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40話 最後の再会

 この時、イーラは久しぶりに薬を触っていた。

 薬の煮える音もすり潰す音も懐かしいと思えた。イーラはウキウキしながら薬を作ると、冷たい廊下を渡り、奥まった部屋の前に座る。


「お薬の時間です」


 イーラが部屋の向こうに声をかけると、「お入りください」と返事が帰ってきた。イーラは頭を下げたまま部屋に入り、手前に座る女性に煎じ薬を差し出した。

 女性は少し嫌そうに言った。

「もう、薬を飲まなくても良いのではないでしょうか?」

「いいえ、そうはいきません。まだ全快されていないでしょう?」




「オモト様」




 イーラは彼女の名前を呼んだ。頭を上げると、痩せこけていた頃の面影が全く無くなったオモトの姿があった。

 オモトは袖で口元を隠すと、不満そうに薬を手に取った。


「そなたがここまで世話を焼くとは思いませんでした」


 そう言ってオモトは薬に口をつけた。


 ***


「どうか、どうかお許しを」

「待ちなさい! オモト!」


 崖から身を投げるオモトに、スイレンは手を伸ばした。しかし、スイレンの手は空を掴み、オモトの手を取る事はなかった。

 スイレンが悔しげに顔を歪めるその横から、オモトの手を掴み、エミリアに向かって投げつける影があった。



「バカじゃないの!?」



 スイレンは驚きながら、イーラを見つめた。オモトを支えたエミリアも、「やはりか」と言わんばかりにイーラに注目する。

 フィニは怒り狂うイーラに安心した笑みを浮かべた。


「アンタには同情する! アンタの行いは仕方ないと思う! けど少なくてもここにいる人は皆、アンタに振り回されてんのよ! それを最期のワガママで死なせるわけないでしょ!」


 オモトに怒鳴るイーラを、スイレンはどうしていいか分からずにオロオロする。フィニは「ほっといて下さい」とスイレンに口パクした。

 オモトはイーラの気迫にぽかんとしていたが、負けじと言い返した。


「この国では嘘は大罪、犯してはならぬ過ちです! それを自分の身の上のために犯し、他者を巻き込んだのですよ! 私はこの国の、城主娘です! 死するのは覚悟の上での所業を、どうして死なずにいろと言えますか!」


「あったり前でしょ! アンタがやってることは全部自己満足でしょうが! 法で裁かれて死ぬならまだしも! 勝手に事件起こして勝手死んだら、スイレンさんの努力が無駄になるでしょ! エミリアさんやフィニ、ギルベルトさんの労力をなんだと思ってんのよ! 全部自分で片付けるつもりだったんでしょうけど、お生憎様! アンタがやろうとしたことは全部、他人の努力を水の泡にすることよ!」


 オモトの威厳もイーラの怒りの前では形無しだ。イーラの言い分をフォローするように、エミリアがそっとオモトの手を握った。


「イルヴァーナさんは、誰にも死んで欲しくないのです。それがこの国での大罪を犯していたとしても、彼女には何ら関係ありません。あなたが罪を償う気があるのなら、あなたが城主の娘として民の見本となるのなら、そのお身体を治し、正しく裁かれてこそでしょう?」

 オモトはエミリアの手をじぃっと見つめた。そして、はらりと泣いた。


「ツユハ様に逢いたい。一度だけでも、刹那の夢でも構わない」

 オモトがあまりにもシクシクと泣くもので、フィニは「逢わせて差し上げます」と約束を交わした。

 イーラはフィニに「ちょっと」と注意を促すが、フィニは「平気」と言ってオモトが全快した時に、ツユハと逢えるようにすると言った。

 オモトは「分かりました」と言うと、エミリアの肩を借りて屋敷へと戻っていった。


 スイレンは恐る恐るイーラに声をかけた。

「良いのかい? もし、オモトが死罪になったらイルヴァは心を痛めてしまうだろう?」

 イーラは二人の背中を真っ直ぐ見つめて返した。

「そうなったらなったで、覚悟決めるわよ。でも、私は絶対に勝手に死なせやしないわ」

「······イーラのそういう所、僕は尊敬するよ」

 フィニはイーラの手をそっと握った。イーラに柔らかく微笑むと、フィニはツユハの墓に視線を移した。

「僕も、大事なものを守れるようになりたい」


 ***


 それからイーラは城主の屋敷に通っては、オモトに薬を煎じ、たわいもない会話を交わしてスイレンの家に帰る日々を繰り返した。

 オモトはイーラに言われるまで、自身が異食症を併発していたことに気が付かなかったらしい。

「本当に気が付かなかったんですか?」

「ええ、スイレン様に病を治させまいと、防御の呪文を常に張っていたもので。ダラチュアの粉末は少ししか摂っていませんから平気かと。いつも気がついたら墓場にいましたし、爪に土がくい込んでいるくらいでしたから、てっきり墓を掘り起こしていたのかと」

「それはそれで問題よね。······いえいえ、まずは食事をとれるようになりましょう」


 そんな会話をした記憶がある。

 イーラは毎日オモトの様子を確認し、会話のすれ違いがないかやダラチュアの毒が抜けたかを確認した。オモトはみるみるうちに回復し、今や肌艶も良くなり、血色も申し分なく健康を維持していた。


 時折、スイレンと様子を見に来てはオモトの回復具合を見てもらい、裁きの手筈を整えてもらう。

 スイレンの話によると、オリバーはとっくに死刑宣告を受け、処刑も済んでいた。いつの間に事が進んでいることに驚いていると、スイレンは「ここは水魔導師(ウンディーネ)の都、嘘が死罪の珍妙な国サ」と笑っていた。

 オモトはその話を聞いても、臆する様子はなかった。スイレンはそんなオモトの様子を、真剣に見つめていた。







「えっ!? スイレンさん、オモト様の婚約者じゃないの!?」

 夕飯の席で、イーラはそう叫んだ。スイレンは腹を抱えて笑い、食事どころじゃなくなっていた。

 エミリアも少しドキドキしているようだった。

「すみません。わたくしもてっきり、そういう関係だと思っておりまして」

「あっはっはっは! そんなわけないじゃあないか! だってオモトはあの子が子供の時からの付き合いなんだ。孫のように感じる女子(おなご)を色目で見るものか! あっはっはっはっはっ!」

「そんなに笑うことないじゃない! でも、スイレンさんが婚約者じゃないなら、一体誰なのかしらね。ツユハさんに盗られちゃった人って」

「イルヴァーナさんには、まだそういう話は早いんじゃありませんか?」

「そんなことねぇだろ。イーラと同じくらいの奴でも恋愛沙汰はあるだろう。闇市だと、もっと激しい関係だったけどな」

「ギルベルト! そんなはしたない話題は避けるべきですわ!」

「もっと激しいってどういうことですか?」

「フィニ! 聞いてはいけません! あなたが知るべきではない領域です!」


 スイレンは話が盛り上がる三人に聞こえないように、イーラにこっそり耳打ちした。

「オモトの婚約者は、イルヴァもあった人サ。きっとオモトは彼と一緒になる」

「そう。それは本当なの?」

 スイレンはふふ、と笑うとイーラの口に刺身を突っ込んだ。刺身を食べるイーラにスイレンは言った。


「あちしの占いが、外れたことはないからねぇ」


 イーラはその時の、スイレンの表情がどこか寂しそうに見えた。


 ***


 イーラは最後の薬をオモトに出した。

 これを飲めば治療は終わり。オモトも最後の薬を飲むと、待ちきれないと言わんばかりに出かける支度を整えた。

「行きましょう! そなたの仲間が待っていてくれているのでしょう!」

「わわっ! 待ってください! あんまり走ったら······」

 イーラはオモトに手を引かれるまま、外へと飛び出した。

 オモトは人目につかぬように屋敷を駆けると、屋敷の門の前で止まり、近くに置きっ放しにされた柄杓を閉ざされた門に向けた。



「水よ 汝の力を以て 門を繋ぎ給え 我が愛しき人の名を刻みし海へ!」



 オモトがそう唱えると、土から水が染み出して門全体に広がっていく。木の門に水が染み渡ると、門はひとりでに開き、目の前にはツユハの墓と海が広がっていた。

 オモトとイーラが門をくぐると、滝のように水が落ち、そのまま崖下へと注がれた。

 フィニは既に来ていて、ツユハの墓の前に魔法陣を掘っていた。オモトはフィニの黒いローブの姿に怪訝な表情を向けたが、フィニは気にしないように魔法陣を完成させた。

「嫌な存在が目の前にいますが、ツユハ様に逢わせたら消えますから」


 ギルベルトとエミリアも遅れてやって来た。

 フィニはイーラを目を合わせると、決心したように頷いた。



「冥府を統べる我らが神よ 世界樹の根に眠りし者を我が元に呼び覚まし給え」



 フィニが呪詛を唱えた。魔法陣は光始め、フィニを包み込んでいく。フィニはツユハの声を探り当てるように目を閉じた。


「愛し愛されし者よ 秘めし想いを残されし者に伝え給う!」


 フィニがそう叫ぶと、魔法陣は眩い光を放ち、ある男を呼び出した。

 オモトは彼の姿を見ると、縋るように駆け出し、その手を握ろうとした。男もオモトの手を握ろうとした。しかし、互いの手はすり抜け合い、結ばれることはなかった。


「ツユハ様、もう一度逢いたかった」

 オモトは泣きながら言った。


『私も逢いたかった』

 ツユハも一筋涙を零した。


 オモトはツユハに「共に眠りたい」と零した。しかし、ツユハは一層苦しそうな顔でオモトを拒んだ。

『君はこちらに来るべきではない。私とて君と共にいたいが、私は君を幸せに出来なかった』

「いいえ、私はあなた様といられて幸せでした。この世に未練はありません。どうか私も連れて行って」

『いいや、いいや。君には生きて欲しい。私を忘れ、生きて幸せになって欲しい』

「私は大罪を犯しました。どのみち死んでしまうのに、どう幸せになれと言うのです。お願い、私をあなたの側に置いてくださいな」


『君はこれから幸せになれる。その手に多くの皺が刻まれるまで、その目で国がより良くなるまで、君は生きて幸せになるべきだ。私はずっと君のそばにいよう。君が幸せに包まれて眠るまで、私は君を守り続けよう。だからどうか生きて欲しい。私は永遠に君の幸せを願っている』


 ツユハはそう言うと、全体から淡い光を空へと放つ。オモトは彼に縋った。しかし、彼はオモトに何か囁くと、オモトは泣き崩れて彼を見送った。

 彼はオモトに触れられないと、分かっていながら泣きじゃくる彼女の頬に手を添えた。そして光の粒子となって消えてしまった。


 エミリアはオモトにもらい泣きしながら空へと昇る彼に祈りを捧げた。ギルベルトはオモトの背中を擦りながら、光が遠く見えなくなるまで見つめていた。

 フィニは力を使い果たすと、へたりと陣に座り込む。

 イーラはオモトが泣き続ける様子を、なんとも言えない表情で見つめていた。


「おやおや、あちしが来る前に終わってしまったかい?」

 スイレンがだいぶ遅れてやって来た。しゃくり上げるオモトに声をかけず、離れて見ていたイーラの傍に寄った。

「イルヴァ、ツユハは何と言った?」

「······オモト様に生きて欲しいって、恋人らしいことを言って消えたわよ」

「そうかい。叶うといいねぇ」

「どうだか。この国だと嘘が大罪なんでしょ。オリバーなんて、知らないうちに死んでるんだもの」

「処刑されたって言っとくれな。まぁ、あちしも裁きの結果を知らせに来ただけなんだけどサ」


 その言葉にイーラは反応した。スイレンは袖から水色の封筒を出した。イーラに先に聞こえるようにスイレンは言った。それはとても、嬉しそうに聞こえた。



「無罪放免、だってサ」

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