53話 ギルベルトの秘密
山奥で響く銃声。
霧の中だというのに、近い距離で反響する。
ギルベルトは自分が放った銃の硝煙を嗅ぎながら、手前の人物を睨みつけていた。
『一周まわってすげぇな。自分の格好した奴を撃つかよ普通』
「俺がここにいて、目の前に自分がいたらそりゃ敵だろうが」
ギルベルトは自分の分身に唾を吐くと、分身はやれやれと呆れながら服装を整える。
服を叩いてホコリを落とすと、分身はニヤリと笑ってギルベルトの前で回った。
見慣れた服だった。
格式高く、王家の紋章が刻まれたローブに高級な布で作られた王族の正装。黒髪を彩る、サラム紋を象った宝石を埋め込んだ黄金の冠。
シュヴァルツペントの王の格好だった。
それを、分身が着て得意げに笑っている。ギルベルトは腹が立った。
『最初は、こうなる予定だったもんなぁ。そうだろ? 俺』
銃を握り、引き金に指をかける。
ギルベルトは銃口を分身に向けた。
分身はヘラヘラと笑ってギルベルトの気を乱す。
『忘れてねぇだろ? 親父が母さんに何をしたか。お前に何をしたか。覚えてるだろ? なぁ──』
「卑しい第三十八王子。前国王が城を抜け出した時に、酔って襲った女から産まれた、望まれなかった王族。王家の恥」
ギルベルトは分身が口にするより早く、自分の肩書きを口にする。
一度だって忘れたことはない。
前国王が酔って母を襲わなければ、自分が産まれることは無かった。
そうすれば、城で窮屈な暮らしをすることも無く、面倒な王座争奪戦に巻き込まれることもなかった。
『随分とはっきり言えるなぁ。お前が隠したい数少ない秘密の一つだろ? 俺はお前の傷口抉れる秘密を必死で探したんだぜ?』
分身はつまらなさそうに言った。
ギルベルトは「だろうな」と、苦い笑みを浮かべる。
王子となったギルベルトに与えられたのは地下牢の隣の部屋。使用人はおらず、朝の支度から夜寝るまでの全てを一人で済ませる生活だった。
教育だってまともに受けさせてはもらえないし、唯一興味のあった剣術だって真剣で行われ、何度も死にかけた。
ギルベルトはそれらの冷遇を全て自分の実力でねじ伏せていった。
もしギルベルトがそれを隠したいとするのなら、それはおそらくその先にある事だ。
ギルベルトは拳銃をじっと見つめ、頬を寄せる。
自分がサラム紋を手に入れられた理由。自分だけの中に収めておきたいこと。
ギルベルトは自分を咎めるように、懺悔するように言った。
「お前が俺を追い詰めたい秘密は、俺が前国王が死ぬ原因をつくったことだろ」
前国王は病にかかって死んだ。
ギルベルトは自分の力だけでのし上がり、国を豊かにした王子として国にも城にも名を馳せた。
前国王も、ギルベルトが王座に全く興味がないと知ると、ギルベルトと食事をとる仲にまでなった。
国王と食事をすることが許されない規律を、ギルベルトを含む数少ない王子のみが特例で許可を得ていた。
その中にはイージドールとイージドーアもいた。
ある日、久しぶりに闇市を訪れたギルベルトは母に会い、母からとある薬を貰う。
病によく効く薬だと言われ、ギルベルトは風邪気味の前国王にその薬を渡した。だが、その薬は風邪を治すどころか悪化させ、医者がいくら手を施しても病状は良くならず、ひと月の間に死んでしまった。
後にギルベルトはあの薬が抗体を殺す薬だと知り、あの後に母が自死したことも知った。
ギルベルトは葬儀で初めて、自分が復讐の道具にされたことを知った。
そして数年もの間、兄弟たちが王座を巡って殺し合いを始めた。魔力を持たないギルベルトはその権力争いから外れ、不安定な国を支えるためにあちこちを走り回っていた。
そして王が決まり、ギルベルトがようやく休めるようになった時、長らく読みかけにして放置した本に、嫌なことが書いてあったのだ。
『シュヴァルツペントの王家では、純血の王族のみがサラム紋章を手に出来る。それ以外にも、隠された紋章の取得方法がある。それは──』
『国王を殺すことである』
ギルベルトはそれを読み、その資格を得たことに頭を抱えた。復讐心を持ち、殺そうとしたのは母だ。だが、薬を渡し、飲ませたのはギルベルト自身。
間接的とはいえ、ギルベルトは国王を殺したことになるのだ。
「······本当はさ、紋章を得た時すんげぇ怖かったんだ。俺は王になりたくないし、なる資格もない。それに、純血じゃねぇ俺が紋章を得たら、前国王を殺したことの証明になるかもしれねぇし」
ギルベルトは拳銃の装飾をなぞり、額の紋章に触れた。
「最初は確かにな、王様になって、国を動かして前国王を見返してやろうって思ってた。けどよぉ、勉強も楽しいし、剣術で兄貴たちに勝ったら嬉しいし、闇市で培ったエンジニアの技術を褒められてさ。これで好きにならねぇ理由があるか? だから、俺は皆のために力を使いたかった」
ギルベルトは額に爪を立てると、紋章に傷をつけた。垂れる血を地面に落とし、ギルベルトは指についた血を握る。
「紋章を得た以上、俺はちゃんと贖罪をする。それが果たされるまでは国にも帰らない。王座を得る権利も永久に放棄する」
『贖罪だと!』
ようやく分身は口を挟んだ。
分身はギルベルトを追い詰めるようにまくし立てる。
『死んでよかったと思ってたろうが!』
『今さら善人ぶるんじゃねぇ!』
『腐った性根の親父が死んだら罪滅ぼしだぁ!? お前が騙した人の数数えてみろよ!』
『お前が他人の一人や二人助けたところで贖罪になんかならねぇよ!』
「······そうだろうな」
ギルベルトは分身に向けていた銃口を、自分に向けた。
真っ黒な髪に銃口を押し付け、ニヤリと笑う。
「王を殺した王子が自ら死ねば、その身で罪は贖われる」
ギルベルトは躊躇うことなく、引き金を引いた。
最後の言葉も何も残さず、銃声だけが響いた。
『───嘘だよ。お前はちゃんと罪を償った』
倒れたギルベルトに、分身は語りかける。
分身はクスリと笑うと、ギルベルトの額の血を拭う。
『お前は背負いすぎる。なんでも重く受け止め過ぎる。忘れてんなよ。お前は狩りに連れて行かれて、親父に殺されかけた。火山の研究に付き添って兄弟たちにも殺されかけた。馬鹿だなぁ。なんで笑って済ませてんだよ。お前はやられたことをやり返しただけで、それは負債じゃねぇんだよ』
ギルベルトが薄らと目を開けると、分身は泣き笑いしながら霧に消えていくところだった。
『良いことは良い、悪いことは悪いって言えるお前に、高潔以外の言葉が似合うものか。なぁ頼むぜ、俺。自分に降りかかる厄災の全てを、もっと怒ってくれ』
消えた分身に、ギルベルトは「なぁんだ」と笑うと、立ち上がって山頂を目指した。
霧が晴れた山は遠くまで良く見える。ギルベルトは赤みのある髪を風になびかせて山を登った。




