66話 向かい風も捻じ曲げる
効率重視の火魔導師と、質と方法重視の水魔導師。
科学の国と、魔法の国。
積極的な行動と、思慮深い行動。
火の魔法と水の魔法。
全てが相反する二つは決して交わることはない。
お互いの力が噛み合うことがないと知っているからだ。
だが必ずしも『合わない』とは限らない。
***
耳元で風が唸る。
手前には炎の花が咲く。
地を這う水が、風魔導師たちの足元をさらっては、蛇のように噛み付いた。
ギルベルトは舌打ちをした。
「クソッタレ!風が邪魔くせぇな!」
「形を持たない魔法は面倒なもんサ」
ギルベルトが放つ炎の弾丸は、風魔法にかき消されてほとんど役に立たない。かくいうスイレンも、水を風に巻き込まれ、霧にされてしまうのだから苛立っていた。
「ああもう! ちょっと奥の手を使おうかねぇ!」
スイレンはそう言うと水晶の上に手をかざす。
ブツブツと何かを呟くと、スイレンは自分の周りに水を溜め込んだ。
「おい、スイレン! 何する気だ!」
「やりたくはなかったんだが、お前さんなら分かるだろう。なぁに、魔法を科学に応用するだけサ」
スイレンは息を整えると、水の塊に手を入れた。
「水は等しく水である。我が魔力に溶けよ 形を変えろ」
珍しく短い呪文を唱えると、スイレンは濡れた手に水晶を持ち替える。
スイレンが触れた水は、たちまち凍り、大きな氷塊となる。
ギルベルトはその様子に目を輝かせた。
「すっげ。環境変えずに凝固してんじゃん。こんな事も出来んのかよ」
「水は冬になれば凍り、春になれば溶ける。太陽に熱されて空に昇り、恵みの雨となり地に降り注ぐ。数多の形があるのだから、氷にすることくらいは容易いよ。でも呪文が水魔導師には短すぎてね」
「充分長かったぞ。温度を変えるってことも出来るよな。確か火にも温度がないものがあってだな」
「戦いの場で話に夢中にならないで! 目の前に何があんのか分かってんの!?」
イーラは楽しげに話す二人に怒鳴った。
イーラ達の目の前で、集落の民たちが道を塞いでいるのだ。風魔導師が生み出す風の防壁は二人の魔法を無効化しているというのに、どうして呑気に話ができるのだろうか。
「大丈夫だって。スイレンがいんだろ」
「何だい。こんな時はあちしに押し付けんのかい。まぁ見せてやるサ。一つ貸しだよ」
「これでお前の借りはチャラな」
「バカ言いやがって」
スイレンは水晶に力を込める。
水晶が淡く輝くと、氷塊にヒビが入り、ガラガラと音を立てて崩れた。
崩れた礫は吹きつける雹となって民に襲いかかった。
「水砲弾 氷礫穿ち雨!」
スイレンの合図とともに鶏卵ほどの雹が民たちに襲いかかった。雹に当たり倒れゆく彼らの正面を突き進み、ギルベルトは殿に立つと足元に火を放つ。
ギルベルトの足止めも束の間。民たちは風を操り、炎を消し飛ばして追いかけてきた。
ギルベルトはフィニとイーラをエミリアの傍に押しやった。
「走れ走れ! あいつら文明の発達が遅い分、めちゃくちゃ体が強いからな! 足も俺らなんかより速いぞ!」
「分かってるわよ! ちょっと待って、眠り薬を──」
「作ってる間に追いつかれちまうわ!」
「じゃあ痺れ薬は? 燃やして気化しても効くわよ!」
「風に吹き飛ばされたら元も子もねぇ!」
ギルベルトは「壁でもなんでも作れりゃあなぁ」とこぼした。その瞬間、エミリアは傷ついたような表情をする。フィニはエミリアに「分かりますよ」と共感した。
「出来るはずなのに出来ないって、悔しいですもんね」
エミリアはきゅっと口を結ぶと、「ええ」とだけ返事をした。
先頭を走っていたスイレンからギルベルトに、小さな結晶が投げられた。ギルベルトはそれをじっと見つめると、自分でも同じような結晶を生み出した。スイレンは意地悪な声を出す。
「さぁて、水と火が混ざったら、一体どうなるんだろうねぇ」
『混ぜるな危険』
その言葉がイーラの脳裏を過ぎった。
イーラが止める前にギルベルトは二つの結晶を後ろに投げた。
限りなく濃い赤と、限りなく澄んだ青が、空中で溶け合うように混ざる。二つの色が、一つの色に変わる刹那、大規模の爆発がイーラたちと民の間で起きた。
民もイーラ達も吹き飛ばされ、木はなぎ倒されて無惨な姿になる。
イーラは何とか起き上がると、ギルベルト達を起こした。
遥か後方に吹き飛ばされたはずの集落の民は既に回復し、イーラ達と距離を詰めている。
「ほんとに体力があるわね」
ギルベルト達は逃げたが、イーラはふとオパールが落ちているのを見つけた。きっとスイレンが吹き飛ばされた時に落としたのだろう。それを拾うと、イーラは強い風に切りつけられた。
「いたっ······!」
全身に刻まれた風の傷にイーラはその場にうずくまった。
エミリアはイーラに気がつくと、慌てて駆け寄ろうとする。ギルベルトはエミリアを止め、自分が行こうとするが、イーラは既に民に捕らえられていた。
「さぁ、原初の魔導師を引き渡せ」
長の老婆はイーラの首にナイフを突き立てた。
何かの骨で出来たナイフは軽く当たっただけでも切れてしまうほど切れ味が良い。
イーラの首筋からつぅ、と血が流れた。
「原初の魔導師を渡さなければ、この娘は死ぬぞ」
スイレンの額に血管が浮き出る。
「殺せば良かった」と後悔しているようだった。
エミリアはどうすべきか迷っていた。ギルベルトも最善の策を必死で考えている。
フィニはカナの手を握っていた。
カナは、イーラとエミリアたち、そして集落の民たちを交互に見る。
「意地でも渡さないわよ。私が死んでも絶対にね。でも私を殺したら、きっとスイレンさんが怒るでしょうね。さっきの魔法を、今度もギルベルトさんは止めると思う?」
イーラは老婆を煽った。老婆はイーラの首にナイフをぐっと押し込んだ。
イーラの首からボタボタと血が垂れる。
イーラは痛みをぐっと堪えた。死ぬかもしれない恐怖を飲み込んだ。
自分が助かればカナは死ぬ。
カナを助ければ自分が死ぬ。
こんな状況になった時、誰もが自分を優先するであろう。だが、イーラはカナを見捨てることが出来なかった。
スイレンは髪を逆立てるほど怒っていた。水晶を掲げ、またあの魔法を使おうとした。
だが、呪文が唱えられることはなかった。
「──風の戯れ 精霊の気まぐれ」
カナはフィニの手を振りほどき、エミリアの腕から抜け出ると、真っ直ぐ老婆の方へ歩いていった。
老婆は満足気に手を伸ばす。
イーラはカナに何度も「来ちゃダメ!」と叫んだが、カナは老婆の手を掴んだ。ぎゅっと強く。離さないように。
「イーラを、返してくれる?」
「ああもちろん。約束だとも」
老婆はナイフを離すと、カナを連れて集落の方へと消えていった。
スイレンはイーラに駆け寄ると、急いでイーラの傷を治す。
「嗚呼イルヴァ。大丈夫だったかい?」
「あれくらいへっちゃらだわ。ごめんなさい。オパールを拾いにいったから、カナが──」
「いいや。落としたあちしがいけないのサ。怖い思いをさせてすまなかった。早くカナトを助けに行こう」
イーラは握ったオパールを胸に当てた。
これさえあれば、カナは助かるのだと自分に言い聞かせた。
ギルベルトは舌打ちをして、落ちていた小石を蹴り飛ばす。
「だぁぁもう! あのクソババア! 腹が立つ!」
ギルベルトは頭をガシガシと掻くと、フィニを見下ろした。
そして、何を思いついたのだろうか。ニヤリと笑ってフィニの肩を掴んだ。フィニは驚いて肩を竦ませる。
「なぁ、死霊魔術師ってさぁ。『精霊』を呼び出せんだよなぁ?」
フィニは涙目で頷いた。ギルベルトはとても悪どい顔をしていた。




