60話 イーラと風魔導師
グズグズに煮溶かした米は食べる。
肉を挟んだパンは食べない。
歩かせようとすれば歩く。
何度話しかけても返事はない。
クタクタに煮た野菜は食べる。
柔らかくした肉も食べる。
乾物は食べない。
イーラは女の子を風呂に入れながら、得た情報全て口にしながら考える。イーラが何を言っても、女の子はなんの返事もしなかった。
「何をどうしたら、こんな空っぽな人間が出来るのよ」
イーラは腹を立てながら女の子体を洗い流す。それでも丁寧に体を拭き、服を着せてやる。物言わぬ女の子の手を繋いで、イーラは帰り道を歩いた。
イーラが女の子の世話をして、二週間が経った。
その間も広場では、エミリアが一人ひとりの手をとって、話を聞き、涙を拭い、愛を説いていた。
フィニはスイレンに着せられた変装用の服で、集落のあちこちに落ちるガラクタをせっせとかき集めて回る。
「あっ、イーラ! お風呂の帰り?」
「そうよ。フィニも入ってきたら? ギルベルトさんの手伝い代わるけど」
「いや、まだ平気だよ。へへっ、さっきギルベルトさんに『手が器用だ』って褒められたんだよ!」
「へぇ、そうなの」
「うん、職人になれるって言われたんだ」
そう言ってフィニは嬉しそうに空き家の方へ走っていった。
イーラは虚ろな目の女の子をちらりと見て、フィニの後ろを追いかけるように歩いた。
***
「いやいや、ここは省略出来る。あんまり長いと燃費が悪ぃ」
「いや、サラム紋の術式じゃあ短すぎる。あんまり簡略化すると、魔法が使えないかもしれない」
「では、こちらを短くしては? それなら、間を取れるでしょう」
素朴な夕飯を終え、大人たちは頭を突き合わせて機械に組み込む術式を考えていた。本来なら必要のない作業なのだが、それも誤算があったせいだ。
スイレンが集落の風魔導師全員に魔法の術式を聞いて回ったのだが、誰一人としてその術式を知らないと答えたのだ。
スイレンが簡単な術式を書いて見せても首を傾げるばかりで、皆口を揃えて言った。
「皆、感覚で魔法を使ってるよ」
スイレンは仕方なく、山の魔力に反発しないであろう魔導師が誰かを占い、その人の魔力を調べ、術式を抜き出し、全て書き記して戻ってきた。
珍しく疲れきった顔をしていたもので、ギルベルトが叫んだのを覚えている。
イーラは女の子を隣の部屋に連れて籠り、座って動かなくなる女の子をじっと見つめた。
「──ねぇ、どうして動かないのよ」
イーラが尋ねても、女の子は口を開くことはない。せめて名前だけでもと思ったのだが、女の子は自分の名前も言わなかった。
本当に、必要なこと以外はしないのだ。
イーラは女の子の前で胡座をかき、頬杖をついて睨むように見つめた。
誰もが目を奪われる珍しい深緑の髪と花びらのような服。足首についた飾りがロウソクの光に淡く輝いた。
何種類もの色が混じった瞳は虚空を映し、自由も希望も、未来さえ捨てたようだった。
「はしたないだろう。女の子がそんな格好しちゃあ」
イーラがハッとすると、いつの間にか隣にスイレンが座っていた。
スイレンは女の子の右頬にそっと触れると、悲しげな表情をした。
「どうだい? この子の様子は」
「そうね。柔らかいものなら食べれるわ。ただ、名前を聞いても好きな物を聞いても答えない。歩けといえば歩けるから、自力で動くだけの筋力が無いわけでもない。体に傷もないし、栄養面での異常もないわ」
ただ一つ、気になるとしたら、この子にシルフ紋がないということだろうか。
原初の魔導師の生まれ変わりならば、紋章があるべきだ。そしてその魔力が強大ならば、目立つところにあるだろう。だが、その紋章らしいものはどこにもない。
何一つないのだ。真っ白な肌に、風魔導師であることを証明するものが。何一つ。
スイレンはふむ、と考えると、重そうに口を開いた。
「本当は言いたくなかったんだけどねぇ」と、苦笑いして。
「あちしは、この世に誕生した原初の魔導師の内の一人でね。彼女の生まれ変わるもっと前の姿の彼女を知っているのサ」
「ふーん···························えっ!!」
イーラは驚いて大きな声を出した。スイレンはイーラの口に指を当て「静かに」と、優しく声をかけた。
「大声を出さないでおくれ。このことを知っているのはマシェリーとお前さんだけサ。あちしも、無闇矢鱈に言いふらしたくないんだよ」
「わ、わかったわ。で、それとこれとどう関係するのよ」
スイレンの悲しげな瞳で女の子を見つめた。
女の子は虚ろな目で、どこでもないどこかを見つめている。
「原初の風魔導師は、それはそれは自由な奴でねぇ。いや、そう言うと、悪いことも平気でしていたような言い方になりそうだ。気まぐれな奴、そう言おうか」
原初の風魔導師は、名を『クムラハトラ』といった。
スイレンは親しみを込めて、彼女を『クムラ』と呼んでいた。
彼女はいつも楽しい魔法しか使わない。
風と遊び、鳥と戯れ、獣と眠る。
自分の喜びを分け与え、自由を謳歌する、気まぐれだが優しい女だった。
だがある日、彼女は地上の人間に助けを請われた。
『どうか、荒廃した村を救って欲しい』と。
原初の魔導師は、最初に降り立った地に村を作る。それは誰もが歴史を学ぶにあたって、一番最初に習うことだ。
そして、原初の風魔導師は、その地に住まう人々に魔力と加護を授けるのだ。
もちろん、クムラも魔力と加護を授けた。だが、村の人は魔力を持つ人間を尽かし、その加護さえも無駄にした。
クムラは怒り、拒否したが、人々は無けなしの魔力をかき集めると、クムラに言った。
『お前の愛した男に呪いをかける。お前が何度生まれ変わろうと、愛した女に殺されるように』
スイレンの昔話はここで終わった。
スイレンは固く閉じていた目をゆっくり開けると、女の子の髪をさらりとかきあげる。
「クムラは死ぬ前に、あちしに会いに来た。いつか自分が戻ってきたら、あちしに助けて欲しいと。泣いたことの無いクムラが、鼻水垂らして泣きじゃくったんだ」
「じゃあクムラさんは、その言い伝え通りに──」
「死んだんだろうねぇ。あの日から、クムラの魔力を感じなくなっちまったよ」
スイレンは女の子の髪から手を離す。
「クムラの愛した男は、天寿を全うしたサ。けど、村人の奴らは底意地の悪い。クムラがその身で約束を果たしても、まだ足りないのだから。今も昔も、腹が立つよ」
スイレンの話に、イーラは唇を噛んだ。
込み上げてくる感情が、口をついて出てきそうで怖かった。
スイレンは女の子をじぃっと見つめると、「よく似てる。クムラにとても」と言った。
「クムラはとてもあちしに優しくしてくれた。これでも昔は、家にこもりっきりで本を読んでばかりだったからねぇ。外に連れ出してくれた、クムラには恩がある。広い世界を教えてくれたのは、他でもない彼女たちだ。さらにクムラはあちしの無駄だった知識を役立ててくれた」
スイレンは決意したような目で女の子を見つめると、手を握って微笑んだ。必ず助けてみせる、と誓いを立てるように。
「だからスイレンさんは、あの時珍しく前に出たのね」
イーラがそう言うと、スイレンはキョトンとして、口元を隠して笑った。
「そうかもねぇ。確かにあちしらしくなかった。でもねぇ」
スイレンは今度、照れたように笑った。頬を掻き、誤魔化すように。
「イルヴァだったら、無視しないだろうなぁと思ったら、うっかり前に出ちまったってのもあってねぇ。あちしが思う以上に影響を受けてるみたいだ。お前さんの強さに、ね」
スイレンはイーラの頭を撫でて部屋を出ていった。
イーラは深くため息をつくと、女の子の前で涙を流した。
怒りが限界を超えたのか、押し殺した悲しみが溢れ出したのか。
イーラが止めようとする度に涙は溢れ、膝にシミを作っていく。
民のせいで自由を奪われた風魔導師が、今は英雄と謳われている。何度生まれ変わろうと、何度新しい人生の道に立とうと、彼女はいつも自由を奪われ、死を突きつけられる。
自身が報われることの無い、繰り返される悪夢に、何度苦しめられればいいのだろうか。
イーラは声を押し殺して泣いた。
助ける術がないことも、助けられる力がないことも、悔しくて悔しくて仕方なかった。
どんなに考えても、どんなに小さな頭を使っても、彼女を助け出せるような答えを、イーラは見つけられなかった。それでも手を伸ばさずにはいられない、自分のエゴをイーラは苦しく思った。
目の前の女の子はイーラの気持ちも知らないで、ただただ誰もわからぬどこかを見つめていた。




