44話 人狼の襲撃
水魔導師の都から海域を超えること三週間。
石の街に向かう航路に五日。
うっかり波に流されたり、海図を読み間違えたりと無駄に食った時間もあった。だが何度目かの日の出を見つめた今、船の先方には薄らと岸が見えている。
あと二時間ほどで岸に着き、少し歩けば石の街に着く。
長かった船旅も、あと少しだというのに。
「我が銃よ! 蔓延る魔物を焼き払え!」
ギルベルトは怒り気味に銃を空に向け、八つ当たりするように引き金を引き続ける。
空から叩きつける巨大な吸盤は、銃の火力に跳ね返されるも、容赦なく甲板に吸い付いてくる。
エミリアやフィニは張りついた吸盤を剥がし、イーラは松明で足を焼いていく。ふと近くに来たスイレンにイーラは聞いた。
「ねぇ、目的地を前にして、伝説級の魔物のクラーケンに襲われる確率ってどれくらい?」
「さぁね。きっと海から黄金色の真珠を見つけるくらいの確率サ」
イーラは苛立ちながらクラーケンの足を焼いた。
船尾にいるクラーケンの本体は悲鳴にも近い叫び声を上げながら、イーラたちを海底に沈めようともがき続ける。
イーラたちはクラーケンの足を除け、沈められないようにするのに必死だった。
「イカってさぁ、焼くと美味いんだけどコレはどうだろうな。つっても、食ってやるほど優しくねぇけど」
「ギルベルト、口よりも手を動かしていただけませんか! このままでは沈んでしまいますわ!」
「やってんだけどよ。もう魔力切れなんだわ。舵取りでこのイカ撒いてみるから、何とか足を全部剥がしてくれよ!」
「そんなぁ! 十本の足をどうやって剥がせって言うんですかぁ〜!」
フィニはポコポコと杖で足を叩くが、クラーケンはビクともしない。エミリアもクラーケンの足を蹴ってみたり杖で刺してみたりと奮闘するが、やはりクラーケンにダメージは無い。
イーラも持っている薬の作り置きで足を爛れさせてみたが、一瞬離れたかと思えばまた船に絡みつく。
皆が防戦している間、スイレンは水晶に魔力を溜め続けていた。
「おいジジイ! サボってんじゃねぇよ! 手前が今一番有利な魔導師だろ! 仕事しろよ!」
「今してるだろう? ちょいと待ってておくれな。さぁイルヴァ、勉強の復習をしよう」
スイレンはそう言ってイーラに視線を送った。緊急時でも優美なその瞳は、苛立ちと焦燥に駆られるイーラを冷静にさせるだけの力があった。
「水魔導師の特性は?」
「えぇっと、四大魔導師で一番の魔力量を誇る代わりに、一番魔力回路が複雑で燃費が悪い。『叡智』を冠する魔導師で、他人の魔力を目視出来る」
「せいかーい! じゃあ、あちしはどのくらい魔法が使えるって言ったか覚えてるかい?」
「ボケるには早ぇだろジジイ!」
「お前さんにゃ聞いてないよ!」
イーラは口元に手を当て、記憶を遡る。
教えてもらった時、言っていたような気がする。なんと言っていただろうか。確か──
そこまで思い出して、イーラはスイレンを見上げた。「まさか」と言いかけたイーラの口に指を当て、スイレンはにっこりと微笑んだ。
スイレンの魔力をしこたま溜め込んだ水晶は、青い光を放ち始める。
「水の知恵 偉大なる源よ この海に混沌をもたらす嵐を起こせ」
スイレンの不穏な呪文に反応して船の周りで渦潮が生み出される。それも一つではなく、三つ、四つと船ごとクラーケンを包み込むように渦潮が発生していた。
スイレンは更に呪文を連ねる。水晶の周りを、水が飛び回った。
「さざ波の揺りかご 貝殻の調 潮の巡り
全ては命に捧ぐ世界樹の恩恵 災いを運ぶなかれ 厄を降らすことなかれ
叡智の水よ 水面に波紋を立てる者を罰し給え
大いなる海に仇なす者を供物に捧げよ! 空に届く柱を築き給え!」
スイレンは高く水晶を掲げた。
「水の演舞 裁きの御柱 龍神薙!」
スイレンの呪文で渦潮は一気に空へと伸びる水柱に変わる。
その柱はクラーケンの体を八つ裂き、削り、赤い筋を纏っていく。
一つの柱から龍が飛び出した。雄々しい叫びを上げて、クラーケンに鋭い牙を突き立てた。
金切り声を上げて、クラーケンは水底へと沈んでいく。スイレンは満足そうに頷いた。
「うんうん。久しぶりだったから不安はあったが、なんだい。あちしもまだまだイケるじゃあないか」
「ふざっけんなジジイ!」
スイレンが嬉しそうに水晶を撫でていると、ギルベルトが不満を申し立てる。
魔法が遅いだの、もっと早くに手を貸せだのとありったけの不満をスイレンにぶつけた。しかし、当のスイレンはどこ吹く風で、ギルベルトの不満なんて聞きやしない。
岸が近づいてくると、ギルベルトを「さっさと舵取りに戻んなさいな」と振り払って荷造りに船室へと向かってしまう。
イーラはクラーケンのせいで付いてしまったヌルヌルとした液体を、腹を立てながら掃除した。
***
金持ちが多い。
それが石の街に対するイーラの第一印象だ。
目がチカチカするほど輝いた宝石があちこちで売られている。斬新なデザインのアクセサリーやら、珍しい宝石の調度品などが所狭しと並べられている。
マニアのために原石で売っているところもあった。
そして大体の客や商人は高そうな生地の服を着て、男でもフリルをつけて、手間のかかりそうな髭をたくわえている。
気取った声で宝石商と金持ちが会話をしているが、イーラが聞く限り、ほとんどが値切り交渉だった。
(──買えないのなら、気取ってんじゃないわよ。笑わせるわ)
スイレンは宝石商の露店を突っ切って、石の街の外を目指す。イーラたちははぐれないように必死について行く。
「わぁっ! イ、イーラ助けて!」
スイレンから上着を借りて変装していたフィニが、人混みに流された。イーラは慌てて手を伸ばしたが、フィニはすぐに見えなくなってしまう。
「どうしよう、フィニ!」
ギルベルトは人混みに割って入ると、流されたフィニを担いで戻ってきた。まだ不機嫌だったが、「はぐれるなよ」とイーラの肩を抱いてスイレンの後を追った。
石のアーチをくぐり、岩壁に囲まれた道に出る。
スイレンは興味深そうに岩に触ったり、落ちている石を拾ったりと、一人で何やら楽しそうだった。
ギルベルトは五メートルはある壁を見上げ、感嘆をこぼした。
フィニは岩肌に咲く花を見つけると、エミリアに「あれは?」と聞き、エミリアはその花についての解説をする。
歩いていると、イーラは道端に小さな実をつけた草を見つけた。
その草をそっと摘んで、じっくり観察する。フィニはイーラの隣に寄って、一緒に草を見つめた。
「イーラ、それ何?」
「月見草よ。黄色い実が月のように見えるから、そういう名前がついてるの」
「それって、薬になる?」
「なるわよ。月光性皮膚過敏症っていう病気の特効薬だわ」
「月光性············?」
「陽光で発疹が出来る人がいるように、月光で皮膚に発疹が出来る人もいるの。この実を茹でて、アラマネの葉と一緒にすり潰して──」
「お二人さん、知り合いが来たみたいだよ」
フィニとイーラが話していると、スイレンはピタリと足を止めた。
ギルベルトは銃口を進行先に向け、エミリアはフィニとイーラを守るように立つ。
足音が聞こえた。いくつもの足音だ。
イーラは身構えた。フィニは足音に段々と青ざめていく。
向こうからはジャックが来た。
スイレンはジャックに微笑みながら挨拶をした。
「これはこれは、議会直属の人狼遊撃隊長じゃあないか。こんな所でお目にかかれるなんてねぇ」
「白々しい挨拶は結構。ギルベルト同様、貴殿も捕縛の対象となったことを嘆けばいい」
「そうかい。確かにお前さんに目をつけられちゃあ、たまったもんじゃないねぇ。でもサ、お前さんはイルヴァたちに二回も逃げられてるそうじゃあないか」
スイレンは水晶の内に揺らぐ言葉をジャックに見せつけた。
怒りのマークと、不穏に揺らぐ『2』と『退路無き末路』とあった。
ジャックは怪訝な顔でスイレンを睨む。
スイレンはにやりと笑った。
「お前さんの未来を占ってやろうか」
それがジャックの堪忍袋の緒を切った。
ジャックが遠吠えをすると、あちらこちらから遠吠えが帰ってくる。
スイレンも顔色が悪くなってくる。ギルベルトがスイレンとヒソヒソ声で話した。
「考え無しに煽ったろジジイ」
「一人だと思っていたのサ。そうさなぁ。そもそも群れで暮らす奴らが、一人で動くわけないもんねぇ」
「テメェの魔法で何とか逃げ切れるか? ほら、アマノハラでの」
「無理サ。ここは乾いた大地だ。水なんて雀の涙サ。手持ちの水じゃあ、移動は出来ない」
「くっそ使えねぇジジイだな」
「今回ばかりは認めよう」
壁の上からも、道の向こうからも、後ろも人狼に囲まれて、イーラたちは逃げ道を失った。
イーラはナイフを構え、エミリアと二重でフィニを守る。
ギルベルトは誰に警戒するべきかで照準が定まらない。
スイレンは仕方なく、水晶に魔力を貯めた。
ジャックは意地悪な笑みを浮かべた。
「大人しく投降しろ」
「土よ 慈しみの大地よ その母なる力の加護を授けよ」
エミリアは地面に杖を立て、しゃがんで祈りを捧げた。スイレンはその様子をじぃっと見つめる。
「我が魔力を糧として、大地の番人を呼び覚まし給え!」
エミリアがそう叫ぶと岩壁は崩れ、落石となって人狼たちに降り注ぐ。スイレンがイーラたちの上に水の障壁を張ると、エミリアはくるりと杖を回す。スイレンの水の障壁は、土に飲まれて消えてしまった。
イーラたちにも降ってくる岩は、一定の距離まで落ちてくると、見えない壁に阻まれて離れたところに転がった。
スイレンはほほぅ、と感心する。
エミリアは近くに落ちた岩を杖で上を五回、左右を一回ずつ、また上を六回叩くと、それを中心に岩が集まり始め、一つの巨人に変わった。
フィニは感動して言葉も出なかった。
「フィニ、ねぇあれ何?」
「ゴーレムだよ。······ゴーレム! 僕初めて見た!」
「ゴーレム?」
「見ての通り、岩の巨人サ。大地に眠る魔人。土魔導師が呼び出せる精霊とでも、思ってくれればいいサ」
エミリアはゴーレムの足を優しく撫でると、ジャックを睨んだ。
「女人の首を許可なく嗅いだ罪は重いですわよ」
エミリアは船上でのことをまだ根に持っているようだった。イーラはすっかり忘れていたのに。
「そこが一番強い匂いがするだろう。嗅いだら悪いのか」
「強く匂うからこそ、恥ずかしいんじゃありませんか!」
エミリアは顔を真っ赤にして杖先をジャックに向けた。ゴーレムは前を塞ぐ人狼たちに向かって突進していく。
人狼たちが勇んで向かってくるも、相手は岩の巨人。玩具の兵隊のように掴まれて、放り投げられ、呆気なく散っていく。
エミリアは「長くは持ちません!」と言って、ゴーレムをその場に残し、ギルベルトを先頭に道を突破していく。
ジャックは追いかけようとした。しかし、ゴーレムに阻まれて前に進めない。
ギルベルトは溜まった鬱憤を晴らすように、惜しみなく銃を撃って行った。壁の上にいる奴も、前から襲ってくる奴も、一人残らず撃ち落としていく。スイレンは水晶を覗くと、「おや」と声を漏らした。
「この先に池があるみたいだねぇ。水が綺麗なら、図書館まで移動は出来るよ」
「じゃあそれまで人狼撒くの手伝えジジイ!」
「もっと可愛くおねだりしな小僧!」
スイレンは先頭を変わると、袖から水の入った筒を出した。その蓋を開けると、水はひとりでに動き出し、スイレンの周りを守るように浮く。
「水の知恵 祈りの歌よ 降り注ぐ雫の恵を受けよ」
「水砲弾 五月雨!」
スイレンの周りを漂う水が、一つ一つの粒となって人狼たちに撃ちつけた。人狼たちは悲鳴をあげながら倒れ、壁の上にいた者の中には地面に落ちた者もいる。スイレンは「ちょいと強すぎたねぇ」と独り言を呟いた。
イーラは一番後ろで、走りながら薬を練っていた。
「シクシクラの花弁とアメクラシマの綿毛、ミオロバ草の根っことあと──」
「おいイーラ! もっと早く走れ! 追いついちまうぞ!」
「ギルベルトさんフィニをよろしく! 私ちょっと忙しいから!」
イーラは最後にポケットにあった適当なハーブを団子状に練り込むと、後ろに向かって投げつけた。ギルベルトはイーラに指示される前にそれを撃った。
炎に包まれた団子は白い霧を生んで燃え尽きる。人狼はバタバタと倒れていった。
「眠り薬か?」
「本当は焼いちゃダメなのよ。効果が強いから。胸に薄く塗って眠るのよ」
「薬の用法守れや薬剤師!」
「でも助かったでしょ!」
言い合っていると、後ろから大きな音が聞こえた。そして少し間を置いて地震が起こる。エミリアは苦い顔で言った。
「ゴーレムが崩れましたわ」
「そうかい。じゃあ急がないとねぇ」
スイレンは皆を急かし、先に進んだ。
イーラはふと後ろを振り向いた。そこには誰もいなかった。




