで同じ長さの杖を探しに行く。エミリアはスイレンに「結構ですよ」と言った。
「新しい杖を、買うつもりはないのです。これは、私の父の形見ですから。できるだけこの杖を使い続けたいのです」
エミリアは年季の入った杖をそっと撫でた。
スイレンは「悪いねぇ」とため息をつくと、杖のケースに寄りかかった。
「あちしに親とか兄弟とかはいないもんでねぇ。そういう気持ちはちっとも分かりゃしないんだ。あちしも、友人や知り合いから譲り受けた品は数多くあるが、譲り受けただけで特別な感情は存在しない。物は物でしかないんだよ」
「······スイレンは、叡智のディーネ紋ですから。あっいえ、決して分かるはずがないというわけでは。その、私は」
「知っているとも。慈愛のノーム紋は、物に込められた愛さえも大切にするんだろう? そうさねぇ。あちしは少しばかり感情に関する考え方が淡白なのサ」
エミリアは伝えようとしたことがちゃんと伝わっていることに安堵した。スイレンはケラケラと笑い、「さすがはノーム紋だ」とエミリアに微笑みかける。
「だがね、エミリア。物も変化するのサ。どこぞのサラム紋の国が、魔法に頼らず生きる術を見つけたように、魔導師の魔力の質に合わせて魔法媒介が変わるように。思い出もまた、変化する」
スイレンは杖を指先でなぞると、エミリアに現実を突きつけた。
「ひとつの杖に固執して、お前さん自身の力が発揮されないんじゃあ、それは魔法が使えないのと同じじゃあないかい?」
エミリアは胸に刺さった言葉に唇を噛んだ。
それでも、とひり出した言葉で、スイレンに言い返す。
それが、彼にとって幼子の屁理屈でも構わないと。
「父が託した思いも、私が誓った思いも、この杖に込められているのです。だから、意地でもいい。どうぞ馬鹿だと仰ってください。それでもこの杖を、私は手放したく無いのです」
エミリアの頑固な意思を、スイレンはキョトンとして聞いていた。そしてほんの一瞬、静かになったかと思うと、堪えきれずに笑いだした。
「あっはっはっは! いや、すまないねぇ。笑うつもりはなかったんだ。いやいや、お前さんの意志はかなり強固だ。いや、あちしの伝え方が悪かったんだ。なんせあちしは他人の気持ちを考えてものを喋れないから、思ったことをそのまんま言っちまう」
スイレンはひとしきり笑うと、杖を抱えて戻ってきた店主と杖を並べ、品定めをする。ありったけ持ってこられた杖の中からスイレンは五本くらいに杖をしぼると、エミリアに選ばせる。
「さぁさ、お前さんはどの杖にするんだい? エミリアの魔力に合うものにしぼったよ。あちしは女人の好みが分からないからねぇ。選んでおくれ」
エミリアは困惑しながら、若草色の宝石が葉っぱのように飾られた木の杖を選んだ。
杖を選ぶと、店主は店のカウンターから宝珠を出してきた。
「どの魔力核を入れます?」
「ま、魔力核? 杖の魔力核は世界樹の根っこと決まっていますよ?」
「いえいえ、最近は色んな核を使うんですよ。この青いのなんてどうです? これは水魔導師のように膨大な魔力を保有できるんですが──」
エミリアは突き出された宝珠にさらに困惑した。
世界樹の根っこはあらゆる魔力の核となる万能魔法薬材だ。それを使った杖はあらゆる魔導師の力を最大限に引き出せる。
それをまさか使わずに別の核を入れるなんてとんでもない。
この店主が無知なのか、知らない間に最新技術が生まれたのか。
エミリアが店主のごり押しに戸惑っていると、スイレンは「要らないよそんなもん」と店主を引き剥がした。
「杖だけで結構サ。いくらだい? ああ、そこに値段が書いてあるや。長杖の本体が金貨一枚と銀貨七枚か。そら、ちょうどだ。またよろしく頼むよ」
スイレンは強引に店主に金を渡すと、エミリアと、折れた杖を抱えて店を出た。
***
店から離れ、カフェのテラス席を取ると、スイレンはテーブルの上に折れた杖を置いて水晶をかざす。
エミリアは店員に注文を頼むと、スイレンの占いまがいの行為をじっと見ていた。
「ったく、あのガキ。世界樹の根っこ以外の魔力核をぶち込むだなんて、とんでもない商売しやがる。世界樹の根っこ以外の魔力核を入れた杖は暴発するってことを知らないんだろうねぇ」
「やはりそうでしたか。杖自体の技術が変わったわけではないんですね」
「当たり前サ! あちしも昔、天馬のたてがみとかケンタウロスの蹄とかで試してみたが、世界樹の根っこ以外の杖は皆木っ端微塵になったよ! 特にミノタウロスの角は酷かった。使った直後、辺り一面焼け野原になるわ体が牛に変わるわであとの始末が面倒だった!」
スイレンの奇行にエミリアはあ然とする。
職人でもないのに杖を作ったばかりか、世界樹の根っこ以外を使ったなど正気ではない。
スイレンの知識があれば杖作りなど容易いだろうが、別の魔法薬材を核にするのは危険行為にも程がある。
スイレンは杖の先端から十センチほど下に指を当てると、エミリアに「切ってもいいかい?」と聞いた。
エミリアは少し嫌な顔をした。
ただでさえ、自分の不注意で折った杖だ。それをさらに切るなんて親に申し訳が立たない。
スイレンは「そうだよねぇ」と呟いたかと思うと、小瓶の水を杖にかけた。その上に水晶をかざすと、スイレンは長い長い呪文を唱えた。
「叡智の水よ 土の調べ 聖なる木の根の加護の雫 大いなる力は川の如く巡り 偉大なる慈しみは張り巡らされた根の如く深い 全ての力の源は岩となりて 全ての命の源は琥珀の如く輝かん 蜘蛛の糸にかかる水の一雫 木の枝を伝う柔らかな蔦 誘い給う魔力の根源 物に宿りし魂の根よ」
スイレンが歌うように唱えると、杖の隙間から水がぷくぷくと浮き出し始め、杖の中から世界樹の根っこだけを抜き取った。
根っこに絡まる琥珀を見たときスイレンは「おやおや珍しい!」と歓喜の声をあげる。
「こりゃあとても相性のいい根っこじゃあないか。知っているかい? 世界樹の根っこに物が絡まるのは千年にひとつあればいい方なのサ。それくらい世界樹の根っこというのは滑らかなんだがね。こんな風に包み込むように物が絡まるなんて強い魔力がある証なのサ。しかも絡まっているのは琥珀!」
スイレンは目を輝かせて根っこを観察する。
興奮するスイレンとは裏腹に、エミリアはキョトンとしてそれを見つめていた。
別に琥珀に特別な意味は無い。珍しいという理由は今ので十分理解出来た。だがスイレンが言った「相性がいい」というのはどうしても理解できない。
道行く人を見ても、世界樹の根っこを見て珍しがる様子もなければ、スイレンのように興奮する人もいない。
『ああ、魔力核の入れ替えか』くらいの空気感しかないのだ。
なのにスイレンはものすごく喜んでいる。
エミリアは無知を承知でスイレンに尋ねた。
スイレンは周りとの温度差に気がつくと、照れたような咳払いをして「ほとんど知られていないだろうが」と前置きした。
「世界樹の根っこは使い手の魔力を最大限に引き出す。そして、そこに絡まっているものは、世界樹の根っこの恩恵を受けて使い手に付属加護を与えるのサ。それで、琥珀というのは『土魔導師の御魂』を表す。つまり、これはノーム紋が持つと限りなく強い魔力を引き出せる最高の魔力核なんだよ」
だからスイレンは興奮していたのか。
エミリアは納得すると、店員が持ってきたコーヒーを飲んだ。
スイレンは新しい杖に魔力核を移し替えると、エミリアに新しい杖を渡す。
「きっとお父さんというのは、エミリアのことを大事にしていたんだなぁ。琥珀の中に、どうしてかエミリアの名前が術式として刻まれていた。魔力核に名を刻むのは、その人だけが使えるようにするという事だ。いつかお前さんに渡すつもりだったのだろう」
エミリアはそれを聞くと、涙をこぼした。
遠い記憶の父と母が、エミリアを抱きしめて笑っている。
杖は変わってしまったのに、今が一番、両親に近い。
エミリアは杖を抱いた。
今まで使っていた杖とは全く違う。それでも今まで以上に暖かい。
スイレンはコーヒーを冷ましながら言った。
「さっきは言葉足らずで悪かったねぇ。エミリア、物は変わると言ったろう? 物はいずれ移り変わる。それはあちしらがどう足掻いても変わらない。ずっとずっと変化を繰り返す。でもねぇ、込められた思いそのものは絶対に変わるこたぁない。だから壊れた入れ物ごと大切にしなくても、新しい入れ物に入れて大事にしな」
「お前さんの両親の想いもお前さんの誓いも、胸の内にある間は壊れたりしないからねぇ」
エミリアは杖を愛おしそうに抱きしめた。
スイレンは折れた杖を、大切に包むとエミリアを一人にした。
先に代金を支払うと、スイレンは杖の包みを引っ提げて祭りの喧騒に身を委ねる。
スイレンは髪に挿した簪を指先で弄んだ。
そして苦々しく笑った。
「あちしも、素直に言えるようにならないといけないねぇ。昔の癖が抜けないせいで、話が長ったらしくなる」
『杖を変えても、怒る者は誰もいない』
ただそれだけの話だったのに。
年寄りというものはどうして話が回りくどいのか。
スイレンはカラカラと笑って人混みをかき分けた。
どこからか、花火の音が聞こえてきた。




