57話 代替案
原初の風魔導師は民を救うために、自ら命を絶って魔力を解放した。
魔力を解放する前に、風魔導師は自身の紋章にある魔法をかけたという。
『自分が生まれ変わるとき、この紋章を持つものに栄光と自由を確約しよう』
自身を贄に救う代わりに、自身と同じ紋章を持つ者に不自由させないための、優しい魔法だった。
***
イーラは睨むように女の子を見つめていた。
心が死に、全てを失った女の子を。
皆の喜ぶ中で、一人だけ抱えきれない重りを背負う女の子を。
イーラは怒りを噛み砕くように見つめていた。
エミリアも、辛そうに熱気に包まれる群衆を見つめている。
「イルヴァーナさん、どうか、どうか止めていただけませんか」
エミリアはコソッとイーラに救いを求めた。だが、イーラは何も言えずにいた。
助けたい気持ちはあった。助けようと思えば助けられる。しかし、女の子を助けた時、皆が求める救いが失われたらどうなるのか。イーラには、その責任を取れるだけの力がない。
それに、女の子の心は崩壊している。手遅れといっても過言ではない。自分の意思も、体を動かすことですら出来ない子供を、イーラに助ける術はない。
「考えてるわ。けど、私には助けようがない。体は治せても、心の治し方を知らないの」
「でも、イーラならこの局面を切り抜けられるでしょ?」
フィニも何とかイーラを揺さぶろうとするが、イーラは俯いてしまった。
自身が持つ力なんてたかが知れている。何も出来ないのに口を出すわけにいかないだろう。
イーラは必死に考えた。穏便に事を進め、皆が納得する方法を。
イーラは必死に考えた。芸能村で目の前の女の子が言った「助けて欲しい風魔導師」というのが、彼女のことであるならば、どうやって傷を癒すかを。
老婆は女の子に囁いた。イーラは必死に考えている。
老婆が「さぁ早く谷に行こう」と言うのが聞こえた。イーラは考えることを放棄した。
「お前らはっ! 命をなんだと思ってんのよ!」
イーラは群がる人を押しのけて、老婆から女の子を引き離した。
フィニやエミリアは、安心したようにイーラの後ろをついていく。ギルベルトは呆れたような表情でゆっくり歩いた。
「小娘! 我らの悲願を潰す気か!」
「一人を犠牲にした自由のことだったら私がアンタを潰してやるわ」
「イルヴァ、ちょいと落ち着きなさい。すまないねぇ。母親に似て血の気が多くて」
スイレンは二人の間に割って入ると、イーラの頭にそっと手を置いた。周りに見えないように微笑むと、スイレンは老婆に現実を突きつけるように言った。
「この子を贄にしても、お前さん方に原初の魔導師の加護は戻らないし、自由の確約はされやしない。原初の魔法が永遠に続くことは有り得ないのさ。必ず尽きる。必ず失われる。必ず、形が変わっていく」
まるで駄々をこねる幼子を窘めるような口調に、老婆は「そんなことはない!」と怒りだした。
「この娘は原初の魔導師の生まれ変わりで、同じ魔力を持つ! この子は我々の希望だ!」
「じゃあ聞くが、この子の希望はなんだい?」
スイレンが聞くと、老婆はなにも答えられなくなった。
本当に、自分たちのことしか考えていなかったのだと思うと、女の子が哀れに思えてくる。
イーラは女の子を強く抱き締めた。
年の割に体は小さい。全てを諦めた瞳は瞬き一つしない。呆然としたように青い空を映すばかりだ。
老婆はようやく口を開いた。
それは、イーラの怒りを買うだけだった。
「この子は皆のために死ねる幸せがある。それが与えられた宿命であり、その子の最大の希望だ!」
イーラが怒鳴る直前、炎を纏った木の実が爆発音を伴って老婆の顔を掠った。切り傷の焼けるような痛みに老婆は顔を押えてうずくまる。
人混みの中から苛立ったような舌打ちが聞こえた。
「じゃあテメェが死ねよ。手伝ってやるぜ、ババア」
ギルベルトは火打石をカチカチ鳴らしながら姿を現した。ポケットから数粒の木の実を出すと火をつけようとする仕草をみせる。
スイレンが「馬鹿だねぇ」とギルベルトを言葉で止めるが、ギルベルトは聞こえないフリをしていた。
「よそ者が! 我らの問題に口を出すなよ! この娘が死ななければ、我らの自由は失われ、芸能村に約束した守護も消え、全て無くなってしまうのだ!」
老婆の一言に、周りからも怒りに満ちた声が上がる。
もちろん、間違っているのはイーラ達だろう。突然集落に入ってきた上に一縷の望みを断ち切ろうとしているのだから。
イーラは少しばかり後悔をしていた。
何も考えていない。どうしたらいいかなんて分からない。けれど、誰かの命が脅かされると、体が勝手に反応してしまう。
イーラは女の子をちらりと見下ろした。
女の子の表情が少しだけ悲しそうに見えた。
「じゃあサ。それら全部まとめて解決したら、この童子は死ななくて良いんだね?」
皆の声が一瞬で止んだ。誰も何も言わなくなった。イーラは驚いてスイレンを見上げる。陽光に髪を光らせるスイレンはニッコリと笑っていた。
「あちしらが解決しよう。そしたら、この子は生きられるね」




