38話 ツユハとオモト
この日はとても良い満月だった。
イーラたちはスイレンに連れられ、こっそりと墓場を訪れた。
墓場に着くと、フィニは満月に祈りを捧げ、早速魔術を使った。
「月よ、その慈しみの光を指輪に照らせ。亡き者と想いの品を結び合わせ給え」
フィニが指輪に杖をかざすと、指輪は月光に反応するように淡く光を放つ。その光は筋状に伸びると、墓の奥地と指輪を結んだ。
フィニを先頭にその光を追うと、途中でフラフラと墓を彷徨う影を見つけた。ギルベルトがその影に銃を向けたが、スイレンがそれをそっと止めた。ギルベルトの不満そうな顔を苦々しく睨むと、スイレンはその影の後ろに立った。
「そこに彼はいないサ。あちしらも逢いに行くが、一緒に来るかい?」
「オモトや」
スイレンに名前を呼ばれると、オモトがふらりと振り返った。
落窪んだ目に痩せこけた頬、荒れてしまった髪を振り乱し、骨と皮だけの手をスイレンに寄せた。
イーラはオモトの姿に舌を出した。
前よりも酷くなっている。放っておいたら死んでしまうだろう。これは急がなくては。
エミリアは青い顔で口元を押さえると、イーラにそっと耳元で聞いた。
「イルヴァーナさんには、こんな風に見えていたのですか?」
「そうよ。前に見た方が、まだマシなくらいだったけど」
エミリアは祈るように杖を抱くと、先に行ったフィニを追いかけていく。ギルベルトはオモトを連れて、スイレンが戻ってくるとはっきりと「気持ち悪ぃ」と言った。
「お前さんもこんな風になった人を沢山見てきたろうに」
「俺ァ確かに見たけどよ。そんな姿になってる奴は大体死んじまってるから平気なんだよ。まだ生きてるっつーほうが怖ぇよ」
四人で遅れてフィニを追うと、墓の先には崖があった。その崖先には他の墓とは違う、岩を置いただけの簡素な墓があり、名前はなかった。
しかし、フィニが持つ指輪はその墓石と光が繋がっていて、これがきっとツユハなのだと思わせた。
「ああ、ツユハ様。ようやくお会い出来ました。ああ、ああ──」
オモトは一人で駆け出すと、岩の前に伏してゴツゴツとした岩に縋った。そしてその体をブルブルと震わせて、枯れてしまいようなほどに涙を流した。エミリアは杖を地面に立てると、サッとしゃがんで祝詞を捧げた。ギルベルトも片膝を立て、故人に礼を尽くす。
イーラは持ち続けていたポプリを墓前に供え、潮風を浴びた。とても濃い潮の匂いがした。
黒い海に光が差すと、浄化されたように青さを取り戻す。満月の光が揺蕩う波は言い表せないほど美しかった。
スイレンはそっとイーラの肩を抱いた。イーラはスイレンの方を見なかった。イーラを抱く手が微かに震えていたからだと思われる。
しばらくオモトの鳴き声だけが聞こえた。フィニは杖と指輪を握り締めて墓石を見つめていた。
突然、ギルベルトとエミリアが立ち上がった。スイレンもイーラから手を離す。三人は自分たちの来た道を向いていて、とても険しい表情をしていた。イーラも二人分の足音を聞くと、パッとそちらを向いた。
「土よ! 悪意ある力から我らを守り給え! 全てを遮る盾となれ!」
エミリアが叫び、地面に杖を突き立てた。ボコボコと土が盛り上がり、大きな壁を造り上げた。水の剣がイーラ達を目掛けて飛んで来ていた。前線に立ったエミリアが間一髪でそれを止めると、ギルベルトは崖の方を向き、おもむろに銃を撃った。
炎の弾丸が、オリバーの肩を掠め、オリバーは舌打ちをして墓石に着地する。
「キャッ······!」
エミリアの壁が打ち砕かれ、その破片が辺りに散った。ギルベルトはフィニを庇い、腕に切り傷を作る。
スイレンが水晶をギルベルトに向けると、海から上がってきた水がギルベルトの腕に絡みつき、みるみるうちに傷を癒した。
そのスイレンを水龍が崖から突き落とす。道の先に居たのは城主だった。
イーラとフィニを交互に睨むと、傷だらけの手を二人に向けた。すると、海から水が這い上がり、イーラ達を包み込んだ。
「貴様らがツユハなんぞを探すから、ガキの癖に出しゃばりおって」
イーラ達がもがく間もなく、全身は水に覆われる。
突然息が出来なくなり、イーラは水の外に出ようともがく。しかし、手を伸ばしても足を動かしても水の外に出ることは叶わない。
イーラは霞む視界の中、体内に残った空気を全て吐き出した。意識を手放そうとすると誰かの手がイーラを掴んだ。
「お前さんにはまだ仕事が残っているだろう? 愛しいマシェリーの子」
風船が弾けるように、イーラは外の世界に投げ出された。
空気を胸いっぱいに吸い込むと、エミリアの手を借りて立ち上がる。スイレンは濡れた水晶を撫でると、城主を睨んだ。
「ここで奇襲をかけるとは、貴方は本当に無粋なことをされる。オモト様が愛しい方との再会を果たしたというに、諸共殺す気であられたか?」
「お前が言うと嫌味甚だしいな。スイレン、お前も邪魔をする気か?」
「はて? 邪魔、とは何のことでありましょう。まさか、こちらに眠られるツユハと何か関わりが?」
スイレンはとぼけたフリをして墓を目で示した。城主は更に怒りを顕にした。
傷だらけの手をスイレンに向ける。しかし、何も起きなかった。スイレンは嫌味ったらしく微笑んだ。
「魔法とは、魔導師が媒介を通して術式を与えることで、ものを使役する方法である。その媒介は魔導師によって様々であるが、媒介は魔導師に適したものであればあるほど、その力を高め、最大まで引き出せる」
スイレンは水晶を高く掲げた。海に水柱が立ち、轟々と唸りを上げながら、飛沫を飛ばす。スイレンは月と同じ黄色い瞳を輝かせながら笑った。
「城主殿、貴方に媒介無しの魔法は早すぎる。水魔導師の本質を忘れられたか?」
スイレンはそう言うと、聞き取れないほど早く呪文を唱えた。後ろで唸る水柱は空に向かってその手を伸ばすと、スイレンの合図で雨となりイーラたちを巻き込んで打ちつけた。
「知識を蓄え、勤勉に、実直に研鑽を重ねる。『叡智』を冠する水魔導師が、聞いて呆れますな」
スイレンは水晶に十分な水を被せると、びしょ濡れの口で呟いた。
「叡智の水よ 水面の光 全てを映せ 真実の鏡よ 嘘を暴け」
水晶に月光が差し込むと、出来たばかりの大きな水溜まりに映像が浮き上がった。
そこには、微笑ましく肩を寄せる男とオモトの姿があった。イーラはその男がツユハだと直感した。
スイレンは、歯ぎしりをする城主を見据えた。
「さぁさ、城主殿。ツユハがここに眠る理由を、教えてもらおうか」




