56話 風魔導師の集落
『君は不思議な秘密を持ってるんだね』
消えゆくフィニの分身はそう呟いていた。
黒いローブは霧になびき、フィニの前からいなくなる。
フィニは振り返らずに山頂を目指した。
分身は、悲しそうに霧に身を委ねた。
『秘密と目的が同じ人はあんまり見た事ないよ』
フィニが怖がる素振りは全くなかった。
***
ようやくたどり着いた山頂には、ガゼボのような社が建っていた。
緑の壁に白い扉は、とても爽やかな印象を受ける。
イーラは一足先に着いていたフィニに声をかけると、フィニは安心したような笑みを向けた。
「イーラ! びっくりしたよ。皆いなくなっちゃうんだもん!」
「私もよ。意外と心細いものね」
「怖かったんだからぁ」
フィニはそう言って疲れたため息をついた。
イーラの後に、それぞれ別方向からスイレンとエミリアが山頂に着いた。遅れてギルベルトがやってくる。
ギルベルトの額の傷をイーラが治そうと薬を出すが、スイレンはさっとギルベルトの前に立つ。
そしてギルベルトのその傷を思いっきり叩いた。
「ばっかだろうお前さんは! 紋章に傷をつけたら魔法が使えなくなっちまうよ!」
「いった! 浅い傷だ! すぐ治るだろ!」
「紋章が持つ魔力核に傷がついてなければね! さぁさこっちに来とくれな。診てやるから」
スイレンに引っ張られ、ギルベルトは社の裏で治療を受ける。
その間も、うるさく騒ぐ声が聞こえていた。
イーラはスイレンの強引さに呆気に取られ、出した薬をしまった。すると、エミリアが珍しく、イーラの肩を叩いた。
「あの、手首を捻りまして。その、捻挫に効く薬はありますか?」
エミリアは戸惑っているようだった。
イーラはエミリアとその場に座ると、エミリアの左手首を診察する。
特に重傷でもない。少し筋を痛めたくらいだ。
イーラは塗り薬を出すと、エミリアに塗って、包帯を巻いた。
「動かしにくくなるから、無理やり動かさないでね」
「はい。感謝いたします」
エミリアは折れた杖を拾い、スイレンたちを待った。
エミリアはおもむろにイーラに言った。
「私は、魔法が使えない方が実は好きではありません」
エミリアは過去を濁しながら説明し、イーラを避けていた理由を説明した。イーラは怒りもせず、エミリアの話を最後まで聞いた。
「······イルヴァーナさんが、悪い方ではないことはとっくに知っています。ですから、本当に申し訳ないことをしました」
「別にいいわよ。避けてるのは何となく分かってたし」
エミリアはばつ悪そうな表情で、イーラのストレートな言葉を受け止める。イーラはエミリアを真っ直ぐ見て、「嫌いなものは嫌いでしょ」とエミリアを受け入れた。
エミリアはようやく晴れた表情で、イーラに深く礼をした。
「エミリアさんの秘密ってそれだったのね」
「はい。見事に暴かれまして。盗賊かぶれのことも······」
「盗賊!? エミリアさんそんなことしてたんですか!?」
「お恥ずかしい限りです」
三人で話をしていると、頬を膨らませたスイレンと、不満そうなギルベルトが戻ってきた。
ギルベルトの額の傷はきれいさっぱり治っていて、血の跡すら残っていなかった。だがスイレンは怒っているようで、ギルベルトを何度か振り返る度に睨んでいた。
「スイレンさん、あの、どうかしたんですか?」
フィニが恐る恐る聞くと、スイレンはフィニの肩をガシッと掴み、「聞いとくれよ!」と強く揺さぶった。
「あの小僧! 紋章の魔力核に傷つけやがったのサ!」
「まっ、魔力核?」
フィニは目を回しながらスイレンから開放されると、二、三歩下がって尻もちをついた。
イーラが首を傾げると、エミリアが優しく説明してくれる。
「魔力核というのは、命令式を与える力のことですわ。粘土で例えますと、人の体に宿る魔力が土だとしたら、魔力核は水です。それらを混ぜ合わせることで魔法、例えですと粘土が出来ることになります」
「魔力核がなければ魔力があっても意味は無い。魔力がなければ魔力核があっても魔法は使えない」
二つが揃ってこそ魔法は成り立つ、とスイレンは言う。そして彼いわく、ギルベルトは額に傷をつけた時に魔力核にかすり傷をつけたのだという。
一日もあれば傷は治ると言うが、スイレンは怒り心頭でギルベルトは呆れていた。
「騒ぎすぎなんだよ。魔法なんか使えなくても平気だっつの」
「魔導師は魔力核を大事にするもんサ。それがないと小さい魔法も使えやしない。一日使えないだけで首が飛んだら世界の終末まで笑ってやるよ」
「そんなに大事なもんでもねぇだろ!」
まだ喧嘩する二人を放っておいて、イーラは風車を出すと、社の前に立った。少し待つと、強めの風が吹き、風車はカラカラと音を立てて回る。
『風の気まぐれ 精霊の戯れ』
またあの声が聞こえた。
『いらっしゃい』
そう聞こえたかと思うと社の扉が開き、竜巻のような風がイーラたちを引きずり込んだ。
声を出すまもなく、一人残らず吸い込まれ、バタンと扉が荒々しく閉まると先程までの静けさが戻る。
風は優しく吹いていた。
***
賑やかな鈴の音がする。
目の前をふわり、と綺麗な布が踊った。
イーラはその美しさに目を奪われていた。
目の前で、かなり変わった人達がダンスを踊っているのだ。
ほぼ全裸かと思うような布地の少ない服に、髪は頭の上に団子をつくり、簪一本で留めている。
首や手首、足首の他、布面積の少ない服にもジャラジャラと宝石のような飾りをつけて、嬉々として踊っている。
イーラたちに気づきもせずに、彼らは踊り続ける。
誰かが歌うと合わせるように楽器が鳴り、楽器が鳴ると思い思いのダンスを踊る。
「やーれ嬉しやぁ」
皆がそう言う。
なにが嬉しいかなんてイーラ達には分からない。
「何かの祭事でしょうか?」
「かもなぁ。随分楽しそうにしてるし」
「だがそれにしては空気が変じゃあないかい?」
「そうですか? 僕は楽しそうだと思いますけど」
四人がヒソヒソと話す中、イーラは踊る人たちの奥を見つめていた。
老婆がいた。その隣には心を殺したような表情の女の子が、踊る彼らを見つめている。絶望しているようにも見えるその表情に、イーラは見覚えがあった。
「あの子だ······」
エミリアはイーラの呟きに反応すると、一緒になって奥の方を見つめる。そして女の子を見つけると、スイレン達に教えた。
「一番奥にいる女の子、老婆の隣にいる子です。あの子が私たちを人狼遊撃隊から逃がしてくれた子ですわ」
「本当か? あの小さいガキが?」
「······本当です。僕は一回しか見てないんですけど、イーラは何度か見てるらしくて」
「ふむふむ、なるほどねぇ」
スイレンは遠くをじぃっと見つめると、興味深そうに口角を上げた。
「幼子の器には抱えきれん魔力がある。見覚えのある魔力の質だねぇ」
スイレンがそう言うと、女の子の隣にいた老婆が声を張り上げる。
「皆の者! 吉報が舞い込んだ!」
皆、踊るのをやめて老婆の言葉に耳を傾ける。
「数百年もの時月が過ぎた! 最後に与えられた原初の魔導師の力は枯れ果て、我らに与えられた栄光も翳りつつあった!」
老婆の演説は自分たちに課せられた不況から始まる。
「原初の魔導師の加護は消え失せ、我らを不自由で縛った。我らが魔導師を祀る芸能村の守護もままならず、集落を移動することも出来ぬ始末!」
老婆は拳を握る。この時を待っていたと、切に喜ぶように。
隣にいる女の子を示し、喜びを声に出す。
「数百年も待ち、ようやく我らの元に原初の魔導師が生まれなすった! ようやく我らの元に魔導師が帰ってきなすった! 我らに再び栄光が戻る! 我らに安寧が確約されたのだ!」
沸き立つ民に対し、イーラは不穏な気配を察していた。
胸騒ぎがする。落ち着かない。
老婆は女の子の肩を愛おしそうに掴み、後ろに回る。
「喜べ風魔導師たちよ! 原初の魔導師は我らのために、その肉体から魔力を解き放ってくれるのだ!」




