45話 街外れの図書館
イーラたちは何とか人狼を撒くと、スイレンの言っていた池に着いた。
スイレンはその水面を覗き込むと、右手を水に浸す。
「うん、これなら使えるねぇ。さぁさ、皆集まっとくれ。図書館にひとっ飛びするよ」
そう言ってスイレンは、イーラたちの前に水晶をかざした。
***
たった数秒で目的地に着くのはとても便利だ。
魔法というのも悪くは無い。だが、その便利さに隠れた不便性は、存外目に見えるものだ。
イーラたちが着いたのは、図書館から少し離れた川のほとり。
例の図書館は近くはないが、遠くもない距離に見える。
スイレンは残念そうに頭を掻いた。
「う〜ん、もうちょい近いと思ったんだけどねぇ。久々に外に出るとこうだ」
「ついにボケたかジジイ」
「お前さんはすぐに喧嘩を売る。若さは一時だけの特権だけれど、その特権を無闇に振りかざすのは頭に藁が詰まった連中だけサ。そいつらと一緒になる気かい?」
スイレン曰く、四大魔導師の魔法での移動は、紋章に縁のあるものを繋がなくてはいけない。
スイレンのように水魔法で移動するならば、水場がワープポイントになるらしく、水場以外に移動は出来ない。
つまり、自在に行き来できる万能魔導師と違って、移動に条件がつくのだ。
「だからここが最短距離なのサ。人狼はいないんだから、多少歩くくらい我慢しとくれ」
「へいへい」
イーラが図書館のドアを開けた。
驚くくらい静寂に包まれた空間だった。
イーラがいた村は沢山の人が毎日図書館を利用していたが、ここは誰も訪れたことが無いんじゃないのかというくらい静かだった。
イーラが本を一冊、手に取ってみる。
本も新品同様で、開いた跡もついていない。
エミリアが本の多さに感動する一方で、スイレンはつまらなさそうにため息をつく。
「全く、だぁれも本を読まないんだねぇ。勿体ないったらありゃしない」
「それもそうでしょ。宝石と本を比べたら、目に見える価値が欲しいに決まってるもの」
石の街は元は石で出来た街並みが有名で、宝石が有名になったのはここ数年からだ。
それが職人の採掘する宝石よりも質が良く、多少高値でも買いたいという人も多い。
しかし、イーラは興味が無い。
これが薬材や医療器具ならきっと興味を示したろう。だが、たかが見た目の良い石に、高額な金を払う気にはならない。
「風魔導師の資料を探しましょう」
イーラは本を棚に戻すと、図書館の中を進んでいく。
***
何時間が過ぎたのか。
魔物に関する文献や、世界樹の偉大さを語る本はあっても、風魔導師に関する本は一切出て来ない。
土魔導師や火魔導師のための魔導本は見つけたが、今必要な本はただの一冊もないのだ。
「馬鹿じゃない? なんで風魔導師の本が出てこないのよ」
イーラは本棚に持たれて悪態をつく。
エミリアがイーラを宥めるように声をかけた。
「仕方ありませんわ。風魔導師はほとんどの方が見たことがないのです。彼らは自由ですから、人前に姿を現すのも、彼らの気まぐれでなければ会えません」
「それでも一人くらい会っててもいいと思わない? どうして一冊たりとも出てこないのよ」
「風が目に見えぬように、彼らもきっと、掴みどころがないのです。会えた方も、彼らの特徴を覚えていなかったのでしょう」
「エミリアさんが言うと妙に納得できるわ。ああもう、誰か手がかりでも見つけてないかしら」
イーラは隣の棚に顔を出す。
すると、さっきまで居なかった女の子が、そこに立っていた。
その子は、ジャックに追いかけられていた時にも、嵐の中の航海の時も、イーラに微笑んでいた女の子だった。
「あんた──!!」
女の子はイーラにくるりと背を向けて、踊るように図書館の奥へと走っていく。イーラはその子を追いかけた。
女の子はイーラを誘うように通路を駆けた。
イーラはその子に手を伸ばした。もう少しで届く距離にいる。
イーラはぐっと腕を伸ばす。
「待って!」
イーラがようやく、女の子の肩に手を置いたかと思うと、その子はどこにもおらず、代わりに一冊の本がその手に収まっていた。
「イーラ? なにか見つけたの? 走ってくのが見えたけど······」
イーラが今起きたことに呆然としていると、フィニが後ろから声をかけた。イーラは手にした本をフィニに見せた。
「フィニ、さっきね──」
「あっ! 本見つけたんだ! 皆を呼んでくるね」
「──ええ。お願い」
イーラは言い出せずにフィニの背中を見送った。
そして本のタイトルに目をやった。
この図書館には無さそうな古い本で、掠れた字で『風魔導師の暮らし大全』と書かれていた。
***
「えーと、『風魔導師は世界のどこかにある彼らだけの住処で暮らし、その集落は世界中に点在している』か······」
イーラは本の一文を読み上げた。全員が狭い机に肩をくっつけてその本に注目していた。
風魔導師には他の魔導師のように一つの場所に留まるようなことはなく、彼らの集落を行き来して生活するらしく、そのシルフ紋は別名『流浪紋』と呼ばれている。
彼らは自分たち以外の人間を嫌い、滅多に姿を現すことがない。
風魔導師会いに行くならば、彼らのきまぐれをまつか、彼らの里の道標を手に入れるしかない。
本にはそう記されていた。
それ以外には何もない。詳しいこともなく、伝聞か漠然とした内容しか書いてなかった。
「役に立たねぇな。奴らとの意思疎通どうすんだよ」
「これでは、協力してもらえるとは思いませんわ」
「風魔導師の気まぐれなんて待ってたら、いつになっても会えないよ」
「シルフ紋の痕跡はどの魔導師よりも薄くて、風を操るだけあって流れちまうのサ。それじゃあ、あちしでも辿れない」
「じゃあどうやって会いに行くの。道しるべも何も、私たちは彼らに会ったことがないのよ」
イーラは本の内容に隅々まで目を通す。
だがやはり彼らとの会話の記録はおろか、交流の記録も無く、憶測ばかりが並んで何も役に立たない。
イーラはため息をついてページをめくる。
ガランと大きな音がして、イーラが横を向くと、傍らに置いたカバンが床に落ちていた。
「そのカバン、だいぶ古いんじゃねぇの?」
「仕方ないでしょ。新しいのなんて買ってらんなかったんだもの」
母が生きていた頃は、薬局は大変繁盛して金にも困らなかった。
だが母亡き後は、常連客が減り、私が一般人であることを冷やかすだけの人が増え、ひと月の生活は少ない収入と母の残した遺産をちょっと使って凌いでいた。
このカバンだって、母が亡くなった後でいつもよりほんのちょっと多い収入があった時にふんぱつして買ったものだ。それ以降は一つたりとて買っていない。
ギルベルトが興味なさげに相槌を打ち、イーラが床に転がった瓶を片付けていると、カバンに妙な感触があった。
イーラは不思議に思い、カバンに手を突っ込んでその物を引っ張り出すと、いつかの風車がそこに入っていた。
(そういえば小船で見つけて、そのまんまカバンに入れてたんだっけ)
イーラが風車をじぃっと眺めていると、横からスイレンが頭を突き出した。
「イルヴァや、ちょいとそれ、借りてもいいかい?」
「ええ。どうせ子供の玩具だわ」
「────いや、そうでもないみたいだねぇ」
スイレンは目をキラリと光らせると、机に水晶を置き、その上に風車をかざした。
水を一滴だけ水晶の上に乗せ、風車を揺らすと水が垂れ、水晶に風の紋章が浮き上がった。
「シルフ紋だ。こりゃあ、紛うことなきシルフ紋の持ち物サ」
スイレンはそう言う後ろに、イーラはあの女の子の姿を見た。
『風の戯れ 精霊の気まぐれ』
彼女は私にそう語り掛けた。
そしてまた、瞬きをする間に消えてしまった。
イーラは彼女が風魔導師だとは夢にも思っていなかった。




