46話 ジャックの悪あがき
イーラが持っていた風車が、風魔導師の持ち物であることはわかった。だが、それをどうしたら風魔導師の集落に行く鍵になるのかは分からない。
イーラは本のページを捲り、それらしい話を探すが、やはり何も見つかりはしなかった。
フィニもエミリアも、いい方法は浮かばなかったようだ。
とうとう行き詰まったかと思ったところを、ひょんなことからアイディアが出てきた。
イーラが落としたカバンの中に、イーラがいつも読んでいた異世界物の本があった。
ギルベルトはそれを拾うと怪訝な顔で本を読む。
アーティレイドとは違う名の、似たような形の世界の話だ。
ギリシャ、アメリカ、日本、中国、イギリス、インド······国の名前は数知れず、様々な文化や言語のある異世界は魔法のない珍妙な世界だ。
これが普通の人に受け入れ難い世界だと、イーラは知っていた。だから、あまり話はしなかった。
「うげぇ、よく読むなぁ。こんなモン」
「失礼ね! 勝手に読んどいて何言ってんの!」
「あっ、これはシュヴァルツペントで見た鉄の塊に似てますわ」
「鉄の塊······ああ、鉄の蒸気車か。でもこれジドーシャっていうらしいぞ」
「変な名前ですね。ねぇねぇイーラ、このニホンって国、水魔導師の都に似てるね」
「えぇ。行った時に思ったわ」
わいわい話していると、エミリアがある文節を見つけた。それをじぃっと見ると、風魔導師に関する本に目を移す。
エミリアがイーラに本を差し出す。
「イルヴァーナさんの本と、この部分を読んでください。似ていませんか」
イーラは自分の本を読む。
『日本の話は山にまつわるものもあり、山に薬を捧げる話がある』
そこから先は日本の歴史を掘り下げるような内容が続くが、風魔導師の本には、
『空に近い場所で道標をかざせば彼らは姿を見せるらしい』
と書いてあった。
それが山だとは書いていないが、世界で最も高いといえばやはり山だ。もしそれが正しければ、山の上で風車を風に当てれば──
「風魔導師に会える──?」
イーラがそう呟くと、ギルベルトは「だからってどうすんだよ」と呆れたように言った。
エミリアが不思議そうに首を傾げると、ギルベルトは古びた紙を机に広げた。石の街とその周辺の地図だった。
蝶々のように広がる街外れ、北西の方にある小さな家のマークがおそらくこの図書館だ。
ここから北に向かった先に大きな山がある。
フィニはここに行けば、と素直に喜ぶがギルベルトは残念そうに首を横に振った。エミリアはハッとする。
「この山は鉱山だ。地元民しか登れねぇし、掘り方によっちゃあ山頂があるかどうかも怪しい」
「山頂があるかどうかって、あるでしょ。山だもの」
「いいえ、山の上から穴を掘るように採掘する方法があるのです。そういうやり方であれば、空には程遠いでしょうね」
「そんな掘り方があるのね······」
「近くに他の山は無いんですか? せっかくイーラが風車を持ってるんだし」
ギルベルトは深めにため息をついた。
「ここから一番近いっつったら、東のテナシーの森を抜けて商人街行く道から南に行った先、芸能村を抜けた──」
「遠い遠い! 遠すぎるわ! 何日かかると思ってんのよ!」
「仕方ねぇだろ! この辺りのでかい山はここの鉱山だし、所々に山はあるけど高さがねぇ。それに、芸能村を抜けた所の山は風魔導師を祀ってんだ。ここなら可能性が高いと思わねぇか?」
魔導師が祀られているというのもなかなか不思議な話ではあるが、ギルベルトの説明に納得し、イーラは渋々了承した。
スイレンは話がまとまると、ポンと手を叩いた。
「そうと決まれば、明日出発にしようじゃあないか。今日はもう遅い。とっくに日が暮れてしまったよ」
スイレンに言われ、イーラは本を戻しに館内を歩くが、どこにもその本が入るような隙間がない。
無人のカウンターから蔵書のリストを盗み見るが、この本のタイトルはどこにも書いていなかった。
持っていっても良いのだろうか。
イーラは罪悪感を抱きながら、本をカバンに詰め込んで仲間の背中を追いかけた。
***
気がつけば月が登り始めていた。
黒を帯びた藍色の空に山吹色の月が輝く。スイレンは「雅だねぇ」と感嘆をこぼした。
スイレンの魔法で石の街まで帰ろうと話していたが、図書館の向こう側から黒い影が伸びる。
血だらけの体を引きずり、息を切らした男がいた。
唸るように息をして、肩を押さえながらジャックはイーラたちを睨みつける。
イーラはジャックのその姿に息が詰まった。
ギルベルトは飄々とジャックに声をかけた。
「よぉジャック。一人で読書でもしに来たか?」
「··················」
ジャックは嫌に大人しかった。俯いて何も言わなかった。
だからこそ、胸の奥から恐怖心が湧き上がったのかもしれない。
イーラは震える手を、ジャックに伸ばした。
ジャックはか細く呟いた。
「人狼遊撃隊全滅。第一席より除隊命令。遊撃隊隊長ジャック、最終手段──単騎特攻実行」
ジャックはそう言うと、地面に手をつき唸り声を上げる。
フィニは顔を真っ青にさせると手持ちの人狼用の煙玉を探す。フィニのあまりの慌てようにスイレンが落ち着かせようと背中を叩く。フィニはそれにさえも怯えていた。
「ちょいと、フィニアンや。何をそんなに怯えてるんだい。あの人狼は酷く弱っている。とっとと逃げちまえば良いだけ──」
「違うんです! 人狼は、満月の夜にしかその姿を変えることは無いですけど、無理やり姿を変える時は──」
イーラはそう言われて空を見上げた。
空に浮かぶ月は下弦の月で、満月ではない。
ジャックに体はみるみるうちに毛深くなり、大きくなってゆく。
鼻先は伸び、爪も歯も鋭く尖ってゆく。服は裂けて無残に散り、どこまでも聞こえそうな遠吠えを一つあげる。
そこにいるのはジャックでは無い。一匹の──狼だ。
イーラやフィニなんかを軽く超えるその大きさは、見るもの全てを圧倒する。ギルベルトもポカンと口を開けていた。
ジャックだった狼は鼻息荒く、己を正すように首を振ると、ぎらりと光る目をイーラたちに向けた。
フィニは震える声で言った。
「──暴走、する時なんだって」
ジャックは一つ吠えると、狂ったようにイーラたちに突っ込んで来た。
それぞれが四方に散るとジャックは唸りながらエミリアに向かって走り出す。
「土よ 我が魔力を糧として我を護る盾となれ!」
エミリアは早口でそう唱えると、杖を地面に突き立てる。土はボコボコと盛り上がり、ノーム紋を入れた盾に変わる。
が、ジャックが振り下ろした爪は、盾諸共エミリアを引き裂いた。
「エミリアさん!」
エミリアの腕から腹にかけてついた爪痕から、真っ赤な血が滴る。
エミリアは何とか堪えたものの、結局力尽きて倒れてしまった。
ジャックはそれでも飽き足らず、エミリアに噛み付こうとする。イーラは堪らず駆け出した。
しかし、フィニがそれを阻止する。
「離してフィニ!」
「ダメだよ! 危険すぎる!」
「私よりエミリアさんが危険なのよ!」
ジャックの牙は、エミリアの首に伸びてゆく。
イーラはフィニの制止を振り切った。
バァン!!
一発の銃声が響き、ジャックの巨体を弾き飛ばす。
ジャックが可哀想な悲鳴を上げて図書館にぶつかると、ギルベルトはすかさずエミリアを抱き抱えて走ってきた。
「イーラ! 治療出来るか!?」
「薬はあるわ!」
「じゃああと頼むぜ!」
ギルベルトはエミリアをイーラの前に転がすと、ジャックの相手をしにまた走り出した。
イーラはエミリアの首に触れ、顔に手をかざす。
少し弱いが、脈も呼吸も確認出来た。傷口も汚れていない、綺麗な状態だ。ただ出血量が多く、顔色がとても悪い。
止血している間に死んでしまいそうだった。
イーラは素早くカバンからエンユトウエキスを出すと、エミリアの傷に直接かける。
エミリアは痛そうに身動ぎするが、イーラが押さえつける。
大人のエミリアの方が力が強いというのに、イーラはエミリアの力に耐えきり、薬をかけ終えるとガーゼを出して傷に封をした。
ガーゼに滲んでいく赤にフィニは泣きそうになっていた。
「泣かないでよ。薬剤師でも、医者の真似事は出来るんだから」
イーラが前方を向くと、ギルベルトがジャックと苦戦していた。
今のジャックは地を穿ち、岩をも断つ剛力の狼だ。更にはギルベルトの炎の弾丸を喰らっても、飛ばされこそすれど傷の一つも負わない鋼の鎧のような毛皮まである。
それに加えて速さも兼ね揃えた、言わば最強の兵士だ。
「こんなくそ強え獣がいてたまるかっての!」
ギルベルトはジャックの爪を避け、距離をとって銃を向けるも、狙いを定める前にジャックは眼前に迫る。
ギルベルトは振りかぶったジャックの爪を避けることで精一杯だった。
「うっわ!!」
ギルベルトが足首を捻り、後ろに倒れた。
その瞬間、ギルベルトの顔をジャックの爪が掠る。
地面に散った鮮血が、夜にはより赤く見えた。
イーラは薬を手にするが、ギルベルトまでの距離が遠すぎて、治療に間に合わない。
血を流すギルベルトの頭に、ジャックの爪が迫る。
「水の知恵 祈りの歌よ サラム紋に癒しの雫を」
スイレンの声がした。
ギルベルトをさらっていくように水が包み込む。
ギルベルトはスイレンの足元に投げ出されると、プルプルと顔を振って水を落とす。
スイレンは川べりで水晶を握っていた。
「ったく、無鉄砲な奴だねぇ。逃げるよ! こんな奴、相手にしてちゃあ身が持たんサ」
そう言うと、スイレンは川の水を浮き上がらせて龍の形を作り上げる。大きめの水の塊を作るのには少し時間がかかりそうだ。
イーラはフィニとエミリアの肩を抱え、スイレンの元に走る。
それをジャックが逃すはずもなく、唸り声を上げながら追いかけてきた。
イーラとフィニは懸命に走るが、大人を抱えている分早く走れない。
スイレンも急ごうと力を込める。
ジャックがすぐ後ろについた。
イーラはフィニをエミリアごと突き飛ばす。
ジャックは目の前にまで迫り、大きな口を開けた。
イーラは毛の隙間から見える傷の痛々しさに顔を歪めた。
「止めて、ジャック」
怒りではなく、思いやりのある叫びだった。
ジャックの歯牙はイーラの鼻先で止まった。
イーラはか細く呟いた。
「アンタが死んでしまうわ」
次の瞬間には、イーラはギルベルトの手に引かれ、水の中にいた。
瞬きをしたところで、イーラはあの池にいた。
ギルベルトが辺りを警戒しながら先頭を歩いた。
「フィニ、暴走した人狼ってどうなるの?」
イーラは不安が形にならないことを祈りながらフィニに聞いた。フィニは残念そうな顔で言った。
「誰にも止められないよ。死ぬまで暴れるか、先に殺されるか──」
イーラは図書館のある方角を見つめた。
狼の遠吠えが、悲しげに響いた。




