54話 スイレンの秘密
霧の中でスイレンは不満そうに髪をいじっていた。
うーむ、と悩ましげに声を出し、ブツブツと独り言を呟く。
「やっぱり髪を切った方がいいかねぇ。あんまり長いと女に見える。いや、元から女のような顔立ちだとは思っていたサ。けどこうも長いと男か女かも分からないねぇ。バッサリ切っちまおうか。いやでも、このままでも怪しげな雰囲気があっていいと思うんだ。どう思う? あちし」
『ひとつ言えるとしたら、自分の分身を驚きもせず、あろうことか鏡代わりにする肝っ玉の座った奴は初めて見たよ』
分身は驚いたような呆れたような表情でスイレンをじっと見る。スイレンはケラケラと笑って「すまないねぇ」と言った。
「お前さんは山の魔力から生まれた存在だ。見たところ風魔導師の魔力だね。昔の術式をお目にかかれるなんて光栄なことサ」
『随分と呑気な野郎だねぇ。あちしはお前さんの秘密を握っているのだよ?』
「秘密なんてあちしにとっちゃ些細なことサ。サラム紋の小僧だってそうだろうしね。心配なのはイルヴァの方だよ。あの子は年の割に我慢してきたことが多すぎる」
『お前さんこそ、年の割には頭が切れるだろう。見た目にそぐわぬ知識量は、『叡智』の水魔導師でも度を超えてるんだ』
スイレンはそう言われると、自分が明かすべき秘密を知った。
分身は意地悪く笑うと、スイレンにその秘密を突き立てた。
『辛いだろう? 底尽きぬ魔力量と知識欲に駆られて死ねなくなった──』
『原初の水魔導師殿』
スイレンは苦笑し、袖で口元を隠した。
「そうだねぇ。この世の水が尽きぬ限り、あちしは生き続ける。何百人もの仲間をつくり、何百人もの仲間を見送った。この苦行を繰り返してもあちしは、まだ貪欲に知恵を求めるのサ」
分身は『馬鹿なヤツだねぇ』とスイレンを笑った。
『お前さんが魔法を研究しなければ、あの術式を完成させなければ、こうして生きることは無かったのに』
「ああ、自分の命を元素と結ぶやつ。ちょっとした出来心だったんだけどねぇ。予定上は死ににくいようになるはずだったのサ」
『そのおかげでお前さんは死ななくなった』
「この世界に一番多いのは水。それと命を結んだら、水が尽きるその時まで無限に生きることになる。ちょいと考えたら分かることなんだけどサ。昔のあちしを殴ってやりたいねぇ。後悔はしていないんだけどサ」
スイレンはニコニコしながら分身に近づいた。薄らと、悪役じみた笑みだった。スイレンは分身の胸に指を突き立て、囁くように言った。
「あちしはね、それ以上に恐れている。あの『予言』を、イルヴァが知ることを。そして、その通りになっちまうことを」
そして、決意に満ちた瞳で、宣言するように言った。
「あちしは絶対にイルヴァを守る。それがマシェリーと結んだ最後の約束で、あちしが生き続けなきゃいけなかった理由なのサ。だからあちしは聖堂に行くよ」
分身は頭をポリポリと掻くと、不満そうにスイレンを見つめた。
『やれやれ、あちしが触れてやろうとした秘密を簡単に差し出すとはね。予想が外れっちまったよ。お前さんにゃ、秘密なんて言ってないだけの事実とそう変わらないようだねぇ』
「何千もの時の中を流れていりゃあ、どれが真実かなんて誰も分かりゃしないもんサ。長すぎる時間があれば確かに言えない秘密は増えるだろうよ。けれどもね、重ねた歳の分、秘密を明かすことへの抵抗は無くなるのサ」
分身は呆れたように笑うと、霧にその身を隠した。
『どうせ、お前さんには敵わないと思っていたサ。原初の魔導師が来るなんて本来ならばありえないことなのだから。さぁさ、通っとくれ。だけど、いくらお前さんでも、運命の全てを変えることは出来ない。それだけは、肝に銘じておくれ』
霧が晴れると、スイレンは着物の裾を持って山を登る。
当たり前だ、といったような険しい表情で、スイレンは少し先を見据えていた。
「もちろん、それは心得ているとも。運命全てを手に出来るなんてエルフ紋だって無理だ。けれど、イルヴァの運命だけは、あちしがちょいといじって、正しい方に向かわせないといけないのサ」
スイレンは山頂から吹く風に目を閉じると、涙を一筋流した。




