67話 向かい風も捻じ曲げる 2
イーラが治療をしている間、フィニはギルベルトに急かされながらせっせと魔法陣を書いていく。
「本当にやるんですか?」「当たり前だろ」という会話を何度も繰り返し、フィニは困りながら陣を完成させる。
「絶対成功しませんよ! 自慢じゃないですけど、僕ポンコツなんで!」
「ポンコツでもトンコツでもかまやしねぇよ! 精霊さえ呼び出せばそれで済む話だからな!」
フィニはう〜っ! と、ギルベルトを睨むと、渋々魔法陣に木の枝を突き立てた。
「ねぇスイレンさん。魔導師って、杖が変わっても魔法は使えるの?」
イーラが尋ねると、スイレンはイーラに上着を着せながら「もちろん」と答えた。
魔導師が使う杖なんて、要は命令式を与えるための指揮棒なのだから、命令さえ出来れば何でもいいらしい。自分に適しているかどうかの誤差で、悪くても魔法の威力が変わるだけだという。
「現にギルベルトやあちしは杖なんか使っちゃいないが、魔法の威力は強いだろう?」
「なるほど」
イーラが納得すると、魔法陣は淡く輝き出す。フィニがようやく腹を決めたようだ。
「冥界を統べる我らが神よ。我が魔力を礎に精霊を呼び覚まし給え! ──案内人」
フィニがそう叫ぶと、魔法陣から煙が立ち込める。
水タバコを片手に現れたのは、毛皮を纏った男だった。
『我を呼び覚ますものよ。汝の名を我に差し出せ』
「死霊魔術師見習い──フィニアン・レッドクリフ」
呼び出された案内人は、煙をふぅと吐き出すと、水タバコの先でフィニの頭を叩いた。
『まぁた迷ったのか方向音痴!』
「いたっ! ち、違うもん! 今度は違いますぅ!」
『そう言って俺を呼び出したのは何回目だ! 言ってみろ!』
フィニは涙目でギルベルトに助けを求めるが、ギルベルトは精霊に怒鳴られる魔術師なんて見たことがないらしく、白い目をフィニに向けていた。
イーラは仕方なく、「久しぶりね」と案内人に声をかけ、助け船を出した。
『久しいな。マシェリーの娘』
「イルヴァーナよ。ちゃんと覚えてちょうだい。少しあなたの手を借りたいのよ。道案内じゃなくて」
イーラがそう言うと、案内人はキョトンとして「はぁ」とま抜けた返事をする。
そしてスイレンを見ると心底驚いたような表情をした。スイレンはくすりと笑って唇に人差し指を当てる。
『ああ、そうかい。で、いったい何の用だ?』
「その事なんだけどよ」
ギルベルトは案内人の前に立ち、状況を簡潔に説明する。案内人は納得すると、また水タバコをふかした。
「だから集落のヤツらを驚かして、混乱させたい。力を貸すのは一瞬だけでいい。協力してくれ」
ギルベルトが頭を下げると、案内人は困り顔で頭を掻いた。
彼いわく、「協力は出来る」という。だが、とんでもない問題が目の前に立ちはだかった。
『俺が暴れたりしたら、集落無くなるよ?』
「そろそろ石鹸無くなるよ?」みたいなノリでそんな事を言わないで欲しかった。
案内人はとても穏やかな性格の精霊だ。だが宴や酒が大好きで、一度酔っ払うと街一つ破壊するほど暴れる酒乱なのだ。
やり方にもよるだろうが、ここで集落を滅ぼされては困る。カナを助ける云々よりも、自分たちの身を守る方が優先される。
イーラは頭を抱え、ギルベルトも妥協案をひねり出そうと必死だ。
フィニも苦い表情で固まってしまうし、スイレンもポリポリと額を掻く。
唯一エミリアだけが解決策を思いついたようで、にっこりと笑っていた。
「森の案内役の精霊に、挨拶を申し上げますわ。私はエミリアといいます」
エミリアは進んで前に出ると、案内人の前で丁寧にお辞儀をした。案内人はエミリアのノーム紋を見ると、丁寧にお辞儀を返した。
エミリアは少しだけ、意地悪な笑みを浮かべると、案内人に尋ねた。
「あなたには、とても可愛らしいお友達がいらっしゃいましたね?」
***
芸能村──コナラマ山
その山頂で、カナは膝立ちで祈りを捧げる。
ガゼボのような社の前で風車を回し、強ばった表情で、必死に祈りを捧げていた。
「皆の衆! 大いに喜べ! ついに我らに栄光の風が吹く!」
老婆は民の歓喜を焚きつける。
皆が喜び叫ぶ中で、カナは泣きそうなのを堪えていた。
「風の戯れ 精霊の気まぐれ」
カナはそうこぼした。
震える声で、自分に、自分の中に眠る魂に、山に溶けた風魔導師の魔力に、強く願った。
「次こそは──」
「もう次は無いわ」
突然の事だった。
社の扉が開き、中から沢山のピクシーが飛び出した。
カナは驚いて尻もちをつき、集落の民たちはピクシーに悲鳴をあげる。
カナはピクシーに踊らされる民にポカンと口を開け、老婆たちは踊り続ける体に驚き叫び続けていた。
カナが助けるべきか悩むまもなく、イーラがカナの手を引いて山を駆け下りた。
「早く! 追いかけられたら私たちに勝ち目はないわよ!」
「えっ! えっ!? でも」
混乱するカナを、スイレンが微笑んで抱き上げた。
「必ず助けると約束していたのサ。今度こそ、その約束を守ってみせたよ」
イーラは山道を駆けながら、カナに言った。
「外の世界、見たいんでしょ。見せてあげるわよ。だから、生きてちょうだい」
カナは堪えていた涙をポロポロとこぼした。そしてスイレンにしがみついてすすり泣いた。
カナに眠る原初の風魔導師は、生まれ変わる度に『もしもまた生まれ変われるなら』と願い続けていた。
その願いは誰も恨まず、誰も憎まず、自身にかけた呪いでもない。
『風のように自由に生きたい』
──今世で届くことのなかった未来への希望。
誰かのためでなく、自分のために生きたいという、切ない願いだった。
イーラは彼女の魂が願うことを叶えてこそ、彼女を救うことになると考えていた。
イーラたちが山を下りると、スイレンは水晶を山に向けた。
「水の知恵 祈りの歌よ」
そう呟くと、地面からポツポツと水滴が浮き上がってくる。
山からガサガサと草をかき分ける音が聞こえてきた。
それは段々イーラたちに近づいてくる。
スイレンの警戒がより高まる。カナをイーラに預けると、スイレンは水を鋭く尖った氷に変える。
人影が見えた。イーラもナイフを出す。
スイレンに向かって手が伸びた。
スイレンが魔法を唱える。
「水砲弾 氷槍──」
「わぁ! まっ、待ってください! 攻撃しないで!」
山からフィニが両手を上げて飛び出してきた。
その後ろからエミリアとギルベルトが現れる。
スイレンは胸を撫で下ろすと、「脅かさないどくれ」とため息をついた。
「すごい、本当に撒いて来れたんだ」
イーラがそう言うと、エミリアはふふっと楽しそうに笑った。ギルベルトは感心したようにエミリアの肩を抱いた。
「すげぇな。よく思いついたもんだ」
***
「ピクシーで奇襲をかけるぅ?」
イーラが素っ頓狂な声を出した。エミリアは「そうですわ」と微笑む。
「ピクシーは踊りが好きな生き物ですから、彼らに協力していただけば安全に事が済むでしょう」
エミリアがそう言うと、案内人は納得した。
『たしかに、俺が手を貸すよりは安全だ』と。
その後は早かった。スイレンとギルベルトが作戦を立てる前にエミリアが駆け出し、案内人がピクシーを呼び出す。
呼び出されたピクシーを上手に従えて、エミリアは山に彼らを放った。
パニックになる山頂からイーラとスイレンがカナを連れ出し、ギルベルトが装置を作動させる。
フィニが魔法陣を閉じて精霊を森に還し、エミリアとギルベルトでフィニを護衛しながら山を下りる。
「こんだけ大胆なやり方した事ねぇよ」
「だって、お二人に考えさせては一日経ってしまいそうでしたので。命が危ぶまれる時は即決行動が一番ですわ」
「ねぇ? イルヴァーナさん」
エミリアは無邪気な笑みでイーラに尋ねた。イーラはフンと鼻で笑うと「そうね」と返した。
だが不安な事が一つある。
魔法循環の装置だ。
あれには魔力を込めたオパールが必要だ。だがあの騒動でオパールに魔力を込めている時間なんて無かった。
装置は正しく作動したのだろうか。
イーラは山を見上げた。イーラには装置がちゃんと動いているかなんて分からない。スイレンも同じように山を見上げると、満足そうに頷いた。
「うんうん。ちゃんと動いているじゃあないか。これなら大丈夫だろう」
「ほ、本当に作動してるんですか?」
「ああ。山を囲む魔力が動いているよ。かなり適正のある魔力がこもっているね」
スイレンはふとギルベルトの方を見た。だが、ギルベルトはかなり困ったような表情をしている。
スイレンは何かを悟ると、「さぁさ」とイーラたちの背中を押した。
「早くここから離れようじゃあないか。アイツらが追いかけてきては困るからねぇ」
スイレンに急かされるままに、イーラはカナと一緒に村へ向かう。
ギルベルトは「腹減った」なんて言いながら大きな欠伸をした。
イーラは山の入口に振り返った。
そこには、カナとよく似た女性が嬉し泣きをしてイーラに手を振っていた。イーラが瞬きをすると、その女性は消えていた。
『風の戯れ 精霊の気まぐれ』
大人の女性の声でそう言った。
『私は自由な風になる』
イーラはもう一度だけ振り返った。
今度は何も無かった。




