68話 真実は霞の中に
カナを集落から連れ出したイーラ達は、エナカグラを抜け、商人の街へと向かっていた。
商人の街は、テナシーの森から続いた道にある、芸能村と反対側の分かれ道の先にある。
エミリアは道中ずっと後方を不安げに振り向いていたが、カナはエミリアの手を引いて「大丈夫だよ」と優しく声をかけた。
「ララルマは······あの長の人は、追いかけて来ない。風魔導師は集落を離れることはない。あの人たちは誰かに縛られる事を嫌う。だから山の麓の人達にさえ、姿を見せることはないの」
「そう、ですか。でも、あなたを手放す様子がなかったもので。どうしても不安になるのです」
「土魔導師はとても優しいね。優しすぎるくらいだね。でもカナは大丈夫。カナを助けてくれる人と一緒だもん。ねぇ、イルル」
カナはそう言って、イーラの手を握った。
イーラは普段呼ばれない呼び名に少しだけ驚いた。
「イ、イルル······?」
「可愛いでしょ。フィンもね、可愛いって言ってくれたよ」
「フィニ、あんた『フィン』って呼ばれてんの?」
「そうだよ。最初は恥ずかしくて止めてって言ってたけど、なんか慣れちゃったや」
「ギールもね。最初は止めろって怒ってたけど、今はすっかり平気なんだよ」
「でもまだ照れてるんだよ。耳だけ赤くなるんだ。ねぇギルベルトさん」
「今夜の見張り番はお前一人でやるか? なぁ、可愛いフィン?」
「ごめんなさい! 調子に乗りました!」
ギルベルトに頭を鷲掴みされるフィニに、カナは可愛らしい声で笑う。
スイレンはとても優しい微笑で、カナの頭を撫でた。
「約束守れて良かったわね」
イーラはスイレンにそう声をかけると、ぷいっと顔をそむけた。
スイレンはその様子を堪えきれずに笑うと、とても愛おしそうにイーラの頭も撫でた。
「もちろん、お前さんのことも大事サ。忘れちゃあいないよ」
「そういう意味で言ったんじゃないわ! そのままの意味を受け取ってくれる!?」
スイレンはからかうようにイーラを撫で続けた。
ギルベルトはカナに肩車をすると、「街見えたかー?」なんて言ってふざけた。
カナは「大きな街があるねぇ」と笑った。
「そりゃそうだろ。商人の街は魔導師が集まる街だからな。かなり質のいい杖や魔法薬材が揃ってんだぜ。まぁ、着くのはあと二〜三日ってとこ──」
「あっ! 今お祭りやってるんだぁ!」
カナは無邪気にそう言った。
しかし、その場にいた全員がその一言に驚き目を見開いた。
ありえないのだ。二〜三日かかるということは、街なんてまだまだ見える位置にない。
なのにカナは目をキラキラさせて街の様子を詳細に喋る。
「首飾りの魔法道具のお店があるよ」
「色のついた水芸をしてる。水に色ってつけられるの?」
「あ、今面白そうな踊りが始まる」
「なんのお祭りだろう。終わっちゃう前につかないかなぁ」
イーラが口をパクパクさせていると、スイレンがイーラの肩に手を置いた。
「シルフ紋ってのは風を魔力とする、ちょっとばかし型破りな魔導師でねぇ。ホラ、風はどこにでも吹くもんだろう。それにどこまでも遠くへと吹くじゃあないか」
「つまり、あの子がやってるのは」
「風に写し身を乗せて、近距離で見てるんだろうよ」
風魔導師はどの四大魔導師よりも魔法の範囲が広い。風はいつだって吹いているし、無風でも空気さえあれば魔法を使える。
その分、個人の魔力量としては火魔導師に続いて少ないが、風がある間は使える魔法は無尽蔵だ。
スイレン曰く、「風に写し身を乗せるのは魔力が多くても早々出来ることじゃあない」という。
それを十歳くらいの女の子がやっているのだ。
彼女が本当に原初の魔導師の生まれ変わりなのだと、改めて思い知らされた。
ギルベルトはカナがあまりにも急かすから、日が暮れても自分の魔法で道を照らし、何とか街までの距離を詰めた。が、月が林の向こうから顔を出す頃、とうとう魔力が切れた。
やむなく野宿をすることになると、カナはちょっと不満そうだったが、エミリアが林の中でドーム状のテントを拵えると、初めて見るテントに楽しそうにはしゃいでいた。
フィニが木の枝を拾ってくると、ギルベルトは火打ち石で火種を作り、焚き火を起こす。
エミリアとイーラが持ち歩いていた食糧で夕飯を作っている間にスイレンが林の中に水の結界を張る。
イーラがこしらえたスープと、エミリアの作ったサンドイッチで体を温め、束の間の団欒を楽しんだ。
エミリアやスイレンがカナに色々な街や祭りを教えてやると、カナは大輪の花のような笑顔で「行ってみたい!」と夢を語る。
イーラはカナに感心した。
彼女は自由と自分勝手の違いをよく理解している。張り巡らされたルールの中で、カナは生き生きと動き回る。
ルールに疑問こそ持つが、反発する様子はない。一回目の反抗期になっていてもいい歳の頃だろうに、カナは不安になるくらい聞き分けがよかった。
カナが疲れて眠ると、イーラ達も寝る準備を始める。
スイレンは焚き火の側から離れず、イーラたちをテントに押しやった。
「なにかあったら任せなさい。さぁさ、女子供は寝ておくれ。今宵の火の番はあちしがしよう」
スイレンは焚き火に薪をくべながら林の中をぐるりを見回した。
ギルベルトはため息をつくと、イーラのカバンから少しのハーブと生姜を貰う。
「ジジイ。交代役くらい決めとけ」
ギルベルトはそう言いながら、スイレンの向かい側に腰掛けて、飲み物を作り始めた。その表情は少しやつれているように見える。イーラは先ほどまでカナとずっと遊んでいたギルベルトを心配した。
「ギルベルトさんは休んだ方がいいわ。カナの相手ばかりして疲れてるでしょ」
「別に。ルッツよりはマシだ。ほれさっさと寝ろ。お前は怪我してたろ」
「スイレンさんの魔法で治ったわよ。疲労に効く薬、置いておくから。飲み物に数滴垂らして飲んでちょうだい」
「ありがとよ」
イーラは薬をギルベルトに渡すと、スイレンにも薬を渡す。
スイレンは薬をじっと見ると、察したように笑った。
イーラはテントに入ると、隅の場所で横向きになった。
いつもなら横になっても、旅を始めた頃のくせで、魔物や獣に襲われないように、一時間は辺りを警戒する。
だが今日に限っては横になった瞬間に耐え難い眠気に襲われた。
朝早くに起きて、カナを連れ出す騒動があった。そしてその足で別の街に向かっている。そりゃあ疲れて当然だろう。
イーラはそう納得すると、ストンと深い眠りに落ちた。
身動ぎすることも無く、イーラは深く深く、眠り続ける。
***
「──他の奴らを巻き込むこたぁなかったろ」
ギルベルトはナイフで生姜を細かく削ぎながら言った。
スイレンは膝の上で水を垂らした水晶を転がし、眠りの魔法を唱えていた。
ギルベルトが睨み、スイレンはククッと笑うと、嫌味ったらしく返した。
「野宿で相談を持ちかける奴に言われたくないサ。皆警戒して眠りが浅くなることくらい、知ってるだろうに」
「ウゼェウゼェ。どうせ数分で済まそうと思ってたんだ」
ギルベルトは生姜ハーブティーをぐいっと飲むと、「魔法道具の件だ」と切り出した。
スイレンはそれを聞いて姿勢を正す。ギルベルトはため息をついて話し出した。
「テメェの作った石があったろ。見てて分かってただろうがな」
「ああ。シルフ紋の魔力を込める時間なんてなかったねぇ。だから感心したんじゃあないか。短時間でよく風の魔力を込められたもんだと」
「あれがさぁ。イーラの魔力だとしたら?」
ギルベルトがそう言うと、スイレンの表情は険しくなる。
ギルベルトはあの石に込めた魔力はイーラのものだと言い切った。
スイレンは疑わしい目をギルベルトに向ける。
「シルフ紋の魔法を受けたんじゃあないのかい? 魔法からも魔力は抜き出せる」
「体に流れる血液からも、魔力は抜き出せただろ」
「······何が言いたい?」
「イーラの血液が着いてた」
ギルベルトは装置の前で、オパールにイーラの血が着いているのに気がついた。イーラから受け取った時はベッタリと着いていた血が、何故かオパールに吸収されていく。
「ヤベッ! 違うものが入ったら使いもんにならねぇよ!」
ギルベルトが慌てて血を拭うも遅く、イーラの血はすべてオパールに吸収された。
ギルベルトは作戦失敗に強く失望した。
オパールから、黄緑色の光が放たれるまでは。
ギルベルトは不思議に思いつつも、それを機械にはめ込んでみる。
事前に形を削っているだけあってサイズはぴったりだ。そして、機械はちゃんと作動した。
話し合った通りに、組み立てた通りに。何の狂いもなく機械は動いていた。
風魔導師の魔力ではなく、なんの魔力も持たないはずの、一般人のイーラの血で。
スイレンの表情がさらに険しくなる。
ギルベルトは「まさかな」なんて話を濁した。
「まっ、ありえねぇよ。テメェでも魔力が全く見えねぇような一般人だぜ」
「ああそうとも。イルヴァは生まれた時から魔力がない。それは今でもハッキリと思い出せる。だからあちしはマシェリーに頼まれたのサ。イルヴァに手を貸してやれって」
ギルベルトは興味なさげに相槌を打つと、カップの中身を飲み干して言った。
「古来から魔力を封印する方法はいくつかあるよな。イーラの魔力が封印されてりゃあ、話は別なんだけどよ」
ギルベルトはそれだけ言うと、周辺の見回りに向かった。
スイレンは顎に手を添えて考え込むと、「封印、ねぇ」と呟く。
袖に入れたイーラの髪と血のサンプルをじぃっと見つめ、「まさか」とこぼして袖に戻した。
スイレンは星空を見上げた。
流れる川のように輝く星は、スイレンの胸の中を掻き乱した。




